先日、日本スポーツ学会で代表理事を務める永井憲一(法政大学名誉教授)の「国民のスポーツ権とスポーツ文化ーその現在と未来を考えるー」という講演を聴いた。永井先生は憲法・教育法の専門家で東京大学他国内30あまりの大学で講師を務められている。スポーツ権という言葉を使い始め、早い時期からスポーツ省庁の必要性に言及された方である。
今回の演題を聞いた時に、さぞや固い話で眠くなってしまうのでは・・・と思って行ったのだが、話はわかりやすく、眠くなる暇もなくあっという間の1時間であった。憲法の保証しているどの部分がスポーツをする権利に言及しているのか、なぜ権利として認める必要があるかなど、これまで深く考えてみたことのなかった根本の部分がよく理解できた。
スポーツと法律というと、はじめのうちは学校での事故などを扱う弁護士の関心が強かったという。そこから学校での事故について話があった。日本の法律の問題は、「過失主義」にあるという。例えば柔道の練習中に起きた事故の場合、教師(学校)に過失があったと証明できなければ賠償されない。先生は学校で起きたいかなる事故や怪我であっても「過失主義」ではなく、「無過失責任」とするべきだと説かれた。子どもは、冒険や挑戦することによって成長していく。それらは当然リスクを伴うケースが多い。確かに小さい子どもは親がビックリするような高いところから飛び降りたりするものだ。学校は子供達が挑戦する場であるのだから、そこで起きた怪我や事故(健康が損なわれた場合)については過失があろうとなかろうと国の責任として保障するべきであるという。
柔道現場で事故が多く報告されていることもあって、「無過失責任」という考え方に目から鱗のような感覚を得た。学校や教師は、安全管理を徹底し、注意を怠らないことは当たり前であるが、不幸にも事故が発生してしまうことはある。深刻な事故が起きたケースをみると、保護者は当然のことながら原因を究明しようとするが教師や学校側は過失があったと指摘されることを恐れ、情報をすべてオープンにしようとしないことが多い。その結果、事故の原因がきちんと検証されるのに時間がかかり、情報が操作されてしまうことも少なくないのではないか。原因が究明されなければ事故の再発を防ぐこともできない。
もちろん、怪我や事故といってもケースによって違いはあると思う。しかしながら、障害が残ってしまったケースなどは過失の有無にかかわらず保障が行われれば裁判などで長い期間争うという二次的な負担が大きく軽減されるのではないだろうか。また、教師にとっても「何か事故が起きたら・・」という漠然とした不安が軽減される。
怪我や事故を未然に防ぐ努力を怠ってはならない。しかし、同時に子供達が挑戦する機会が損なわれることもあってはならない。そういったことから、永井先生の言われた「過失主義」から「無過失責任」という考え方に法律を変えていくということも考えていくべきではないだろうか。スポーツ選手から国会議員になった方々には是非競技スポーツのみならず、こういった部分にも着目してもらい議論を進めてもらいたいと願う
今回の演題を聞いた時に、さぞや固い話で眠くなってしまうのでは・・・と思って行ったのだが、話はわかりやすく、眠くなる暇もなくあっという間の1時間であった。憲法の保証しているどの部分がスポーツをする権利に言及しているのか、なぜ権利として認める必要があるかなど、これまで深く考えてみたことのなかった根本の部分がよく理解できた。
スポーツと法律というと、はじめのうちは学校での事故などを扱う弁護士の関心が強かったという。そこから学校での事故について話があった。日本の法律の問題は、「過失主義」にあるという。例えば柔道の練習中に起きた事故の場合、教師(学校)に過失があったと証明できなければ賠償されない。先生は学校で起きたいかなる事故や怪我であっても「過失主義」ではなく、「無過失責任」とするべきだと説かれた。子どもは、冒険や挑戦することによって成長していく。それらは当然リスクを伴うケースが多い。確かに小さい子どもは親がビックリするような高いところから飛び降りたりするものだ。学校は子供達が挑戦する場であるのだから、そこで起きた怪我や事故(健康が損なわれた場合)については過失があろうとなかろうと国の責任として保障するべきであるという。
柔道現場で事故が多く報告されていることもあって、「無過失責任」という考え方に目から鱗のような感覚を得た。学校や教師は、安全管理を徹底し、注意を怠らないことは当たり前であるが、不幸にも事故が発生してしまうことはある。深刻な事故が起きたケースをみると、保護者は当然のことながら原因を究明しようとするが教師や学校側は過失があったと指摘されることを恐れ、情報をすべてオープンにしようとしないことが多い。その結果、事故の原因がきちんと検証されるのに時間がかかり、情報が操作されてしまうことも少なくないのではないか。原因が究明されなければ事故の再発を防ぐこともできない。
もちろん、怪我や事故といってもケースによって違いはあると思う。しかしながら、障害が残ってしまったケースなどは過失の有無にかかわらず保障が行われれば裁判などで長い期間争うという二次的な負担が大きく軽減されるのではないだろうか。また、教師にとっても「何か事故が起きたら・・」という漠然とした不安が軽減される。
怪我や事故を未然に防ぐ努力を怠ってはならない。しかし、同時に子供達が挑戦する機会が損なわれることもあってはならない。そういったことから、永井先生の言われた「過失主義」から「無過失責任」という考え方に法律を変えていくということも考えていくべきではないだろうか。スポーツ選手から国会議員になった方々には是非競技スポーツのみならず、こういった部分にも着目してもらい議論を進めてもらいたいと願う
一律で無過失責任を認めるという事は、加害者への責任追求が曖昧になり、却って事故原因の究明を阻む事につながります。
また、柔道事故と一概に言いますが、事件性の高いものも多々あります。
リンチのような不当な指導で人が亡くなった場合、民法上で無過失責任が認められ、加害者の過失の有無の議論がされずに補償のみがされる事を、被害者は望みません。
被害者は、速やかな補償を望んでいるのではなく、事故の原因、事故の真相が究明される事を望んでいるのです。
そして加害者に過失があれば、その責任は、民法上も刑法上も厳しく追及されるべきです。そのような姿勢が、柔道の安全に繋がっていくのだと思います。
無過失責任の議論よりも、事故が起こった時に速やかに事故原因を究明できる体制作りの議論、学校や行政に事実を隠蔽させないようにさせる議論こそが必要だと考えます。
スポーツ省のうんぬんは早いです
スポーツは教育として
文科省の管轄の中で予算を取り内容を濃く展開すべきかと思います。また、法務省との連携に於ての青少年少女の非行防止や更生や ぐ犯に於ても。スポーツ省の確立がどのような国益に繋がるのか?正直言うと見えてきません。選挙にしても、
どぶ板での当選議員と
比例区の順位でのそれと差別ではなく国民が言わずもがな。
また、法的な面では
法務省と文科省のラインやパイプね構築も。
法律無ければ刑罰なし、
または罪を憎んで人を
憎まず。力の入れ所を明確にして取り組んで戴きたいものです。
中学校などでいじめ、暴行によるけがはかなり多いのではないでしょうか?
