柳美里「ソウルで自分のルーツ探す戯曲を書きたい」(上)

20年前に書いた『向日葵の柩』、韓国で公演

 「私にとって書くこととは『生きること』と同義語。水がなければ魚が生きられないように、書かなければ死んでしまう。でも私には最初から水があったのではなく、書くことによってその水の量が増えてきたようだ」

 在日韓国人作家の柳美里(42)は強そうに見えた。50センチにもなる長い髪に黒い目の柳美里は、死を素材にした戯曲や小説を発表してきたが、暗くはなく、笑いもあった。演劇『向日葵の柩(ひまわりのひつぎ)』(柳美里作、キム・スジン演出)の公演を前に、6日夜韓国を訪れた。柳美里の作品はこれまで幾度も韓国で舞台化されたが、関心を持って本人が訪れるのは初めてだ。柳美里は「1年前から韓国語を勉強している。1、2年後にはソウルで暮らしながら、韓国から日本に渡った父のルーツを探す戯曲を書きたい」と話した。

 柳美里は24歳のとき、史上最年少で岸田国士戯曲賞、28歳で日本の最高権威である芥川賞を受賞した作家だ。在日韓国人による劇団、新宿梁山泊が来韓し9日から13日まで、世宗文化会館で公演を行う『向日葵の柩』は、柳美里が20代前半だった1991年の発表作だ。入試を目前に緊張する兄、性的暴力の傷に苦しむ妹、家出した母の手紙を毎晩読んでいる父など、家族の不安と孤独を描いている。作家は「今見ると不自然なところもあるが、手を加えなかった。『20代の柳美里を尊重するため』だ」と話した。

 柳美里の作品に家族の崩壊が含まれているとしたら、現実で柳美里は家族を再構成している。柳美里はインターネット上で出会った15歳年下の男性と暮らしている。元夫と暮らしていたとき、別の男性との間にできた息子(11)は、現在同居している男性を「お兄ちゃん」と呼ぶ。「私は、家族というのは与えられるものではないと思う。私が作っていくもの」

写真=李鎮漢(イ・ジンハン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る