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  1. 学仏法の外道(0)
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Re: ひかるさんへ

 投稿者:アベ太郎  投稿日:2011年 3月 8日(火)00時15分57秒
返信・引用
  ハムスターさんへのお返事です。

> はじめまして、法華講のハムスターと申します。
>
> 私もフランス語はよく分かりませんが、このサイトは単に日本の宗派=セクトの紹介をしているページのようです。
> 並びはアルファベット順、創価学会の名前も出ています。
>
> Sの項では、SHINTO、SHINGON、SOKA GAKKAI etc
>
> にも関わらず、このように自分たちに都合のよい所を出して、でたらめな事を言う。
> あきれてしまいます。


都合がよい所を出して云々よりも、アルファベット順の紹介とは別にテーマの真下に(Abe Nikken, Mahikari, secte Aum,...)と出ているのは事実ですよね?

転載したものが嘘でないように、URLも貼り付けているでしょ。

それともこのサイトの該当ページ全てを転載すれば納得して頂けましたか?

いったい、どこが出鱈目なのでしょうか?



http://www.info-sectes.org/gemppi/japon.htm

 

ひかるさんへ

 投稿者:ハムスター  投稿日:2011年 3月 7日(月)23時48分23秒
返信・引用
  はじめまして、法華講のハムスターと申します。

私もフランス語はよく分かりませんが、このサイトは単に日本の宗派=セクトの紹介をしているページのようです。
並びはアルファベット順、創価学会の名前も出ています。

Sの項では、SHINTO、SHINGON、SOKA GAKKAI etc

にも関わらず、このように自分たちに都合のよい所を出して、でたらめな事を言う。
あきれてしまいます。
やっぱり学会を脱会して良かった(^o^)v

後は、管理人さんの判断にお任せします。
忙しいので失礼します。

 

批判?違いますよ。阿部さんはすごいですね!

 投稿者:アベ太郎  投稿日:2011年 3月 7日(月)21時10分54秒
返信・引用
  ひかるさんへのお返事です。

> アベ太郎さんへのお返事です。
>
> 前文日本語に訳してから掲示すべきではないでしょうか?
> アベ太郎ちゃん?・・・ここは日本語の国ですよ?
> アベ太郎ちゃんのように・フランス語が読めない人が多いのですからね。
> 前文日本語に訳して解説してください。
> 人を批判するのは・それからが道理でしょう?アベ太郎ちゃん?
> カルトの意味も説明できず・・・更に外国語で批判するアベ太郎ちゃん?
> よろしくね。
>
>
> >
> > > > アホ太郎さんへのお返事です。
> > > >
> > > > > ひかるさんへのお返事です。
> > > > >
> > > > > ひかるがいうように、まさに日蓮正宗はカルトである。
> > > >
> > > >
> > > > SECTES AU JAPON ET NMR JAPONAIS
> > > > (Abe Nikken, Mahikari, secte Aum,...)
> >
> >
> > >
> > > これは・創価学会がセクトという文面じゃないの?・・・紛らわしいですね。
> >
> >
> > 阿部日顕が個人で、真光・オウム真理教の団体等と肩を並べている文面です。
> >
> > 流石ですね。
> >
> >

SECTES AU JAPON ET NMR JAPONAIS
> > > > (Abe Nikken, Mahikari, secte Aum,...)
> >
> >


「日本のセクトと日本の新宗教運動」

阿部日顕、真光、オウム真理教、・・・)

日本における三大セクト(カルト)として、仲良く筆頭に挙げられているようです。

流石ですね。




http://www.info-sectes.org/gemppi/japon.htm

 

今とこれからは何が必要?

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 3月 6日(日)22時58分5秒
返信・引用 編集済
  日本経済の落ち込みが激しく続く現実があります・・・この現実は・未来にどのようになっていくか?・・・国民だけが・具体的な年数のシュミレーションを知らされずに「不況」の二文字で片付けられている・・・「不況」と名前がつけられた現実逃避で・これからは・益々落ち込んでいくと認識しなければならない。
「格差社会」と言われてから久しいが・これも国の政策の一つです・・・重税国家が現実です。
税金を徴収するために・家庭崩壊と教育崩壊の未来の結果を無視し「核家族化」の洗脳体性を作り上げ・長く戦後の税収は潤ったが・バブルが弾け飛び・次は「男女機会均等法」で女性を社会進出させて税金を徴収した・・・そして次は・相続税で土地家屋を持つ人・そして収入が高い人に懸けようとしている・・・ますます格差社会と人間崩壊は広がるのです。
経営者と個人の収入の格差が広がり・日本はそれこそ戦国時代のような荒れ果てた国家に成り下がり・ひどい国になることでしょう・・・そんなことがあるか?と莫迦にされるかもしれないが・・・今の20代の方が・60代の頃には人口が今の半分くらいになる目前なのだから・・・
時間の流れは速いですから・・・既に今の世界に出ている日本企業は・外国人留学生を就職させるたまに血眼です・・・彼らはハングリーで・日本語が堪能だけではなく・母国語と日本語以外に最低一つは外国語をマスターしています・・・何故日本企業が外国人を採用するか?・・・それは「日本人の若者にコミュニケーション能力が無い」「日本の学生は英会話ができな}が大きな要因だそうです。
私は・常に日本の教育に大きな欠陥があることを懸念しております「乗り越える精神力」です・・・我ら法華講は・大聖人様の教えに従わねば・時代の波に飲み込まれていくのは必定であります。
政治も・借金大国でありながらも愚かにも「既得権益」にしがみつく無知蒙昧の体たらくであり・諸外国から莫迦にされている現実に気がつかぬ超がつく愚か者であります。
これから5年先10年先は大きな嵐の中で如何様にして強い精神力で乗り越えていかねばならないのか?御金言に「大風ふき候へどもつよきすけをかひぬればたうれず。かい無き者なれども、たすくる者強ければたうれず」と御本尊を持つものは必ず乗り越える人生を歩んでいけるのです。
今は・目先のことでどうのこうのと人を批判したりするのは・あまりにも愚かであります・・・もう既に激動の只中にあるのです・・・日本人の各の足元に火がついて燃え盛っているのです。
私は・外国の企業に触れていると・・・高層ビルが立ち並ぶ東京の風景を見るにつけ・日本の崩壊する未来に「恐ろしさ」と感じざるおえません。
 

Re: 嫌いだ!

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 3月 5日(土)01時28分42秒
返信・引用
  > No.5777[元記事へ]

アベ太郎さんへのお返事です。

前文日本語に訳してから掲示すべきではないでしょうか?
アベ太郎ちゃん?・・・ここは日本語の国ですよ?
アベ太郎ちゃんのように・フランス語が読めない人が多いのですからね。
前文日本語に訳して解説してください。
人を批判するのは・それからが道理でしょう?アベ太郎ちゃん?
カルトの意味も説明できず・・・更に外国語で批判するアベ太郎ちゃん?
よろしくね。


>
> > > アホ太郎さんへのお返事です。
> > >
> > > > ひかるさんへのお返事です。
> > > >
> > > > ひかるがいうように、まさに日蓮正宗はカルトである。
> > >
> > >
> > > SECTES AU JAPON ET NMR JAPONAIS
> > > (Abe Nikken, Mahikari, secte Aum,...)
>
> >
> >
> > これは・創価学会がセクトという文面じゃないの?・・・紛らわしいですね。
>
>
> 阿部日顕が個人で、真光・オウム真理教の団体等と肩を並べている文面です。
>
> 流石ですね。
>
>
 

Re: 嫌いだ!

 投稿者:アベ太郎  投稿日:2011年 3月 4日(金)21時07分51秒
返信・引用
  ひかるさんへのお返事です。

> > アホ太郎さんへのお返事です。
> >
> > > ひかるさんへのお返事です。
> > >
> > > ひかるがいうように、まさに日蓮正宗はカルトである。
> >
> >
> > SECTES AU JAPON ET NMR JAPONAIS
> > (Abe Nikken, Mahikari, secte Aum,...)
> >
>
> これは・創価学会がセクトという文面じゃないの?・・・紛らわしいですね。


阿部日顕が個人で、真光・オウム真理教の団体等と肩を並べている文面です。

流石ですね。

http://www.info-sectes.org/gemppi/japon.htm

 

Re: 嫌いだ!

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 3月 2日(水)00時39分34秒
返信・引用
  > No.5775[元記事へ]

> アホ太郎さんへのお返事です。
>
> > ひかるさんへのお返事です。
> >
> > ひかるがいうように、まさに日蓮正宗はカルトである。
>
>
> SECTES AU JAPON ET NMR JAPONAIS
> (Abe Nikken, Mahikari, secte Aum,...)
>

これは・創価学会がセクトという文面じゃないの?・・・紛らわしいですね。
 

Re: 嫌いだ!

 投稿者:アベ太郎  投稿日:2011年 2月26日(土)09時37分29秒
返信・引用 編集済
  > No.5759[元記事へ]

アホ太郎さんへのお返事です。

> ひかるさんへのお返事です。
>
> ひかるがいうように、まさに日蓮正宗はカルトである。


SECTES AU JAPON ET NMR JAPONAIS
(Abe Nikken, Mahikari, secte Aum,...)

http://www.info-sectes.org/gemppi/japon.htm

 

Re: ひかるさんへ

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 2月20日(日)00時27分10秒
返信・引用 編集済
  あきこさんへのお返事です。

> いつも有難うございます。
> 毎日心に余裕ありませんが、出来る範囲でやらせてもらっています。
> 人のせいにしてはいけないのわかってますが、いやなことがあると、してしまいます。
> 全て自分の因縁なのですが。
> そういう苦しみから逃れる為にも折伏たくさんやりたいです。
> ここを見ると、最近ひかる節が聞けて嬉しく思っています。

余裕がないから・・・真実の信仰に回り逢えたのではないでしょうか?・・・私は・そう思います。
余裕があったら・・・堕落して・堕ちてからでは・這い上がるまでに・相当な苦しみがあります・・・まだまだ・我々には・本当の意味での余裕があるのです。

本物の信仰なのに何故苦しみが続くのか?と思うかもしれません・・・しかし・信仰の実践があると・必ず現前に目に見える証があるのです・・・だから私も記憶に有るに・40年勤行を続けられていると思います・・・私の人生で「継続は力」は・勤行だけです・・・折伏を続ける中で・様々に劇的な自分の環境の変化が起きますが・出会う人種に対応するのに必死になります・・・不思議なのは・自分が生まれの生い立ちや財産や地位や名誉などの社会的経歴に明らかに劣っているのに・人間性では負けていないのです・・・ようは・人格的な会話には・充分対応できるのです・・・しかし・その中でも・折伏の精神が劣化すると・負けてしまうのです・・・ここが・御法恩謝徳の精神が功徳であるというのではないかな?と思います。

身近な人々を見るにつけ・思うに・・・「人は・変われない」が口癖ではないでしょうか?・・・しかし・過去の罪が性格に出ているならば・・・その悪い苦しみを出す性格の因縁果報を消滅できれば・・・性格は劇的な変化をとげるのです・・・大聖人曰く「災い転じて福となす」と・・・ここに・大聖人が「真実の仏」であらせられる証拠があると思います・・・私は・現実に・何度も生まれ変わった実感を現前に見ております・・・現代の言葉で言うと「ステージ」が違っています・・・今もそうですが・心が折れそうになっても大聖人にしがみつけば・折れそうな心も蘇るほどの生命力を戴き・貫き・結果環境が劇的な変化を現前に出現します・・・そこで・さらなる挑戦が始まるのです。

「一生成仏」からしたら・・・現実の生活で困ったとかなどは・小さいことなのだと思います・・・ただ・ひたすら広宣流布を目指す中にしか・本物の自分にはなれない・・・私は・そう実感しています。

人生は・苦しいですが・・・乗り越えて生きていくのは・・・はっきり言って「不可能」ではないでしょうか?・・・だから・大聖人の信仰に回り逢うしかないのです・・・乗り越えて人生を歩む人はおりません・・・見ていると・・・つまずいて転んで泣いている子供と同じように思います・・・・ずるく生きていることしか考えられないのが煩悩ですから・当然です。

信仰して・苦しい現実を「苦しい」と直視できるのは・私達法華講だけなのだと・私は思います・・・だからこそ「苦しいけど・人類の為に」と頑張れる大聖人の教えの凄さを・・・思います。

どこぞのCMで「頑張らなくても良いのですよ」・・・とありましたが・・・我らは・とてつもなく・強い無敵の大聖人がついておられるのだから・・・激しく・更に激しく頑張りましょう。

劇的な人生を味わう・・・醍醐味・・・我が人生に悔いの無い・・・一生は・送れると・・・信じられる・大聖人が自分の目の前に存在していると・・・信じらられる・大確信できる自分がいる事実が・誰よりも誇れるのではないでしょうか?