万引きの被害がひどいスーパーを、「被害額を全額国が保証しましょう」と言って、万引きが減るでしょうか?
交通事故では「どうして撥ねられたのか?」「なぜ衝突したのか?」必ず事故原因を徹底的に調査します。
しかし柔道事故の事故原因調査は、「乱取り練習で並んでいたら倒れた」「一度起きあがったが倒れた」というような内容ばかりです。
交通事故で「起きあがったが倒れた」と言われて納得しますか?
事故原因調査がこれで終わっていいのですか?
「どの技をかけたら倒れたのか?」「フラフラの子供をなぜ投げ続けたのか?」「なぜ死ぬまで絞め続けたのか?」を調べることこそ、事故を減らすはずです。
「無過失責任」などにしたら、特に柔道など、もっと事故が増えるだけです。
山口先生、まず柔道事故の一つ一つ、しっかりと事故原因を調査して下さい。
そんな指導はできません。
「100%」完璧に受身ができるようになってから乱取りを許可します
そんな指導もできません。
いつまで経っても試合も乱取りできません。
多くの指導者は「ある程度」の安全を見込んで次の段階へ進ませているはずです。
また、柔道だけでなくスポーツは「内在する危険」をはらんでいます。
そもそも危険なものなのですから、指導者を犯人に仕立て上げ、責めるのに躍起になるのはいかがなものかと思います。
(イジメや隠蔽はもってのほかですが)
指導者の責任は当たり前のこととして、
そもそも柔道部に入った本人の責任は?
もし適切な指導をされていたとして、受け身を「失敗」(100%はないのですから)した本人の責任は?
柔道部入部を止めなかった親の責任は?
被害者の家族や親族の方の心情は察するに余りあるのですが、善意の指導者を守るための方策も考えなければなりません。
このままでは柔道の指導者は、まして学校柔道の顧問や指導者は減る一方です。
体罰は論外ですが、これとて基準があるわけではないので、ある人にとっては腕立てふせ百回でも体罰と取る人もいるはずです。
さらに事故を公平に調査判断する専門機関がない、警察や教育委員会、あるいは全柔連などとは別の双方の立場ではない第三者による調査検証のシステムが生まれない限り隠蔽や懐疑心は決して払拭されないように思います。
あと、指導者責任をすべてのように思われがちですがハード面、つまり練習をする道場自体の問題はあまりクローズアップされません。
トップの選手がふかふかのスプリングの効いた畳の上で練習し、習いたての中学生はフローリングの板の間の上に畳を敷いただけの柔道場で練習。頭を打つ確立はどちらが高いと考えれば容易に分かると思います。責任の所在は大事ですが、ます怪我自体をなくす、または軽減できるハード面の対応を早急に実施してほしいと感じます。
それても怪我はなくならないはず、まず少しでも怪我の程度を軽くする知恵と努力も合わせて考えてほしいとそう感じています。
悲しむのは怪我をした本人や家族だけではないはずですから。
柔道に関わる子供や父母、顧問、指導者がそれを正しく認識出来ているかどうか?
投げたから頭を打って死亡してしまった。投げる事を前提とする競技でそれは過失なのか?
それを過失とするならば、柔道という競技そのものが過失になります。
そして、疲れたら休んでいいよ…ちょっと汗が出たから休憩しよう…
そんな部活はなんの為にもなりません。体と心を鍛えるのが目的。
すべてがそうとは言えませんが、顧問や指導者に過失を与える為に理由付けをしている場合も見受けられます。
そもそも普通に練習しても事故が起きる競技です。無過失の場合もあるわけですから、無過失責任はあって当然だと思います。
ただし、それを調査する機関は必要ですが…
端的にそういえるなら柔道は廃止すべきでしょう。
日本の3倍の競技人口があるフランス他諸外国では
ここ10年死者がでていないとのこと。
無過失責任なんてあるはずがない。
日本の柔道関係者は猛省すべきです。
打撲や骨折などは無過失の場合も有るかと思います。
ただ死亡事故に関しては必ず原因や過失があるはず。安易に無過失責任等という言葉は使ってほしくないです。
外国でできることが何故日本で柔道発祥のこの国日本でできないのですか?
3倍もの競技人口はありません。登録人口の間違いです。実際に本格的に柔道をしている人数はありませんし、外国では乱取りの量が日本の5分の1程度です。それは考え方や風習の違いです。
10年死亡事故が起きていない?そんな嘘話どこから聞いてきたのか?
死亡事故と行っても柔道場であった熱中症も含めての話であり、実際に頭を打って死亡した例は死亡数の半分にもいかないのですよ。
熱中症に関しては、古い根性論の指導者が練習中に水を飲むなと言う考えが多く、指導者がしっかりとした知識があればある程度防げます。それを怠った場合は過失はありますが、柔道の危険性を承知の上でやっていない保護者がいるのが問題でもあります。
しかし、死亡事故の認識は大間違いです。
全柔連により見舞金が支払われた事故だけでも、脳損傷での死亡数は、熱中症の比ではありません。
2003年から2010年の7月まで、28件の死亡事故が起り、このうち脳損傷等の頭部の事故が原因とされる死亡例は解っているだけでも15例あります。
さらに後遺症の残る重傷事故は22件起きており、脳損傷、頭部への衝撃によるものは12件です。
合計で40件の事故のうち27件が頭部に損傷をうけて起こったものです。
これはあちこちで発表されているのより相当少ない数字です。
つまり、柔道が原因とは言えない事故も中にはあるのではないでしょうか?
