東日本巨大地震:「千葉-仙台間400キロ、割り込む車1台もなし」
鮮于鉦記者が見た「秩序ある日本人」
今回の大震災で最大の被害を受けた宮城県北部の港町・気仙沼市。沿岸部半径1キロが津波による火災で全焼し、住民約7万人のうち13日午後9時現在、無事に避難していることが分かっているのは約1万5000人にすぎない。
周辺地域の学校・官公署に収容されている避難民に対し、13日に配給されたのはおにぎり一つとみそ汁1杯だった。日が暮れ、冷え込んでも衣服や布団さえ十分でなかった。避難民らは同日、県庁に「十分な寝具・食料・他地域の家族に消息を伝える通信手段」を要請した。しかし、県庁関係者は「事情は理解できるが、政府が今、力を注ぐべきことは、依然として生存が確認されていない人々を救出すること」と答えた。
この言葉を聞いても、住民たちが騒ぐことはなかった。ある避難民は「廃虚の中で救援を待つ人々がまだ残っている。この地域だけでなく、宮城県全体が破壊されたのだから、耐えられるところまで耐えるしかないのでは」と言った。
日本は今、どこに行っても待つ人々や長い行列を作る人々ばかりだ。12日から13日にかけ、千葉から仙台・宮城まで約400キロを車で走る間、仙台ナンバーを付けた車が続いた。消息が途絶えた家族や被害を受けた家族を探すため、故郷に向かう人々だ。焦り、いら立っていたと思う。しかし、走り出したり止まったりを繰り返しながらも、割り込みをしたり、違反速度で走ったりする車はほとんどなかった。彼らは静かに順番を守っていた。そうでなければ、車が入り乱れ故郷への道はひどく混乱したことだろう。
被害が集中した東北地方では、ガソリンスタンドのほとんどが営業していなかった。精油貯蔵所が爆発し、道が崩れ、ガソリン輸送が中断されたためだ。ガソリンが残っている一部のガソリンスタンドには、200-300メートルに達する車の列ができた。ガソリンを入れるのに1-2時間かかった。1回の注油に10リットル、または2000円分と制限された。彼らはまるでベルトコンベヤーのように動く。列に割り込む車、「もっと入れてくれ」と大声を上げる人は見掛けなかった。それよりも多くのガソリンが必要な人は、営業している別のガソリンスタンドへ行き、再び1-2時間並んだ。
ガソリンスタンドだけではない。制限量を守り飲み水の供給をする学校、制限本数を決めミネラルウオーターを販売するスーパーマーケット、制限数だけ開放されている公共トイレなど、町のあちこちで行列が数十から数百メートルできている。原子力発電所の事故で家から避難した福島県の一部住民は、政府が用意した避難所で居住地が再建されるのを静かに待っている。電気不足に陥っている被害地域のため、被害を受けていない地域の住民は制限送電を静かに待っている。津波の被害を受けた太平洋沿岸にある埋め立て地の住民らは、掃除道具を手に道の土砂を片付けていた。
ラジオには家族の消息を待つ人々の言葉が相次いで寄せられていた。「宮城県仙台市に住んでいる松本さんから、気仙沼市に住んでいるお母さんへ。子供たちはみんな元気です。連絡ください」。公共放送であるNHKは、一日中こうした内容を伝えている。壊滅的な被害を受けた地域に消息を伝える最も有効な手段の一つがラジオだ。
今、日本が最も警戒しているのは「興奮」だ。日本政府は12日、「報道機関は(中略)しっかりとした取材に基づいて、情報を的確に流している。(チェーンメールなど)根拠のない情報に惑わされることがないように」と国民に訴えた。現在、メールなどで流されているうわさは、日本人の原爆被害意識を刺激するかのような、福島第1原子力発電所事故に関するものなどだ。
気仙沼市(宮城県)=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)記者