先ずは震源地近くで被災された方にお見舞い申し上げます。
私の方はと言うと、東京住まいで地震発生時は会社に居て最初は何か揺れてる?とか高をくくっていたのが高層ビルのせいか揺れの振幅が非常に大きくなった段階で避難訓練通りに机の下に潜りました。避難訓練の時には先に警報が出るのにこの本番では無し。ちょうど15時頃のお茶にしようと熱湯で紅茶をいれて待っていた所だったのでカップは人の居ない机に移してこぼれるのに対処しました。そこまでには至りませんでしたが。
それでもビルの天井にある蛍光灯のカバーが外れたりしました。

一度収まったかとおもったらその後も何度も揺れがあり、ネット経由で電車が全部停まっている事、震源が宮城県の方で震度が7である事、そして遅れて津波で水浸しになったニュース画面のキャプチャを見ました。
揺れは結構あったものの、甘い見通しで電車は復旧するだろうと思っていたら17時近くににJRは終日運転休止の噂が聞こえてきて、その後正式な運転再開無し宣言を聞いてとりあえず食料の確保に近くのコンビニへ。カップ麺くらいしか既に無くなってました。この時点では徒歩で帰ろうかと思ったものの、Googleトランジットで「徒歩4時間」と表示され、道のりは頭の中にあったものの、寒いし暗いし、そして枝野官房長官の二次災害を避ける為に無理に帰宅しない方がいいと言う発表を聞いて、その晩は会社に泊まる事にしました。
この頃にはNHKのニュースがustreamに流れて来て段々惨状が明らかになり、特に津波の映像は静止画キャプチャとは比較にならない衝撃的なもので、田園風景の中を車が走っていると画面右上から津波が押し寄せてきて、それに気がついたと思われる車が突如近くの交差点で左折して津波から逃げ始めた画面は生々しいものがありました。
夜もふけてくるとJRとは違って地下鉄が復旧しはじめたと言うTwitterのついーとが入りはじめ、会社近くの駅ではないものの、徒歩距離にある地下鉄と、自宅から30~1時間程度歩けば辿り着ける地下鉄の駅とを結ぶ経路の復旧が完成した所で帰宅を決心します。
22:00に会社を出発。駅の近くの道路は話に聞いていたとおり大渋滞で全然動く気配がありません。

地下鉄の駅まで歩き、とりあえずそこの路線に乗り、そして別の駅で自宅の割合近辺に来る地下鉄に乗り換えようとしたらホームが人で溢れています。乗り切れずに規制されていたのです。ここから先は写真はありません。小型とは言えカメラを構えたりシャッター音を鳴らしたりしたら袋叩きになりそうな殺気が漂っていました。
じわじわと進みながら1時間以上かけてホームに辿り着いたものの家の方向のホームは人が大勢並んでいて、反対方向が何本も来ているのに一向に来る気配がありません。やがてアナウンスでこの駅より何駅も手前にやっと来ていると言うのが分かり、帰宅方向の電車に乗るのを一旦諦めます。反対方向に乗って駅に着く度に帰宅方向の運行状態と混雑状態を見て、5駅戻ったところで降車して帰宅方向の列に並びました。しばらくして電車がやって来て混んではいたものの何とか中に入れる程度。5駅進んでさっきの乗換駅に着いたらやっぱり先頭の何人かしか乗れません。
こんな状態だと降りたい人が降りれなかったりして「降りる人がいるんですよ!降ろして下さい!何で乗ってくるんですか!」と言う女性の怒号の様な叫び声も聞こえます。駅毎にこんな調子なので普段なら40分程度で走破する区間を1時間30分かかりました。地下鉄はどんな運行をしたのかは分かりませんが、もし終夜運転を決定していたのなら駅のアナウンスで「地下鉄は終夜運転します。必ず明日まで運転しますので次の電車をお待ちください」と言えばかなり違ったと思います。
その後、2ちゃんねるの交通情報板の情報で自分の路線が復旧して終夜運転をするらしいと知ったので地下鉄から歩くつもりだったのを変更して乗り換え、自宅に辿り着いたのは午前2時近くになっていました。結局徒歩と時間的にはほぼ同じだったのですが、多分気持ちの持ち具合と身体の消耗具合は電車の方が遙かに楽だったでしょう。
覚悟はしていましたが、玄関を開けてリビングへの廊下を見て愕然としました。天井まで積み上げた本が崩壊し、廊下は片付けないと歩けません。翌朝見ましたが、書庫にしている部屋も崩壊状態。何とか歩ける程度まで本を棚に積んで、リビングに入ってみるとやはり惨状が。

フィギュアはほぼ全滅です。リビングもやはり歩けない状態で脚を踏み入れる場所だけちょっと確保。心配したプラズマテレビと液晶テレビは無事でしたが、PCが放り出された状態。これも確認する気力は起きずに翌朝まで放置。今日起動してみて無事は確認しましたが、キーボードの上に重いオーディオスピーカーが落下した影響らしくいくつかのキーが打鍵できなくなっていました。今は別のPCに繋げていたキーボードに切り替えています。壊れたキーボードは長年愛用したメカニカルキーボードだったのですが、残念です。
帰宅しながらmixiで状況を自分の日記に携帯からコメントしながら来たのですが、この状態ではPCを起動する気力もなく、ベッドに座って仕上げの日記を書き込みます。とりあえずmixiに書く事がネット上の知り合いに無事を報告する事になりますから。それに比べて親戚筋はみんなアナログな人達で無事を知らせる連絡には苦労しました。
日記に「地震現場は惨状惨状」と残して寝ました。