あきこさんは・必ず・・・というか・今この一瞬も・幸を得ているし・・・永遠に・・・幸せな女性なのですから・・・共々に・・・劇的な人生を歩みましょう。

そう・・・私には・常に私を護ってくれている人が・就いて離れません・・・環境が・変わっても・・・その時々の環境で・必ず影のように就いてきます・・・ここが・勤行の初座の功徳ではないでしょうか?・・・人生だから・長い目で見なければなりませんが・・・良きにつけ悪しきにつけ・褒め言葉も罵声も・自分にとっては全部が・諸天善神ですね・・・苦しい時は永く感じますが・振り向けば・・・一瞬です・・・そう一瞬です。

生意気ですが・人生は・・・短い・・・過去を振り返ると・・・多くの乗り越えた苦しみが・全て自分の未来への希望となっている・・・が・・・全てが・一瞬であったと・実感します。今の苦は・あの時の自分には・越えられなかった・・・「現当二世」をよくよく感じます。

よくよく・大聖人から・・・しがみついて離れない・・・「意地の人生でありたい」・・・私は・そう思っています。

今の・私の縁する人々の環境は・・・生まれも育ちも大変恵まれた環境の人々なので・・・その人々の縁は・過去の自分の環境から見たら・無縁の人々です・・・ここが・大聖人の罪障消滅の功徳が如何に本物かなのです・・・究極は・・・煩悩は同じだと・・・私は思います。

時間は・かかると思いますが・時間は・・・空間の中の目安でしかない・・・と感じます・・・ここが大聖人を持つか否かの違いではないでしょうか・・・天地雲泥の差で・「あっ」と言う間に・・・現前に証として見えてきます・・・と感じます(笑)

少々長くなりましたが・・・何時の日か・あきこさんに出会えるかもしれません・・・出会えなくとも・題目で通じています・・・大聖人が通じさせてくれています・・・共々に・苦しい人生を楽しみましょう。




 

リハビリを兼ねて

 投稿者:穂高  投稿日:2011年 2月12日(土)22時30分2秒
返信・引用
  冬のひととき、東京の名湧き水の57選に数えられている立川市の『矢川緑地』を訪ねてきました。
まばらに残っている雪のなごりのもと、静かにしみだし、わずかな流れとなる様は見応えがありました。
寒風のもと木々の下で風を避けながら、小鳥の声に耳を預けひと時を過ごし、
寒さに負けない生き物の共生を感じました。

吹く風、降る雨、森羅万象のささやきはすべて妙法の説法であると、なにかの御書に
あったように思う。
 

ひかるさんへ

 投稿者:あきこ  投稿日:2011年 2月12日(土)22時06分11秒
返信・引用
  いつも有難うございます。
毎日心に余裕ありませんが、出来る範囲でやらせてもらっています。
人のせいにしてはいけないのわかってますが、いやなことがあると、してしまいます。
全て自分の因縁なのですが。
そういう苦しみから逃れる為にも折伏たくさんやりたいです。
ここを見ると、最近ひかる節が聞けて嬉しく思っています。
 

Re: 駅前のクリスチャン

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 2月 9日(水)23時30分25秒
返信・引用
  > No.5769[元記事へ]

あきこさんへのお返事です。

> 2週間前、エホバのおばさんに声掛けられました。
>
> 寒くて、「そんなんやったら不幸になるよ。あかんで。」と破折して、日蓮正宗であることを話しましたが、バリバリのエホバの人で、寒くて寒くて「もう帰るわー。来週もこれくらいにやってるの?。」やってるというので、「また来るわ。」と別れました。
>
> 次の週は大阪へ行く用が出来たので、おばさんがまた立ってたので、そう言って、日蓮正宗のリーフレットに連絡先を書いて、渡すと向こうもエホバの冊子をくれたので、一応貰いました。
>
> 「また来週来るわ。」と言って別れました。
>
> 3度目の今日大阪から帰ってくるとおばさんがいたので、声掛けて、駅前の商業施設のベンチで話しました。
>
> いちいち聖書を引いて、イエスがこう言っただ、アダムとイブが実在したとか、真面目に信じておられました。
>
> 世界の創造主が神であるとかのバリバリで、いちいち聖書を引いて、私にこう言っていると見せてくるんです~。
>
> 御書あまり見ないので(すみません)私に勉強せなあかんでって、こういう人引き合わせてくれてるん感じましたぁ。
>
> キリスト教は仏教をかじってるって言っても、全く信じて貰えませんでしたけど、1時間くらいこういうやりとりしましたけど、おばさん、私が批判的に聞いてるので、クタクタや。と言ってました。
>
> 「また来週来るわ。」って、言うと笑ってました。
>
> 自分の勉強のためにも気長に頑張ってみます。
>

頑張っていますね・・・あなたの頑張りには・誰もかないません・・・世間で「学習能力」と言いますが・「学習」は所謂・・・反省能力・・・成仏は・・・反省が多いに左右すると私は思っています・・・反省すなわち「すべてが自分にある」と思えること・・・嫌な思いをした時に・・・ほとんどの人は・関わる人を責め「怒りと愚痴をまきちらす」・・・持っている福運では・苦しみを乗り越えたことにならないから「ラッキー」と思ってしまうものです・・・だから同じ事を繰り返してしまう・・・途端の苦しみから這い上がれるのは・大御本尊を持つ人間のみと言い切れます・・・乗り越える人生を歩めるのは・我々日蓮正宗の信徒だけです・・・毎日毎日この法界の一念三千に縁をしていると・・・心に染みるほどに・・・感じますよね・・・一心即法界を・・・あきこさんは・・・素晴らしいです。
 

しばらくでした

 投稿者:穂高  投稿日:2011年 2月 9日(水)22時58分47秒
返信・引用
  ようやく生還してから三週間。

可能な限りによろしくおねがいします。
 

駅前のクリスチャン

 投稿者:あきこ  投稿日:2011年 2月 6日(日)21時15分46秒
返信・引用
  2週間前、エホバのおばさんに声掛けられました。

寒くて、「そんなんやったら不幸になるよ。あかんで。」と破折して、日蓮正宗であることを話しましたが、バリバリのエホバの人で、寒くて寒くて「もう帰るわー。来週もこれくらいにやってるの?。」やってるというので、「また来るわ。」と別れました。

次の週は大阪へ行く用が出来たので、おばさんがまた立ってたので、そう言って、日蓮正宗のリーフレットに連絡先を書いて、渡すと向こうもエホバの冊子をくれたので、一応貰いました。

「また来週来るわ。」と言って別れました。

3度目の今日大阪から帰ってくるとおばさんがいたので、声掛けて、駅前の商業施設のベンチで話しました。

いちいち聖書を引いて、イエスがこう言っただ、アダムとイブが実在したとか、真面目に信じておられました。

世界の創造主が神であるとかのバリバリで、いちいち聖書を引いて、私にこう言っていると見せてくるんです~。

御書あまり見ないので(すみません)私に勉強せなあかんでって、こういう人引き合わせてくれてるん感じましたぁ。

キリスト教は仏教をかじってるって言っても、全く信じて貰えませんでしたけど、1時間くらいこういうやりとりしましたけど、おばさん、私が批判的に聞いてるので、クタクタや。と言ってました。

「また来週来るわ。」って、言うと笑ってました。

自分の勉強のためにも気長に頑張ってみます。
 

私はあるものを持っているから

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 2月 5日(土)22時52分37秒
返信・引用
  自由自在に・人生を歩んでいける・・・転んで・足を擦り剥いて・無く子もいれば・ばっくり口を開いて血を流しても平気な子もいる・・・どんな出来事があっても・・・常に穏やかに・その場を立ち振舞うことができれば・それで丸く収まれば良い・・・何が起きても・何も無かったかのように・・・不思議な妙法が・私を自由自在に導いてくれている・・・目の前にある大きな壁の前に立った時に・あわてることもなく・妙法の力で智慧が自ずと湧いてくる・・・これぞ無上宝珠不求自得である。  

何故豪ドルが強い?

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 2月 3日(木)22時50分36秒
返信・引用
  米ドルよりも豪ドルが・今は強い・・・何故だろうか?・・・銀行の窓口で保険商品販売解禁になってから・銀行も定期預金には・目も暮れずに・保険商品を売りまくっている・・・ある外資系の豪ドル年金保険は10年で1・5倍になると・1千万円を一時払いですぐに口座を移してしまう・・・しかし・4年前に米ドルが120円代の時に・今80円代になると・・・「まさか」とうろたえる人も多数いる・・・今は米ドルより豪ドルと・右向け右の一列に並ぶ日本人は・・・なんと愚かな国民か?・・・同じ事を何度も繰り返してしまう・・・FXも豪ドルが強い・・・しかし・リーマンショックでつぎ込んだお金が水の泡の人が何と多いことか・・・反面・損した人がいればその分大儲けした人もいる・・・損した人がいるということは・大儲けした人が極わずかいるということだ・・・仕組みを見ると・天界の魔王の笑い声が聞こえる・・・お金のある皆さんは・上には上がいることに無知だということですね・・・
私みたいに・1億だの10臆だのと・数字の羅列を見ていると・謗法の身は・肉体も精神もおかしくなる・・・現に周りに・躁鬱が多い・・・時折「怪しい」とも思う・・・こんなすさんだ娑婆に・・・金は・御法度ですね・・・ただ・大聖人様の功徳で・達観してみれることには有難い・・・金融の仕事をしている人は・何故か・病気になるんです・・・儲けている人ほど・・・原因不明の病です・・・そして・ある会社(金融機関)の平均寿命が68歳・・・私が・思うに・・・知っていて・・・やってしまうのでしょう・・・これ以上は言えません・・・普通の人なら・これぐらいは因果の裁きがあると常識の範疇ですが・・・
 

はじめまして

 投稿者:337  投稿日:2011年 2月 3日(木)12時51分16秒
返信・引用
  日蓮正宗の教義を、勉強している者です。

法華「十王讃歎鈔」の解説を

ザックリとで結構ですんで、宜しく御願いしたく思います。

また

参考書籍なども御座居ましたら、
合わせて教えて頂けると助かります。

宜しくどうぞ。
 

滅茶苦茶。。。

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 1月31日(月)23時36分58秒
返信・引用
  何何でしょうかね・・・あきれ果てるを通り越し・・・日本の国の破綻を見透かしたように・・・ただ漠然と無気力な日々を過ごすしかなし・・・もしくは・此の国の破綻を見る事をせず・考えたくも無く・・・・・・・だからサッカーアジアカップがこんなにも盛り上がったのでしょうか・・・寒い凍った冬の寒さに逃げ込んでいるのか・・・・暖かい春に希望を見出しているのか・・・私は・いつも人間は・冬である・・・そう思います・・・私は・そういう人生しか歩んでいないから・・・一生かけて・・・愚かな自分を・・・清浄していける・・・大聖人様は・とてもとても・有難い・・・僭越ながら・そう感じます。
私は・冬は大好きなんです・・・生まれも2月・・・冬の冷たい空気が・・・私の身には・寒さよりも・冷たい空気がこの身を・貫いて・清浄にしてくれる心地よさに安穏を感じます。
 

世も末の現象ですね

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 1月29日(土)02時12分20秒
返信・引用
  今年になって折伏がとてもしやしぃ状況ではありませんか?・・・最悪の中の最悪の現証の世の中ですから・・・この不況・・・というか破綻寸前の経済と・生きる術もままならぬ環境に・苦しくない人は・極めて希な状況でしょう。

綺麗ごともままならぬ状況です・・・春とともに・沈没する企業の多発で更なる悲劇が起きるでしょう♪

ある人が(法華講員ではありません)・・・もう日本はおしいだ・と言っています(経営者なら全て)・・・日本の指導者が全て亡者になっている・・・と・・・
 

御臨終?失踪中?雲隠れ?

