明治の元勲で初代首相を務めた伊藤博文は、母方の祖母の祖父。親族には外交官が多く、藤崎一郎駐米大使は従兄にあたる。
東大法学部卒業後、日本興業銀行に入行。父十郎氏が海部俊樹内閣で防衛庁長官に就任したことから退職して秘書官に転身した。96年衆院選では落選したものの、00年衆院選で初当選した。
05年、当時の前原誠司代表に当選3回で党政調会長に抜てきされ、小沢一郎代表(当時)に引き継がれた後も政調会長にとどまり、民主党が大勝した07年参院選のマニフェスト作りなどを担った。
野田佳彦氏のグループに属していたが、08年9月の党代表選への対応を巡って疎遠になり、その後脱退。小沢元代表との関係はよく、10年9月の党代表選では小沢元代表を支持した。現在は樽床伸二元党国対委員長のグループに所属している。金融・財政や安全保障に明るい政策通。安定感や実務能力を高く評価する声がある一方、歯に衣(きぬ)着せぬ発言やマスコミ嫌いでも知られる。
中学、高校時代は水球の選手というスポーツマン。【西田進一郎】
(敬称略)
毎日新聞 2011年3月10日 東京朝刊