ひとつひとつの事故例を見ましたが、ガラスに突っ込んだとか、目が傷ついたとか柔道以外にも起こりえる事故も柔道事故に含まれていました。指導者がいない間にプロレスごっこ、それも指導者に過失があるのか…
一度純粋な柔道事故のみの数字を誰か調べてくれないかな?
今はモンスターペアレントが難癖つけて学校の責任にする時代です。昔みたいに一概に顧問の責任を認めたら誰もやらなくなりますよ。
うちの子が選手になれないから学校に行かなくなった。顧問の責任だ、どうしてくれるんだ?
という時代ですから…
ソースを含めで具体的に数字を出していただけないと、単にイメージで語っているだけになりますよ。
7年間で15件の死亡例は、あくまでの全柔連が見舞金を支払った件数です。全体の柔道の事故数ではありません。
スポーツ振興センターには学校事故による死亡データがあります、こちらを見ると、2004年から2009年までの6年間で22件の死亡例が報告されています。
全柔連のデータには、成人も含まれていますが、こちらは学校事故ですので未成年だけの死亡者数になります。
部活だけでなく、授業での死亡例も含まれています。
ちなみに、この22件のうち、頭部損傷、脳損傷での死亡は13件です。
全柔連のデータは、全柔連の見舞金の支払いがされたデータでしかなく、スポーツ振興センターのものは、学校での死亡者のデータで、スポーツ少年団や街の道場での未成年者の死亡者は含まれていません。
ようするに、柔道事故の実数の把握すらできていないのが、現状なのです。
そして、事故の原因分析もされていない。
したがって、死亡事故では圧倒的に頭部、脳への損傷が多いことも認識されていないのではないでしょうか。
このような現状で、無過失責任を言う事は、あまりにも無謀です。
人の命の尊さを考えるべきではないですか
柔道家、武道家ならそう思いませんか。
柔道は他の競技と同じくスポーツとして考えるのか、あくまで武道、格闘技として一線を画するのかを明確にする必要があるのかもしれません。そして事故の危険性を知った上で入門するかしないかを判断する材料として保護者はその危険性を知っておかなければならないとも思います。
責任論も大事かとは思いますがやはり如何に事故を減らすかにもっと取り組む姿勢を保護者達も考えねばと感じます。
柔道をやる前に、必ず本人と保護者に、柔道はスポーツではなく、武道である。従って、事故で死ぬ事がある。過去にこれだけの人間が死んでいる。それを覚悟の上でやるんですね、と説明をされて、それでも柔道をやるのであれば、それは本人の意思であり、保護者の選択です。
しかし、柔道がそのようなものであるとしたら、義務教育で必修化する事は明らかに間違いという事になります。
保護者が危険性を知らねばならない、保護者が事故を減らす事にとりくまねばならない、なぜ保護者ばかりなのでしょう。
事故を減らす努力は、本来、柔道を教える側、指導する側がするべきではないのでしょうか。
そのためには、事故が調査、分析され、原因を究明しなければならないのです。
しかし、その事が何もされないまま、今まで来たのです。
柔道事故の死傷者数の実数も把握されず、どのような事故が起こっているかの情報共有もされず、事故原因も明らかにされないまま。
指導者の中には、柔道事故がどのようにして起きるか、その機序も知らず、医学的知識もなく、ただ自分の経験だけで指導をする人間がいる。
これは、保護者の問題ではなく、柔道界の問題です。
この上、さらに無過失責任まで認めしまったら、どうなるか誰が考えても明らかです。
剣道や野球でも死亡事故はありますが、柔道と比べてマスコミに出ず、知らない人が多い状況です。
野球なんかはノック中に心臓直撃の心室細動はかなり多くの例があったはずですが、過失になっているのでしょうか?
野球の心臓しんとうで過失が認められた判例はありますし、剣道でもあります。
過失がないとされた判例もあると思います。
同様に、柔道事故でも必ず過失が認めらている訳ではありません。
過失が認められたケースだけが大きく報道されますが、柔道事故で指導者に過失が無いとされたケースも過去の判例では非常に多くあります。
指導者を犯人にしたて上げるとかという被害妄想的な意見はナンセンスです。
過失があれば責任を問われ、過失がなければ責任を問われないという、当たり前のことが行なわれているだけです。
無過失責任にする必要などないとおもいます。
ちなみに日本ではここ27年のあいだに110人の子供たちが亡くなっているとききます。海外でも同じように子供たちが亡くなっているのでしたら私も考え方を改め再調査しなければと思います。柔道を危険なスポーツとして子供にやらせるつもりは有りません。
保護者、子供ともに安全で楽しい柔道ができるものと私は考えます。
柔道は危険であるという前提に立つといざ事故が起きたとき親も危険を承知してたはず、危険なのだから仕方ないという発想になるのは怖いと思います。現時点で他のスポーツに比べ10倍の死亡率の高さは異常です。少なくとも他の競技と同じ程度に下げる必要はあると思います。最優先されるべきは子供たちの生命・安全だと思います。それ以外のことは後からでも全く問題ないと思います。
誰しも事故をおこしたいと思ってないでしょうし、保護者も起こるなんて思わないのが現状です。
毎年交通事故で亡くなられる方は何千もいます車が悪いのですか?
車に乗らなければ事故に合う確率は下がります
子供は車に乗せませんと同じで柔道は危険だから子供にやらせません
なんの解決にならないです
事故が起きてからどうするより何故、危険と思う柔道を子供にさせのかが保護者の認識不足で予見の範囲内です
柔道が危ないなら他のスポーツを選択できるのではないですか?
