望 〜都の空から
東京の魅力や四季の彩り、さらに課題も空撮で紹介します
【社会】悲劇の礎あっての巨塔 東京大空襲被災 王さんの願い2011年3月10日 07時10分
東京・下町で一夜にして十万人以上の命が奪われた東京大空襲。炎の海を逃げ惑った大勢の人たちの中に、後に「世界のホームラン王」となる王貞治さん(70)=福岡ソフトバンクホークス会長=の姿もあった。あれから六十六年。かつての焼け野原に今、東京スカイツリーが完成しつつある。被災後、ツリー真下の墨田区業平で育った王さんは「ツリーへの注目が、若い人たちに大空襲を知ってもらうきっかけになってほしい」と願う。 (小野沢健太) 一九四五年三月十日未明、下町を襲った米軍の爆撃機B29は、王さんが中華料理店を営む父仕福さん、母登美さんらと暮らしていた向島区吾嬬(あづま)町(現墨田区八広)にも焼夷(しょうい)弾の雨を降らせた。王さんは当時四歳。登美さんに負(お)ぶわれ、燃え盛る街を荒川へと逃げた。 「夜空が真っ赤だった。地面の炎が反射して空に映っているような一面の赤。その色だけは覚えています」 逃げる最中、母の背中のぬくもりを感じながら、すやすやと眠っていたという。一家は無事だったが、自宅を兼ねた店は焼けた。 終戦の翌年、今のツリー建設地から百五十メートルほど離れた業平へ移った。戦災のつめ跡が残り、四七年に入学した業平小学校の三、四階には家を失った人たちが住んでいた。「無抵抗な一般市民が標的にされたんです。戦争はむごいものです」 それでも、街は活気に満ちていたという。「路地で内野だけの野球をしましたね。布のグラブに棒きれのバット、車が来たら『タイム』って中断して。何か悪さしたら、すぐ近所のおじさんに怒鳴られました」と笑う。 子供たちは「地域の子供」だった。「他人の子でも、近所の大人同士が協力して育てるという意識があった」という。下町人情の街で王さんは、プロ入りまでを過ごした。 そんな思い出がいっぱいの場所にできるスカイツリー。それは、王さんにとっても大きな喜びだ。「地元に世界一が建つなんて、長生きしてよかったと思いますね。活性化につながってほしい」 王さんは一方で、高く伸びゆく巨塔の土台にある悲惨な歴史を、多くの人に見つめてほしいと願っている。 「あの場所で、かつて悲しい過去があったことを忘れてはいけない。その対比があってこそ、スカイツリーの本当のすごさが分かると思うんです」 (東京新聞) PR情報
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