2010年08月14日 (土) | Edit |
すでに先月のエントリになってしまいましたが、山形さんの数多い名言の一つの「みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません」というのが、その当時破竹の勢いで支持を伸ばしていた「みんなの党」に対するアイロニーであったことは、まあ今さらいう必要もないですね。そのエントリでも書いたとおり、「みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません」の典型がチホーブンケンとかチーキシュケンなわけでして、そういった議論に特徴的なのが、インプットとアウトプットの中間プロセスがムダであるという認識です。というわけで、ちょっと長くなりますが以下で間接部門としての政府の役割を考えてみます。

これも繰り返しになりますが、政府の役割を経済学の言葉で説明すると、その領土、国民といった資源的な制約の中で、経済社会システムを運営していくために必要な財政の3機能(資源配分の効率化、所得再分配の公平化、経済の安定化)を適切に機能させることということができると思います。ただし、政府が提供すべき公共サービスそのものが、民主主義の精神に則って国民の合議によって決定されるという大原則があることから、その公共サービスの及ぶ範囲・水準・程度については、それを享受する側と財源を負担する側で利害が対立することが避けられません。具体的には、「保育所をもっと増やしてほしい」という子供を持つ家庭のニーズがあっても、すでに子育てが終わった家庭が「そのために税金が増えるのはかなわん」と拒否すれば、そこに利害の対立が生じるわけです。

ところが、ここでさらに大きな制約となるのがその財源です。保育所の例で言えば、税収が低ければそれだけ雇用できる人数が減ったりその賃金が低くなりますし、保育所の施設も簡易なものしか整備できません。このとき、「この地域は人数も少ないし、これといった産業もないから、保育士が足りなくても施設が粗末でもいいだろ」と、住民に割り切ることを迫るのがチーキシュケンです。チホーブンケン教の方々は「いや、子育てが終わった世代が税負担をしたり、ボランティアで子どもを世話すれば、地域の税収の中でもなんとかやっていける」と主張されるのでしょうが、それでも財源も人も足りない地域はもちろん存在します。

結局のところ、地域内での予算制約線では必要なニーズが満たされない場合、外部からの所得移転が必要となります。確かにその地域のニーズを把握することはその地域でなければできないのですが、それに必要な所得移転を仲介する仕組みが必要であり、それこそが政府の大きな役割なわけです。となると、クラブ財の一種である地域公共財の供給水準を決定するためには、地域住民のニーズに基づいて社会効用関数を決定することと、そのための財源を調達することをは別々の機能として整理する必要がありそうです。組織の経済学の議論によれば、規模の経済・範囲の経済を最大限に生かしながら、取引費用を最小化する形で政府組織を設計することがより効率的であって、実際に大多数の先進国では中央政府と地方政府にその機能を分担していますし。

もちろん、日本の公務員の中には現場で政策執行に当たる職員も多数いますが、それも上記のような所得移転が仲介された結果として可能になるものです。という点からすれば、第一義的な政府の役割は所得移転の仲介役であって、公共サービスはその結果に過ぎないということも可能ではないでしょうか。これを民間企業と対比してみると、民間企業ではモノ・サービスを提供して、その付加価値に対する対価として収益を上げ、これを要素ごとに配分する(人には賃金、それ以外の生産要素には投資)ことでゴーイングコンサーンを確保するのに対し、政府の場合は、モノ・サービスの提供(公共サービスの供給)はあくまで結果であって、その範囲・水準等を決定する所得移転についてのプロセスを確保することがその存在意義であるといえそうです。やや乱暴な議論ですが、保育所の例でいえば、保育所の数、人員、施設が貧弱であれば、それは保育所に対するニーズに対応するための利害調整という中間プロセスそのものを、「そんなプロセスはムダ」とすっとばした結果なのではないでしょうか。

これを強引に冒頭の中間プロセスの議論に引き寄せてしまえば、民間企業でいうモノ・サービスの提供ではなく、それを決定する中間プロセスそのものが政府の役割なのだろうと考えます。中央政府と地方政府の役割分担もこの中間プロセスの役割分担から考えることが必要ですし、その上であるべき所得移転や財源調達方法を議論する必要があります。ところが、今の世の中は、コストカットのために中間マージンを削減することが必要不可欠であるとされていますから、「中間マージンを搾取するやつはけしからん、中間プロセスを丸ごとなくしてしまえ」という議論がされがちです。その結果として、たとえば、