柔道は楽しくそして安全なスポーツですよと胸をはって言えるときが必ずくると私は信じています。
柔道が安全かどうかという議論もあるようですが、皆さんに是非実際の柔道指導の現場を見てもらいたいものです。現場で行われている子供達への指導が明らかに危険と思われるのか、問題があるのか。私も立場上、多くの現場で指導を見ていますが厳しい指導はありますが、問題にされているような「危険」と感じるような指導はありません。
柔道の基本は受身であり、危険から身を守る技術です。多くの方から貴重なご意見をいただき、議論されるのは良いのですが、今でも柔道に打ち込んでいる多くの子供達や指導者、それを応援する保護者がいることを忘れないでほしいと思います。
安全は確保されるべきであり、その努力もしなければなりません。そのことについては誰も異論はないはずです。「柔道は危険だ」「指導者はダメだ」ということではなく、「ここはこうしたら良いのでは」という建設的な論争の場にしていただきたく、心よりお願いいたします。
被害者の家族です。
安全だとおっしゃる、実際の柔道の現場を見せていただきたいと思います。
同様に、実際に柔道事故にあった家族に会われ、どのような経緯で事故が起こったかも、是非聞いていただきたいと思います。
おっしゃるように、柔道は、正しく指導されていれば安全なスポーツであると思います。
しかし、正しく指導されていない現実が一部にあり、それが、未成年者の死亡事故に繋がっている事も否定できない事実です。
柔道事故について、どれほどの知識をお持ちですか?
実際に起こった事故の詳細を、ご自身で調べられた事がありますか?
ご自身の知っている範囲で、柔道が安全であると語っても説得力はありません。
初心者に対して、受身を満足に指導しないままに、約束稽古もせず、すぐに乱取りをさせる指導者が、一方でいるのです。
そのような事実を、どこまでご存知でしょうか。
安全は確保されるべきだというご意見には全面的に賛成します。
しかし、それはお題目のように唱えても、実現されるものではないと思います。
是非、ご自身の目で、柔道事故の実際をご覧ください。
いかがですか?
実際に事故は初心者だけでなく、大学の相当経験を積んだ選手でさえ起きているのです。
外国は死亡事故が少ないのは、柔道着を着ない(つまり乱取りをしない)練習がほとんどで、柔道着を着る練習は週1回程度だからです。
日本は乱取り中心、外国はトレーニング中心。それは文化の違いです。トレーニング中に死亡事故があったとしてもそれは柔道死亡事故としてカウントされていませんが、柔道の為のトレーニング中の死亡事故はあります。
山口先生がおっしゃっている無過失責任は被害者の救済であって、指導者の擁護ではありません。
過失がある事故では指導者の責任は当然ありますが、過失がない事故でも、何が何でも指導者を悪者にしようと言う遺族も残念ながらいるのです。
柔道も元々あった殴る蹴るの当て身技を禁じ、安全の為にズボンを長くし、肘以外の関節技を禁じてきた歴史がありますが…
投げる姿勢に入ったら見込みで1本とする、絞技関節技は全て禁止、柔道着はクッションの入った物を使用し、ヘルメット着用を義務とする。とすれば安全なのでしょうか?
無過失責任を言うのであれば、公正な専門機関による事故調査委員会の設置が同時にされなければ意味がありません。
過失が無い事故でも指導者を悪者にしようとする被害者がいるという事をおっしゃっている方がいますが、それは本当に過失がまったくないのでしょうか?
また、過失の有無を、どのような機関がどのように調べられた上での発言でしょうか?
過失の捉え方ついては、刑法と民法でも違います。
それらを踏まえた上で、過失が無いとおっしゃっているのでしょうか?
柔道を指導される方は、事故が起こると自分に過失は無いと言われる方が大半です。
残念ながら、その論拠が、「頭を打たないようにしていた」というようなものです。
その程度の根拠では、過失が無いとは言いきれません。
そもそも、柔道における過失とはどのようなものか、その議論すらされていないのが現状ではないでしょうか?
それらを含めて、議論がされるべきなのです。
事故情報が共有されていますか?
どのような場合に事故になるか、そのケーススタディーはできていますか?
事故の機序に関する医学的な知識はありますか?
もっと小さな事から言えば、全柔連の「柔道の安全指導」の手引きをすべての指導者が厳守していますか?
実際に柔道による死亡者が毎年出ている。
それを減らさなければならない、それは共通認識であると思います。
そのためには、何をするべきなのか?
柔道界も被害者も行政も、垣根をとりはらって今こそ真剣に議論を始めるべきだと思います。
無過失責任というような事は、その議論の後にくるものです。
100%安全な柔道を目指して調べたり行動を起こされていますでしょうか?今一度自身の指導方法を見直す時期が来ているのではないでしょうか。ここで不毛な議論をしても無駄かと思われますのでこれで最後にしますが、できることならこうしたら安全にこの技を練習できるよ、いやこんな方法もあるといった情報交換して柔道事故による死者がでないように皆さんが努力されることを切にお願い申し上げます。目指すところは死者ゼロの柔道だと思います。最初から柔道は危険なスポーツだから事故はなくならないといった考えではきっと死亡事故は無くならないと思います。私は死亡事故はゼロに出来ると信じています。
例えば、私が中学時代には練習中に水を飲むことは許されませんでした。
誰の指示かは先輩からです。(間違えた常識)もし熱中症でふらふらして頭を打って亡くなったらこれを柔道事故と呼ぶのですか。
事故ではなく事件ですよねでも事故として処理されたら納得できないと思います
責任の追及になれば、水を飲むなとした先輩生徒にも過失はあります
当然に水を飲まなかった本人にも過失割合はでます
柔道だけではないですが厳しいシゴキ(虐待的)はあります行き過ぎは惨事に成りかねません。
本来なら事件として扱うものが事故にされてしまうと傷害、過失致死などの罪に問えないままになっているのではありませんか?
もし死亡となれば必ず検死があります事件、事故の判断がされるはずです
このような事故原因がはっきりわかったとしても先輩生徒を犯罪者とするのでしょうか
試合中に投げて怪我したら投げた生徒を罪にするのですか
無過失責任の意味合いを上手く利用することにはデメリットはないと思います
被害を受けられた方にはあてどころが無いのは現状でですが柔道を恨むことは場違いです
なぜ柔道をやらせたのか?保護者の責任は無過失ですか?
そして、このコメントに掲載されている無過失責任に否定的なコメントのどれをとっても、柔道を恨んでいるという類いの物ではなく、現状の柔道の、柔道の指導体制への問題提起でしかないと思います。
すべての柔道事故被害者が柔道を恨んでいるなどと思われるのは短絡的であり、非常に不本意です。
単純な問題です。
現状のままで、何もしないでよいのかという事です。
逆に質問をしたい、無過失責任さえ導入すれば、柔道界は今のままで良いと思われるのでしょうか?
