はじめに
僕の一番身近にいる人が、インターネットの影響でちょっと心が疲れているようなので、以前からちょこちょこはてブしてある考え方系の記事の中から「これ読むと心が少し楽になるんじゃないか」と思うものをまとめてみました。
僕が一番見て欲しいと思っている人はもちろん、ネットでちょっと疲れてしまった方は以下の記事の中から自分に合いそうなものを選んで読んでみると良いかもしれません(将来的に自分も読み返すことになるのだろうな、と思いつつ…)。
心が疲れた時のクスリになるかもしれない記事
※印象的なフレーズを引用しつつ、特に心に響いたものを太字で強調させていただいております。
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- 誰と向き合うべきか | smashmedia
- 反論を予測しながら書く文章はつまらない。 | smashmedia
- @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:嫌われる練習
- アメリカインディアンの教え
- @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:危うさと才能
- 【7%】 人生が教えてくれた45の教訓… - IDEA*IDEA 〜 百式管理人のライフハックブログ
- @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:コミュニケーション
- 新しいことを始めようとするとケチつける人は世界中にいます - My Life After MIT Sloan
- @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:コントロールする
- @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:腹の割り方
- 精神力を節約するためにニュースを見聞きしない – ライフハック心理学
- @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:気付きを分析する
- 他人からの評価は受け止めちゃいけない - GoTheDistance
- @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:心
- 人生をより楽しくさせる100の方法 | Webクリエイターボックス
- 思い出したこと - phaのニート日記
- 本当の自信を得るために必要なものは何なのか? - 読んだものまとめブログ
- あるCEOの経験に基づく「人生の12の法則」 : ライフハッカー[日本版]
ぼくのブログにもたまに「バカ」とだけコメントされたりすることがあるけど、ああいう悪意100%のメッセージを受け取るとなんとも不愉快な気持ちになります。と同時に「そこまで嫌われることしたっけ?」と悩んだり、「この人はどうして一線を越えてしまったのだろう」と考えたりします。
で、大事なことはそういう人たちとどう付き合うかということ。
これは「万人に愛されることはムリ」という話ですらなく、「会話が成立しない人はいる」という話。そもそも相手に話す気がないのだから。
問題なのは議論や意見交換にはまったく興味がなくただ攻撃したいだけの人の声も届いてしまうことで、学校や会社の会議なら全員に睨まれるようなことを平気で書いちゃう人がいるってこと。
そういう人をゼロにできるわけないので、彼らとは可能な限り距離を取ったほうがいいですねという話。だからネットを使わないというのはもったいないし。
だからそれよりもいかに相手をしても疲れるだけの意味のない反応から耳をふさぐかということを考えるべきなんですよね。
だってね、いろんな人が言ってるけど、失うモノがない(あるいは自分と比べて少ない)人を相手にケンカしたってまず勝てないんだから。
personalityによっても違いますが、例えば人に嫌われる確率が1%だったとしても、10人の中に自分を嫌いになる人が出てくる可能性は低いですが、10000人になるとほぼ必ず誰かには嫌われます。そして嫌われた人のうち、数%は直接言わないと気が済まない人が混じってきます。
これにやられてしまう人が結構世の中に多いのに最近気づきました。批判している側はそんなに強い気持ちで思っていなくてもされている側は真摯に受け止めたりしています。それで悩む。自分は自分のままでいいだろうか。
流してしまえば楽なんですが、思おうとして思えるような風には、特に真面目な人間の心はできていません。そしてスパイラルに入っていってしまいます。
