March 14, 2011

母のコレクション

Mom's collections


日曜深夜二時過ぎに実家に着き、睡眠。
朝、父の見舞いに行く前に数時間母と会話。

母はいまだに現役で東京都下の病院で看護士をやっているが、
なんとか赤羽にバスの乗り継ぎとタクシーで帰ろうと
必死に歩いたという。

どこどこにいけばバスがあるとか情報を耳にしては
着くたびに来たバスにのせてもらえす、
結局3時間半も歩いたあげく、親切な人に出会って
勤務先の病院まで車で送ってもらい、その日は病院に泊まったとのこと。
そのため地震のあと父にはじめて会ったのは土曜の夜だったそうだ。

話は変わり…母は人形のコレクションをしているが
「このケースのドアが開いて人形も倒れていたのよ」とのこと。
幸いガラス細工や瀬戸物でできた人形も壊れずにすんだようだが
「余震がおきて壊れたらいやだから一カ月ぐらい箱に入れておくわ」
とのこと。

「箱に入れる前に写真を撮ろうか」と言うと
「私も写真を撮ってほしかったのよ」と母。

「ね、これ可愛いでしょ」と色んな人形の開設をはじめる。
76歳の母はまるで少女のよう。

Mom's collections01
Mom's collections02
Mom's collections03
Mom's collections04
Mom's collections05


父の見舞いに行くと、言葉が不自由になってしまった父が
地震がいかに恐ろしかったか必死でしゃべる。
なんでも、小型の液晶TVが自分の方に落ちてきそうだったので
必死にTVをつかんで食いとめたのだそうだ。

地震のあと待てど暮らせど母がこないので母の安否を心配したと言って
泣く父。

これには心が痛んだが
私は「みんな元気でよかったじゃん」と明るくふるまうしかない。
陽のエネルギーを与えるのが見舞いに行く人間の務めだと思う。

父の見舞いを終えて、朝11時。
母と早めのランチは赤羽駅のところにある寿司常。

ここの寿司はかなり旨いのでよく行く。

そして11時半に食事を終えて母と一緒に京浜東北線に乗る。
母は小学生の頃からの友人と御徒町で待ち合わせとのこと。
田端で山手線に乗り換えて日暮里で下車。
母は京成スカイライナーの切符売り場まで付き合ってくれ、
そこで見送ってくれた。

私はスカイライナーに乗り成田空港へ。
免税品店で自分用の煙草を1カートン。
職場の仲間への土産が3カートン…。

いつものように日本の口座から全額おろしすべてドルに替えるのだが、
いつもは日曜でも開いているターミナル内の銀行が閉まっている。

アメリカで両替えすると2割ぐらい損するから洒落にならない。
で、再入国を考えたが「あっちのほうの両替所はやってるみたいですよ」
と教えてくれる人がいて助かった。

あまった時間は第一ターミナルの25番ゲートのそばにある
「Public Lounge」で過ごす。
これは前回知ったのだが、英語でPublic Loungeと書いてあるが
日本語では「待合所」みたいな表記なので、誰でも入れるのに
意外と知られていないよう。
広いスペースで、コンピューターをつなげられるデスクや、
寝られるリクライナー、椅子、TV、かなりいい設備。
空港職員が休憩してたりするが、一般客は5人ぐらいしかいなかった。

そしてニューヨーク行きの便に乗った。

家族全員がどうしているか、みんなとあって色々な話を聞いてあげるのが
いまの私の役目だと思っている。何もしてやれないかもしれないが、
話相手にはなってあげられる。

両親の無事を確認した後は、転職して1週間になる息子を見に行く。
何もしてやれないが、ひょっとしたら人生におけるいいアドバイスができるかもしれない。


ということでいまニューヨークのチェルシーにあるホテルにいる。
今日は息子とホテルで待ち合わせをしてイーストビレッジにある
GOレストランに行った。

タイミング良く永井さんと五紀さんも来ていて、息子を紹介することができた。

明日は昼間マンハッタンの休日で足ツボマッサージに行き
立ちっぱなしの仕事のせいか最近かなり傷みを感じている足をケア。
そして、午後8時の便で、こんどはテキサスの家に帰る。
寮生活をしている娘が春休みで帰ってきているから
今度は娘との語らいができるし、もちろん家内とも。

あちこちに住んでいる家族をそれぞれ訪問できることは嬉しいかぎり。

最後に…家族の無事で幸せを感じた一方で、
短い日本滞在中のTV、そして機内で読んだ新聞…心が痛んだ。
今回の大地震でお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。













jimmysuzukiusa at 14:33│Comments(0)この記事をクリップ!

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