あと、水を飲む云々の話がありましたが、水を飲まなかったとしても、本人に過失割合は認められません。
水を飲むなと言った先輩にも過失は認められません。
そのような状態を黙認し、放置していた監督者には過失が問われる可能性があります。
柔道をやらせた、保護者にも過失はありません。
柔道が危険で死の可能性がある事を事前に通達されていれば別ですが。
申し訳ないが、もう少し、実際の柔道事故を研究されたほうが良いと思います。
こういう場合はどうなのか、という仮定の話ならいくらでも出来ます。
実際に柔道をやっている方が、事故に関する知識があまりにも低いと感じざるをえません。
実際の柔道事故事例を見れば、どのような時に過失を問われたかが解ります。
せめて、それくらいの事をされてから、事故事件について語っていただけませんか。
柔道はやらせたり選択させたことが過失になるようなスポーツなのですか?
加速損傷と呼ばれる脳損傷の事をご存知の方がどれくらいいますか?
その加速損傷が、柔道においてどのような時に発症するか説明できる方はいますか?
脳震盪が死につながる危険な症状であることを知っている方はいますか?
一度脳震盪を起こしたら、どのように対処するべきか、知っている方はいますか?
全柔連が、「脳振盪を起こした後の処置や回転力で引き起こされる脳外傷(加速損傷)について、これまで柔道界では検討されてこなかった」と認め、安全対策が必要であるとしていることを知っていますか?
脳損傷による事故が最も多いにも関わらず、この春まで全柔連の医科委員会に脳外科の専門医が1人もいなかったことをご存知ですか?
全柔連が、柔道の安全対策を推進するため、6月に安全指導プロジェクトを立ち上げたのをご存知ですか?
全柔連自体、今のままでは事故は減らないと認識しているのです。
無過失責任という事故が起こった時にどうするかという議論の前に、どうすれば事故が減らせるかを議論しなければいけないのではないですか?
100パーセント事故は無くせないという方がいますが、では事故を減らす努力もしなくて良いのでしょうか?
27年間で110人の未成年者が死んでいる現状を、真摯に受け止めるべきだと思います。
柔道連盟も独自に保険を7年前から始めて、死亡に200万円(7年前は2000万円だったと聞いています)、重度障害に最大2000万円(7年前は8000万円だったと聞いています)支払ってくれます。
お金だけを考えるならば、無過失責任も必要ないし、裁判も必要ありません。
問題は、もし皆さんのお子さんが柔道で死んだ時、親のあなたは「柔道だからしかたがないね」と言えますか?
山口先生、先生の周りではけっして道を外れた指導を行う指導者は1人もいないでしょう。
でも山口先生の見てない世界では、とんでもない現実があります。
だから子供達は死んでいます。
山口先生、なぜ子供達が死んだのか、お願いですから山口先生自らの手で一つ一つをちゃんと調べてみて下さい。
そこがまず、この問題を考えるスタート地点だと思います。
絶対に100%安全な柔道は柔道ではなく別な競技です。事故を肯定しているのではなく、誰かに責任を押し付けるのを前提にしては、投げる事もできませんし、投げられる事もできません。
初心者だけではなく、大人の試合でも事故は起こっています。全日本で1、2位を争う大学でも事故はありました。初心者だから事故が起きたわけではないのです。
私は柔道をしている以上畳の上で死ぬ覚悟は出来ています。なぜ柔道着は白いのか、その理由はわかりますよね。
ただ死亡事件は減らせます。事故なのか事件なのか…ここでの論議は意味的には全て事件として言ってる気がします。
柔道のルールに沿って試合中に反則をしたわけでもなく死亡してしまったら対戦者に過失を求めますか?ボクシングにしろ最近ではプロレスの三沢選手にしろ、どこにも過失は認められません。
格闘技にはどんな競技でもこの『事故』危険性があります。
残念ながら指導者には昔やっていただけで、勉強をしていない指導者もいることはいるのです。
危険を取り除かないというよりわからない指導者には過失があって当然だと思います。これは『事故』ではなく『事件』です。
指導者は人の命を預かっている認識を持ち、日々柔道に関係する勉強を怠らない事です。
監督をするのは中学教諭です怪我をさせた生徒は無過失で顧問先生個人だけが問われるのですか?
怪我をさせて謝る必要無しと生徒に教えられないでしょう
顧問先生を監督する学校長や採用した国に責任を問うのですか?
>こういう場合はどうなのか、という仮定の話ならいくらでも出来ます。
被害を受けた方は事故を想定仮定していましたか
もし仮定していたら注意することもできるでしょう
事故は起こらないように想定仮定することが大事ではないのですか?
予測しながら指導は事故を減らすのではないですか
柔道のルールも安全を重視したものにかわっていますよね
毎日指導している指導者の目線でみれませんか?
まず明らかな事件を柔道界全体で毅然と排除すれば、自ずと本来の安全指導方法も見えてくるでしょう。
しかしこれは経験者なら誰でも有り得る事とわかりますよね。
これを100%防ぐ方法は、投げる事を禁止するしかありません。
これを誰かに責任を取れと言う柔道家はいないはずです。なぜなら柔道をやっている以上誰でも加害者になる可能性があるからです。
顧問や指導者も頭から落ちた、あるいは明らかに目に見える症状が出ない限りは休ませる程度しかできません。それが過失となるならば、ちょっとした事で毎日救急車を呼ぶような自体になりかねません。医者なら微弱な反応もわかるのでしょうが…
確かにイジメなどの事故もありますがそれをきっちりと見極め、事件性がないのであれば無過失責任でいいのではありませんか?
