事件・事故・裁判

文字サイズ変更

東日本大震災:福島第1原発炉心溶融 崩れた原発「安全神話」

 ◇エネルギー政策、袋小路 国民の不信再燃

 東日本大震災で東京電力福島第1原発1号機が炉心溶融を起こし、放射性物質が漏れたことは、経済産業省や東電など電力会社が強調してきた日本の原発の「安全神話」を崩壊させるものだ。国は「温暖化防止に役立つ低炭素エネルギー」として、国内の発電量に占める原発比率を大幅に高める政策を進めてきたが、今回の事故で国民に原発不信が広がるのは必至。国のエネルギー政策は抜本的な見直しを迫られることになった。

 原発は現在、日本の電力の約3割を賄う「基幹電源」。政府は昨年6月に策定したエネルギー基本計画で14機以上の原発の新増設を掲げ、原発比率を4割程度に高める計画を示した。これを受け、現在17機の原発を保有する東電は福島第1原発での7、8号機増設などを含め、原発シフトを加速し、原発比率を09年度の28%から、19年度には48%に高める方針だった。

 世界では79年の米スリーマイル島原発事故や86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故後、原発への逆風が強まった。そんな中、日本が原子力政策を推進し続けて来られたのは、経産省や東電など電力事業者が「厳格な安全管理を徹底しており、深刻な事故は起きない」としてきたからだ。

 91年の関西電力・美浜原発2号機の蒸気発生器細管破断事故や、95年の「もんじゅ事故」、99年の茨城県東海村の臨界事故では、原発への不安が高まった。しかし、電力会社はいずれのケースも、部品の施工ミスや設計ミスなど「想定外の事象が原因」と強調。07年の新潟県中越沖地震で東電・柏崎刈羽原発が全機停止した時も「原因は変圧器の火災。原発の設計構造そのものに問題はない」と、深刻な事故につながるリスクを否定してきた。

 その上で、近年は「原発は温暖化対策の切り札」(経産省幹部)とアピール、国内での原発増設計画だけでなく、国の「インフラ輸出」策の柱にも位置付けてきた。しかし、地震後の津波で原子炉冷却用電源が損傷し、放射性物質が漏れた今回の事故は、原発の安全設計の根幹が疑われるもの。東電がこれまでアピールしてきた「(いくつもの安全装置で原子炉を守る)多重防護の考え方を徹底している」との言葉の信頼性は吹き飛んだ。

 しかも、放射能漏れを起こした福島第1原発は71年の運転開始から40年がたつ老朽炉。東電は「今回の地震や津波は(安全対策の)想定を上回るもの」と説明するが、原子炉圧力容器や建屋に劣化が生じていなかったかなど、東電の安全管理体制が改めて問われそうだ。また、炉心溶融が判明して以降も、地元住民や国民への説明が後手に回り、12日夜に開いた会見でも「冷却水の維持に取り組んでいる」(小森明生常務)などと当面の対応策を繰り返すばかりだった東電の姿勢には批判も出ており、経営責任が問われるのは必至だ。

 95年の阪神大震災を契機に原発の耐震性が問い直され、国や電力会社は耐震性能を高める措置を取った。しかし、地震に伴う津波への対策は十分ではなかったわけで、地震国ニッポンにおける原発の安全性は根幹から問い直されることになった。経産省幹部も「今回の事故で国のエネルギー政策の抜本的な見直しを求める声が強まるだろう」と認める。

 原発増設計画を凍結せざるを得ない東電は当面、火力発電などで代替する考えだが、原油高や環境対応を考えれば、原油や石炭発電に先祖返りするのは難しい。太陽光発電など再生可能エネルギーの普及には時間がかかり、原発頼みを強めてきた日本のエネルギー政策は袋小路に追い込まれる可能性がある。【山本明彦、立山清也】

 ◇政府、慎重対応 疑問の声も

 政府が東京電力福島第1原発の爆発事故を発表したのは、発生から2時間10分後の12日午後5時46分だった。枝野幸男官房長官は現地の状況を十分に把握できないまま記者会見に臨み、放射能漏れが起きている可能性を前提に「万一の場合に備えたヨード等の準備もしている」と冷静な対応を呼びかけた。しかし、爆発が起きた場所が原子炉建屋だったのかどうかや、爆発前後の放射性物質の濃度など必要情報はこの時点で提供されず、政府の対応に疑問も残した。

 政府が福島第1原発に原子力緊急事態宣言を発令した11日夜の時点で、原子力安全・保安院は「バッテリーが持つのは最低で8時間。すぐに冷却水がなくなり、炉心の燃料が傷つくわけではなく、1日ぐらいの余裕はある」と説明していた。

 冷却装置の復旧に必要な電源車の調達が間に合わなければ、炉心溶融につながる可能性も認識されていたものの、ただちに放射能漏れが始まる状況ではないと判断。そのため、まずは「半径3キロ圏内」の住民に避難を指示し、12日朝に「10キロ」へ、同日夜には「20キロ」へと段階的に拡大した。同様に冷却装置が破損した福島第2原発には12日朝、宣言を出したうえで同日夜までに「10キロ」に広げ、住民が一斉に避難を始めるパニックの回避を狙った。

 緊急事態宣言の根拠法が制定されるきっかけとなったのが、99年に茨城県東海村で起きた核燃料加工会社JCO臨界事故だ。このときは政府対策本部の設置までに10時間以上かかり、対応の遅れが批判を浴びた。今回は防衛省も原子力事故に備えた初動対応をとり、福島第1原発の緊急事態応急対策拠点施設「オフサイトセンター」には12日昼過ぎまでに、陸上自衛隊中央即応集団の中央特殊武器防護隊(大宮)から40人が到着した。

 防護隊はNBC(核・生物・化学)兵器に対処する自衛隊の専門部隊で、前身は95年の地下鉄サリン事件、99年のJCO事故で出動した「第101化学防護隊」だ。陸自のポンプ車2台が第1原発で冷却水を入れる作業に当たっていたが、爆発発生後は中止。防衛省は「けが人はないと聞いているので、爆発時は作業をしていなかったのではないか」としている。

 爆発の起きた12日午後3時36分、菅直人首相は首相官邸内の大会議室で与野党党首会談の最中だった。「未曽有の国難」(首相)を乗り越えるための与野党協力をうたう場になるとみられたが、会談は決裂。危機的な被災状況と、与野党の政治駆け引きとのギャップを浮かび上がらせた。【樋岡徹也、犬飼直幸、青木純】

 ◇首相「命がけで」

 菅直人首相は12日夜、東日本大震災を受け首相官邸で記者会見し「一人でも多くの命を救うために全力で、今日、明日、あさって、頑張り抜かねばならない」と救援に全力を挙げると強調した。

 東京電力福島第1原発での爆発に関し「ご心配をかけているが、しっかり対応し一人も健康被害に陥らぬよう全力で取り組む。冷静な行動を心からお願いする」と呼びかけた。

 また、自衛隊の派遣規模を現在の5万人からさらに増やすとし、「未曽有の国難とも言うべき地震を、国民一人一人の力と、それに支えられた関係機関の努力で乗り越え、未来の日本で『あの苦難を乗り越え、こうした日本が生まれたんだ』と言えるよう、それぞれの立場で頑張ってほしい。私も全身全霊、命がけで取り組む」と訴えた。【西田進一郎】

毎日新聞 2011年3月13日 東京朝刊

 

注目ブランド

毎日jp共同企画