地震特番ずっとやってるけど、ずっとあの調子だったんだろうかね。
もしかしたら、ずっと「被災地の心配」をしてたから飽きちゃって、ここらで一服したいと思ってた時に「KY討論が始まったからストレス発散しようぜ」って感じだったのかも。
震災を消費されるのが。ほとんど被害のなかった地域。東京・西日本を中心とした馬鹿共の物見遊山はたくさんだ。
興味津々で跳ね回る情報合戦なんぞ、実際の被災地に届こうはずもない。
家族の身を案じることが出来るのはなぜだと思う?それは多分、「自分と同化」しているからなんだよ。
長い間同じ空間で暮らしてると、家族は他人だと分かっていても次第に自分の延長のように感じてくる。
親しい友人なども同じ。親しさというのは概ね時間の長さで変わってくるでしょ。何十年も「友人」だったら、いつの間にか家族と同じように自分の延長と感じてもおかしくはない。
自分じゃない人間、すなわち他人のことを心から心配出来る人間なんてこの世にいるとは思えない。「この世のすべてを愛せる人」がいるかもしれないが、結局のところそれは究極のエゴだと思う。自分しかこの世界にいないってこと。
このはてブを見て、ものすごく疑問に思った。
はてなブックマーク - 地震での差別と連動する人権無視のはてなのサヨクの言動
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20110312072107
http://anond.hatelabo.jp/20110312072107
その記事に書いてある
・反貧困をはてダで書いてあるサヨクがtwitterで「ネトウヨは低収入のバカ」とか言ったこと
・外国人差別をやめろと言うデモで、日の丸ウンコ旗で「日の丸はうんこー!」と言ってデモしたこと
この三つについては、全て賛成で正しいということ?
はてブでは、例えば、反貧困を言いながら「ネトウヨは低収入のバカ」とか
言うのはやめろとかそんな声が全くないのが不思議でならない。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20110312041916
気象庁の… http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html
平成23年03月13日08時44分 13日08時41分頃 福島県沖 M5.2 震度3 平成23年03月13日08時39分 13日08時25分頃 宮城県沖 M6.2 震度5弱 (平成23年03月13日08時35分 13日08時25分頃 宮城県沖 M6.2 震度4) (平成23年03月13日08時29分 13日08時25分頃 宮城県沖 M6.2 震度4) 平成23年03月13日08時03分 13日07時59分頃 福島県沖 M4.4 震度3 平成23年03月13日07時37分 13日07時31分頃 岩手県沖 M5.7 震度3 平成23年03月13日07時22分 13日07時13分頃 福島県沖 M6.0 震度3 (平成23年03月13日07時17分 13日07時13分頃 福島県沖 M6.0 震度3) 平成23年03月13日07時07分 13日06時58分頃 岩手県沖 M5.4 震度3 (平成23年03月13日07時03分 13日06時58分頃 岩手県沖 M5.4 震度3) 平成23年03月13日06時52分 13日06時48分頃 岩手県沖 M5.5 震度3 平成23年03月13日05時45分 13日05時41分頃 福島県沖 M4.7 震度3 平成23年03月13日03時51分 13日03時47分頃 新潟県中越地方 M3.6 震度3 平成23年03月13日03時14分 13日03時09分頃 福島県沖 M4.5 震度4 ━━━━━━━━━━━━━━━1.5日━━━━━━━━━━━━━━ 平成23年03月13日02時03分 13日01時59分頃 茨城県沖 M4.4 震度3 平成23年03月13日00時48分 13日00時44分頃 新潟県中越地方 M4.0 震度3 平成23年03月13日00時00分 12日23時54分頃 新潟県中越地方 M2.5 震度3 平成23年03月12日23時56分 12日23時52分頃 長野県北部 M2.4 震度3 平成23年03月12日23時50分 12日23時43分頃 岩手県沖 M6.1 震度4 (平成23年03月12日23時47分 12日23時43分頃 岩手県沖 M6.1 震度4) 平成23年03月12日23時40分 12日23時35分頃 新潟県中越地方 M4.4 震度5弱 平成23年03月12日23時39分 12日23時33分頃 茨城県沖 M4.3 震度3 平成23年03月12日23時18分 12日23時14分頃 茨城県沖 M5.2 震度3 平成23年03月12日23時07分 12日23時03分頃 宮城県沖 M5.8 震度3 平成23年03月12日22時35分 12日22時27分頃 長野県北部 M3.9 震度3 