何が何でも誰かに過失を負わせたい気持ちはわからなくはないのですが…
「柔道場で、柔道着を着て、柔道技を使っていたら、どこからが犯罪でどこからが事故か、線を引くのは難しい」
だからこそ、柔道に関わる者全てが襟を正し、「精力善用」「自他共栄」の心を忘れてはならないのです。
その心を忘れて技を己の感情の為すままに使う人を柔道界の中に1人でも許せば、相撲界と同じ道を辿ります。
↑
誰も責任を押し付けることを前提としてなどいないですよ。
責任があるかどうか、過失があるかどうか、それを明らかにするための調査が必要だと言っているのです。
その上で、過失があれば責任を負い、無ければ追う必要がないという事です。
投げる事もできないという意見はあまりにも短絡的です。
事故事例を研究すれば、どのような時に、どのような投げ方をして事故が発生しているかが解ります。
その事例をしらないままに、投げる事全般に問題を置き換えるのは論理的ではありません。
>初心者だから事故が起きたわけではないのです。
↑
経験者にも事故による死亡者がいる事は存じ上げていますよ。
しかし、経験者と初心者で死亡事故が発生している割合をご存知の上での発言ですか?
柔道経験一年未満の死傷者の割合をご存知ですか?
初心者だから事故が起きた訳ではないというのは詭弁です。
事故は圧倒的に初心者に多いのです。それは何故か、一度考えられたらいかがですか?
>私は柔道をしている以上畳の上で死ぬ覚悟は出来ています。
↑
ご立派だと思いますが、それは貴殿の意思にしかすぎません。
それを柔道をしているすべての人間に強制させる訳にはいきません。
まして、必修化で柔道をさせられる子供達にも強制できません。
>柔道のルールに沿って試合中に反則・・・
↑
繰り返しますが、すべての柔道による事故には過失があるなどと発言をしている方は1人もいませんよ。
過失があるべき事故では加害者は責任を負い、過失がなければ責任を負わない、当たり前の事を言っているのです。
そのために事故の事例研究と調査が必要だと言っているのです。
ご自分で、過去の事故(事件)の事例を調べられて研究された方がいいと思います。
>危険を取り除かないというよりわからない指導者には過失があって当然だと思います。これは『事故』ではなく『事件』です。
↑
多いに同意いたします。
そのような指導者には過失責任が認められるべきだと思います。
だから、事故が起こった時に調査をするべきなのです。
事故なのか、事件なのかという言葉の定義については、それぞれで考え方があるでしょうから、ここで定義をしても仕方がないと思います。
交通事故は、事故ですが、過失があるかどうかが問われます。
>監督をするのは中学教諭です怪我をさせた生徒は無過失で顧問先生個人だけが問われるのですか?
>顧問先生を監督する学校長や採用した国に責任を問うのですか?
↑
過去の事故事例と判例をご自分で調べれば解る内容です。
どのような事故で過失が認められ、どのような時に過失が認められてないか、聞くばかりではなく、何故自分で調べようとしないのでしょう?
事故に対する意識が低すぎると言わざるをえません。
>毎日指導している指導者の目線でみれませんか?
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その指導者の一部に問題があるから事故(事件)起こっているのではないですか?
それとも、すべての指導者にはどのような事故でも過失がないとでもおっしゃりたいのですか?
>なぜなら柔道をやっている以上誰でも加害者になる可能性があるからです。
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その通りです。
誰でも加害者になる可能性があるのです。だから、安全への配慮が必要なのです。
それとも、誰でも加害者になるから、事故が起こっても過失は問うべきではないという意見ですか?
車を運転すれば、だれでも交通事故の加害者になる可能性があり、事故を起こせば、過失を問われ、過失があれば責任を負います。
これは、どのような事故でも当たり前のことです。
>顧問や指導者も頭から落ちた、あるいは明らかに目に見える症状が出ない限りは休ませる程度しかできません。
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それは、今まで事故の事例を研究せず、どのような時に危険であるのかの情報が指導者で共有されていなかったからです。
貴殿の発言では、事故が発生するのは指導者では予見できず、減らすのは無理だという意見にしかとれません。
事故を減らす努力をするべきで、そのためには事故事例の研究をし、情報が共有されるべきです。
水を飲ませない練習が科学的に誤っている事は現代では常識です。
同じように、どのような症状の時に危険性があるのか、それを研究し、日常の指導にいかす前向きな努力をしようとしないのが不思議でなりません。
ここにコメントをされている方が柔道関係者であるなら、事故に対するの意識の低さ、知識の低さに驚かされます。
とにかく、ご自分で事故事例を研究された方がよい。
柔道の指導者であるなら、なおの事で、安全性を確保するために、危険を回避するために、どのような事故がどのような時に起こったのか調べるのは指導者の責務として当然であると思います。
まずは、自分で努力をされてはいかがですか?
その努力もしないで、こういう場合はどうだ、という仮定の話をして、指導者に責任は無いと語っても仕方がない。
むしろ、柔道指導者は責任をとる必要がないという事を前提に議論をされている方が多いように思えます。
それは、あまりにも、過去の事故(事件)に関しての事例が調査されておらず、柔道関係者が知らないからだと思います。
圧倒的に知識不足です。
事故事例を精査された上で発言をされなければ、単なる指導者の擁護論にしかならないですよ。
逆に質問します。
事故事例の研究は必要ですか?必要ではないですか?
どのような時に事故が起こったか、その情報を共有する必要はないですか?
そして、そこから解ることがあるなら、それを柔道の指導に活かしたほうがよくないですか?
そうして、柔道の安全性を高めたほうが、過失を問われるかもしれない指導者を減らすことに、よほど繋がると思います。
その後の調査で過失がなかったとしても、その事は報道されず、実際に関わった一部しか真実は知りません。
しかし最初の報道で事故を知った人は顧問を加害者として認識してしまいます。
こういうの事情がある限りは指導者擁護は当然です。
ただ死亡者の数字を上げて、全てが指導者の責任のように言っている人がいますが、そのうち何人が過失があって死亡したんでしょうか?
疑問があるなら自分で調べたらいかがです?