  • 流通コストが高いから高速道路を無料化する。

  • 派遣労働者の賃金が安いのは派遣業者がピンハネしているからなので派遣業者がムダ。派遣を禁止すればいい。

  • 中間管理職なんてムダだから、組織をフラット化して中高年労働者をクビにして、ワカモノを雇えばよい。

  • 労働組合は会社経営の敵だし労働条件も改善しないからムダ。労働者の組織化なんかしないで、自立した労働者になれば解雇規制も撤廃できる。

  • 特別会計なんてよくわからないからムダ。埋蔵金をはき出させてから廃止する。

  • 生活保護とか年金とか役人が自分で仕事を増やしているだけでムダ。ベーシック・インカムでよし。

  • 中央政府が中央集権で補助金を決めるのはムダだから、チホーブンケンして地域のことは地域が決める。

  • 中央集権している霞ヶ関自体が中間組織でムダだから、国家公務員数を削減して給料も下げる。

  • 地方公務員もお役所仕事で使えなくてムダだから、もっと減らして給料も下げる。

というような認識が国民に浸透していると理解すると、なんとなく腑に落ちます。

中間マージンの中には確かに搾取と呼べるようなものもあるかもしれませんが、モノ・サービスの信用確保やアクセス費用の削減のためにむしろ必要なものも含まれます。同様に、中間マージンを得ているからといってその中間プロセス自体が不要ということではありません。お役所仕事がお役所仕事であるのは、数々の利害関係者に対する説明のために、そうした中間プロセスこそが重要だからです。ところが、中間プロセスはムダと決めつけられてしまえば、たとえば現場に出ている公務員がスーパー公務員と持ち上げられる一方で、役所にこもって中間プロセスに専念している役人はムダだから給料減らせと叩かれるわけですが、ある程度の規模の組織に属されている方ならおわかりのとおり、後者の仕事のほうが政策や事業の正当性そのものにクリティカルに響くというのが実態ではないでしょうか。

もちろん、中間プロセスが重要だからといって、中間マージンが高くてもいいとか中間組織が大きくてもいいということではありません。小さすぎても大きすぎても問題はありますが、いずれにせよ適正な水準や規模を確保しなければ、その政策や事業そのものが正当性を失い、整合性のある政策展開が阻害されてしまい、必要な公共サービスの供給ができなくなってしまいます。こうした状況が国民の理解を得られないことが、最大の問題なのではないかと愚考するところです。

Inspired by:
「残業」は本来、やってはならないのだが…(2010/08/08)」(シジフォス
■データ的には「小さな政府」という謎(2010-08-09)」(dongfang99の日記
この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結(2010年8月12日 (木))」(EU労働法政策雑記帳

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2010年07月04日 (日) | Edit |
自己レスになりますが、非国民通信さんとのやりとりの中で、

あと、これは非国民通信さんのエントリで気になった点ですが、
> よく「イレギュラーな勤務が求められる営業は派遣には置き換えられない(だから非正規への置き換えが無限に進むわけではない)」みたいに言う人もいますけれど、それは実情に疎い素人の青写真に過ぎません。雇用側が非正規雇用の比率を増やしたいと思えば、その分だけ正規雇用の椅子は脅かされるのです。「正社員を守るために派遣社員が犠牲にされている」なんて言論にもまた事欠かないわけですが、むしろ(雇用主の好きにできる契約である)非正規雇用の拡大が、(雇用主にとって好きにしにくい契約である)正規雇用を脅かしていると見た方が現状を的確に捉えていると言えます。

確かに業務内容だけで正規か非正規かを区分すべきというような議論はあまり意味がないとは思いますが、「(雇用主の好きにできる契約である)非正規雇用の拡大が、(雇用主にとって好きにしにくい契約である)正規雇用を脅かしている」というとらえ方も一面的ではないかと思います。

ご指摘のあったように、特に中小企業では

> 会社の偉い人が何を思ったのか「事務は社員のやることじゃない、事務は派遣にやらせる」との方針転換が打ち出され

ることがあったりと、実態として「(雇用主にとって好きにしにくい契約である)正規雇用」となっていないからこそ常用代替が起きるとも考えられます。この辺りは大変入り組んだ事情がありそうなるので、機会を見てまたエントリを起こしてみたいと思います。

2010/06/17(木) 07:30:48 | URL | マシナリ #-[ 編集]
現実が目を曇らせる(2010年06月09日 (水) )」コメント欄
※ 以下、強調は引用者による。


