世界中をさまよう2万人の脱北孤児(上)

「脱北孤児養子縁組法案」 米国は前向きだが韓国は事実上放置

 「母親のことは覚えていないし、父親はどこでどうしているのか分からない。韓国に来るまではいつも空腹だった」

 京畿道安山市にある、身寄りのない脱北青少年向けグループホーム「わが家」に暮らすジンヒョク君(16)=以下、全て仮名=は、身長がわずか150センチほどしかない。今年中学校に進学した同じクラスの子どもたちより3歳年上だが、体格はずっと小柄だ。

 ジンヒョク君は北朝鮮が大飢饉に見舞われた1995年、咸鏡北道で生まれた。母親はジンヒョク君が幼いころ家出し、父親も食糧を手に入れるため、ほとんど家にいなかった。ジンヒョク君は12歳から市場などで物乞いをしながら、何とか生きてきた。いわゆる「コッチェビ(住む所もなく群れをなして放浪しながら、物乞いや泥棒をする青少年)」だ。

 2009年1月のある日、ジンヒョク君は父親と共に凍り付いた豆満江を渡った。ジンヒョク君が川沿いの草むらに隠れていると、父親がいた方から大人たちの騒ぐ声が聞こえた。中国の国境警備隊に身柄を拘束された父は、北朝鮮に送り返された。その後、ジンヒョク君は1人で中国をさまよっていたところ、瀋陽で脱北ブローカーと出会った。ブローカーは「韓国に連れて行ってやるが、その見返りに(韓国政府から支払われる)定着支援金の一部を渡すように」と指示した。こうしてジンヒョク君はブローカーに連れられ韓国にやって来た。

 脱北孤児は大きく三つに分類される。脱北の際、あるいは韓国に来た後に両親と生き別れになったケース、北朝鮮で両親を失い1人でやって来たケース、脱北女性が中国など第三国で現地の男性と関係を持って生まれ、その後放置されたケースだ。

 北朝鮮民主化ネットワークのキム・ユンテ事務局長は「正確な調査が難しく、各団体が推測する数値に多少の違いはあるが、現在1万人から2万人以上の子どもたちが中国など海外でさまよっているとみられる。その一部が韓国で生活している」と説明した。南北分断における悲劇中の悲劇が脱北孤児であり、その1人1人が分断の矛盾を強いられているのだ。

 このような孤児たちへの救いの手はほとんどないが、今年2月末に米国で、共和党のリチャード・バー上院議員(ノースカロライナ州選出)が「2011脱北孤児養子縁組法案」を発議した。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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