昔、いただいた御批判に対して、どうぞ僕の人生なんかよりご自身の人生に興味を持たれてください、と言った事がありますがこれは火に油を注ぎました。しかし、こういう発想の人間はふてぶてしく生き残るようです。憎まれっ子世にはばかる、です。
ただ唯一、自分がこのスパイラルから抜け出すには自分の人生にフォーカスする事しか無いのです。もしも、自分の人生に夢中になれば他人の事より、自分の人生の方が面白くてしょうがなくなります。そもそも、そんな時間が無くなるわけです。
自分自身の人生を謳歌しましょう。人の人生は自分の人生ではないのです。
じゃあ常に才能ある人は自信満々で我が道を行っているのかというとそうでもなくて、妙にびくびくしてたり、本当の自分がばれるのを恐れていたり、すごい強い力でプロテクトしていたりします。ようは全然世の中の事から解放されていなくて、一目を気にしたり評価を気にしたり、俗っぽいところがある自分を自分で意識して、更に苦しむようなマゾヒスティックな所が垣間見えます。
誰かを嫌いになる暇があるほど人生は長くはない。
なにか困った時が起きたときはこう考えよう。「5年後に振り返るとこれってそれほど重要?」
少なくとも自分の身体だけは自分の思い通りに動かしていいのです。そして、同じように人生も自由にしていいのだと思います。なんとなくそういう多様性を許容する空気が日本に必要かなと思いました。
宮沢賢治の詩が好きだと私の母は言っておりまして、人にでくの坊と呼ばれなさいと暗に言われながら育ちました。若いときはなんでこんなに脚が速いのにみんなに馬鹿にされなきゃいけないんだと思っていました。
たぶん、母がぼんやりと言いたかったのは、早く馬鹿にされるようになりなさい、そうしないとあんたの性格だと馬鹿にされない為に生きるはめになるよ。という事を言いたかったのではないかなと思います。
がっかりされる事から逃げ回る人生よりは、早めにがっかりされて、自分の人生を手中に収めた方がよりよい人生だと教えられました。
よほど関係が近い人であっても、人間である以上、価値観や考え方には違いがあります。そうした違いに思いをはせることは、人間社会に属す以上必要なことですが、やり過ぎるとそれだけで精神力のほとんどを使い切ってしまいます。
気付きがないタイプは、今の自分の信じているものを疑ったりする事の無いタイプです。正しいものと悪いものが割とはっきりしていたり、もしくは誰かに盲目的に従っていたりします。ようは習った事がそのまま正しいと受け入れられるタイプです。
気付きが出ないタイプは、見えている世界はそのままの意味だという人生ですから、ある意味で人生はすっきりしていて幸せな人が多いように思います。
その集積でどうなるかと言えば、自分の主張や価値観を練りこむこと、自分の内なる声がかき消されてしまい、考えることをやめてしまう。これが一番まずいことだと思います。
そういう方に申し上げたいのは、あなたが思い悩んでいるほどに相手は思い悩んでいないことがほとんどですってこと。気にしたらダメです。
他人からの評価は受け止めちゃいけないんです。受け流すものです。受け取るなということではなく、心の中にいつまでも止めるなということ。人は溜め込むことが出来ません。溜めていいのはお金ぐらいなもので、溜め込みすぎると人間はオーバーフローするようにできています。自分を成長させないものに対して止まってしまっては、それだけで人生が終わってしまいます。凡愚に親しまず、賢人や叡智に親しむ。ノイズを受け止めてもいいことはありません。
私がプロになる時に決めた事の一つに、引きずらない、浸らない、というものがあります。試合に勝ったり負けたり、何かが起こったとき、一週間は自分に自由を与えて極端なくらい子供のように泣き叫ぶし歓喜する。そして、その後はきっぱりと日常に戻るというものです。父親が死んでもこれを守りました。
84. 他人の言う事を気にしない
人が言う事をいちいち気にする必要はありません。あなたの人生は、他人ではなく、あなたが考えた事で成り立っています。他の誰かがあなたを決め付けたり、先入観を持ったりする事を気にしたり、イライラする必要はありません。ただ、それはそれで頭に置いておき、進めばよいのです。
上手い人はそういう「どこに行けば自分が楽に動けるかという場所」が見えるようになるみたいで、先生がよく言っていたのは「力で対抗してはいけない。自分が楽な場所に行けばいい。自分が楽な場所は絶対あるから」ということだった。
2 制御すべきは他人ではなく自分
あなたが宇宙の真ん中なのだから、そこにいるように!(まわりの状況に流されず、バランスを保って、自分の軸を持つように)。
おわりに
「この記事も良いのでは?」というようなものがあったら教えていただけると非常に助かります!
気にしない、って言い聞かせてる時点で気にしちゃってるんだよね...
がんばれ〜