平成23年03月12日22時35分 12日22時27分頃 岩手県沖 M5.3 - 平成23年03月12日22時31分 12日22時24分頃 宮城県沖 M4.8 震度3 平成23年03月12日22時25分 12日22時15分頃 福島県沖 M6.0 震度5弱 (平成23年03月12日22時19分 12日22時15分頃 福島県沖 M6.0 震度5弱) 平成23年03月12日22時09分 12日22時05分頃 新潟県中越地方 M2.6 震度3 平成23年03月12日21時59分 12日21時54分頃 三陸沖 M5.9 震度3 平成23年03月12日21時38分 12日21時34分頃 福島県沖 M3.9 震度3 平成23年03月12日20時52分 12日20時46分頃 茨城県沖 M5.6 震度3 平成23年03月12日19時57分 12日19時53分頃 岩手県沖 M5.8 震度4 平成23年03月12日19時11分 12日19時08分頃 長野県北部 M4.1 震度4 平成23年03月12日18時45分 12日18時41分頃 三陸沖 M5.1 震度3 平成23年03月12日18時39分 12日18時36分頃 新潟県中越地方 M3.7 震度3 平成23年03月12日16時41分 12日16時35分頃 福島県沖 M4.8 震度3 平成23年03月12日16時00分 12日15時57分頃 東京湾 M4.3 震度3 平成23年03月12日15時47分 12日15時44分頃 茨城県沖 M4.7 震度3 平成23年03月12日15時45分 12日15時40分頃 茨城県沖 M4.3 震度3 平成23年03月12日15時23分 12日15時19分頃 岩手県沖 M5.4 震度4 平成23年03月12日14時57分 12日14時55分頃 新潟県中越地方 M4.0 震度4 平成23年03月12日14時53分 12日14時50分頃 長野県北部 M3.4 震度3 ━━━━━━━━━━━━━━━24時間━━━━━━━━━━━━━━
俺も横だけど、http://anond.hatelabo.jp/20110313083451 からの流れの中で言われてる事は分からないな。
でも、自分の知り合い、友人や家族、さらには自分の街が犠牲になったのなら、悲しいのも間違いない。
だから「素直に」喜べないのだろう。
まるで体面を気にした体裁の言葉というように捉えている人がいるが、「素直に喜べない」は自分以外のものにも愛を向けいている人間なら当然の言葉じゃないか。
俺も横だけど、ここで言われてる事は分からないな。
でも、自分の知り合い、友人や家族、さらには自分の街が犠牲になったなら、悲しいのも間違いない。
だから「素直に」喜べないのだろう。
まるで体面を気にした体裁の言葉というように捉えている人がいるようだが、「素直に喜べない」は自分以外のものにも愛を向けいている人間なら当然の言葉じゃないか。
漂う腐敗臭に耐えられなくて見てないけど、やっぱ「拡散希望」は今回もたくさんあるんだな。
2012年ではなく2011年が世界の終りだったのかと思ったがどうやらそれほどでもないようだ。
津波に流された民家を見る限り木造だし、流されていない病院とかもあることを考えると、単純に「防災に対する意識」が足りなかったんだろう。
都市で生きるなら防災システムの不備に憤っても当然だが、「津波さんどうぞ壊してください」って家が壊されたんだから、当たり前のことが当たり前のように起こっただけだ。
都市に住む人類は「津波で家が壊れてもしょうがない」とは考えない。津波で壊れない家、地震で壊れない家を創ろうと考える。今まで自然に抗う術をほとんど持たなかった過去の人々でさえ、やはり脅威を軽減しようと努力していた。
だからこそ、一層都市化をすすめるべきなのだ。今手にしている技術こそが、人類を自然から切り離すための大きなツールなのだから、これを大いに活用しなければならない。
木造の家や過去人(老人)は津波にのみこまれてしかるべきだ。地震や津波は自然の側が「こっちへおいで」と言っているようなものなのだから。自然と共に生きると決意した人間ならば当然あっさりと死ぬべきだし、死ぬことが本望だろう。
厄介なのは、自然と共に生きるようなフリをしながら、実際は心の隅々まで「都会化」してしまっている人々だ。彼らの歪んだ身体はテレビとネットによって作り出されたものだろう。暮らしは自然に接していても心はテレビやネットなどが映し出す「都市」と接続されている。彼らは不幸な人々だ。そのような捻じ曲げられた精神は、津波によって流されてしまったほうが良かった。これからどうしたらいいのかと泣く姿はあまりにも哀れだ。彼らは肉体を自然に持って行かれたが、心だけが残ってしまった。彼らには「都市の肉体」が必要だろう。の大災害によって少しでも「歪んだ身体」が浄化され、あるいは正常な形に戻ることを願う。
横だけど、
その「素直に喜べない」は、「素直に喜んだら周囲から非難されるから喜べない」だろ。
「周囲」さえ居なければ素直に喜べる。