 投稿者:黒熊  投稿日:2011年 1月21日(金)14時10分30秒
返信・引用
  何処かの似非宗教団体を公言している所の犬公が、昨年6月から世間から消えていますねぇ~。
世間から消されたのか、世間に出られない様な悪さをしたので、隠れているのかナァ~。
若しかしたら、地獄行きの片道切符で、元々好き者なので閻魔大王さんの娘にでも手を出しているのかナァ~。
昨年から今年にかけて、多くのリダー(幹部)クラスが脱会して来ています、多くの内情を吐露してくれています~。
或る脱会者(25年間会員)は座会では、歓喜も無ければ他人の足の引っ張り合いばかりで、呆れたとの事で脱会して宗門にて現在幸せを、感じているとの事ですねぇ~。
偽本尊(色が青大将蛇に似ている~)、魔の象徴で有った為似非教団は懲り懲りとの事ですねぇ~。
学会は、韓国の統一教会や元オウムや朝鮮総連との絡みが露見しており、本物(某国政府公認~)のカルト指定と闇のマネーロンダリングまでが、明るみに成ってしまいましたねぇ~。
南米の麻薬の帝王とは、闇資金運用で上手く行くと思いましたが、失敗しましたねぇ~。
茶番の友人葬とやらでは、親戚一同前でもお布施を持ち逃げし、騒いで帰るだけですねぇ~。
大石寺に行かせない為に、「大石寺に行くと、寿命が短くなるとか、指導?して~」いますねぇ~。
財務が少ないからと、○○さん!娘さんの成人式の晴着は諦めて、財務に回しなさいよ!ですかぁ(娘さんは、即脱会しましたねぇ~)~。
犬公は、サラ金金集めが身に沁みているので、他人様の金(財務)剥がし獲りが好きですねぇ~。
「洗脳新聞捻じ込み・財務毟り獲り・似非政治投票(F)」は、似非教団の三宝ですからねぇ~。






 

Re: ことしもよろしく

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 1月11日(火)06時53分47秒
返信・引用
  > No.5761[元記事へ]

大さんへのお返事です。

> それは「一代聖教大意」の「三には学仏法の外道[妙法を知らざる大乗の外道なり。]です。
> 折伏現場では正しく、経、釈、御書を通して理解しておきたいものだと常々
> 考えていました。
> そんなことで「議題は、学仏法の外道」を提案いたします。

ことしもよろしくね。

議題は、スレッドを用意しましたので頑張って下さい。

でも難しいのを拝読しているのね。エライわー。

また、他のスレッドを提案したい場合は自由に書き込めるようにしておきました。

但し、管理人が見て宜しくないと判断した場合は削除することもあるのでよろしくです。

私も「一代聖教大意」を拝読してみます。

 

ことしもよろしく

 投稿者:  投稿日:2011年 1月 9日(日)11時46分8秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく、お願いを申し上げます。

ロム専のくせに、しゃしゃりでますが、もし、管理人さんの「お許しがあればの話」なのですが、

せっかくの掲示板ですので、「議題」を出して、対する諸兄のご意見などをお聞きするのも一考かと存じます。

ただ、意味もなく「馬鹿よ、阿呆よ」の掲示板にはしたくないと考えるのは私一人ではないと想じております。

そこでいかがでしょうか、先ほどの「議題」なのですが、「いいだしっぺ」の私からは、以前から詳しく知りたいと思っていた語句があります。

それは「一代聖教大意」の「三には学仏法の外道[妙法を知らざる大乗の外道なり。]です。

折伏現場では正しく、経、釈、御書を通して理解しておきたいものだと常々
考えていました。

そんなことで「議題は、学仏法の外道」を提案いたします。

勿論、ご覧のように、私の勝手気ままな提案です。管理人さん、ほか、諸兄の賛同を得る必要があります。(勿論、議題には拘(こだわ)りません)

いかがでしょうか?
 

出る杭は打たれる

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 1月 8日(土)22時11分26秒
返信・引用
  人の言動や行動を・・・ひっくりかえす隙をいつも狙っている・・・初めは仲間の様に近寄り・・・油断させておいて・・・すっと入り込み・・・ひっくり返されて・・・苦しい思いをする・・・怒りにまかせれば・して得たりと・・・やられてしまう・・・落として獲物は全て自分の物にしていくが・・・得た物は所詮は物であるが・元々の心を失うことなど無知で・・・やった結果は・因果の裁きを受ける。
自分もそうしたから・そうされる・・・なんとも不甲斐ないものなのだろうか。

末法の極悪な衆生の根性には油断も隙も無いものである。
 

Re: 嫌いだ!

 投稿者:アホ太郎  投稿日:2011年 1月 6日(木)00時55分48秒
返信・引用
  > No.5757[元記事へ]

ひかるさんへのお返事です。

ひかるがいうように、まさに日蓮正宗はカルトである。
 

初登山

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 1月 4日(火)11時06分40秒
返信・引用
  本年も初登山に参詣させていただきました。総本山から見る富士山の雪化粧が晴天の空気を澄み切らせ・正しく仏国土の様相を呈しておりました。
御法主日如上人様の導師と88歳をお迎えになられた御隠尊日顕上人様のお元気な矍鑠としたお姿を拝し奉り・本年の実践行動の年に本門戒壇大御本尊様にお目通りをさせていただいたことに慶びを感じております。



 

Re: 嫌いだ!

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 1月 3日(月)18時37分5秒
返信・引用
  > No.5756[元記事へ]

アホ太郎さんへのお返事です。

> カルト日蓮正宗の折伏は、御免被ります。

主は・カルトの定義をご存知ないようである・・・カルトの定義をネットで調べてみないのか?・・・日蓮正宗には・カルトの定義は一つもあてはまらない。

日蓮正宗は・末法の御本仏であり久遠元初の仏であらせられる日蓮大聖人を根本としており・カルトの大定義である・1個人の人間を絶対的崇拝と賛美で衆生を引導することを根本とはしておりません。

何も知らない(無知)で・この掲示板に掲載することは・主の「恥」であると思われるので・ご忠告申し上げます。また・主の好きと嫌いで判断する性分は・主にとって肝心な時に苦しみの原因となりますよ
・・・「忠言耳に逆らう」ですがね。
 

嫌いだ!

 投稿者:アホ太郎  投稿日:2011年 1月 3日(月)00時42分28秒
返信・引用
  カルト日蓮正宗の折伏は、御免被ります。  

謹賀新年

 投稿者:ひかる  投稿日:2011年 1月 1日(土)21時54分24秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
妙の1月号に我が法正寺の御住職が載っております。昨年の折伏誓願目標を早期達成の我が支部の成果であると思います。大日蓮の正月号にも住職が座談会に掲載されております。

お寺に行こうとしましたら・首都高が事故で2か所も通行止め(高速道路が通行止めの場合は死亡事故)で正月早々に不幸な家族がいることに悲しい思いをしました。

今年は開くぞ!!と言うと・ある20年来の折伏して因縁の深い講員さんが「毎年同じことを言っているけどね・・・」と言われ・・・腹の中で「今年こそ!!」と思いました。

信心していると・毎年を振り返るとき自分が大きく変化していることを実感いたします。
信心していないと(折伏していないと)・・・自分の六根が清浄しないから同じことの繰り返しがどんどん悪くなってどつぼにはまっていっていきますね!!

今年から・ええかっこしいは・辞めました!!・・・格好が悪いのは悪いままに・・・そのままの煩悩で折伏します!!・・・そのほうが楽ですし・相手も楽でしょうから☆

それぞれの境涯でそれぞれのお正月をお迎えの皆様方におかれましては・この1年日蓮正宗に出会えますよう御祈念申し上げます☆



 

Re: みなさん、良いお年を、

 投稿者:法太郎、  投稿日:2011年 1月 1日(土)12時00分54秒
返信・引用
  > No.5751[元記事へ]

ひかるさんへのお返事です。

> 法太郎、さんへのお返事です。
>
> > みなさん、良いお年をお迎えください。
> >
> > 創価のみなさん、最悪の年でありますよう。(^^/、
>
> 良いお年をお迎え下さいませ・・・私は・今・・・酔いお年です♪


酔っぱらって、御法主の字を間違えるあなた。・・そんな貴方が、好きだ!!

これから初詣でお寺に行くのに既に酔っぱらっているあなた。・・そんな貴方が、好きだ!!

(^^/、

 

謹賀新年

 投稿者:法太郎、  投稿日:2011年 1月 1日(土)11時58分8秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。

「実践行動」を主眼に、本年もよろしくおねがいいたします。

敬白。
 
 

2011年 元旦

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 1月 1日(土)08時10分7秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。

皆様のご多幸とご健康をお祈り致します。

「実践行動の年」の御命題に向って頑張りたいと思います。

本年もよろしくお願い致します。

管理人 敬白 
 

Re: みなさん、良いお年を、

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年12月31日(金)20時13分46秒
返信・引用
  > No.5749[元記事へ]

法太郎、さんへのお返事です。

> みなさん、良いお年をお迎えください。
>
> 創価のみなさん、最悪の年でありますよう。(^^/、

良いお年をお迎え下さいませ・・・私は・今・・・酔いお年です♪ 
 

Re: 岐阜の日蓮正宗寺院で住職の息子が刃傷沙汰

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年12月31日(金)20時11分3秒
返信・引用
  > No.5748[元記事へ]

観客さんへのお返事です。

> ◎兄に切りつけた疑い
> 大垣署は21日、傷害の疑いで、大垣市青柳町、無職岩切孝展容疑者
> (26)を逮捕した。
> 逮捕容疑では、岩切容疑者は21日午後2時40分ごろ、自宅で近くに住
> む兄(36)の右ほおや額など数カ所を包丁で切りつけたとされる。兄は
> 軽いけが。
> 大垣署によると、岩切容疑者は普段から兄との折り合いが悪かったと
> いう。(中日新聞12/23付)
>
> 経説寺 岐阜県大垣市青柳町●-●●●
> 住職 岩切寿英

先日の取手でのバスで高校生が多数刃物で切りつけらた事件の加害者が創価学会員であることを覆い隠そうとする投稿でしょうか?

  
 

みなさん、良いお年を、

 投稿者:法太郎、  投稿日:2010年12月31日(金)15時38分28秒
返信・引用
  みなさん、良いお年をお迎えください。

創価のみなさん、最悪の年でありますよう。(^^/、

 
 

岐阜の日蓮正宗寺院で住職の息子が刃傷沙汰

 投稿者:観客  投稿日:2010年12月31日(金)08時10分30秒
返信・引用
  ◎兄に切りつけた疑い
大垣署は21日、傷害の疑いで、大垣市青柳町、無職岩切孝展容疑者
(26)を逮捕した。
逮捕容疑では、岩切容疑者は21日午後2時40分ごろ、自宅で近くに住
む兄(36)の右ほおや額など数カ所を包丁で切りつけたとされる。兄は
軽いけが。
大垣署によると、岩切容疑者は普段から兄との折り合いが悪かったと
いう。(中日新聞12/23付)

経説寺 岐阜県大垣市青柳町●-●●●
住職 岩切寿英

  

http://6027.teacup.com/situation/bbs

 

失礼しました。

 投稿者:フジハラ  投稿日:2010年12月31日(金)07時57分47秒
返信・引用
  他人事なので、正宗さんの気持ちを考えずに
おもしろ半分で書いてしまいました
お詫びします。
 

Re: とんでもない事件でしたね

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年12月29日(水)23時44分12秒
返信・引用
  > No.5745[元記事へ]

フジハラさんへのお返事です。

>  宗門も対応に追われていることでしょ。
>
>  妙相寺といえば盛んに動画で脱会活動をしている樋田氏が有名ですね。
> その一番の部下が住職さんに暴行に及ぶとは仏教者をうんぬんする前に
> 反社会的行為ですからあってはいけないことです。
>
>  法華講ってけっこう同士討ちが多く感じますね。
> それが勢いあまって檀家が住職に暴行に及ぶとはね。
>
>  正宗はむかしから内部抗争が絶えない傾向がある
> ような気がしますがね。大正時代から続いた分裂抗争に
> 創価学会破門問題。顕正会問題。正信会問題。妙観講問題。
>
>  すこし、抗争事件がおおすぎやしませんか。
> 大石寺の仏教の真意が問われる問題ではないですか?

