余震まっただ中でPCでネットしてる人は振動でHDDが壊れる事は気にしないんだろうか
「被災者よりエロ動画が大事なのか!」とか言われるのが怖いから空気読んでるだけなのか
あるいはみんなとっくにスマートフォンに移行してて
「PCでネットしてるなんて40代以上だけだよねー」とか笑われてるのか
まぁ俺はSSDだけどね
あのチャット機能、昨日辺りはずっと落ちてて見れなかった気がする
俺も横だが、
この前提が間違ってると思うよ
「心配」ってのはそんなに大げさなもんじゃない
こういう言い方は何だけど、「心配」と「他人事」は両立しうる
同じだ。
力のある者が、感情論で自分の都合のいいように物事を進めようとする。
こういう時こそ冷静にならなければならないね。ただ、与党も野党も同じ感情論の上にいるからどちらも応援してはいけない。自分の中の波を静める事しか出来ない。
心配しなくても、ちゃんとした頭を持ってる人は見ているよ。
Togetter - 「地震に対する発言で蓮舫のTLが大炎上 」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/110626
こいつらも普段は同じことをしてるだろ。代表的なのに、こんなのがあるが。
blackdragon 社会, ネット社会学 こんな言いがかりは、むしろ嫌いな政治家を叩くチャンスとして災害発生を喜んで利用しているわけで、非常に不快。 2011/03/12
嫌いな対象を叩くために、今回の甚大な被害である大地震を利用しているのは、はてなサヨクも同じ。例えば、また、産経叩きに利用してる。
はてなブックマーク - 阿比留瑠比の菅政権考「致命的な国家観の欠如」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/110312/plc11031207000005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110312/plc11031207000005-n1.htm
こいつらは、新聞の全ての記事を大地震だけにしろということか?というか、こいつら、ネットばかり見て紙面を見てないのか?新聞の紙面は地震の被災とは関係なく、スポーツの記事とかも書いているわけだが。普段は、挙国一致の全体主義を批判しながら、地震以外のことで産経「だけ」を批判するところに、この大震災に乗じて産経を叩いてやる!というのが透けて見える。
それじゃ、アニメ報道しているテレ東は何か?菅政権考「致命的な国家観の欠如」というのは、実際に国家間が欠如しているのだからそれが新聞に載るのは当たり前。むしろ、産経の姿勢は正しい。この震災に乗じて挙国一致だからと、変な予算を通せば、それこそ国民の生活に直結する悪政になる。普段は、権力批判をしているつもりが、こういう大震災の時には都合よく政府に利用されるようになる方向性になるのは、普段の権力批判の底の浅さが知れる。こういう非常事態の時こそ、政府の誤った行動は監視するべき。
しかし、産経の紙面では大地震が殆どになってるのは当たり前だが。他の朝日とかも大地震以外の記事も載せてるんだが。お前らバカサヨクは、震災でどれだけの人命が奪われているのかも考えずに、産経叩き、阿比留瑠比叩きに利用するのはいい加減にしろよ、クズサヨクが。
地震以外の記事を批判するのなら、産経「だけ」を批判するな。テレ東のアニメとか、批判しないといけなくなるところがかなり出てくるな。整合性が取れないから。ほら、さっさとゴミクズサヨクは産経以外も批判しろよ。
他にも、原発問題が出たら、変な平和団体とかの奴らが、被災者の命なんかどうだっていいから、「反核!」とか言い出しているんだが。産経の記事以外にも、震災とは関係ない記事で、まさに批判されるべきところはある。嫌いな対象を震災を利用して批判するなと蓮舫の件で言うなら、「産経が叩けるから、大震災が起こってくれて嬉しい!」というのが透けているはてなサヨクのゴミクズどもも批判しろよ。
http://twitter.com/TMR15/status/46369649394327552
「(阪神大震災時)現場の助けになりたいと気持ちだけで被災地にいらっしゃる方が多く、
逆に被災地の貴重な食料等の支援物資を費やしてしまうといった事があった様です。
地域の窓口やボランティアーセンターに問い合わせてからにして下さい」
とのこと。
コレを読んでボランティアについて思ったことを書きます。文章書きなれていないので読みにくい文章であると思いますがご容赦ください。
その時の経験から言えば、ボランティアの人のうち8割は本当にいい人でした。
2割の方も、わざわざボランティアに来てくださったくらいですから悪い人ではなかったのでしょうが、
知識や管理の不足のせいか、少し問題がある行動が多くみられました。
気持ちが焦っていたのか、自分の思い通りにやりたいという気持ちが強すぎたのかわかりませんが、
傷ついている人に命令したり、なかなか動けない人に心無い言葉を浴びせたり、
たちいってはいけない地域に寄って帰って来なかったりして現場を混乱させている人がいました。
救助される側の立場として、どうしてもそういった「援助」の名のもとに行われる行動や命令に対して
嫌だとかもう少し待ってくれ、など言い難く黙ってしたがっていましたが、でも少し悲しい思いをしました。