ということで、いろいろとネタを探していたところですが、ブログ「雇用維新」のブログ主である出井智将さんの新著を拝読して大変考えさせられたので、とりあえず備忘録としてメモしておきます。

派遣鳴動 改正派遣法で官製派遣切りが始まる。派遣鳴動 改正派遣法で官製派遣切りが始まる。
(2010/05/31)
出井 智将

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まずなんといっても、出井さんご本人が製造業派遣が解禁される前は請負業者を、派遣解禁後は製造業派遣を生業としている派遣業者であって、まさに現場の利害当事者である業界団体理事として意見を集約しようとされているその姿勢に感銘いたしました。ブログはここ1年くらいしか拝見しておりませんでしたが、こうして書籍としてまとめていただいたことで、出井さんが直面されている現実や、それとの格闘を通じながら人材を育成していくために日々奮闘されている様子がひしひしと伝わってきます。その出井さんからすれば、大々的に報道される「派遣村騒動」を見て

 私はあえて主張したい。派遣村がセーフティネットであったとすれば、そのセーフティネットは雇用を生み出さない。しかし派遣は、ヒトとヒトを結びつけ雇用を生み出してきた。派遣村に求められていたのは、「支えること」と「巣立たせること」の両立であったが、それは実現されなかった。しかし、派遣はその機能を十分に担ってきた、と業界にかかわり続けている者として自負している

出井『同』p.32


と言いたくなるのも当然のことです。確かに多くの失業者の前職が不安定な雇用とされる派遣であったことは事実かも知れませんが、裏を返せば、派遣がそれだけの雇用を生み出していたことの証でもあります。そして、派遣という働き方だけをとれば不安定雇用かもしれませんが、そこで働く労働者にとっては、そこから正社員へ登用される道が開けていたり、さまざまな事情により正社員として働くことが難しい方々にとっての貴重な雇用の場となっていたわけです。出口の「派遣切り」問題を規制するために、入り口の登録型派遣や製造業派遣、日雇い派遣をふさいでしまえというのがいかに乱暴な議論であるか、政治主導とか企業搾取論がお好みの方々にもご認識いただきたいものです。

そのような雇用の場を提供している出井さんの思いが凝縮しているのが、会社案内に掲載されているという佐藤博樹東大社研教授とのインタビューですが、その最後にこういう宣言をされているそうです。

 「『ものづくりサービス』という仕事は、ものづくりのための、“ひとづくり”が基盤になります。そこでは多くの人がキャリアアップのチャンスをつかんでほしいという“ゆめづくり”も考えています。人が育っていくのを見ることは、この仕事の中で何よりもうれしいことです。メーカーの成功と、人材ビジネス会社で働く人のキャリアアップの成功という両輪があってこそ、私たち人材ビジネス会社の成功があるのだと思います」

出井『同』pp.155-156


この直後に、多様な経歴を持つ人材をキャリアアップさせる困難さ、将来の透視図を描きにくいこと、非正規から正規への移行という3つの課題を挙げられていますが、これらの課題はそのまま正規と非正規が分断されている日本の雇用問題の縮図となります。実は本書で出井さんが構想されている派遣についての提言は、海老原さんが近著で提言されている「公的派遣」の議論とも重なる部分が多く、現場で人と制度と格闘されている方からすれば、見えている現実はだいたい同じものになるのだなと感慨深いものがありますね。

 日本人材派遣協会の新しい考え方は、一企業の経営者としても、非常に分かりやすい。
 さらに私はこう考える。
 労働者から見た時に、派遣会社が仕事と労働者の間に介在するメリットは、「マッチング」「キャリアアップ」「雇用の創出」でなければならない。
 ところが、これまではマッチングのみが評価され、またそうした企業のみが、利益を上げ、事業を拡大していった。
 マッチングのみのため“雇用が軽い”。それが雇用の不安定さにつながるのである。働き方が多様化した今、ここにしっかりとセーフティネットをつくることが、雇用の世界で重要な課題の1つだと思う。
 長期雇用以外は認めない、といった幻想を捨てて、労働市場全体として包括的に考えていかなければならない。だから業界として、ここに第2のセーフティネットをつくるべきだ。

出井『同』p.244


「日本人材派遣協会の新しい考え方」は日本人材派遣協会のWebサイトに資料(労働者派遣法改正に向けての(社)日本人材派遣協会の考え方(注:pdfファイルです))が掲載されていますが、本書pp.242-243の図説が大変分かりやすくまとまっています。本書で提言されている第2のセーフティネットというのが、派遣元、派遣先、労働者の三者が折半する雇用保険によって在職中の職業訓練、失業時の給付を拡充するというもので、海老原さんが提言されている「派遣基金」とほぼ同様の趣旨となっています。