抗争事件?日蓮正宗を750年も生てきて日蓮正宗の歴史を自分の目で見てるの?なんだか・人間は・何も知らんのに知ったかぶる生き物ですね?さも世界中で大石寺だけが抗争を起こしているようなもの言いをしてしまう・・・だから煩悩という108の迷いがあるのでしょうがね・・・
次元の低い日本のマスメディアのもの言いは半径30センチが世界中の悪で人心を扇動するやりかたと何のかわりもない・・・紛らわしいにもほどがある・・・今起きている証の本質を見極める目と耳と鼻と口と体と心が・・・・腐っているのが現代人・・・だから食い物にも「賞味期限」をつけなきゃ間違えて食っちまうほど・・・鈍らなのが・現代人なのさ・・・
 

とんでもない事件でしたね

 投稿者:フジハラ  投稿日:2010年12月28日(火)22時09分52秒
返信・引用
   宗門も対応に追われていることでしょ。

 妙相寺といえば盛んに動画で脱会活動をしている樋田氏が有名ですね。
その一番の部下が住職さんに暴行に及ぶとは仏教者をうんぬんする前に
反社会的行為ですからあってはいけないことです。

 法華講ってけっこう同士討ちが多く感じますね。
それが勢いあまって檀家が住職に暴行に及ぶとはね。

 正宗はむかしから内部抗争が絶えない傾向がある
ような気がしますがね。大正時代から続いた分裂抗争に
創価学会破門問題。顕正会問題。正信会問題。妙観講問題。

 すこし、抗争事件がおおすぎやしませんか。
大石寺の仏教の真意が問われる問題ではないですか?
 

妙相寺の事件?

 投稿者:伸一@三世  投稿日:2010年12月28日(火)21時56分49秒
返信・引用 編集済
  20日夕、長野市中越の日蓮正宗寺院、妙相寺(石岡雄哲住職)
から、「住職が信者に暴行されている」との110番通報があった。
警察が駆けつけたところ、同寺信者の男が石岡住職を暴行して
いたため、傷害容疑の現行犯で男を逮捕した。住職は病院に運ば
たが鼻の骨を折るなど重傷。
男は、同寺の中心的信者として活動している樋田昌志氏の子飼い
として知られ、学会員宅を無差別に訪問しては「おたくの本尊は
偽本尊」などと嫌がらせをしていた。また石岡住職もそうした
信者の学会員宅訪問を督励していたという。
住職が搬送される模様を見たという寺の近隣の女性は「お坊さん
は顔が血まみれで、体が震えました」と語っていた。
 

(無題)

 投稿者:入江  投稿日:2010年12月27日(月)23時18分2秒
返信・引用
  妙相寺住職 石岡雄哲御尊師が信者さんから暴行を受け重傷を負った事件は本当でしょうか?  

人類

 投稿者:野の蜂  投稿日:2010年12月27日(月)03時27分59秒
返信・引用
  > No.5721[元記事へ]

ご無沙汰しております。皆さんお元気でなによりです。

「お前はそれを黙って見ておるのか?」(第五十九世御法主日亨上人)

> 太陽エネルギーの寿命により、地球の生命体が死に絶えること

「うかつな10年一昔」の頃、ある元学会員の法華講の同志幹部の方から、折伏の際、
現役バリ学会員から、「太陽寿命」でもって難詰されたエピソードを聞かされ、
ちょうどその頃、毛利さんの、シャトルから地球を見た体験談(富士山の火口の八葉)に
感銘したことを想いながら、

なにはともあれ、あと50億年あるといわれても、そんなことより逆に、では、少なくとも
1億年2億年の間は、太陽とわれらが地べた地球はあるという事であるのでしょう。

われら「人類」は、産業革命以降300年足らずにして、
宇宙への足がかりの現況をふくめ、技術文明(インフラ・ipod・3D・原発等々)
の今現在の中にいます。

「万年のほか、未来までも流るべし」

大聖人様の御単位は【万年】であらせられますが、1万年2万年は、
もったいないほどの余りある時間の中で、
今、目前指標として立宗より800年を目指す号令の栄誉を賜っております。

「太陽のひとつやふたつ、どうにでもなる『人類の英知』」を単に信じるのでなく、

「お前はそれを黙って見ておるのか?」という「事」こそが醍醐味でありますから、
しっかりとした「法統相続」を基底にすることが、思い起こされてなりません。

考えてみれば、子供が2人いたとして、それぞれ結婚してまた子をなして、
しっかり伝えていっても、数字計算(鼠算ではありませんが)で1万年もあれば、
億単位の数にはなります。

「太陽が死滅する」のを「『黙って見ておる』『人類』」なるものが、本当に、
あるとしたとしても、われら法華講の「御戒壇様」を死守する信心が、実はそのような
想い(迷い?)から元来断ち切られた内道にいる事に感謝すべきでありましょう。

そのような「『黙って見ておる』『人類』」を実は間接的にか「折伏」でもって、
ありえなくしている、といえば「法華の慢」と言われてしまうかも知れません。

ともあれ、
心あるすべての科学技術者の尊さを想いながら、記しました。

それでは、またいつか、それまでどうか、お元気で。乱文寛恕・・・。




 

苦しい時

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年12月18日(土)00時20分33秒
返信・引用
  皆さん・苦しい時ですよね?・・・今までに無い・・・こんな状況は・未だかつてないくらいの苦しい時ではないでしょか?・・・どこまで乗り越えれば良いのか?・・・口には出せない・・・心では・痛い・・・そんな現実は・私だけでしょうか?

しかし・私は・・・今の状況は・20年前の世間がバブル景気に湧いていた頃よりは・余裕で良い時期であると思い起こします・・・あの頃は・皆さん空前絶後の有頂天でしたが・私だけは・空前絶後の大恐慌で・お金が無く苦しい状況でした・・・あの頃の自分の境涯と今を見たら・・・全然余裕ですね・・・苦しみを知る意義は・生きる智慧に繋がります。

心の財をつませ給うべし・・・よくよく思います・・・何の意味かわかる人も少ないかと思いますが・・・・・

 

あれから

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年12月16日(木)23時37分57秒
返信・引用
  小学校の同窓会があった・・・みんな50歳を目前にした年齢である・・・およそ30年は経っている・・・童心のまま・・・心を開いて・・・本音である・・・こんな人間の本音に触れるのは・滅多にない・・・営業人生20数年でも・・・びっくりした。

人は・心を許しても・・・心の奥底は隠すものですから・心音を聞いて探るのが私の商売ですから・・・しかし・・・正直・驚きました・・・童心のまま・ありのまま・・・人は傷つきながら・もがき・あえいで・乗り越えている人生を・・・

どんなに財があっても・いや・あるからこそ・真実の心の財を求めているのかもしれない・
そういう人もいた・・・今の彼には・その財と地位と名誉には・誰も忠言しいだろうから・・・そんな彼にメールをしたら・返信が・・・「飛行機の中から過去を偲んで・やってきた」と・・・

同窓生の一人ずつ・・・折伏です・・・近寄ってきた人から・もう既に折伏開始しています。

毎日・・・仕事にかこつけて・折伏です・・・でも・・・折伏できなくて・・・契約とっても・・・折伏できなかったことが・・・悔しい・・・
 

やはり・・・

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年12月16日(木)22時25分29秒
返信・引用
  折伏をしなければ・・・現証は出ません・・・折伏こそ末法の御本仏の願いだから・・・折伏をしないのは・・・八百屋をやっていて・お店を閉めて「お客がいっぱい来て儲かりますように」と御本尊の前で一日中お題目を唱えても客はひとりも来ないのと同じです・・・お店閉めて・儲からないと愚痴を言っても「日蓮が咎にはあらず」です。

正法を誹謗した罪は・・・半端な罪ではない・・・骨身に染みるほど苦しい地獄そのもの・・・過去世から・何生の生まれ変わりなのだろうか?・・・人は「一生」を口にするが・私は2生目なのか5生目なのか・・・10生目にして正法に廻り遭えたとしたら・その罪は如何ほどか?・・・恐ろしい・・・それでも・たったの一生分で・その罪が消えると・大聖人様を信じさせてもらえたならば・・・それが大功徳である。

生きる勇気と希望を与えられ・不安の無い人生を与えてくれる正法・・・折伏した眷属達が・題目で蘇り・時とともに退転する姿は・目先の欲望が煩悩である証拠である・・・だが・苦しみに喘ぎ心の財を求めた者だけが・・・成仏を求めて今も折伏を続ける六根清浄の姿が輝いている。

蔵の財よりも身の財よりも心の財の順番は・・・身に染みる。

折伏の無い人生は・・・深く瞑想にふける謗法の罪障に明け暮れるのみである。

人類の宗教を産んだ歴史は・・・人間の不安を利用した欲望が作り出しただけの単純なものと私は・思う。








 

病窓から

 投稿者:穂高大蔵  投稿日:2010年12月14日(火)18時35分29秒
返信・引用
  ネアンデルタール人が死者を埋葬するとき、正確に東西を意識していたことは太陽の出没
と無関係とは考えられない。仏教でも死者が西方浄土の仏に救済されることは人類の思想
の根本的な部分はあまり相違は無いのではないでしょうか。

屈葬された人間のかたちは胎児のかたちであり死してのち再び母胎へ回帰して生まれ変わ
ることを願ったからでありましょうか。いろいろな副葬品は生まれ変わったときに経済的
に困らないようにとの願いが込められていたものでしょうか。

クロマニヨン人の埋葬地から出土した人骨には赤い土や赤く塗られた人骨が発見されてい
ます。赤は血をあらわし生を意識したものと考えられます。

六万年前の遺跡から発掘された埋葬地からは何種類かの花粉が発見されています。あきら
かに花束が添えられていたのでしょう。

クロマニヨン人の遺跡についての原始芸術に注目すべき偶像があり、女性像にあるという
ことです。考古学で有名な「ビレンドルフのビーナス」と呼ばれています。

この彫像は人の表情や指の動きなどは省略され、女性の性的部分が強調された特殊なかた
ちをしています。豊かな乳房やふくらんだ下腹に大きなお尻は妊婦をあらわしていて古代
のクロマニヨン人たちは女性に母性・母親を認めていたのではないかと考えられているよ
うです。これは明らかに「誕生」を強調しているのです。

古代の原始宗教をはじめた人々はどんな哲学を持っていたのかは判然としない。宗教の原
理のひとつとして「アニミズム」という考えがあります。物質としての肉体と「魂」との
考え方です。ラテン語の「アニマ」にイズムという語尾をつけて術語なのですが、太古の
原始人たちはやはりこのように人間の生命をとらえていたかもしれません。

古代人たちも「夢」はみだろうから夢と現実についてどのように考えたのでしょうか。人
はものごとを思索する前に、複雑な感情の無原則な働きにとらわれるのが普通だから不可
解なものごとに対し恐れと忌みをもったのではないでしょうか。

人はその後文明の発達とともに複雑な思索を練り上げて創造主の存在を証明するために様
々な理論を作り上げてきました。キリスト教は2000年もの時間をかけて装飾された思想で
あると思う。

では仏教はどうなのでしょう。サンスクリットやパーリーの考古学的な原始仏教は現在で
いう小乗仏教とは違うと指摘する学者がいます。専門書ではないのですが、今日では単行
本などで入門的な仏教書が多数あります。

そのうちの一書ではブッダは難解な戒律はほとんど考えられてはいなかったようで、大ら
かで徹底した思索・瞑想による真理への修行を示したとされています。仏教が道の体系と
いわれるのは道とは修行をさしているからでしょうか。

ならばブッダは真理を示したのではなく、真理への道程を示したといえるのではないでし
ょうか。後にブッダ滅後の弟子たちは分裂してかたや厳格な戒律をつぎつぎと作り出して
小乗仏教へとすすみ、かたや教主ブッダの思索を探った弟子たちは壮大な大乗仏教をつく
りあげることになりました。

