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[政治]ニュース テーマ:土肥氏会見詳報
【土肥氏会見詳報】(2)「宣言撤回を申し入れたが…」
2011.3.10 23:18
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「私はどうしてもみなさんに申しあげなければならない。年齢を申しあげると1939年、戦前の生まれだ。そしてなんとソウル生まれ。昔、京城といったが、その生まれだ。父親はなんと朝鮮総督府。皆さん、お若い方、どうぞ辞書でもひいてみてください。朝鮮全土を監督するいわば植民地政府だ。朝鮮総督府は軍人が総督府になったわけだ。海軍と陸軍が交代で総督になり、言ってみれば植民地は軍事政権で、軍事政策に基づいて統治されてきたといってもいい。その総督府に勤めていたのが、わが父親で、もう死んだ。ほとんど、総督府時代の実情を私に語ってはくれなかった。口を固く閉ざしていた。戦後引き揚げてきたが、じつは終戦の直前、春だが、突然、万里の長城を越えて中国東北地方の『サンジャコウ』というところの旧満鉄病院の薬剤師として就職したわけだ。父親は薬剤師で、今のソウル大学の前身であるソウル薬学専門学校を出て、薬剤師になっていた。私の祖父も韓国で商売をしており、私、3代目の韓国生まれの韓国育ちということになるわけだ」
「で、『サンジャコウ』に行って終戦だ。今度は孤児同然のような格好で、子ども3人、親2人、両親と日本に引き揚げてきた。で、6年間、朝鮮のトンデモン(東大門)におり、数カ月、トンデモン小学校の小学生(としての生活)を送った。それでもやっぱり、『この社会はこれでいいのかな』という漠たる不安をもっていた。たとえば、交番に韓国人、朝鮮人の警官がいて、韓国人の泥棒を捕まえては罰しているという姿をみるにつけ、学校は全部、日本語だから、当然のように日本語を使って、同じ1年生の子供がついうっかり朝鮮語を話すと、朝鮮人の先生がその子をぶんなぐる光景もみてきた」
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