(また、一部の場所に人が非常に多く集まっている一方で、助けが必要な場所に全然人が来なかったり
助けを求めても応じてもらえないようなことがあったという伝聞もありました。これは正確ではありません)
ボランティアの方も、私たち同様、あの被災地において、常に冷静でいることは難しいと思います。
あまりに悲惨な状況を見て、手当たりしだい何か行動しなければ、という気持ちになると思います。
だから、その時のボランティアさんを責める気持ちは全くありませんし、むしろ感謝しています。
ただし、善意から来られた方でも、自由に行動しているだけでは必ずしも良い結果にはならない、とあの時学びました。
特に、支援を受ける側は文句が言えないので、よほど気を使わないと、押しつけになってしまいます。
きちんと被災者側の要望やつらい思いを受けつける人が間にたって、その人を中心に活動が行われないと
表面上はうまくいっていても、内面的にわだかまりが生じてしまうような気がします。
せっかく支援に来ていただいて、こちらもそのことに感謝しているのにうまくいかない。そういう結果になってほしくないです。支援する側される側の間には、どうしても眼に見えない上下関係のようなものが発生します。あるいは強者と弱者の関係のようなものになってしまいます。家がなくなったり、共同体がなくなったりしてよって立つべき場所がない被災者側としてはどうしても他人を最初は怯え、警戒してしまいます。相手が良い人であると頭では分かっていても、信頼したいと思っても、余裕が全くない状態では難しいです。「そんなことないよ、同じ人として対等だよ」というキレイゴトは抜きにして、そのどうしようもない前提をもとにコミュニケーションのあり方を模索して欲しいと思います。私たちが最も安心していろんなことを相談できたのは、「任務」として来られている自衛隊の方でした。最初は、ある程度明確な仕切り、身分証明があったほうが、かえってコミュニケーションが取りやすかったです。
せっかく善意で来られた方に対して、疑いや警戒を示したり、励ましの声を素直に受け止められなかったりした人は多かったと思います。
そして、善意で来られた方の中に、私たちのそういう態度に傷ついてしまった人が多いと思います。
でも、できれば「今は異常事態だから、善意や信頼が自然には芽生えにくい状況」であるという前提で行動して欲しいです。
まず現地での所属を明確にし、決められた作業任務内容を明確にして行動してください。出来る限り不安を与えないように、身分を証明するものがあるといいと思います。
そして、決められた内容以外は現地の人に求められない限り勝手にやろうとしないでください。善意であってもテリトリーにはいられると不安になってしまいます。
声かけは、態度では表せないかもしれませんがありがたいものですから、出来れば積極的にやってください。などなど。
もっとも、阪神大震災時の教訓から、ボランティアを組織する方法論のようなものがだいぶ蓄積され、今ではボランティアのネットワーク化を支援するNPOなども存在するようです。
今は、そういう人たちの指示にしたがって行動すれば大丈夫なのではないかとおもいます。
私も4月に入ったら休暇をとって支援に行くつもりです。阪神大震災時とはだいぶ時代が変わっているので今どうやって行動するかの指針は私にはわかりません。
できれば基本的な情報はグーグルさんなどを活用して確認した上で行動したいし、twitterなどのツールを活用して情報連絡は綿密にしながら活動できたらいいなと思います。
そうはいってもそのボランティアが持っておくべき基本的な情報とはどういうものかもよくわかっていません。
私にあるのは震災時、救助される側としての経験で、支援をした経験はないのです。
ですから、私のようなボランティア志願者が、現地につく前にどのような準備をするべきか、現地についたら、どのような手続きをとって、どういう指揮系統下に入るか、
どういう作業が出来る人が不足していて要求されているのかなどがわかる仕組みがどこかにあればいいですね。
もしご存じの方がいらっしゃったらこの記事などの返信で教えていただけないでしょうか。
地震特番ずっとやってるけど、ずっとあの調子だったんだろうかね。
もしかしたら、ずっと「被災地の心配」をしてたから飽きちゃって、ここらで一服したいと思ってた時に「KY討論が始まったからストレス発散しようぜ」って感じだったのかも。
震災を消費されるのが。ほとんど被害のなかった地域。東京・西日本を中心とした馬鹿共の物見遊山はたくさんだ。
興味津々で跳ね回る情報合戦なんぞ、実際の被災地に届こうはずもない。
家族の身を案じることが出来るのはなぜだと思う?それは多分、「自分と同化」しているからなんだよ。
長い間同じ空間で暮らしてると、家族は他人だと分かっていても次第に自分の延長のように感じてくる。
親しい友人なども同じ。親しさというのは概ね時間の長さで変わってくるでしょ。何十年も「友人」だったら、いつの間にか家族と同じように自分の延長と感じてもおかしくはない。
自分じゃない人間、すなわち他人のことを心から心配出来る人間なんてこの世にいるとは思えない。「この世のすべてを愛せる人」がいるかもしれないが、結局のところそれは究極のエゴだと思う。自分しかこの世界にいないってこと。