よほどの低級な教えでもない限り現代の宗教はそれぞれに、信仰に導くための理論をもっ
ていますが、ひとびとが納得しうる理論の種類はいくらかに分別することもできるとおも
います。

御利益か哲学かとの相違と思います。「知識層の日蓮嫌い」という言葉があるようです。
宗教が政治に介入して失敗し当病平癒や怨敵調伏の呪術的思想が知識層にきらわれるとい
うのです。

これは自分の狭い範囲での体験なのですが、法華講の大幹部といわれる人が末期のガンで
週末治療に使われ麻薬のために幻覚に悩まされ病室で大声をあげたりしたことを知ってい
ます。勤行の最中に寿量品を読みながら脳梗塞で亡くなられた幹部もいます。

それは正信会も顕正会も似たようなものです。功徳があるよ、と言われても言った当人が
不幸なかたちで亡くなったり夜逃げをするのだから何を信じてよいやらわかりません。

お題目が有り難いのはいいとして、何十年も信心をしている法華講の方でも、だんだん悪
くなる人も大勢見ています。ほんとうは、貪ぼり、瞋り、痴かという三毒を消滅して涅槃
に近づかなければならないのに、他人の心を考えないで自分の思ったことを遠慮会釈なく
たたきつけて他人に嫌な思いをさせる人が多いように思う。

この世界、娑婆世界というのは堪忍世界であり、ひたすら忍ぶ世界であるにもかかわらず
慈悲のかけらも見あたらない愚かな法華講同志のなんと多いことか。

創価学会に至っては最悪で、過去に仲間であった自分をみてはこそこそと無視して逃げ去
り挨拶も出来ない非常識人の集団であります。これが信仰者といえるのでしょうか。

生と死の問題を思索して現在の生き方において身を律すべき修行者たちの信仰的自覚とい
うのはどのようなものなのでしょうか。

自分は人の生まれ変わりも信じていないし命は縁に触れて出生し終えるものと思っていま
す。ましてや功徳というものも信じていないしお題目で病気が治るとは思いません。

宗教とは、どのような宗教であれ、信ずるにたる「納得できうる教え」にもとづいて信仰
すると思うのです。キリストの創造主しか信じられない人はキリスト教で納得して何があ
っても神を信じて生きていくのでしょう。それが何故?悪いのでしょうか。

信ずるものがどうであれ、信じて生きてゆく人の生命力は最大限に発揮されて自然治癒力
も最大限に発揮されるのではないでしょうか。

一念三千という大きな理論もそれを信じる人にとって最高の教えなのであり、理論を信じ
られない人には無益な教えではないでしょうか。

毎日五時間も六時間もお題目をあげても自分の病気は悪化する一方でした。いまはお題目
を唱える環境にはないので内得の唱題をしますが決して病気を治すためでも功徳を得たい
ためのものではないです。

一切衆生を救済せんとの大願を掲げた偉大なる哲学者たる仏様にたいする尊崇の念のみで
あります。お題目をあげてもあげなくても癌が治る人もいれば治らない人もいます。その
違いは生命力というよりも、DNAの問題によるのでしょう。

自分の意見に嫌悪をもたれた方がいれば謝ります。ひとそれぞれの生き方があります。宗
教に振り回される生き方はどうでしょうね。すくなくとも自分は功徳とか成仏とかの抽象
的な言葉を捨てることによって束縛から解放されたような晴れ晴れとした心なのです。

頑張って体力をつくり、来週は手術に臨みます。また体験を述べさせてください。

 

病窓から朝日を見上げて

 投稿者:穂高大蔵  投稿日:2010年12月14日(火)08時37分49秒
返信・引用
  ネアンデルタール人は死者を埋葬するさいに、二種類の方法をとっていたらしい。それは死
者を伸ばして埋葬する伸葬と、死者を折り曲げて埋葬する屈葬という方法ということです。

複数の男女の大人と子供の埋葬形式が発掘されていてそれは伸葬であって東西にきちんと並
べられて副葬品も添えられていたということです。それらのみなが右脇を下にして横になっ
たかたちで埋葬されているけど、死者をの右側を下にするというのは釈尊の涅槃のかたちと
同じ姿勢であります。

仏教の考え方は原始的な人類の考え方と一致しているととらえてもよいのかは分かりません
が不思議な一致に感慨深いものが生まれています。

同じくネアンデルタール人の屈葬の場合は青年の例があり、右の膝を強く折り曲げて額にく
っついていて手が顔面をおおうかたちであるそうです。この双方の埋葬には共通の副葬品が
あり、動物の骨や石器とか火打ち石が枕になっているそうです。

このことからもしかしたらネアンデルタール人は死後の世界を感じ取っていたのではないで
しょうか。原始時代の人類に「火」は重要生活必需品であって枕にするくらい大事にされて
いたということですね。

日本の中世の仏教哲学でも大事な書物は枕の元において常に拝読するよう相伝されたことか
ら枕双紙というものがあると何かの書物にありました。原始人の祖先たちは火打ち石を知っ
ていて大事にしていたのです。

そのことはネアンデルタール人たちは死後の世界を思い描いていたという考古学というより
も哲学を持っていたということと思われるのです。

死後の世界というのは言い方をかえれば死後の生存を意味していると言い切ってもよいので
はないでしょうか。それは生命の永遠性を哲学的にとらえていたと断じても可能ではないか
と思うのです。この考え方は仏教の原点と思われるのですがどうなのでしょうか、自分には
その判断はできません。

キリスト教では万物には創造主がいてデウスの存在は無始無終の永遠性をそなえていると言
いますがこの存在の哲学は仏教の密教で説かれる法身の常住ということと共通する哲学では
ないかと自分にはおもわれるのであります。

仏教の側が法身の無始無終を説くからにはキリスト教の創造主であるデウスの無始無終とい
う哲学も認めざるを得ないという結論が導きられます。仏教の無始無終は認められるが外道
の無始無終は認めないと言うことは理論の整合性を欠いていると思うのです。

仏教とキリスト教とはまったく違う哲学なのに、ともに教主の永遠性を論じているというこ
とは何を意味するのでしょうか。日本の民間宗教であるさまざまな哲学ではこのような生命
の永遠性はぜんぜん説いてはいない。

自分の実家はもとは「優婆尊」を信仰していて新潟に本山がありました。本尊は行基菩薩の
作と伝えられている「優婆尊像」で、片方の手に臍帯(臍の緒)を持ち、片手に錫杖(しゃ
くじょうという密教の法器で杖のこと)を持っている仏像で、医者に変化して難産や難病の
患者を救ったと言われて安産と子育て無病息災の仏とされています。

自分も若年時に新潟の本山である高徳寺に行ったことがあり、境内には数百年をへた杉の大
木やらがしげって霊験あらたかな感じに峻厳なおもいになったことが懐かしく思い出されま
す。

うちの本家では優婆尊信仰は辞めたのですが、そのわけは、本尊の掛け軸に描かれたものが
ときどき絵から出て家の中を飛んだり走り回ったりでそれがあまりにうるさいので父がある
日、自分とはなしているとき、突然に振り返って「やかましい!!」と怒鳴りつけたのです。

父は我慢が出来なくなったようでして、そのまま自分に付いてくるように言って仏間に入り
優婆尊の本尊に、ウバサマという掛け軸を持ち上げたお数珠で叩き、そのまま巻いてしまい
それを一金三万円なりを添えて新潟の高徳寺に返品したのです。

ですが、近所の人のある人が我が家に来たときは南無妙法蓮華経と唱え、念仏の人は南無阿
弥陀仏と唱え、真言の人でしょうかナムヘンロタイシと唱えていましたが違和感はもちませ
んでしたが子供心にもおかしい感じはしました。

いま、民間信仰を研究していますが、むかしは子供の出来ない婦人は小作りに霊験のある温
泉湯治と信仰をむすびつけ、同宿していた他の男性と性交渉をもって妊娠することはあった
ようです。

このことは現代の倫理観にもとる行為とはいえ、むかしの日本文化では性交渉にはおらかな
考えがあり、客人があったときは自分の嫁や娘を性的享楽に供する風習があってこれが「馳
走」の語源となっていると言うことです。この話は谷村新司さんのラジオ放送で聞いたこと
です。放送の題名は「純喫茶谷村新司」という文化放送の話題でありました。

 

病窓から空をみあげて

 投稿者:穂高大蔵  投稿日:2010年12月13日(月)21時36分51秒
返信・引用
  宗教とはいったい、なんなんでしょうか。自分は創価から正信会にいって顕正会も経験して
います。友人から再折伏をうけてふたたび法華講に移っても釈然としないものがあります。

こうして、世間のわずらわしい雑事からはなれて仙人のような入院をしていると、つくづく
多くの時間を瞑想についやしてしまいます。

もと、人類は、原始的な哺乳類から進化して猿人となり猿族と別れて人類への道へと進化し
たと言われています。しかし、無数の原始的細胞はそれぞれの意思によって求める形へと進
化したのではないでしょうか。

人類は男性の精虫という一個の細胞から女性の卵子と結合して複雑な構造を持つ人類となり
ますが、その元は一個の細胞なのです。

女性の卵子に人類を育てる養分が具わっていて一個の細胞を育てあげるのか、それとも精子
の一個の細胞にヒトのすべてが具わっているものか、これは生物学者にまかせておけば良い
問題です。

ピテカントロプス、ジャワ原人、北京原人、とか、何種類かの人類が滅亡し、変化した環境
に対応できた種族のみが生存して発達したというNHKの放送をみた。最初は哺乳類はネズミの
ようなかたちだったけど、次第に環境に対応して進化し、現代につながっているという。

原始人の遺跡に漫画が書かれていて明らかに宗教儀礼を描いたと思われる絵画も発見されて
います。最初に宗教をおもいたった人類は何を信仰したのだろうか。

マックス・ミュラーは、宗教学は「比較宗教」という方法で宗教を研究するという。この場
合の「比較」とは、どちらの宗教が優れ、どちらが劣っているかということを比較研究する
のではなくて、各々の宗教の持っている相違点と共通点を見いだして、この両面を明らかに
することを目的としてる。

ゲーテのパラドックスに、ひとつの言語しか知らないものは言語を知らないものであり、ひ
とつの宗教しかしらないものは宗教を知らないものだという。

マックス・ミュラーのこの論法ではいかに信仰心の篤いひとでも宗教を知らない人といえる
らしいが、それだけでは宗教を知ったということにはならないという。自分の信じている宗
教の特異点と他の宗教との共通点の両方を知ることが必要だということらしい。

中世のヨーロッパではキリスト教会が絶大な権威を持っていて、教会が公認した宗教以外は
すべて異端邪教として排撃されましたが、14世紀ころからはじまったルネッサンスや16世紀
の宗教改革などで教会の権威は除々に失っていきましたが、自然科学の勃興や18世紀の啓蒙
期的合理主義や哲学の発達によって、教会に束縛されない自由な宗教論がひろく考えられる
ようになりました。

これ以降キリスト教批判も辞さない宗教哲学が発展し、保守的な教会は神学として生き延び
ることとなりましたが、なんだかいっきに時代を進ませすぎました。はなしは宗教の原初的
なことです。

考古学においてはすでにネアンデルタール人が人の死者に対して宗教的な行為を行っていた
とされてます。他の動物のように、死んだら放っておいたのではなくなんらかの意図をこめ
て注意深く埋葬していたようです。

宗教の原初的発想は死者に対する行為というよりも「死」に対する興味とか死に対する思い
から発生したのはかんがえられることです。人の死後の腐乱したかたちに深い忌み嫌う心が
生じて死を恐れ、死者を土中に埋葬することにした、ということがこれを示しているのかも
しれません。
 

追伸

 投稿者:穂高大蔵  投稿日:2010年12月12日(日)19時54分9秒
返信・引用 編集済
  ただ今入院中です。

すこし状態がよくなっていますのでひさびさにアクセス
してみました。
また来ます。すこしつかれてキーボードの感覚が戻っていないです。
それにしても良い板ですね。
他の猥雑な板を見たあとでここを見たらほっとします。
 