というわけで、やや強引ではありますが、非国民通信さんとの宿題(?)となっていた「入り組んだ事情」については、端的に言えば派遣切りによって職を失った労働者に必要なケアをいかに準備するかという点について、派遣元と派遣先と労働者の思惑がずれてしまってることが、労働者に保護の欠ける状況をもたらしているのではないかと愚考するところです。まあ、なんともすっきりしないまとめですが、そのこと自体がこの問題の奥深さを物語っているのだろうと逃げを打っておきます。

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2010年06月22日 (火) | Edit |
麻生政権と鳩山政権の影の目玉政策といえるのが緊急雇用創出事業という、政府が緊急的な仕事を作り出して失業者を雇う政策ですね。特に、政権交代後は「コンクリートから人へ」というスローガンもあって、補正予算で大幅に拡充されて各地方自治体に配分されています。

このような基金によって財源措置する方法は、三位一体の改革で地方に対する国庫補助金が一括交付金化される中で活用されるようになったわけですが、その触れ込みは「地方が自由に活用できる財源を増やすことによって、地方の実情にあった効率的な事業を実施できる」というものでした。経済学の2財モデルで考えれば、一方の財に対する価格補助(特定補助金)では、相対価格の変化によって代替効果と所得効果の両方が生じるため、これによる歪みによって社会的余剰に非効率(死加重)が発生するのに対し、所得補助(一括補助金)であれば相対価格が変化しないので所得効果のみが生じることとなり、歪みによる死加重は発生しないという理屈ですね。

ところが、そうした緊急雇用創出事業によって生み出されるのは短期雇用だけであって、たとえば地方自治体が自ら行うべき事業を委託したとしても、それによって既存の正規職員の仕事がなくなるわけではありません。というより、短期雇用という巧妙な仕組みを活用しながら、既存の正規職員に求められる仕事上のハードルを維持して、長期的な業務経験によって培われるスキルを擁する正規職員の仕事を守るのが緊急雇用創出事業ということもできるでしょう。

そして、このような緊急雇用創出事業の仕組みを知らずに、「役所の仕事だから社会の役に立てる」と考えてこの短期雇用で雇用された方には、年度が変わったら仕事がなくなるという不安定この上ない処遇が待っています。

自分の目指す職業を改めて振り返り、「地域、子ども、教育」という分野での就職活動を再開した。卒業後の4月から、最初は自治体が設置する小学生を対象とする学童保育の指導員の非常勤職員として採用されたが、月に16日の勤務で月給は手取り14万円という待遇だった。そのうち、社会教育指導員の空きが出たことを知り、試験を受けて合格して、教育委員会に転職。地域に向けて社会問題について提起するようなシンポジウムなどの企画運営を任されることになった。



「あなたが企画するから参加する」

 ところが、採用当初、「1年更新の非常勤職員で契約更新は4回まで」という条件での雇用だった。つまり、5年を上限に退職することが初めから決められていたのだ。月に120時間勤務。月給は額面が20万円に満たないため、手取りで17万円となり、ボーナスはない。5年経っても正職員になれないばかりか、職を失う。それでも久美さんは「就職氷河期に贅沢は言えない。好きな仕事ができるのだから、ここでできる限りを吸収して、次へのステップにしよう」と割り切った。

 働き始めると、すぐに仕事に夢中になった。何度も会を重ねると、地域で顔見知りが次々と増えていき、個人的な話もするようになった。「こうやって、自治体職員が自ら人の輪を作っていけるんだ」ということを実感した。中には「久美さんが企画する会だから参加するんだ」と言ってくれる年配の人もいる。そんな言葉を聞くと、自分の存在が何か社会に役に立っている気がした。人とのつながりが着実に広がっていく。殺伐とした東京の中でも、昔ながらの人間関係を新しく作っていくことは十分できると感じた。

 ところが、夏の予算編成の時期になると、職場では「この事業、来年度はなくなるかもしれない」という声が聞こえてくる。その度に、自分の仕事がなくなる心配をした。そして、「地域で蓄積された人間関係が、職員が非常勤だからといって5年で自動的に『はい、さようなら』ということでいいのだろうか」という疑問を強く感じるようになった。

