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マツダ工場暴走殺人者は創価






2010年7月1日

広島のマツダ工場暴走殺傷事件の犯人の 引寺利明が
池田教・創価学会員だったことが判明した。
この事件は、6月22日朝7時半頃、広島にあるマツダ本社工場内で
不法に侵入した車に、出勤中の社員がはねられ、12人が死傷した事件。

引寺利明(42歳)


広島市内で育った引寺は幼いころは線が細く、比較的地味な少年だった。
創価学会信者の家庭で、両親がよく題目を唱えていたという。
市内の工業高校を卒業後はマツダの下請け会社に入社する。
だが勤務先を転々とし、三十歳になっても実家暮らしを続けていた。
「夜中なのに、バリバリと爆音を立てて白い車で帰宅していた。
厳格な性格の父親に『そんな大きな音を立てたら迷惑だろ』と叱られていた」
(週刊文春 7月1日号=6月24日発売)


以上が週刊文春による報道であるが、
そもそも、この週刊誌が「犯人は池田教・創価学会員」と報じるまで
メジャーマスコミは、一切そのことに触れていない。
犯罪の報道には、その防止策をも含めて、犯罪者の生活環境、
心理状態など、分る限りの報道が必要ではないか。
そういう意味では、現代のメジャーマスコミは、その任を怠っている。
または「ある組織的圧力に屈している」といわれても反論できまい。
因みに、現在日本中を巻き込んでいる「大相撲賭博疑惑」は
池田教徒いわく「週刊誌はウソばかり書いている」という、その週刊誌が
その圧力に屈せず、真実を報道し続けてきているという証しであろう。
それでは、週刊誌が報道するまでの、各マスコミでの
本件「マツダ工場暴走殺傷事件」の経緯を抜粋してみる。


引寺容疑者の父親はマツダで勤務していた。
同容疑者自身も車好きだったという。(近所の住民らによる)

同容疑者は広島市内の工業高校を卒業後、
マツダ関連の自動車部品会社に就職した。

平成4(1992)年10月:
約6年働いた会社を自ら辞めた。理由は担当を外されたこと。
その後も、大半は派遣社員や契約社員として、自動車関連の会社10社以上で勤務。
1つの職場で長続きせず、「一身上の都合」を理由に職を転々とした。

2008年5月:
自己破産したという。
ほぼ同時期に、広島県北部の同社関連の自動車部品工場で
派遣社員として勤務したが、不景気で3か月の契約は更新されなかった。

今年3月:
マツダに直接雇用される期間社員として採用され、本社宇品工場で勤務した。
バンパーの整備の仕事だったが、その後、
「自分が仕事に来とる間に誰かが自宅に入っとる。
このままでは夜も眠れない」などと会社側に話し、
実働8日間勤務しただけで、退職した。(マツダ関係者による)

マツダで働いていた3~4月:
「ロッカーから物を盗まれた」
4月9日午後8時すぎ:
「家の中で物の配置が変わっている。何回も同じ嫌がらせを受けている」
と自宅から110番し、アパートに駆け付けた警官に、引寺容疑者は
「お金を取られた」「盗聴器を仕掛けられている」などと訴えたが、
具体的な被害は確認されなかった。
同じころ、周囲には「眠れない」と漏らしていた。

5月上旬:
知人宅に訪れ「実は殺したいやつがいる。本当に殺してしまいそうだ」と話した。

6月17日から、
マツダ車の部品などを製造する広島市内の会社に派遣社員として勤務。
製品の接着作業に従事した。

6月21日
前8時頃から、残業を含めて午後6時過ぎまで働いていた。
その後、 広島市内のホームセンターで包丁(刃渡り約18センチ)を購入した。
同10時頃、同市の実家に立ち寄った。
父親は「実家にあったパソコンを自宅に持ち帰るために立ち寄ったようだが、
その時はこんな事件を起こすとは考えてもいなかった」と話している。

事件当日6月22日午前1時頃
知人宅に現れ「誰が嫌がらせをしているのか分からない」
「秋葉原(連続殺傷事件)のように車で集団に突っ込んでやろうか」と話した。


逮捕後「今日マツダに何かしてやろうと思って、正門に入ったらどうでも良くなった。
精神的にむしゃくしゃして、殺すつもりで人をひいた」と発言した。


以上の各社の報道内容から、注目すべき状況は
加害者が身辺について、多くの異常を感じている点である。
次第に被害感情を募らせる中、心理的に追い込まれ、
被害妄想=統合失調症(精神分裂症)となり、
当初は一部の個人的な恨みが、不特定多数の人たちに向けられ、
その結果、次々と車で死傷させる犯行にエスカレートしていった。

一方、家庭環境、成長過程を検証しよう。
池田教信者の一家で、両親と妹の4人家族。
母親は小学生の時に死亡、父親は看護師と再婚。義母とは、不仲。
近所の主婦によると、子供のころの引寺容疑者は
「顔を合わせてもあいさつしない。人見知りする子だった」。
そして、容疑者の家庭環境では、
「容疑者の両親は創価学会員で、よく題目を唱えていた」(週刊文春)とされ、
「継母との言い争いする声がよく響いていた」ようで、
「夜中に騒音を立てて車を走行、父からは諌められていた」。
この年で父親から意見されるなど、一般的社会性に問題があるようだ。
現在、アパートの2階の一室で1人暮らし。
「ベランダにはボロボロのTシャツ、スウェットが何日も干してあり、
油汚れやさび汚れで赤くなっていた」(近所の証言)状態で、
「地味な印象だった。事件を起こしたと聞いてびっくりした」という。


以上、今回の事件の概要をご紹介したが、
現代に起きている、異常な事件の殆どに池田教が絡んでいる
ということがお判りになったであろう。
池田教という「間違った宗教」が人を悪く変え、悪事を起こさせる。
池田教・創価の発す事件を知る度に「若悩乱者頭破七分」
という法華経『陀羅尼品』に説かれる文を思い出す。
「もし悩乱(のうらん)する者は、頭(こうべ)七分(しちぶん)に破(わ)る」と読み
正法誹謗の罰の状態を示している文で、
これを日蓮大聖人は『種々御振舞御書』に、
「頭破作七分と申すは或は心破作七分とも申して」と説かれて
実際に物理的に頭が七分に破れる、ということではなく、
「心が七分に破れる」と仰せで、精神状態の錯乱する異常を示されている。
池田教徒が拝む曼荼羅本尊にも、向かって右の肩に「若悩乱者頭破七分」
としたためられていることを知らぬはずはなかろう。。

引寺利明一家が住む広島市安佐南区では、今年2月に池田教大幹部が
心臓発作で急死、葬儀は何故か念仏で行なわれた。
その後、池田教安佐南文化会館で追悼勤行会が行なわれ、
最後の遺族の言葉の時、夫人が「夫は創価学会に殺された。夫を返してください」
と絶叫、会合はぶち壊しになった、との地元からのレポートが入っている。
「福運が尽きる」ことの怖さを感じる。

最後に余談だが、引寺被告の今後の裁判についてである。
以前、広島市安芸区の市立矢野西小1年、木下あいりちゃん(7)が殺害され、
ダンボール箱に入れられてみつかった事件で
犯人のペルー人の弁護を行なって、刑の軽減を図ったあの弁護士が付くという。
さしてさらに危惧されることは、一審を担当する広島地検には、
当サイト2009年9月10 日のニュースで紹介した
池田教徒の信田昌男検事がいるということである。
こういう時に、彼らがどういう働きをするのか、
この事件の裁判の顛末を、しっかりと見ていかなくてはなるまい。



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