ひさしぶりです

 投稿者:穂高大蔵  投稿日:2010年12月12日(日)19時16分28秒
返信・引用 編集済
  ひさしぶりです。
どこの板も誹謗中傷の荒らしのようです。
あいかわらずこの板は平静で質の高い内容ですね。
 

お詫び、謝罪をしておきます、

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 9日(木)00時24分55秒
返信・引用
 

ジョンレノンのイマジンの訳を、故意に、あいまいにしてしまいました。

彼は、国の無いことを想像してごらん、のあとに、

「宗教も無いんだ」とあることを、あげておくべきであった。


平和を希求する思想の究極の真理とは、宗教を廃することで成り立つのだと、

J・レノンは、世界の若者たちに語りかけたのだ。


彼は、世界史の一面において戦争の言い訳に宗教が使われたことを知っているのだ。


だが、人類から宗教が無くなることはない。・・・残念なことに、最後に残る宗教は、

壮絶な戦いの後に生きている思想が、最終宗教となるのである。


最後の人類の見る風景はわからない。

が、最後の人類が、人類の歴史を嘆いて死に臨むことであろうことは
想像に難くない。


では、・・・失礼しました。


(^^/~~・・・バイバイ
 

ひかるさん、及び、常連のみなさまへ、

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 8日(水)20時44分23秒
返信・引用 編集済
 

おさわがせ致しました。

今回をもっていったん、退去いたします。

私が書くと、なぜか、皆様書きづらいようで、

樋田氏の掲示板でも、二・三人ほどぶちのめしたら、書き込み者が減って

・・・すっきりして宗教の掲示板らしくなっております。(笑)、


私が好きな、聖書のことばがあります。


・・おだやかなることを学べ、・・・と。


かの釣聖・アイザック・ウォルトンが「釣魚大全」の最後に書き留めたことばである。

もうひとつは、


右の頬を打たれたら・・・・左右の頬にぶち返せ!!・・・・ってか。(^^;


さあ、みなさん、もとにお戻りください。

私はこれから、八度めの御書通読に挑みます。


(^^/~~・・・バイバイ、


 

ジョン・レノン逝きて、

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 8日(水)20時23分19秒
返信・引用 編集済
 


今日が、30回目の命日である。

若いころの、衝撃的な事件がふたつある。

カラーテレビ放送の始まったその日に、J・Fケネディの頭が銃撃で吹き飛び、
車両の後部にはい上がって散らばった脳味噌をかき集めるジャクリーン夫人。


ジョンと婦人のオノヨーコ氏がラジオ番組の収録に出かけるとき、ジョンのレコードにサインをもらった若者が、
ジョンとヨーコ婦人が帰宅したときに銃撃し、五発発射した銃弾のうち四発が胸や背中に当たったらしい。

自分は平和を愛する。ゆえに自分がジョン・レノンであり、あそこにいるヤツは偽物だ、

と、犯人は云ったそうである。


世界中の、若者たちが泣いた。


 「イマジン」

 天国はないって想像してごらん、その気になればたやすいことさ、

 ぼくらの足下には地獄はないし、あたまの上にあるのは空だけさ、

 想像してごらん、人々が今日のために生きているってことを、

 国なんて無いって想像してみなよ、それは、むつかしくはないよ、

 国や宗教のために殺されたり、死ぬことはないんだ、

 想像してみなよ、人々が平和の中で生きているってことを、

 きみは、ぼくが夢を見ているって思うだろうね、

 けど、ぼくはひとりじゃないんだ、いつか、君たちも一緒になって

 世界がひとつになればいい、


 財産なんてないって思ってごらん、キミにできるかい、

 欲張ったり、飢えたりすることはない、みんな兄弟なんだから、

 想像してごらん、人々が世界のすべてを、分かち合うことを、

 きみは、ぼくが夢を見ていると思うだろう、だが、ぼくはひとりじゃない、

 いつか、君たちも一緒になって

 世界がひとつになればいい、



 

日興跡条々事についての、さらなる補遺、

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 6日(月)20時25分4秒
返信・引用 編集済
 

祖師伝の要山・日辰師以来、本山十七世の日精上人の御先達が考察に苦慮した目師の奏上「五十年」の問題を解決したことについて、自分なりに満足していた。(笑)、


が、あらためて関係書籍を参照していたら、なんと!日亨上人が既にこの問題をまさしく捉えられていたのである。

日亨上人の名著「富士日興上人詳伝」の当該事項を、あらためて拝読したら、以下のようにあったのである。


「(日目上人の四十二度の奏上について) 以上の四種は、いずれも当時の直接の文書によらざるやの感あるをもって、日有上人御談のごときすら伝説として掲げたが、いかに検討を加えても、誤謬は見えぬ。次の日数の記および日我の記のごとき四十二度ということ、いかにも想像しえられぬ。弘安四年より正慶二年にいたる五十三年の間であれは、平均一年四か月に一回上洛の割合となる。往復一か月の道程なるにさようのことありうべきはずはないが、それも弘安五年の時のほかはかりに伝説としても、一回もその時日を示していない。」(富士日興上人詳伝・一二七頁)


ここで日亨上人は、目師の奏上の期間について「弘安四年より正慶二年にいたる五十三年」と御指南されているが、弘安四年は1281年で、正慶二年における目師ご自身による最後の天奏は1333年である。したがって[1333-1281=52]となり、この時代は数え年と同じ数え方だから弘安四年を一年目とするから、答えは「53」となるのである。


つまり、日亨上人は目師の奏上の始点が弘安四年とされていたのである。

興尊在世における興尊の命による最後の天奏は元徳二年までまさしく50年となるが、日亨上人は元徳二年を、「跡条々事」が書かれた年数のもとである目師の73歳から判断し、元徳の二年は、論理的な判断のもとに元徳四年の書き違いとされ「五十年」の数字を「概数」としたのであろう。


日亨上人は邪輩等の妄説がこの「五十年」を根拠として愚難を吹きかけてくるとは考えておらなかったから、単に概数として問題視することはなかったものと拝察される。これを図示すると、


弘安四年(1281) 日蓮大聖人の命による最初の天奏(弘安五年に園城寺の下し文を賜う)

弘安八年(1285) 日興上人の命による公武への奏上

元徳二年(1330) 興尊在世中における興尊の命による目師最後の天奏

正慶二年(1333) 日目上人による、目師ご自身の天奏(事実上の三師最後の天奏)


となる。

 

「日興跡條々事」についての補遺、

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 4日(土)10時56分2秒
返信・引用 編集済
 



『日興跡條々の事』(富士宗学要集八巻・一七頁)

一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主として日本国乃至一閻浮提の内に於いて山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし、残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。

一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、弘安五年(五月廿九日)御下し文、日目に之を授与す。

一、大石の寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し修理を加へ勤行を致し広宣流布を待つべきなり右日目十五の歳日興に値ひ法華を信じてより已来た(ママ)七十三の老体に至るまで敢えて違失の儀無し、十七の歳日蓮聖人の所甲州身延山に詣り御在世七年の間常随給仕し、御遷化の後弘安八年より元徳二(四)年に至る五十年の間奏聞の功他に異なるに依つて此の如く書き置く所なり、仍つて後の為に証状件の如し。

(元徳四年) 十一月十日  日興上人 在り判



今回は忽ちのうちに、やっつけ仕事で書き上げたので解りづらいものとなったことは慙愧にたえないものである。れいな氏のブログは圧倒的な閲覧者をほこり書き込み者が多く、その分評価も多くいただけるのであるが、いかんせん、ネットという性質じょう、長文では読みづらく、あまり簡易でも解りづらいものだ。


大石寺門流以外の宗派にとって「日興跡條々事」は極めてマズイ存在であり、こぞって偽書扱いするか徹底的に無視するかのようである。第二条の「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」が、本門戒壇の大御本尊の文証となるからである。


今回、花野充道氏が主幹である「法華仏教研究」の会誌に投稿された「東祐介」なる邪輩もその前例に漏れず、今まで発表された宗内外の研究書を参考に種々の妄論をたてたのである。


第一条については、広布のときには日目上人が寺院全体の半分を相続し、残る半分を大衆僧侶で受領するという方式は、鎌倉時代の相続方式として一般的なものであったことは、法華講の碩学である松本和道居士が吾妻鏡を引用して発表されている。つまり、広布の暁には全体の寺院の半分は大石寺の支院となり、残りの寺院はそれぞれ単立するというわけである。


第二条は、本門戒壇の大御本尊は日目上人に相伝されたことを明らかにしたものである。「跡條々事」の草案では「日興一期の後」とあり、興尊が亡くなった時点で目師に相伝するとある。草案には大御本尊の他に「弘安五年御下し文」の文字もある。


これは弘安四年の末に、大聖人の命により日興上人が門下初の天奏を企画されて日目上人が実行された奏上である。この回答は後宇田天皇から「朕、他日に法華を持つときは富士の山麓に求める(趣意)」との回答を得たものが「御下し文」である。


大石寺の三重宝と云われた「御影」「御下し文」「園城寺申状」は南条時綱が保管していたが、後に日道上人と対立するに至り、その後の南条家の没落とともに重宝は西山本門寺に移り、保管されていた木函のみが残っているのが現状である。


「日興跡條々事」の成立年代は、日亨上人の御考察が正しいと思う。元徳四年(1332)は、正しくは「元弘二年」であるが、元徳三年に朝廷において南北に別れて騒乱があり(南北朝時代)、南朝と北朝で別々の年号を立てたために辺地であった上野・重須では年号決定の決め手がなかったのである。


「跡條々事」のような「譲り状」は後世において証文となる遺言であるから年号には厳密でなければならないが、証文として必要になった時の政府が南朝か北朝か、それによって政府の感情を損なうおそれがあったので年号の記入は控えられたということを、松本和道居士が論究されている。


文中の「御遷化の後、弘安八年より元徳二(四)年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なる」は、元徳二年の文字に引っ張られて、跡條々事は元徳二年に書かれたものと考えられてきたので、日亨上人はカッコ書きで(四)と入れられたのである。


しかし、この「元徳二年」と云うのは、興尊のご存命中における日目上人の最後の天奏となるからこの御文はこのままで良いのである。 草案には目師の最初の天奏である「弘安五年の御下し文」と書き入れることによって、興尊の命による弘安八年から元徳二年に至る奏上の期間は、弘安四年から通して五十年となり、なんら数字的に問題はない。


現在でも人が亡くなった時は翌年が一周忌で、三回忌は二年目である。大聖人の命による弘安五年の天奏は、弘安四年に発されて日目上人は弘安四年の十二月に出発されている。この弘安四年は西暦で1281年であり、この年を一年めとして元徳二年の1330年は、ちょうど五十年となるのである。


日興上人の御文はお若いころは華麗な筆致であられた。興尊の青年のころに書かれた「実相寺大衆愁状」には「嗚呼、むかし武州にて前君(頼朝)は五十一箇の訴状の式目を作るなり、四海たなごころを合わせて謳歌し、いま、羊僧下愚の訴状を捧げるなり」とあるが、文体が詩的で文調には華麗な流れがあった。


晩年の日興上人はこのような「嗚呼」とかの修飾はまったく使われていない。文章はムダの無い肝要な文体となっている。原殿御返事の「身延沢を罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えばいずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え」の御文は一切の修飾を排して肝要そのものであるが、拝読する末信を落涙にみちびくものである。


日興上人は〝簡〟にして〝要〟の文を思考されたために草案から正本に至るさいにも文体を思索され、一線で消したり正本を削られたものと拝察されるのである。つまり、現在大石寺に残されている案文と正本は、ともに草案の域を出るものではなかったのである。


 

法華仏教研究六号・東祐介の「日興跡條々事」の考察なる妄説について、(五)

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 3日(金)22時59分55秒
返信・引用
 


【右日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じてより以来七十三歳の老体に至るも敢へて違失の儀無し。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で(甲州身延山)御在世七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って此の如く書き置く所なり。仍って後の為証状件の如し。  十一月十日  日興花押】


ロックが云はく
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日目師が日興上人に値遇してからの事蹟を記しているのである。しかし、付文には疑点が存するのである。第一には「弘安八年」をめぐる問題である。付文では「御遷化之後自弘安八年」といい、日蓮聖人の遷化を弘安八年(一二八五)とするのである。しかし、日蓮聖人の遷化は弘安五年(一二八二)であって決して弘安八年ではない。