若者が「地域再生」を諦める時――。自治体非常勤職員の24歳女性のケース 1/3ページ(2010年6月14日(月))」(日経ビジネスオンライン

※ 以下、強調は引用者による。


最近の厳しい雇用情勢では、「雇用問題を何とかしろ!」という住民の方やその支持を受けた議員の方々がいろいろな雇用対策を要求されます。たとえば、一時期内定取り消しが問題になりましたが、「内定取り消しはけしからんが、そもそも新規学卒者に対する求人が少ないし、就職しても定着率が悪いから何とかしろ」とう要求があれば、それに応じて新規学卒者の就職を支援する非常勤職員を雇用することになります。上記の記事の山本さん(仮名)が採用された「社会教育指導員」なる肩書きからすると、この非常勤の職も緊急雇用創出事業で財源措置されたものではないかと推測いたします。

この緊急雇用創出事業というのは、国の緊急雇用対策の切り札として景気の後退期には繰り返し導入されているもので、戦後の失業対策事業が約半世紀にわたって失業者が滞留することとなった反省を踏まえて、とにかく「景気回復までのつなぎ雇用であって、あくまで短期雇用であること」が強調されていたりもしますが、今回の緊急雇用創出事業は平成23年度が終了年度となっています。まあ緊急雇用創出事業に限った話ではありませんが、特に緊急雇用創出事業のこうしたスケジュールを踏まえると、「夏の予算編成の時期になると、職場では「この事業、来年度はなくなるかもしれない」という声が聞こえてくる」という話も当然の成り行きではあります。

とはいえ、緊急雇用創出事業は初めから期間が明示的に限られている点ではまだマシかもしれません。それより深刻なのは、先進国でもトップクラスに公務員の少ないこの国で、さらに公務員削減を掲げる政策が与野党を問わず目玉政策として掲げられています。ということはつまり、この国では財政赤字や(誰にとってのムダか分かりませんが)「ムダの削減」が完結しない限り、正規職員を含めた公務員数は減っていくことになるわけで、それは実は正規職員についても「夏の予算編成の時期になると、職場では「この事業、来年度はなくなるかもしれない」という声が聞こえてくる」ということもあり得るということを意味します。

「身分が安定している公務員の仕事がなくなるのは民間感覚を肌身で感じるためにいいことだ」と考える方々もいらっしゃるかもしれませんが、拙ブログでは繰り返し指摘しているように、公務員は確かに身分は保障されているものの、業務が減ったことを理由として免職処分することができる「分限」処分が規定されていることから、雇用そのものは保障されていません。そして、その人員削減が本当に地域住民の望んだことなのかという点も、突き詰めて考えるとずいぶん怪しいものです。

 際立った産業もなく、農林水産業も衰退する地域だった。その地域の前地方議員は「役所は上(総務省)を見て、定員削減、人件費削減を達成しようと無理をしている。若い者がその犠牲になっていることを無視はできない」と憤る。そして、「収支報告の決算上では人件費が減ったように見せかけるために、給食事業なども民間委託したが、かえって自治体直営でやっていた頃より委託費が高くつく矛盾が起こっている」と指摘する。

(略)

 そもそも経営の効率化を求める委託では費用を抑えることが目的化される。一方、それまでと同じ業務を少ない予算で委託先が利益を確保するには人件費を抑制することになり、そこでは結果、ワーキングプアが生まれてしまう

 そして、自治体が住民も含め自ら必要だと真に判断したわけでなく、国の命令を気にしてやむなく民間委託の流れに乗るのであれば本末転倒。そこには行政からの委託に食いつく民間企業が集まり、新たな利権が生じる。公務員を削減していくということは、少ない人数でこれまでの業務をこなし過労に追い込むか、よほどの管理体制を整えない限りは委託が増えることによる不正が起きる可能性は否めないのだ。

若者が「地域再生」を諦める時――。自治体非常勤職員の24歳女性のケース 3/3ページ(2010年6月14日(月))」(日経ビジネスオンライン


中央政治の政治主導によって公務員削減は進められていますが、それが地域の雇用の受け皿を縮小させていることについては、地域の住民による「地域主権」なるものは認められていないわけです。まあ、「三倍自治」で自主財源以上の事務を担っている地方自治体が、「地域主権」というお題目を唱えれば突然自主財源だけで運営されるようになるはずもなく、「地域主権」を目指す理由なんてこれっぽっちもないともいえます。そう考えると、与野党問わず「地域主権」を相も変わらず主張し続けるこの国の政党は、いったい何を目指しているのかますますワケが分からなくなりますね。

