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2007年08月10日(金)

田老町に学ぶ津波防災

テーマ:ジャパン通信

 今回の夏休み中、是非とも三陸海岸を旅してみようと前々から思っていました。きっかけは、昨年読んだ吉村昭氏の「三陸海岸大津波」という本でした(右上)。この本に、田老町という人口5千人に満たない町のことが何度も出てきます。田老町は、過去に津波の大被害を受けたことで、世界に類を見ない津波防潮堤を築き上げ、今では津波防災の先進地になっているそうなのです。その町を自分の足で歩き、その防潮堤を自分の目で見てみたかった。田老町は、宮古からローカル線で北へ約20分走ったところにありました。まずは、全長約2.5キロ、高さ10メートルを越える巨大防潮堤から紹介しましょう(↓)




 どうですか。この町は、まるで要塞に囲まれたような町なのです。海側に面した防潮堤の上部は、津波の威力を少しでも和らげるためか、このように(↓)凹型になっていました。


 吉村氏の「三陸海岸大津波」によれば、三陸海岸は津波被害を最も受けやすい地形なのだそうです。三陸リアス式海岸の鋸の歯状に切り込んだ湾の海底は、湾口から奥に入るに従って急に浅くなっていて、このような湾を津波が襲うと、海水が湾口から奥に進むにつれて急速に膨れ上がり凄まじい大津波になるとのこと。田老町もまた、津波が威力を増す小さく切り込んだ湾の奥にできた町でした。

 明治以来、三陸沿岸部を襲った大津波は四度

 1.明治29年の三陸大津波
 
2.昭和8年の三陸大津波
 
3.昭和35年のチリ地震大津波
 
4.昭和43年の十勝沖地震大津波


 田老町は、明治29年に1859人、昭和8年には911人もの死者を出し、いずれも壊滅的な大被害を受けました。しかしながら、この二度の大津波の教訓をもとに津波防災体制の整備が進み、昭和35年と昭和43年の津波では被害を最小限に食い止めることができたそうです。



 現在の田老町には、津波防潮堤の他にも、28ヶ所の緊急避難場所と16ヶ所の二次避難施設、津波避難路(↑)、防潮林、防災無線、津波防災情報システムなどなどが整備されているのです。ソフト面でも、住民による自主防災組織の育成、町をあげての津波避難訓練、つなみ紙芝居や津波防災カルタを使った防災教育などにも力を入れているそうです。


 なお、この田老町はごく最近、宮古市に吸収合併されたと聞きました。合併によって、防災体制がどう変わったのかという点も興味深いですね。


 さて、田老町の旧町役場の前に、「津波防災の町宣言」を刻んだ記念碑(↑)が建っていました。宣言文を読んでみると、以下のような一節があったのです。

「私たちは、津波被害で得た多くの教訓を常に心に持ち続け、津波被害の歴史を忘れず、近代的な設備におごることなく、文明と共に移り変わる災害への対処と地域防災力の向上に努め、積み重ねた英知を次の世代へと手渡していきます」

 スリランカやモルディブの津波復興に関わった自分としては、田老町が積み重ねた津波防災の英知は、国境を越えて伝えていかなければならないものだと痛感しました。
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コメント

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1 ■ご無沙汰してます

何回もコメントを書こうとしてはいたのですが・・・
スリランカなどは津波に対してもあまり整備がなされていないのではないでしょうか。
貧しいから、設備が整わなくて人の命が失われるのはあってはならないことだと思います。
このブログのおかげで、そんなことを考える機会が増えました。
ありがとうございます。

2 ■人を動かしていく感動

初めてコメントいたします。
不思議と心に響く感動がありました。
少しでもお役に立てれば幸いです。
少し難しく捉えさせて頂きますと、
さまざまな法律が交錯している問題に思えます。
例えば、PC(プレキャストコンクリート)の防波堤については、道路法で重量規制がありますので、これ以上の災害に対する対策は万全であるか?
防波堤についても、その土地の地盤の構成から綿密な計算がされていると思われますが、この先予測される海面の上昇について、どう対処するのか?一敷地一建物という建築基準法の制約だけでは、街全体の安全を守れないでしょうから、行政のこれからの街創りが、最も重要な視点であると思います。

仰るとおり、この地に限らず町と市の合併は多く行われていますので、働きかける行動力が、
人を動かしていくものであると思います。

記事からは多くの気付きがあり、勇気付け
られました事を付け加えさせて頂きます。

3 ■無題

スリランカで休暇中に津波に遭遇し、現地の方々に助けられた者としてこの記事を興味深く読ませていただきました。津波など聞いたこともなかったスリランカの人々に、経験豊富な日本から知識を伝えることこそ国際貢献ですよね。どうぞがんばって下さい。

4 ■るそぅさん、markx76さん、luntaさんへ

るそぅさん、こんにちは。スリランカの津波対策はこれからです。2004年の12月までは、あの国では津波なんて想定外でしたから。津波の復興と同時に、津波防災もやらないと。

markx76さん、初めまして。コメントありがとうございました。防潮堤ひとつ取っても、法規制、技術、土地条件といろいろ難しい問題があるようですね。機会がありましたら、いつかご教示願いたいです。また、お出でください。

luntaさん、こんにちは。津波の体験者にとっては、様々な思いがあるでしょうね。僕も、津波に限らず防災については、日本の経験がモノを言うはずだと思っています。

5 ■過去の被災経験を

しっかり活かして、津波防災先進地になったとのこと。
バングラデシュも少しは見習って欲しいですね。
毎年毎年洪水に見舞われながら、毎年毎年被害を出す…。
堤防を築くことで防げる部分もたくさんあるのに…。
どうしてできないんだろう…。

6 ■きなこさんへ

コメント有難うございました。田老町の経験が物語っているのは、防災にはハードとソフトの両面から対処すべきで、それには、資金もそうですが、様々な知恵や政治的コミットメントが必要だということじゃないでしょうか。それこそが、地域防災力。バングラデシュの洪水対策、う~ん、この場ではコメントできない難しい問題です。

7 ■田老町出身のものです。

50年ぶりのことで、チリ地震の歴史を調べていたらこちらにたどりつきました。
私は埼玉県におりますが、つい先月も実兄が急逝したため、帰ってきたところです。
貴重な写真を掲載していてくれて、ありがとうござます。
地元では、みな「堤防(ていぼう)」と呼んでいます。さきほど70歳になる父に電話したら、50年前に海水が引いていったのを見たことを思い出しているそうです。

8 ■ラバッパーさんへ

コメントありがとうございました。田老町出身の方ですか。吉村昭氏の「三陸海岸大津波」という本に「津波防潮堤」と出ていたので、僕もその言葉を使いました。いずれにしても、田老町は津波防災の先進地。もっと知られてしかるべきだと思います。

9 ■防災は完璧でも

自然には人間は勝てません。
東北地方太平洋沖地震で田老町は消滅してしまいました・・・

10 ■ニュースで見ました

過去の教訓を生かし、ここまで津波に対して町全体で取り組んでいたというのに、想定外のマグニチュード9という地震ではダメだったのでしょうか。
やるせなくなります。

住んでいた方がどうなっているのか情報がほとんどありませんが、地震発生後に一人でも多く高台に避難されていることを願います。

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