日興上人は日蓮聖人の葬儀に参列しており、葬儀後には『宗祖御遷化記録』を筆録するなど日蓮聖人の遷化とその実態を最もよく知る立場にあったのである。そして、日蓮聖人の葬儀の様相を記した『宗祖御遷化記録』は日興上人の手元にあったのであるから、日興上人が日蓮聖人の遷化時期を誤認したとは到底考えられない。

もっとも、弘安八年については「御遷化之後自」に続く文であり、その文には「後」とあるところからすれば、弘安八年とは日蓮聖人の遷化時期をさしているのではなく、遷化から三年を経たことを意味しているとも受け取れなくもない。しかし、そうであるならば、弘安八年に日目師が何らかの秦聞の功績を遂げていなければならないが、その形跡を見出すことができないのである。第二には「五十年之間」をめぐる問題である。

付文には「弘安八年至元徳二年」といい、弘安八年から元徳二年に至るまでの差間を五十年とするのである。弘安八年と元徳二年を西暦に直すとそれぞれ、一二八五年と一三三〇年となる。そして、その差間は四十五年であって決して五十年ではない。こうした点について京都要法寺第十三代・日辰師は『祖師伝』において、日興五十年と書き玉ふことは蓋し大数に約するか(富要五-三一~三二頁)といい、付文に「五十年」とあるのは大数に約してのことではないかと会通するのである。

こうした日辰師の会通は今日の大石寺においても用いられているものである。しかし、この点、首肯し難いものがある。なぜなら、日目師が日蓮聖人に値適した点については「七年之間」といい、大数に約していないからである。大数に約さない一方、大数に約するというのは少なからず奇異な感がする。まして『日興跡条々事』は譲状であり、その性質を勘案すると大数に約すことなく厳正に記されてしかるべきである。
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この年号の問題については精師の家中抄零本はじめ、古来から紛々の説が飛び交い種々の所説がある。が、先達はじめ多くの方々が誤解をされているのである。日達上人も、これはロックも引用しているが、

「これはいちおう元徳二年にお書きになったけれども、休まれて、そしてまたお体が丈夫になったから書き直された。そこでこれを加えた。すなわち「日目は十五歳日興に値て法華を信じてより以来七十三歳の老体に至る」、すなわち文永十一年から正慶元年に至るまでというのを、正慶元年にこれをお書きになったのだから最後にこれを加えられた。(達全二-五-四四九頁)

と御指南されているが、これも古来の誤解から生じたものと拝察される。

ここで先ずロックは大きな過ちを犯している。弘安五年に大聖人から日興上人が命ぜられ初の天奏が実行されており、家中抄では日目上人が代理として行ったとある。弘安八年には厳然と日目上人の奏上がある。

つまり、弘安五年の初の天奏は大聖人の命で日興上人が御自身の責務として目師が代奏され、これ以降弘安八年よりは日興上人の命によって目師が代奏されたのである。

文中の元徳二年とは興尊の在世中における目師の最後の天奏を指しているのである。ロックは跡條々事の弘安八年を宗祖の入滅時を間違えて記録していると妄乱しているが、当然の如く門下で宗祖の遷化年月日を間違えるものはいないのである。

原文の「御遷化之後自弘安八年至元徳二年」の「自」とは「~より」と読むことは漢文の常識である。故に「御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間」と読み、ルビを振るときは「自リ」とするのである。

すなわち、ロックは無理矢理に何が何でも跡條々事にケチをつけたいがために通常の大脳活動が阻害されているのだ。

先達は「元徳二年に至る」の文字にとらわれ、跡條々事は元徳二年に書かれたと思いこんでいたのである。

が、日興上人のご心中には弘安五年の、御自身の代奏も含まれておられ、数え年も一年目とする陰暦の数え方から云えば弘安八年から元徳二年まではロックの云うごとく四五年ではなく、四六年なのである。

精師も稿本零編において四六年と数えられている。ところで弘安五年の初の天奏はじつは弘安四年十二月に目師は出立されているのである。おそらく当時の朝廷の慣例から正月の朝礼式に合わせて企画されたものと思われる。

弘安四年(1281)を一年めとして元徳二年(1330)ではピッタリ五十年である。

これは恐らく日興上人の筆の走りによるものであろうと思う。弘安五年(四年)の天奏は大聖人のものであり、弘安八年から日興上人の奏上となるのだが、あくまでも大聖人の分は師範の功として置き、御自身の弘安八年からと書き込んだが、目師の五十年にわたる奏上の功は興尊のご心中にしっかりと刻まれていたものと拝察されるのである。

弘安五年の申状に対し、朝廷から園城寺に対し御下問があり、園城寺の碩学は末法という時に合った嫡時の法門であると嘉賞されたことから、後宇田天皇より「朕若し法華を持たば富士の麓を尋ぬべし」と給わったのである。

なお、弘安八年の申状は要集八巻の三三二頁に「副え進ず一巻・立正安国論文応元年之を勘ふ。 一巻文永八年の申状」とあり、元徳二年の分は要集の三三四頁に「重ねて言上件の如し。元徳二年三月」とある。


ロックは他に筆跡が云云と痴論を展開しているが、実物を精査した山口範道師が草案・正本ともに興師の真蹟と断定されているので以下は省略したい。

また後世に成立した「有師談連陽房聞書」等にも言及すべきであったがネットという性質上これは省いたが、文証としてそろえたもののいくつかを参考資料として提示しておきたい。この中には弘安五年の申状や八年のものも含まれているので研究者の方には朗報となるはずである。



○草案『日興跡為後書置條々事』「日興力当身○弘(所給)安貳年所給大本尊「日興(一線で消痕)」 (弘安五年二月二十九日御下文)一期之後日目授与之」

○第十四世日主上人『日興跡条々事示書』「富士四ヶ寺の中に三ヶ寺は遺状を以て相承なされ候。是は惣付嘱分なり。大石寺は御本尊を以て遺状なされ候、是れ則ち別付嘱唯授一人の意なり。大聖より本門戒壇御本尊、興師より正応の御本尊法体御付嘱」
(歴全一-四五九頁)


○日興上人御遺跡之事

日蓮聖人御影並に御下し文園城寺申状。

上野六人老僧の方、巡に守護し奉るべし、但し本門寺建立の時は本堂に納め奉るべし、此の条日興上人の仰に依つて支配し奉る事此の如し、此の旨に背き意義を成し失たらん輩は永く大謗法たるべきなり、誡めの状件の如し。

日善在り判。日仙在り判。日目在り判。
(要集八巻・一八頁)

○要集宗義部の二、有師談連陽房聞書

○日蓮聖人も武家に奏したまふ日興上人も只武家に訴へたまふ、爰に日目上人元めて国王に奏したまふ
○日興の遺跡は新田の宮内卿阿闍梨日目、最前上奏の人たれば大石寺の別当と定む。
(要集八巻・三三○頁)

○本尊問答抄日要聞書の奥、祖滅二百年頃、写本妙本寺
○大石寺の三箇の大事とは、一御影像、一園城寺申状、一御下し文なり、今は東台がいと(谷戸・今の東光寺か)に之有り。
(要集八巻・三三○頁)


○日目上人は○高開の代官として鳳闕に奏聞し鎌倉の訴状既に四十二度に及ぶ、帝王即ち奏状並に三時弘教次第の図を得て園城寺の碩学に讎校(シュウコウ)せしむ、碩学上書して云く三時弘教の勘案殆ど以つて符合すと(取意)、帝王感悦して御下し文を賜ふ、其文に云く「朕若し法華を持たば富士の麓を尋ぬべしと取(意)、右二通は是れ開山の眉目当門の名称なり、若し日目の勤労に非んば争でか三井の許諾に預からんや、又頃年を経て上聞に達せんと欲し進んで濃州に趣く、未だ宿望を遂げずして入滅す○。
(要集八巻・三三○頁)


【申状】

○興師申状の一、祖滅八年、写本要山等に在り、武家への諫状なり。

日蓮聖人の弟子日興重ねて申す。早く真言、念仏、禅、律等の邪法興業の僧徒を破却して妙法蓮華経の首題を尊敬せられ天下泰平国土安穏異国降伏の行の祈に資せんことを請ふの状。

副え進ず、一巻 立正安国論文応元年之を勘ふ。
一巻 文永八年の申状。
(要集八巻・三三二頁)


○興師申状の二、祖滅十八年已後、写本総本山等に在り、本山ににては此の条の分を専ら奉読するの例有り。
日蓮聖人の弟子日興重ねて言上。

早く爾前迹門の謗法を退治し法華本門の正法を立てられば天下泰平国土安全たらんと欲する事。
副え進ず、 先師申状等。

一巻、立正安国論文応元年の勘文。
一通、文永五年の申状。
一通、同八年の申状。
一つ、所造の書籍等。

(本文略)

元徳二年三月 (又正安元年九月日、又正和二年七月日、又嘉暦二年十一月十七日とあり)


以上。

 

法華仏教研究六号・東祐介の「日興跡條々事」の考察なる妄説について、(四)

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 3日(金)22時26分20秒
返信・引用
 


 [日興跡條々事・第三条に対する邪難を破す]


【一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。】


ロックが云はく
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日興上人は身延離山の際に日蓮聖人の遺骨を捧持したとするのである。しかしながら、日興上人は『原殿御返事』において、 追申候、涅槃経第三第九二巻御元にて談して候いしを、愚書に取具して持来て候、聖人の御経にて渡らせ給候間慥に送進候(宗全二-一七五頁)といい、日興上人が誤って身延から捧持した日蓮聖人所持の『涅槃経』を返還していることは看過すべきではない。大石寺の所伝の如く、日興上人が日蓮聖人から一切の付嘱を受けたものであれば、日蓮聖人の御遺物も日興上人によって管理されるべきである。そうであるならば、『涅槃経』を返還しなければならない理由は何らない。『涅槃経』は返還しても遺骨を捧持したとするのでは論理的整合性を欠いている。
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笑うべし、この低劣で短絡な見方を。興尊はこの原殿御返事の時は既に波木井の帰依を失っている。波木井の謗法を諫めた興尊に対し、波木井は「今後は日向を師とする(趣意)」と宣言したことで、日興上人は身延に居場所が無くなってしまったのである。

おそらく波木井自身が自分の言葉の意味するところに気がついておらなかったのであろう。この後に波木井は未だ興尊が身延の近辺に留まっていることを知り、還住の運動を起こしたが時已に遅し、日興上人は身延離山の決意を固めたのである。

興尊は、久遠寺の院主・学頭の任命権は波木井に委ねた。故に久遠寺に設備された宗祖の御遺物は久遠寺の寺宝であり興尊は所有権を放棄したのである。が、宗祖から相伝された法体と法宝は興尊の所持するところであり、弟子位にあるものが師の遺骨を見捨てるようなことはできようはずはない。

身延に於ても宗祖のご遺骨は廟所にではなく本堂に安置されていたはずであるから、或は分骨をしたのかもしれない。私じしんは奉安堂の出来る前に奉安殿において最前で10メートルの近くから拝したことがあるが骨瓶は通常のものである。かって日亨上人が身延の遺骨を実見しているが「骨の量が多すぎる」と書かれていたものだ。

 

法華仏教研究六号・東祐介の「日興跡條々事」の考察なる妄説について、(三)

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 3日(金)22時16分59秒
返信・引用
 


 [日興跡條々事・第二条に対する邪難を破す]


【一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。】


ロックが云はく
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これによれば、本門寺に安置する本尊は弘安二年の日興授与本尊であるとするのである。しかし、この点、疑わしいものがある。なぜなら、本門寺に安置する本尊が弘安二年の日興授与本尊であれば、その本尊形態は大漫茶羅ということになるからである。それでは、広宣流布の暁に本門寺に安置される本尊の形態は大漫茶羅であろうか。そうは思われない。日順師は『本門心底抄』において、

広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや仏像を安置することは本尊の図の如し(宗全二-三四六頁)といい、