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2010年06月09日 (水) | Edit |
前々回エントリで取り上げさせていただいた海老原さんの新著ですが、最終章に拙ブログでもおなじみの湯浅誠内閣府参与(再任)との対談が掲載されていて、ここでも印象的なやりとりがあります。

海老原 常用型は、結局、派遣会社の正社員じゃないですか。そうすると同じなんです。相当なレベルじゃないと派遣会社に雇ってもらえない。入口は狭まってしまいます。もうひとつ。常用型は本人もすぐ辞められないんですよ。派遣先に行って「この会社はイヤだ」と2日で辞めたら。派遣先で怒られなくても、派遣元つまり会社に戻って上司にこっぴどく怒鳴られます。そこは、やっぱり正社員なんだと思います。
湯浅 いや、私は基本的には常用型じゃないと困ると思っています。期間の定めがある登録型は、「例外」であるべきです。登録型だと、派遣先が中途解約して「6か月契約の派遣を3か月で切る」といった場合も、クライアントである企業のほうが強いですよね。派遣会社は派遣先には損害賠償請求ができずに、泣き寝入りする。そのツケは労働者に転嫁されて、給料が3か月分しかもらえずにクビ。海老原さんと私は見ている現実が違うと思うんだけど、ウチに相談に来る人は派遣でかなりひどい目に遭ってますよ。

pp.280-281
※ 太字下線強調は引用者による。

「若者はかわいそう」論のウソ (扶桑社新書)「若者はかわいそう」論のウソ (扶桑社新書)
(2010/06/01)
海老原 嗣生

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この部分は、「対人関係が苦手な人を救うのが『派遣』だ」という海老原さんと、「切られても泣き寝入りの登録型派遣は認められない」という湯浅氏の見解が対立している部分なんですが、個人的に「自分が見ている現実がこうだから、現実はこうだ」という主張は信用しづらいと考えています。以前、小島先生に対する批判を取り上げたときにも書きましたし、「敬うべきモデル」について取り上げたときに書いたことにも通じますが、目の前の現実だけに基づいて帰納的に世の中を理解しようとする姿勢は、なまじ自分の目で見ているだけに修正がきかないという点でかなり危険な態度といわざるを得ません。引用した部分でいえば、確かに派遣切りで酷い目にあった方はいらっしゃるでしょうが、それが登録型派遣に起因することかといえば必ずしもそうではないわけです。

というか、常用型派遣で雇用されている方というのは、まさに専門26業種業務といわれるような翻訳とかITプログラマといった、一芸に秀でた人材として短期プロジェクトで必要となる職種に限られているのが実態でしょう。すべての派遣が常用型でなければならないというのであれば、すべての派遣労働者が上記のような特別なスキルを持ってプロジェクトからプロジェクトへ渡り歩けるようにならなければなりません。そしてそれは、現に失業している方にとってはハードルが高くなることにしかならないわけです。

労働者派遣の本当の問題は、上記のような特別なスキルを持った労働者だけが対象だというフィクションを前提とした上で、そのことを理由として「通常業務に当たる正規労働者」の雇用を保護しているという点にあるので、専門26業種業務に限定するというフィクションがある限り、調整弁としての派遣労働者を保護するという発想に至らないということは、hamachan先生が常々指摘されていることですね(最近ではこのエントリとか)。海老原さんは、「正規労働者の中にも派遣労働者と同じようなストレスの少ない仕事を望む/せざるを得ない人がいる」という点を突破口として、派遣労働者として会社で働く経路から、そのまま正規労働者になるも、周辺的正規労働者になるも、それぞれの事情に応じて選択できる制度として「公的派遣」を提唱されているのだと思いますが、湯浅氏にはその点が伝わらなかったようです。こういう場合には、「見ている現実が違う」ということをいってしまった側がより狭い範囲の「現実」しか見ていないことが往々にしてあります。目の前の現実に入れ込みすぎてしまったために、自分の見ている現実以外に現実があることが想像できなくなっている状況といえそうです。

