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【社説】

3少年に死刑 市民も直面する「問い」

2011年3月11日

 連続リンチ殺人を犯した元少年三人の死刑が確定する。四人の命を奪った責任は、年齢や反省の態度を考えても、重大とする判断だ。未成熟ゆえの犯罪をどうとらえるかの難問は残された。

 「なぶり殺し」という言葉を用いて、最高裁は三人の被告を厳しく断罪した。大阪、愛知、岐阜の三府県での事件は確かに残酷だった。十一日間のうちに、殺人、強盗殺人を重ねたリンチ殺人が、社会に与えた衝撃の大きさなども考慮した結果だろう。

 もっとも、「各犯行は、全体的に見れば場当たり的」と判決が指摘したように、事件に計画性はなかった。三被告の他にも仲間が現場にいた。お互い虚勢を張るように、次第に暴行がエスカレートした。そんな集団心理の中での犯罪だったという特徴がある。

 一審は「相手に弱みを見せられないという少年期特有の心理状態」「未成熟な少年が、統率されていない集団を形成したことによる短絡的犯行」と指摘した。二審もそれを認めていた。

 未成熟ゆえに、歯止めが利かず、最悪の結果を招いた点をどう考えたらいいのか。極貧であったり、両親に捨てられた不遇な生い立ちをどう考えたらいいのか。

 事件後はキリスト教の洗礼を受けた被告も、五千枚に及ぶ写経を九年がかりで寺に納めた被告もいた。極刑を望む遺族がいる一方、「生きて償って」と刑の減軽を望んだ遺族もいた。立ち直りの可能性をどう考えたらいいのか。

 これらの「問い」に、最高裁が何も答えなかったのは残念だ。裁判員制度ができ、一般市民も凶悪事件を起こした少年被告と向き合わざるを得なくなったからだ。

 少年事件は、人格が完成しているという前提がある成人とは異なり、未成熟であることを踏まえたうえで、責任の重さを考える。

 だから、犯罪の重大さと、少年の健全育成・保護を理念とする少年法とが常にぶつかり、判断がせめぎ合う。市民が短期の審理で臨む困難さがさらに伴う。

 まず少年の成育歴などが心理学的、社会学的な視点で記載されている「社会記録」が適切に作成され、法廷でも十分に調べられなければならない。

 何よりも裁判官が裁判員に少年法の理念を説明し、納得いくまで理解してもらわねば、少年裁判の根本が揺らぐ。

 未成熟な少年に重罪を科す。悩みつつ、格闘せねばならぬ「問い」は市民も背負う。

 

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