せっかく救助されて父親と再会できたというのに、
インタビューで彼女はそう答えた。まだ津波で孤立して助け出されていない人がいるからだそうだ。
彼女は見る限り結構若かった。自分も若いが、若い人間の中にはこういうコメントをスルリと言ってしまえる人が結構いる。
さっきパソコンの前にいる自分のところにも弱い余震が来たが、はっきり言って自分(や家族)の身が危ないという時に他人の心配を心から出来る人などいない。
みんな自分や家族のことが心配なはずだ。だからこそ、家族と会えて喜んでいる彼女の表情には共感できても、「素直に喜べない」と言った彼女の言葉には欺瞞しか見えてこない。
彼女は多分、父親と再会できたという安心感のおかげで「冷静さ」を取り戻したのだろう。その時カメラがまわっていた。言わなければならない、と思ったはずだ。良かったよかったというだけではダメだと。それが素直に喜べない。という言葉となって出てきたんだろう。
近頃の若い人は周りの目を異様に気にするというが、確かにそうだと思った。いや、単に日本人含む先進国の人々は概ね「他人を気にする」傾向があるらしく、アメリカ人も結構体裁やら何やらを気にしている。むしろこう驚くべきかもしれない。「経験したことのない巨大地震の被災者である若い彼女でさえも周囲の目を気にしている」と。
マスコミにインタビューされるのは偶然だとしても、それを拒否する気力も余裕もないときに容赦なくマイクを向けられるのは嫌だろう。
今回の地震でも、見ている限りそういう人がいた。積極的にインタビューを受けたわけではなく、呆然としてるところにとつぜんマイクもった人たちが押しかけてきたんだろう。
そして、命をかけて「衝撃映像」を撮ろうとするカメラマン達もいる。自分の人生も何もかも犠牲にしてまで、そうまでして衝撃映像を撮りたい、地震の影響なんてほとんどない人たちにも「恐怖を感じさせたい」それだけのためにカメラをまわしつづける人々。一般市民も必死に撮影する。ネットで流して見てもらう。「見てみて、僕が撮ったスクープ映像だよ!」
嘘八百をツイッターで流す善意の人々。善かれと思って、の善かれというのはどういうことなんだろう。多分、誰かの役に立ちたいという功名心からだろう。地震をダシにして「いい人」になりたい、俺はただの一般庶民だけど役に立つことをしたんだという気持ちをもちたい。あるいはそういうことをしているときに感じる「善意の快感」が欲しい、ただ欲しい。
地震が起きた大変だと騒ぎつつも自分たちに都合のいいように利用しようとする政府。しかめ面でお見舞いを申し上げながら腹の中では「さて今回の事象、どう有効利用しようか」と考えている。野党も必死に「国民のためを思う政党
」になろうとしている。
多分、ごく普通の人々も、ツイッターやらミクシィやらブログやら何やらで「地震の当事者です」宣言をしていることだろう。自分たちは一大イベントに参加したんだぜ、大スターだぜ。そういう気持ちをもっていることだろう。
当事者になるとよく分かる。「善意」を隠れ蓑にしていかに多くの人が吐き気を催すようなことをしているか。隠しているのは悪意だけではない、単純な好奇心や単純な功名心や単純な「もっと自分を見て」だったりする。
全てがペラペラでツルツルで何の厚みもない「善意」に覆い隠される。
結果的には良いことをしたんだろう。結果的には「みんな笑顔」になったかもしれない。でも、やっぱり納得は出来ない。当事者として、善意を直接的間接的に容赦なく押しつけられるのは本当に気分が悪い。NHKはまだマシだったが、そのNHKでさえ「見てみてこの衝撃映像!」をやっている。ずっとテレビが見られなかったからはじめて被害の状況を知ったときは驚いたけど、あれらの映像は結局のところ私たちに対してではなく、「視聴者」に対してのものなのだ。
古館は津波で流されていく家を見ながら「良いことも悪いこともあったはずの街が全て流されていく」と悲しそうにつぶやいていたが、あの感傷的なコメントは全て視聴者に対してのものなのだ。
Yahoo!のコメント欄で「被災者のみなさんにを心配」しているのは全て「周りの目」に対する配慮なのだ。被災者などどうでもいいのだ。被災者が死のうが生きようが泣こうがわめこうが、重要なのは周囲の人々に「善人」であることを主張することなのだ。
だから中国人が地震のニュースに喜んだのは、とても正直な対応でむしろこのほうが正しいとさえ感じる。日本を憎んでいる人なら、日本でたくさんの死者が出たことを喜ばないはずはないのだ。国際社会とやらが日本に支援を申し出ているのを、当事者の私でさえ素直に喜ぶことなどない。そこに隠された損得勘定の下劣さは、個人のそれとは比較にならないからだ。「Pray fo JAPAN」にすら違和感を覚えるというのに。
っつーのを山ほど見たなあ
ここぞとばかりに地域対立に持って行く奴がうぜえ
おっさんは今日も平常運転なのが笑った。
一般的な話として阪神大震災の後に建築基準法が強化されたように、
欠片も頭をよぎらないんだね。