という観点から本書の冒頭で取り上げられている方々を拝見すると、意図的な(?)引用をしている門倉氏、あるいはデータのみを見ている(と思われる)玄田先生と比較して、一面的なとらえ方で極論ばかりを主張する城氏も、なまじ企業内の人事の現場にいたために、この「自分の見ている現実以外に現実があることが想像できなくなっている」状態に陥っている度合いが高そうです。本書でもよく見てみると、門倉氏、玄田先生に比べて城氏に対する批判のパートの紙幅が各段に多いですし、「城さん、あなたはこの構図もすべて理解している。だからあえて、眠れる1割を揺り動かすために、精力的に発表し、熱く語り続けるのではないか?」(p.89)という海老原さんの問いかけも、「あなたの見ている現実が歪んでいるからこそ、そうして熱く語れてしまうのではないか?」という問いかけにも思えてきます。

まあこれは穿った見方かもしれませんが、自戒を込めて自分の目の前の現実を俯瞰する努力を怠らないようにしたいと思った次第です。

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2010年06月05日 (土) | Edit |
海老原さんの新著を早速拝読しました。それにしても「ものすごい勢い」((c) hamachan先生)ですね。


「若者はかわいそう」論のウソ (扶桑社新書)「若者はかわいそう」論のウソ (扶桑社新書)
(2010/06/01)
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今回は第1章で、門倉貴史氏、玄田先生、そして城繁幸氏が俎上に載せられて、それぞれデータ引用の(意図的な?)粗さ、妥当すぎる結論、一面的なとらえ方が批判されています。前2者はこれまでの著作でも批判されていましたが、いよいよ城氏も滅多斬りか・・・と思いきや、実は城氏については好意的な(というよりさらに親近感のある)トーンで書かれていて、城氏に対してroumuyaさんと同じ印象を持っている者としてはかなり意外な感じでした。

 日本型の就活には問題点が多い。それは、ネット型になって、さらに悪くなっている。日本型の年功序列システムには問題が多い(ただ、こちらは多少改善が進んだ)。
 ここまでは、城さんとほぼ同じ意見だ
 だから彼が、反貧困の見方をしたがる某エコノミストとネットでバトっていたりすると、「城に一票!」と言いたくなるときもある。

※ 以下、強調は引用者による。
海老原『同』pp.49-50


前掲のromuyaさんのリンク先でも取り上げられている城氏とモリタク氏の論争については、互いに「我こそが労働者の味方なり」といいたがる割に、相変わらず集団的労使関係に一切の言及がない辺りで、個人的にはどっちもどっちのような気がするところではあります。まあ、本書の玄田先生に対する批判の中にも「データ分析のみに重きを置くアメリカ流「レイバー・エコノミスト」」という言葉が出てきますし、企業内の人事の現場を知っている点においてはモリタク氏よりはマシということなのかもしれません。

そんなことはどうでもいい(?)んですが、みんなが分かっていながらマスコミでは誰も指摘しないポイントは、次の2点でしょう。

 大学が増え、大学生が増え、さすがに彼らも「大学を出たんだから、大企業でホワイトカラーを」と思いだす。すると、企業側の受け皿が不足し、若年未就業者が増える
 この状況を、なぜ、「企業側の人件費削減による正社員切り」とマスコミは報道するのか。
 決して大企業は採用を減らしてはいない。大学生が増えすぎたことが第1の問題であり、第2の問題は、中堅中小企業や販売・サービス業を志望しない、という嗜好の問題がある。そして、第3の問題。こちらは、「大学無試験化」により、小中学校の基礎知識さえ習得していない社会人不適格な大学生の増大。これでは大手の採用試験をパスできない。
 就職氷河期の内実は、こんなところだろう。

海老原『同』p.213


 ここでまた、反論を唱える人がいるだろう。
 「言うとおり、大学を作らず、大学進学率が低いままだったらどうなるか? 製造業、建設業、農林業、自営業・・・こうした受け皿がなくなった現在だと、高卒無業者が大量に発生するだけではないか? これじゃ、単なる問題のすり替えだろう」
 この反論はかなり正鵠を射ている。そう、就職問題は最終的にここに行き当たる。
 製造業、建設業、農林業、自営業、事務職正社員、こうした仕事が、極端に世の中から消えている。
 これらの職務に共通する要素がある。それは、「社外スタッフや顧客との折衝が少ない」仕事ということだ。さらに製造・建設・農林に限るともっとこの傾向は強くなり、「社内スタッフともそれほど折衝がない」仕事となる。
 どうだろう。こうした仕事がどんどんなくなった。その結果、社会で生きていくには「対人折衝」が必須となった。だから。
 そう、引きこもりやニートが増えた理由はここにもあるのではないか?

