- ――まずはメジャーデビューを飾った98年について。当時のことって覚えてます?
- 【aiko】 めちゃめちゃ目まぐるしかったっていうのを覚えていますね。キャンペーンで1日にいろんな場所に行くと、自分がどこにいるのかわからなくなるくらい。まだ上京していなくて(大阪からの)通いやったから、ほんとにバタバタでした。
- ――でも、デビューという夢が実現したことは嬉しかったんじゃないですか?
- 【aiko】 デビューするのは夢やったけど、自分がデビューするっていうのを1ヶ月くらい前に知ったんですよ。だから全然心構えができてなくて、ビックリしていただけというか(笑)。
- ――じゃ、デビューしたことを一番実感できたのはいつごろ?
- 【aiko】 デビューの日!その日は大阪でキャンペーンをしていたんですけど、「最後にカラオケボックスで広告代理店の人と顔合わせがあるから」ってマネージャーさんに言われて。で、行ってみたらドッキリやったんです。大阪の友達がみんなで「おめでとう!」ってお祝いしてくれて。その時にものすごい実感しましたね。“あぁ、もう戻られへんな”って。
- ――その年には初ワンマンライブも経験していますね。
- 【aiko】 大阪の江坂ブーミンホール(現・江坂ミューズ)ってとこでやったんですけど、お世話になっていたいろんな方とか友達がたくさん観に来てくれて、会場の扉が全然閉まらなかったんですよ。ずっと開いたままだったの。ライブ中、その開いた扉から光が漏れてたってことだけ覚えてますね。ほんとに無我夢中だったので、ライブ中の記憶はそれ以外あんまりないんですけど。
- ――翌99年には3rdシングル「花火」がリリースされ、これが大ヒットとなりました。
- 【aiko】 「花火」はね、いろんなラジオ曲のパワープレイに決まって、パワープレイ数がその月のトップになったんです。当時は自分の名刺を持ち歩いていたので、キャンペーンでいろんなところに行っては配っていましたね。初めて『ミュージックステーション』に出させていただいたのも、その時でした。タモリさんにも名刺を渡すことができて(笑)。その段階ではまだランキングのトップ10に入ってなかったんですけど、スタッフの方が「トップ10に入ったらもう一回出してあげましょう。だから頑張れ!」って言ってくださって、トップ10に入った時には実際ほんまに出してくれたんです。それはすっごいよく覚えてますね。嬉しかったなぁ。
- ――忙しさもハンパじゃなくなりました?
- 【aiko】 だいぶ後でスタッフに言われたんですけど、光GENJIより忙しかったらしいです(笑)。マネージャーさんたちも「今日は来ないかもしれない…」っていつも思いながらやってたんやって。来なくても仕方がないと思うぐらい忙しかったからって。確かにしんどいのはめっちゃしんどかったですね。でもやっぱり歌手になれたのがすごく嬉しかったので、体力的な限界みたいなのは何回もあったけど、気力は全然大丈夫でした。
- ――同年には学園祭ツアーを経験しています。
- 【aiko】 やりましたねぇ。滋賀県の大学でやったとき、体育館の床が抜けたんですよ!曲の途中でみんなの身長がどんどん低くなってって。中止しようってなったんですけど、その後も座りながら何曲かやらせてもらいました。めっちゃ申し訳なくって、泣きながら謝りましたね。学園祭、また行きたいですねぇ。
- ――00年には拠点を東京に移したんですよね?
- 【aiko】 そうそう。「桜の時」のタイミングでしたね。東京での暮らしっぷりは大変でしたよ。時間がなかったので、マネージャーさんや事務所の方に、マンションを決めていただいたんですけど、いろんなところがサビてるし、アンペア数が低いからすぐブレーカーが落ちるんですよ。あと前に住んでた人がかなりの節約家だったみたいで、トイレの中に水があんまり流れなくなるようにビニールが詰まってたりとか。東京って怖いって思いました(笑)。
- ――ちなみに、その部屋で出来た曲ってあるんですか?
- 【aiko】 「初恋」!東京に上京して初めて作った曲です。
- ――年末には初の紅白出場も果たし、その人気は国民的に。ケータイをポケットに差したまま歌ったという伝説も残しました(笑)。
- 【aiko】 ねぇ。あの後ね、事務所に「もっと給料を上げてやってくれ」って電話がかかってきたんですよ。服装のチープさ加減に心配してくれはったみたいで(笑)。
- ――01年、ライブではツライ出来事もありましたね。
- 【aiko】 ありました。風邪をひいてセキをいっぱいしていたら、結節ができて高い声が出なくなっちゃったんです。で、ツアーの一部を延期することに……。もう記憶がないぐらいツラかったです。そのときにファンのみんなからもらった励ましの手紙は、今でも大事に持っていますね。当時は、それを眺めながら「がんばろう」って思ってました。
- ――この経験によってプロ意識がより高まったりっていうこともありました?
- 【aiko】 そうですね、うん。名古屋のライブで復帰したんですけど、そのときに声が出てほんとに良かったって思いました。ほんとに、より頑張らなきゃなって思うようになりましたね。ただ、その後にはまた声がつぶれるんじゃないかっていう恐怖もあって。しばらくビビり期みたいな時期もあったんですけど(笑)。
(文:もりひでゆき)