望 〜都の空から
東京の魅力や四季の彩り、さらに課題も空撮で紹介します
【放送芸能】「娯楽に忍ばせた狂気」ナチス題材に人間ドラマ 三谷幸喜 新作舞台「国民の映画」2011年3月8日 朝刊
今年五十歳になる三谷幸喜の新作舞台「国民の映画」の公演が東京・渋谷のパルコ劇場で始まった。「構想四十年。初めて挑む人間ドラマ」と、演出も兼ねる三谷。数々の名作喜劇を生み出してきたが、今回はコメディーの皮をかぶった社会派娯楽作品を世に問う。 (岡博大) 舞台は一九四一年、第二次大戦下のドイツ・ベルリン郊外の別荘。ナチスの宣伝大臣・ゲッベルス(小日向文世)はパーティーで、世界に誇る「国民の映画」のプロデュース構想を明かす。出席者は映画人やナチス高官ら十二人。強大な権力と芸術のはざまで揺れ動く、丁々発止の人間模様を描いた一晩の群像劇だ。 「最大のテーマは、犯罪者は芸術を愛してはいけないのかということ。僕なりの解決というか、答えは出てくるんですけど」と三谷。「決して七十年以上前の遠い国の物語ではなく、いま僕らの時代にあってもおかしくない話に近づけたかった」 小学校四年、十歳のころに目にした水木しげるさんの「劇画ヒットラー」から着想を得た。ありふれたおじさんが世界の運命も狂わせる。そこが怖く面白かった。 「ナチスの面々を人間的に描いたものを、それから見たことがない。はなから絶対悪とする描き方では本当の恐ろしさは伝わらない。僕らと変わらない人物だったかもしれないところに一番の問題、怖さがある」 一昨年、「映画大臣」というノンフィクションを読み、ゲッベルスが無類の映画好きで、彼のお気に入りが「風と共に去りぬ」だったと知り、構想が見えた。 「国民の映画」は二幕構成。ヒトラー、ナチスという言葉は、せりふに一度も登場しない。「記号化されると絵空事になる。いつもはシチュエーション、人間関係を描くことが好き。でも今回は人間そのものを描く。一幕はストーリーなし。起承転結の『起』だけで一時間見せる」 第二幕の途中までは笑いも交える。「笑えるってことは人間的だってこと。血の通った喜怒哀楽をきちんと見せるゲッベルス。最初はこんなに愉快な血の通った人として描いていいんだろうかと悩んだ。でも、彼らがやったことも目を背けずに提示する。前半の愉快さがあることで、最終的に裏で何をしたのか分かる怖さが際立つ」 映画、芸術を愛する人間が、瞬時にユダヤ人へのホロコースト計画を口にする狂気。油断して笑っていた観客は後半、作品の恐ろしさに泣かされるかも。 「『国民の映画』はコメディーではない。笑いがあればコメディーかと言えばそうじゃない。コメディーってストイックなもの。演出のすべてが笑わせるために成立しているものを、僕はコメディーだと思っている」 三谷が自分を投影している登場人物は、映画監督のヤニングス(風間杜夫)と作家のケストナー(今井朋彦)。前者は権力に迎合してでも作品を作り続けるポリシー。後者は仕事を奪われても反ナチスを貫く理想主義者だが、一転、協力者になる。 「脚本を書く時、いつもビリー・ワイルダーならどうする?って頭にある」と三谷。戯曲ならニール・サイモン、映画はウディ・アレン、テレビドラマでは市川森一だ。「お芝居は井上ひさしさん。いつも僕がやりたい先にいらっしゃるので、どう書かないかってところに(自分の)居場所がある」 では、もし「国民の映画」の時代にいたら、三谷ならどうする? 「僕はヤニングス。たぶん、ものすごく権力にすり寄る。で、何とか自分のやりたいものをそっと忍ばせる。結果、戦後、ナチスに協力したことで非業の死を遂げる感じがする。器用じゃないから」 「ラヂオの時間」「笑の大学」「みんなのいえ」「コンフィダント・絆」「ザ・マジックアワー」…。作り手の矜恃(きょうじ)を描いた一連の三谷作品に共通するまなざしだ。 「僕の根っこの部分は娯楽作品。基本はエンターテインメント。テーマが重く、ハッピーエンドでなくても、お客さんを楽しませるチャレンジ、冒険をしたい」 ◇ 出演はほかに、段田安則、白井晃、石田ゆり子、シルビア・グラブ、新妻聖子、小林隆、平岳大、吉田羊、小林勝也。四月三日まで。同二十日から五月一日まで神奈川芸術劇場。 PR情報
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