優秀な指導者の地位や名誉を損なうことより人の命の方が優先されるべきではないでしょうか。こんな簡単なことも分からない人がいることが正直驚きです。畳の上で死ぬ覚悟があるなんてきれい事言わないで畳の上では誰も死なせない覚悟で柔道を教えてください。くどいですが最優先されるべきは人の命です。事故を100%防ぐのは不可能と言われる方々、指導者や柔道関係者を擁護する前に事故の原因をもっと詳しく調査して下さい。何もしないで無理だといっているようにしか聞こえません。
私の子供たちは今も元気に柔道を習っています。柔道が大好きです。その子供たちに柔道は死を覚悟してやりなさいと、そんなこと言えるわけがないです。私は自分で出来る限り子供たちが畳の上で死んだり取り返しのつかない事故に遭わないようにする為に全力で取り組んでいます。しかしただの保護者の一人です、出来ることも限られているかもしれません。それでもいまのままではまたどこかで悲しむ人が生まれてしまうでしょう。確かに今までのやり方に否定的な話は苦痛かもしれません。どうかここを見ている柔道関係者の方々自分たちの保身でなく子供たちの安全を最優先に考えてやってください。
これは1例ですが以下は学年別の死亡割合です。ここ27年の中高生の柔道死亡事故です。
中学1年:18% 2年:13% 3年:3%
高校1年:42% 2年:18% 3年:6% 110件中
見てのとおり3年生になると極端に死亡件数が減少しています。だったら最初の2年間は
乱取り禁止でもいいじゃないでしょうか?とりわけ危険な大外刈りを禁止するとか。
極論かもしれませんが亡くなる子供たちを無くす為にできることはいくらでもあるはずです。死亡事故を減らすための論議をしましょう。責任のなすりあいはしても意味がないです。指導者の方々今まで教えられてきたやり方現在ご自身が指導している方法を今一度潜在的な危険があるものとして見直してください。新しく分かってきていることもあります。
一度調べてみてください。そして私たちに安心して子供を預けてくださいと言ってください。そんなのは不可能だ無理だとおっしゃるなら、親として子供から柔道を取り上げるしか選択肢はありません。
投げられる事で強くなる、それも常識です。
乱取り禁止というのは柔道経験がない保護者の意見です。
あなたの子供もやっている以上強くなりたくてやっているのではないのですか?
ならば3年生まで人を投げたりするなと言ってみて下さい。子供は反発しますよ。
こういった保護者が過失がない指導者に過失を負わせようとするんでしょうね。
普通の指導者は安全に配慮するのは当然。しかし起こりえる事故は柔道という競技上あるのです。
子供が絞め技で気絶させられたり、間接技で腕を折られたりしても楽しいと言えますか?
もちろん子供が相手の腕を折るケースもあります。それが柔道の本質です。
ただ柔道は楽しいというならばそれが一番危険な考えです。怖さを知らずにやっているんですから。
私の子供たちの指導者はどうしたら安全に指導できるか日々話し合い協会からの資料やネット上で得られる情報から有益なものをお互いに交換して常に安全に配慮してくれています。
それでも事故は起こりうるかもしれません。しかしながらはじめから事故は防げないという前提に立つと進歩することはないでしょう。前にも言いましたが責任の有無でなくどうしたら死亡事故を防げるかを論じてもらいたいですね。
いいですか全てにおいて人の命が最優先です。あなたのメンツや子供たちが強くなりたい気持ち、いままでの常識そういったもの全て否定しても人の命の方が優先されるべきと私は考えます。
逆に全てに過失が夫だたんですか?
指導の際には柔道の危険さを子供達に理解させ、絶対にふざけたりしない事を徹底させます。
楽しいだけでは子供は必ずふざけますので…
死亡事故は防げません。柔道の本質である投げる事と紙一重ですので、これにはもはや投げるのを禁止するしかありませんがそれならば柔道をしない方がいいです。
防げるのは事件の部分であり、それに関しては今ネットや協会からの資料を交換するまでもなく、全柔連からの通達やマニュアル、スポ少の認定指導員講習での資料があります。
もしかしてあなたの指導者は参加していないのでは?
過度の安全安全では逆に危険ですし、心身を鍛えるという目的から外れます。
あなたは自分の子供が死ぬ事はない。あるいはそれを全く考えていない。もし自慢の安全な道場で自分の子供が亡くなった時に指導者に過失を追及しますか?
夫だたんですか?↓
あったんですか?
です。
指導者に過失があった場合を事件、ない場合を事故とするなら、事件と事故にはだれが、どのようにして区別をするのですか?
全柔連の通達、安全指導の手引きに沿わない内容であるなら、それは事件になるのですか?
最後の質問ですが簡単です、過失があれば追求しますなければしません。
犯罪行為があれば裁判で決まります
柔道だけが独自特別はありませ
試合中に怪我をして傷害罪や過失傷害罪が適用されることはないです
死亡事故の減少に向けた協議は対策は必要。
しかし柔道の本質を制限するようなルール変更は反対。投技制限等はやるべきではない。
畳や柔道着の改良には賛成。
脳震盪等の頭部異常の際の対処、応急処置の指導者への徹底は賛成。
マスコミの指導者の悪者扱いの報道は絶対反対。
そして過失がない場合の指導者の保護と被害者の保護は賛成。
柔道界として事故調査の必要があるとかではなく、その程度の認識なのですね。
検察が起訴する前には、告訴の必要があります。
告訴すれば、その段階で、マスコミは報道します。当然です。
しかし、刑事告訴の段階では、まだ検察が起訴するかどうかは不明です。過失が認められるかどうかも、解りません。
公正な第三者の調査機関が必要なのは、だからです。
調査機関の設置は、指導者のためにもなります。
無過失責任の一方だけをとりあげ、事故調査や過失の有無の議論が取り残されるべきではないと思います。
柔道に事故はつきものだという意見は論外です。
柔道事故を減らすには、どうすれば良いか、という前向きな議論をするべきで、その方法論を見つけるべきです。
事故が起こってからのことよりも、指導者を守るためには、まず、事故を起こさないようにするための施策を考えるべきであると思います。
そして、その施策は、現状では十分ではないと思います。
捜査は警察の仕事です
記憶にありますが17歳の力士が当初は事故死し扱いでしたが事件でした。警察が捜査しましたね
警察が捜査して検察が起訴を判断します
柔道界とかありますが法律を勉強しましょう
事故の責任追求して怪我をさせた少年少女が反則行為が原因(頭突っ込み、膝つき背負いなど)の場合
子供の責任にできないので指導者のせいにするのですか?
