舞台を駆け回るバイタリティーあふれるギャグと、とびきりの笑顔で昭和という時代に豊かな笑いを届けてくれた坂上二郎さんが、10日午前9時40分、栃木県内の病院で息を引き取った。03年にゴルフのプレー中に脳梗塞で倒れて以降は、リハビリとの闘い。今年1月の舞台復帰の夢もかなわず、帰らぬ人となった。
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昨年8月に栃木県那須塩原市の自宅の台所で脳梗塞で倒れ、頭部を強打。血を流して、緊急搬送された。顔から下の手脚などほぼ全身が不自由になり、寝たきり状態に。その後退院して、療養を続けたが、介護が必要なため、昨年11月から老人ホームに入っていたという。
近所の住民は「昨年末に会ったが、ろれつが回らない状態だった。奥さんがサポートして、つえを使って出歩いていた」と話す。
今年2月末には、懇意にしていた自宅近くの理髪店を瑤子夫人とひょっこり訪れ、散髪。車イスだったものの、元気な様子で旧知の友人らと談笑していた。数日後、知人が老人ホームを訪ねると車イスの坂上さんが笑顔で出迎えてくれたという。亡くなる直前のできごとだった。
友人で俳優の藤村俊二によると、2000年ごろに店で意識を失い、直後にも大好きなゴルフをプレー中に倒れたことがあったというが、あまり気にはしていなかったようだ。闘病の始まりは2003年。9月にゴルフ場でプレー中に脳梗塞で倒れ、左半身が不自由になった。04年にはイベントなどに登場するなど、仮復帰を果たし、「こうやってお客さんの前でしゃべるのがリハビリ」と笑顔を見せていた。
「舞台人が車イスでお客さんの前に出るのは失礼」が信条で、懸命のリハビリを経て06年には本格的に舞台復帰を果たした。
しかし、その後病は進行。次第に右半身も不自由となった。舞台上での「お人よしキャラ」は素朴できまじめな坂上さんそのまま。生前、55号の笑いについて「僕が年上なんですが、それを前面に出さないこと。コントは欽ちゃんが考えて、こちらは衣装、道具を担当します」と語っていた。
09年9月の「したまちコメディ映画祭」の授賞式が最後の公の場となった。「コンビ組んでよかったね」と呼びかけた萩本に、坂上さんは控えめに「はい、おかげさまで」と笑顔をみせていた。
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