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坂上二郎さん死去…欽ちゃん「ばか」

 故坂上二郎さんの思い出を語る萩本欽一=羽田空港(撮影・田村亮介)
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 故坂上二郎さんの思い出を語る萩本欽一=羽田空港(撮影・田村亮介)

 お笑いコンビ「コント55号」で国民的な人気を集めたコメディアンで俳優の坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日午前9時40分、脳梗塞のため栃木県の病院で死去した。76歳。2003年に脳梗塞を発症。リハビリを続けながら舞台などに一時復帰したが、昨年8月に自宅で倒れ、入院していた。坂上さんの相方・萩本欽一(69)は44年来の相棒の訃報に接し「悲しい。寂しい。二郎ちゃんのばか」とぽつり。目を赤くし、悲しみに暮れた。通夜・告別式は行わず、近親者のみで家族葬を行う。

  ◇  ◇

 「悲しい。さびしい。二郎ちゃんのばか」‐。思わず漏れた言葉が、44年間連れ添った最愛の“女房”への思いのすべてだった。

 「コント55号」で44年間、坂上さんの相方としてともに歩んできた。仕事で滞在していた富山を移動中、カーラジオでふ報を聞いた。前日の9日、坂上さんの病状がふと気になり、病院を訪ねられるか関係者に確認を頼んだ矢先の出来事だったという。

 坂上さんに最後に会ったのは、昨年12月。「もう『飛びます、飛びます』って、できないだろ」と話しかけた萩本に、坂上さんは指を口に持っていき「飛べません」と“ギャグ”を披露。その姿に安心して帰ろうとすると、坂上さんは手を差し伸べて握手を求めたという。

 「泣けるからよせよって言ったんだけど、それが最後になっちゃった。あれがさよならの握手だったんだと思う。最高のコメディアンがいなくなっちゃったね。僕は二郎さんが大好きですから」‐。萩本はその目を赤く潤ませた。

 坂上さんに泣かされたのは3回あった。「僕は欽ちゃんより長生きするから」と言われた時、脳梗塞で倒れた03年にリハビリを嫌がっていた坂上さんが、萩本の励ましで1日2時間の運動と水を2リットル飲む懸命のリハビリを始めた時、観客の拍手の中で坂上さんが「お客さんありがとう。…欽ちゃんも」とぽつりつぶやいた時の3回と明かし、「二郎さんは僕だけのものだから、TVの前では泣きたくない。帰ってから、一人で泣かせてもらいます」と、4度目の最後の涙をぐっとこらえた。

 1966年からコント55号としてともに歩みを進めた。舞台いっぱいに跳びはね、走り回るエネルギッシュなコントには、老若男女問わず、お茶の間の人気を集めた。1970年代後半からは、坂上さんが俳優としてドラマ「夜明けの刑事」シリーズに主演するなど、個人活動も行ってきた。

 「二郎さんほど汗をびっしょりかいて、一生懸命演じるコメディアンを僕は知りません。お客さんを笑わせないと帰れない、という人でした」と振り返り、最後は「僕を置いて、ひとりで(コント55号を)閉めちゃった。僕の楽しい笑い人生をつくってくれた人。血が燃える、素晴らしい相棒でした」と坂上さんへの惜しみない愛を、天国に向かって飛ばした。

(2011年3月11日)

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