怪我をさせてしまった子供に「ごめんなさい」と謝るように指導するもので第三者が白黒つける必要はないです。
柔道だからはやめください一般論でものを考えましょう。
対人競技以外にも怪我が有るものも沢山あります
体操部生徒が手を滑らして鉄棒から落ちて大怪我をしたら学校の責任にするのでしょうか?
公正な第三者が事故調査をするのでしょうか
指導者に責任追求するのでしょうか
無過失責任があれば国の保障が受けられるのであればありがたいと思いませんか
無過失責任があれば事故が増えますか
柔道だけに固執し過ぎです
それも、試合中ではなく、練習中の死亡が多いのです。
これを、柔道だから仕方がないとするのは間違いで、練習中の死亡事故が減らせるのであれば、減らす努力をするべきです。
投げる事が基本の柔道で事故は減らせないというのは事故に関する知識不足を露呈しているだけです。
例えば、全柔連の指導の手引きを遵守するだけでも、事故は間違いなく減らせます。
そして、多くの事故事例とこの全柔連の柔道の安全指導というマニュアルを比較すると、このマニュアル通りの指導が行われていない事が解ります。
脳損傷では、初心者に無理な乱取りをさせる練習が事故に繋がってるケースが多いのです。
全柔連の手引きには、初心者の乱取りについて、力量差を考慮したものでなければならないと、仔細に記述があります。
このマニュアルだけでなく、脳震盪からの復帰方法、頭部の回転加速についての医学的知見などがあれば、さらに、そして確実に練習中の事故は減らせます。
事故の原因を調査し、マニュアルを整備することで死亡事故を減らしたスポーツが実際にあります。
全柔連では、この二つの事例を検討し、安全対策をしたいと言っています。
スポーツ医学の世界では常識であったことが、全柔連の指導書やマニュアルには載ってなかったのです。
そして、全柔連では今まで検討されてこなかった事を認め、事故事例を研究し、安全対策に活かしたいと言っているのです。
この全柔連の姿勢の方が、よほど事故を減らすことに繋がります。
事故が減れば、過失を問われる加害者の数も減るのです。
加害者の過失の有無が問われるのは刑事事件だけではありません。
警察の介入しない民事であっても、加害者の過失責任は問われます。
子供同士が練習をして怪我をさせた場合に、指導者に過失があるとされた判例が、実際に過去にあります。
何故、過失が認定されたか、その判例を調べれば解ります。
子供同士の事故といえども、過失は問われるのです。
そのようなケースは他にもあります。
刑事であろうと民事であろうと、過失があるのであれば、当然責任を負わなければなりません。
事件であろうと事故であろうと、過失があれば、責任を負うのは当然です。
建築現場の事故であれ、交通事故であれ、同じです。
スポーツ事故だけが、加害者、管理責任者の過失はすべて無過失にせよ、という事のほうが異例です。
無過失責任の議論は、過失の存在をうやむやにする可能性があります。
過失が認定されるという事は、過失の原因が認定される事です。
その原因が究明される事で、結果としてスポーツの安全に繋がります。
事故事例を研究する事が何よりも、事故を減らす事につながるのです。
今まで、なぜ全柔連は脳震盪や回転加速による事故例を検討していなかったのか、それはそれらの事例を知らなかったからだと思います。
何故、知らなかったのか、それは事故の原因究明がされていなかったからです。
これらの事は、多くの事故の裁判の中で被害者が自ら調べ、明らかにしてきた事です。
無過失責任を議論するなら、同時に事故の原因究明がされる必要があります。
柔道だけでなく、すべてのスポーツ事故においてもその必要があります。
単に無過失責任だけを導入すれば、事故原因の究明がされないままになり、死亡事故は減りません。
それは、柔道というスポーツにとって不幸な事ではないでしょうか。
試合中練習中に怪我をして民事訴訟を起こすのですか
大会主催者や学校を訴えるのですか
刑事事件にならなくとも民事訴訟は起こせます
民事訴訟は主に損害賠償が目的です
怪我をさせた生徒(責任者)を訴えることになります
そのようなことが正しいですか
死亡事故を減らすの前に怪我をさせない努力が必要だと思いませんか
無過失責任は被害者を救済するのに必要です
スポーツ事故の過失を証明するのは大変ではないですか?
交通事故は道路交通法があり法律で制約がありますスポーツは法律ではなく各ルールしかなく救済は必要ですね
大会主催者や学校を訴えるのですか
柔道の練習や試合中の事故には過失が無い事を前提としてる方が多いように思います。
過失があるか、ないかは調べないと解りません。
過失があれば、現在では告訴なり訴訟をすることになります。
過失が無ければ、しません。
すべての事故は無過失であるという前提がまず、間違っていると思います。
これは、過去の事故事例を研究すればすぐに解ることです。
まず、そのことを調べてから、発言いただきたいと切に願います。
>スポーツ事故の過失を証明するのは大変ではないですか?
大変だからといって、何もしなければ事故原因は究明されません。
大変だから、無過失責任にしてしまえば、同様に事故原因が究明されない可能性があります。
従って、無過失責任が導入されるのであれば、いかに事故原因を究明するかという事とセットにする必要があるのです。
個人で過失の証明をする事は確かに大変だと思います。
しかし、それを個人でされてきた方々がいるから、脳震盪の事も回転加速の事も解ってきたのです。
そして、それを全柔連が安全対策に盛り込む検討ができるようになったのです。
多くの犠牲とその原因を究明されようと個人で努力をされた方がいるから、新しい柔道の安全対策に繋がっていったのです。
加害者と被害者での損害賠償を争うのではないですか過去事故事例は全体の一部で事故全てが訴訟、報告しないでしょう
被害者敗訴したら誰が保障するのですか?本人や家族の負担ではないですか
時間とお金をかけて争える人はいいですが、国民全てが国に保障してもらえるように願いたいです。
山口先生、このお題は刺激が強すぎましたな…私は、『なるほど、そう言う考え方もあるのか!』と、目から鱗の思いで読ませて頂きましたが、そうではない人達も居たみたいです。そして、話しが柔道恨み節のようになって来ています!!この流れを見ていて、柔道を愛する者 柔道を応援している者として…気分が悪く、見るに耐えれません!このお題、削除できませんか?