2010年11月号 |
▼原水禁ニュース2010年11月号
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■ 米国の臨界前核実験抗議!ヒロシマの心を踏みにじるな!
10月14日、核兵器廃絶広島平和連絡会議(12団体)の90人が原爆慰霊碑前に座り込み、抗議の意を示しました。 核兵器廃絶をめざす流れに逆行し、被爆地の思いを踏みにじる許されない行為です。また、被爆国である日本政府がまったく抗議しなかったことも許されません。あらためて被爆地ヒロシマから核兵器廃絶にむけ運動強化をしていきましょう。 県内では、10月13日に、福山市職労が市役所など6箇所で161人が座り込み、三次市、東広島市でも抗議の座り込み行動が実施されました。
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集 会 宣 言 1981年に上関原発建設計画が浮上して以降29年、建設予定地の目の前の対岸に位置する祝島を中心に、地元反対運動は、生活の糧としての海を守るため、そしてそれは「命」を守るため、一切の妥協なく体を張り続けている。 2010年10月24日
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西松建設との和解成立からちょうど1年を迎える10月23日、安芸太田町中国電力安野発電所で、強制連行の歴史を刻む「安野
中国人受難の碑」(高さ3.6m)の除幕式が、中国から来日した5人の元労働者を含む遺族ら40人や、関係者、支援者など120人の参加で行われました。
和解条項に基づいて設立された西松安野友好基金運営委員会が、受難者への補償金支給、末判明者の調査、受難者による故地参観・慰霊などの和解事業の一つとして、この記念碑の建立も実現しました。
記念碑は、中央および左右の碑から構成され、「安野
中国人受難之碑」と刻まれ、裏には歴史を後世に伝え日中友好を願う碑文(下記)が刻まれています。左右の碑には、この地に強制連行された中国人全員の名前が記され、歴史的に見てもきわめて画期的なものです。
参加した元労働者の邵義誠さん(85歳)が受難者、遺族を代表し、「生きてこの日に立ち会え大変うれしい。残念ながら立ち会えない亡くなった労工たちの天国の魂に私はここで報告する」と涙ながらに思いを込めて挨拶されました。
安野 中国人受難の碑 <碑文>
第二次世界大戦末期、日本は労働力不足を補うため、一九四二年の閣議決定により約四万人の中国人を日本の各地に強制連行し苦役を強いた。広島県北部では、西松組(現・西松建設)が行った安野発電所建設工事で三六〇人の中国人が苛酷な労役に従事させられ、原爆による被爆死も含め、二九人が異郷で生命を失った。 二〇一〇年一〇月二三日
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編著:原子力資料情報室/原水禁 発行:緑風出版
定価:1,700円
日本のエネルギー政策は、依然として原子力を中心としています。そして、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、高速増殖炉で燃料として使用することを模索しています。本書は多くの科学者が疑問を投げかけている「核燃料サイクルシステム」が、すでに破綻し、いかに危険で壮大なムダであるかを、詳細なデータと科学的根拠に基づいて分析しています。そのうえで、このシステムを無理に動かそうとする政府に対して、政策の転換を提言しています。ぜひお読みください。