海老原『同』pp.116-117


学歴社会がけしからん!という世間の声に応えて「ゆとり教育」が取り入れられたものの、現実に起きたのは「大学の乱造」とそれによる「本来なら大学に入れない」層の大学進学率の上昇であったわけです。誤解を恐れずに厳しい言い方をすれば、以前は高卒で就職していた「本来なら大学に入れない」層が、名ばかりの「高学歴」を得てしまったために、本来なら自分が高卒の時点で受け入れられていた単純労務には、就活の最後の最後まで見向きもしなくなっています。それどころか、彼らは「高学歴」である以上大企業や人気企業にターゲットを絞った就活をするため、当然思わしくない結果が続くこととなり、内定がとれない中で自信を喪失していく大学生も増えてしまいます。

こうして、世の中が「高学歴」化するにつれて高卒を受け入れていた単純労務が、より学歴の高い新卒者に結果的に置き換えられる一方で、円高や低価格競争が進むにつれて製造業の職場そのものが海外へシフトしていくため、高卒を受け入れる技能工や事務職の職場がどんどん減ってしまいます。つまり、中小企業までスコープを広げればまだ就職口がある大学生に対して、そもそも働く場が失われてしまっている高卒者の方が遙かに深刻なわけです。

現在の就職難に際しても、当面の就職口がないからといって高卒なら専門学校とか短大へ進学したり、大卒なら院進学や留年して景気回復を待とういう動きもあるわけですが、それはよほどの技能を身につけない限り「本来なら大学(短大、院)に入れない」層の就職を先送りするだけにしかなりません。そして「よほどの技能」を身につけることは、「本来なら大学に入れない」層にとってはハードルの高いことであって、まあそれだけの技能なり資格を取得できるならはじめから就職できるよね?ということになってしまいます。

ということは、高卒に対する労働需要を作り出すとともに、中小企業を含めた就職口とのマッチングの仕組みを拡充することが雇用対策として求められるわけで、第4章でその対策が示されています。この諸施策については、本エントリの冒頭でリンクを張ったhamachan先生とほぼ同じ感想を持ったところです(主体性がなくて申し訳ございません)が、蛇足ながら、第1に提案されている「教育安保政策」で受け入れた外国人労働者の事務が地方分権されたら地方自治体は大変だろうなとか、第4の「公的派遣」も、公設民営となるとまたぞろ地方分権の議論に乗せようとされるのだろうなとか、余計な心配をしてしまいました。

まあ、ここで金融緩和によるマクロ政策がその大前提だという議論をすることも可能ですが、たとえばクルーグマンも増えた労働人口を吸収できるようなマクロ政策の重要性を強調しつつも、同時に政治サイドが職業訓練の旗振りをすることもあり得るという見解を示しています。

 でも大事なのは、アメリカではNAIRUは過去20年間かなり安定していて、どっちかといえば低下傾向にあるってこと。これは長期的に見て、失業率は増加傾向にはないってことだ―そしてこれは、アメリカ経済の適応力という点で、絶賛していいことなんだよね。前にも見たけど、同時期のヨーロッパでは、失業率はホントどうしようもないくらい上がっちゃってるんだから。アメリカだって、過去10年で労働市場に入ってきた大量の女性やベビーブーム世代に職を上げられなかった可能性は十分にある
 さらに生産性成長がこんなドツボ状態で大幅賃上げを要求したってよさそうなもんだ。でも実際は、アメリカの非常に競争的で柔軟な労働市場は新規参入をすべて吸収したし、賃上げ水準も、ぼくらの低い生産性成長と見合った率におさえたんだ。
 もちろん、5〜6%はゼロじゃない。NAIRUを下げて4%以下の失業に持ってくようにはできないの? うーん、できるかも―でも、それを実現するにはどうしたらいいかについて、経済学者の間でもあんまし一致した見解はないのよ。
 政治家は、長期失業者に対して職業訓練を提供するとか、そういう旗振り的なことはやるかもしれない。でも確実にいえるのは、クリントン政権が失業を5%くらいのとどめておければ、だれにも文句は言われないってことなんだな。
p.66

クルーグマン教授の経済入門 (日経ビジネス人文庫)クルーグマン教授の経済入門 (日経ビジネス人文庫)
(2003/11)
ポール クルーグマン

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要はマクロとミクロの経済政策のポリシーミックスが重要ということだろうと思うわけですが、毎度ながら与野党ともに「雇用・能力開発機構なんかイラネ」というこの国の政治家が正しく舵を切るとは到底思えないところが何とも・・・

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