【東京】「あの日」語り継ぐ資料展 東京大空襲あす66年2011年3月9日 東京大空襲から十日で六十六年。多くの住民が犠牲となった記憶を語り継ぐため、下町と山手で八日、平和を願う展覧会が始まった。
◆浅草公会堂 体験描いた絵画、英語パンフも台東区では、戦禍の様子を当時の写真や戦没者の遺品などから紹介する大空襲資料展が、浅草公会堂で始まった。午前十時〜午後五時、十一日まで。 区内の戦争体験者ら二十人でつくる実行委員会が、戦争を知らない世代に東京大空襲の悲惨さを伝えようと、毎年開いている。二十四回目の今年は、浅草を訪れる外国人観光客にも大空襲を知ってもらおうと、同展の英語版パンフレットを初めて作った。 「外国の人たちに広島や長崎だけでなく、東京もこれほど大きな戦禍を受けたことを伝えたい」と、実行委の五十川ちとせさん(79)=下谷二=は話す。 会場には資料約二百点が並ぶ。ロシア国立モスクワ・スリコフ芸大名誉教授の村岡信明さん(79)が、江東区深川の自宅で大空襲に遭った体験を描いた水彩画の原画八点は、煙や火に追われて逃げ惑う人たちの姿を淡い色づかいと素朴な筆致で淡々と描いている。 このほか、熱さに耐え切れず川に飛び込んで亡くなった人たち、子どもを抱いたまま火に巻き込まれた母親など戦争の悲惨さを伝える写真、B29米軍爆撃機がサイパンやグアムを飛び立って東京下町に侵入した経路を示すパネルなどが並んでいる。 (伊東浩一)
◆目黒区役所 元警視庁カメラマンの写真下町を焦土と化した東京大空襲に続く、四、五月の「山の手空襲」で被害を受けた目黒区では、「東京大空襲写真・資料展」が、区役所で始まった。「世界の恒久平和を願って」と区が主催している。 山の手空襲では、区内だけで死者二百九十一人、負傷者千五百五十三人が犠牲になった。同展では東京大空襲を中心に、目黒区内の空襲被害も紹介している。特に、警視庁に勤務し、東京大空襲の惨状を写真として記録した唯一のカメラマン、石川光陽さん(一九○四〜八九年)が戦前から晩年まで目黒区在住だったことから、同区が所蔵する石川さんの写真が二十七点展示されている。東京大空襲の焼死体の写真をはじめ、目黒区内でも焼け野原となった上目黒付近や、中目黒駅近くの民家が軒並み強制疎開で壊された光景を撮影した写真もあり、来庁者が見入っていた。 元会社社長の牧野嵩さん(80)は「札幌出身で、目黒には四十年来住んでいるが、目黒の戦災被害がこんなに大きかったとは知らなかった。驚きです」と話していた。 このほか、東京大空襲を描いた絵や、目黒区内の空襲被害をまとめたパネルなども展示されている。また、九○年から毎年、小中学生を被爆地・広島に派遣している区の平和祈念事業についても紹介している。同展は十七日まで。 (増田恵美子) PR情報
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