日代師は『宰相阿閣梨御返事』において、

仏像造立の事、本門寺建立の時也、未だ勅裁無し国主御帰依の時三ケ大事一度に成就せしめ給ふ可きの由の御本意也、卸本尊図は其れが為也、只今仏像造立過ち無くんば私に戒壇又建立せらるべく候か、若し然らば三井の戒壇尚以て勅裁無し六角の当院甚た以て謂れ無き者也(中略)造仏過ち無くんば何ぞ大聖の時此仏に四菩薩十大弟子を副へ造られざる(宗全二-二三四~二三五頁)

といい、広宣流布の暁に本門寺に安置すべき本尊は大漫茶羅ではなく、大漫茶羅を形像化した仏像本尊であるとするのである。
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妄乱もここに極まれりと云うべきである。富士門流の上古の代に於て仏像の造立は広布の暁であれば可としていたことは史実である。波木井氏が身延の日興上人に仏像の造立計画を伝えたとき、金も無いのに無理して作ることは無い子孫に造仏できる者が出来るまで大聖人の曼陀羅を拝みなさい(原殿御返事)と云われている。

日興上人も富士一跡門徒存知事で、単体での劣応仏はダメだが、四菩薩を副えて〝久成の釈尊〟とするのであれば許可されているが、これは弘教の初期であり、随方毘尼、四悉檀の化義に基づく御指南である。

故に日興上人は上野や重須に道場を開設するほどの資力が有りながら造仏はされておらず、宗祖の御影像を造立されている。

また、三位日順師の「本門心底抄」の造仏云云の一節には、日亨上人が頭注を打たれ「仏像安置と云云、順師未だ興師の真意を演暢せず、後人此の文に滞ることなかれ」と注意をうながしている。しかし、三位日順師はこの一節の後に、

「国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず」
(要集二巻・三四頁)

との結論をされていることに留意すべきだ。当時は本迹問題の他に当然のことながら仏像の造立は問題となっていたから上記のような表現の書き方となったが、戒壇の結論としては「兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず」とされ、広布以前に戒壇の規模や方式を定めることは後難の元であるとされ、

広布の暁には「智臣大徳宜しく群議を成すべし」として、一国広布時の主権政府と富士の僧侶(大徳)が議論して戒壇を制定することと定めているのである。これは当然であろう。宗祖も、三大秘法抄に、

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(新編一五九五頁)

と御指南されているが、具体的な戒壇建立は述べられてなく、勅宣と御教書についても「最勝地可建立戒壇者歟(原文)」と云われているが、「戒壇を建立すべき者歟」の原文「歟」は疑問詞であるから、宗祖御自身も将来における戒壇の方式は制定されなかったのである。が、戒壇安置の御本尊は先だって建立されている。大石寺の「本門戒壇大本尊」である。

どこの世界に、戒壇の建立を命じて安置する御本尊を制定されない仏菩薩がおるや。


ロックが云はく、
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日興門流上代における戒壇本尊の形態が大漫茶羅を仏像として形像化するというものである以上、第二条の「日興当身大御本尊」という記述はその前提を失っている。そうである以上、第二条でいうところの「弘安二年大御本尊」が『本門戒壇の大卸本尊』であるのか、或いは、『万年救護本尊』であるのかという議論は何ら意味をなさない。
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ここでロックは十七世の日精上人の家中抄の草案である家中抄稿本零編やら他にも仏像の造立に言及しているが、家中抄は精師の個人的著作であり、それまでの史料をもとに大石寺門家の所伝を記録されたもので、跡條々事の真偽論にはまったく無関係である。

精師は家中抄(上)の「日興」の条では弘安二年相伝の本尊とは保田の妙本寺に格護されている「万年救護本尊」であるとしているが、「日目」の条では日興跡條々事を註釈し、「日興が身に宛て給わる所等とは、是れ板御本尊の事なり」(聖典・六五九頁)とされている。

日精上人は、跡條々事の本文にある「本門寺に懸け奉るべし」の一文で迷われたのだと思われる。この「本門寺に懸け奉るべし」という文言は、興尊が大聖人のお筆になる御本尊に多く加筆された文言なのである。

ちなみに、総本山の分では「本門寺重宝たるべきなり(要集八巻・一七七頁)」「本門寺に懸け奉り万年の重宝たるべきものなり(同一七八頁)」この他に「可為本門寺重宝也(妙覚寺)」「懸本門寺・可為末代重宝也(法華寺)」などがある。

精師はこれらの用例を知っていたがために、「本門寺に懸け奉るべし」を紙幅の御本尊であると解釈されたのではあるまいか。


精師は家中抄の編纂にあたり「唯見聞の及ぶ所纔かに之れを記録して未だ精密ならざるなり。豈整しく興師の道を尽くすにたらんや。庶幾ば所所散失の御筆並びに本尊・記文等見聞にしたがって之れを記して其の欠を補い給わば是れ吾がねがう所なり」(聖典・六五○頁)

と記されている。つまり、精師は家中抄の記事は完全なものではなく後世に託された御著作なのである。


[随宜論について]

日精上人の「随宜論」については過去に創賊の徒輩らがけたたましく騒ぎたてたのでよく知られているが、この随宜論は、仏像を造った精師の養母である法詔寺の敬台院大姉と、敬台院様を激しく糾弾した西山本門寺の日顕師との仲介の書であり、なかんずく養母の敬台院様を擁護するために書かれたもので、随宜論の結論として、


「然らば富山の立義は造らずして戒壇の勅許を待ちて、而して後に三ケの大事一度に成就為す可きなり。若し此の義に依らば、日尊の本門寺建立の時に先きんじて仏像を造立して給ふは、一箇の相違なり。罪過に属す可しと云はば、未だ本門寺建立の時到らず本門寺と号するは又一箇の相違なり、罪過に属す可きや。此の如きの段今の所論に非らず。願くは後来の学者二義を和会せば造不造は違する所無くして永く謗法を停止して自他共に成仏を期すのみ。」

以上のごとく、広布以前に仏像を造立することは謗法であれば、広布以前に本門寺(西山)を名乗ることも謗法であると結論付けされているのである。また、随宜論の中に以下のごとくある。

「次ぎには法宝最勝の事、誰か此の事を論ぜんや。是れ即ち宗家の本尊なり。弥御書の如く仰いで信ずべきのみ。次に板本尊の事、是れ即ち戒壇堂の本尊なり。之を以て不造の証と為すこと謂ふに足らざるのみ」

日精上人にとって本門戒壇大御本尊はあたりまえの話であり、大石寺の貫主に昇られたにも拘わらず大石寺を「宗家」と称していることには興味深いものがある。

以上のごとく、富士門流では広布の暁まで仏像は造立しないという所伝ではあるが、未来許容を方便として現在制止に真意があることは明瞭なことである。ただ、広布の暁に於て朝廷の紫宸殿にあった阿弥陀仏にかえて釈迦如来を造立することはありうべき事と思われるがいかがなものか。


 

法華仏教研究六号・東祐介の「日興跡條々事」の考察なる妄説について、(二)

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 3日(金)21時47分7秒
返信・引用
   [日興跡條々事・第一条に対する邪難を破す]

【日興跡條々事第一条、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし】


先ず、ロックの痴論を長々と破折するつもりは無い。ネットの掲示板という性質上長文のものは読者がウンザリするだけである。ロックの論じた結論を抽出して破折し問題点を考えてみたい。以下ロックの痴論は点線内とする。


ロックが云はく、
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(興尊の本六・新六について)
ここには日日師や日仙師といった長老格の日興門下は加えられていない。新六人に日目師をはじめとした長老格の日興門下が加えられていない所以は長老であればその分、若徒よりも早く示寂することになるからである。つまり、新六人の示寂が早ければその分、日興門流の基盤を磐石にすることは難しい。それ故に日興上人は長老格の日興門下を新六人の撰に加えず、将来性のある若徒を新六人として撰定したことは推定に難くない。
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ここに無知蒙昧が示されている。いったい、何を根拠に妄想をたくましく述べておるものか。興尊の本六人は上野において選定され、新六人は重須に於て選定されたのである。興尊のもとで重須の学頭を努められた三位日順師は「日順阿闍梨血脈」に当時の様子を書き留められている。


【文証】[日順阿闍梨血脈]
「已に久遠の大人に値ひて本門の深法を伝受す、敢て始行の菩薩に非ず殆ど無辺行の応現か。此の師亦た法主の佳例に准望して六人の名言を授与す、頗る上聖値遇の古老なり、仍て過半先立つて逝去す、往古治定する所なるが故に本六人と云ふ、次に一乗の大機を撰量して、重ねて六人の碩徳を添加す・是れ最後随逐の若徒なり、蓋し末世の竜衆と謂ふべし、近来賞翫に預れば乃ち新六人と名く。」
(富士宗学要集二巻・二二頁)


日興上人は宗祖にならって本弟子の六人を制定されたが、原則として選ばれた六人のお弟子方は〝不次第〟である。大聖人に知遇した古老の日目上人をはじめ長老とも云うべき方々と、その弟子位にある新進の六人を「不次第の同格」になど出来るものではない。(※日華師等の如く遷化された方もいることはいる)

興尊の新六である日代師は日興上人の甥であり、日澄師は日興上人に帰依することとなる六老僧の日頂上人の実弟であり、日道師は日目上人の甥にしてもとは日目上人の弟子である。

日妙師は興尊の秘書役であった本六たる日華上人の弟子であり、日豪師は興尊の外戚であり幼少から興尊の門に入っているが本六人と肩を並べられるほどの格式は無く、年齢による示寂の先後を予測したのではなく門内における地位と状況によって変遷したものである。

既に述べたが、興尊の晩年にあたり、日目上人には大石寺の維持管理・勤行をして広宣流布を待て、と云われたのは重鎮の方々が内部を固め、全国展開していた弘教折伏の状況を見据えて〝全国展開〟の新体制を整えられたのである。

当時、宗祖門下にあってもっとも栄えた門流は〝日興門流〟である。現在で云えば静岡は云うに及ばず、佐渡、和歌山、香川、高知、島根、京都、岐阜、山梨、神奈川、埼玉、栃木、東京、千葉、茨城、新潟、山形、宮城、福岡、宮崎等、ほぼ全国に及んでいるのである。その門葉の指揮者たる本六上を補任するかたちで新六人が制定されたのが史実である。

ロックよ、無知蒙昧の浅知恵をふりまくものではない。(苦笑)、


ロックが云はく、
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このように、日興上人は日興門流の基盤を磐石にせんとして若徒を重用したのである。そうした状況下にあって生命を脅かされるほどの体調不良に陥っていた日日師に対して日日師在世中の広宣流布を命じるとは到底考え難いものがある。
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大狂乱と云ってもよかろう。この者は宗内のいろんな本を読んでいるようだが、たぶん孫引きのような使い方しか出来ないのであろう、史料が示す背後の情景に思い及ばないようである。つまり、才能が無いのである。(笑)、

この者は、日興上人が日目上人に広宣流布を命じたが、当時の日目上人は命に及ぶほどの重篤にあり従って日興上人が目師に広宣流布を命じられるわけが無いという、自らの脳内に創り上げたバーチャル世界にひたっておるのである。ハッキリ云うが病気である。

しかも、日興上人は「日興跡條々事」に関する限り、目師に広宣流布を命じてはいない。第三条には目師に大石寺を付与し、大石寺の維持管理を心掛けて勤行をし〝広宣流布を待て〟と御指南されているのであり、目師みずからの手で広宣流布をせよとは命じていないのである。

目師は当時、足に病があったようだが建武の中興がなるや、自ら二人の弟子(郷師・尊師)のみを連れて〝最後の天奏〟に出かけられている。これが命に及ぶほどの体調不良の人物に出来ることかどうか、よく史料を精査することである。

そもそもである。このロックなる邪輩は、正宗の俊英たる高橋粛道師やら創賊の金原やらの書籍を読んでいるようだが、それらの書籍を自分の頭で整理して論点の相違や論旨の要点を把握して分解し、史料をもとに組み直すと云う高度な史学的分析がまったく出来ておらないのである。

ま、こいつは、いろいろな本を読んでいるが消化できず、脳味噌の脳幹やら右脳・左脳・前頭葉やら、上下左右の脳細胞が勝手にあちこちを走り回り、脳味噌における全体的にして標準的な活動が阻害されているのだ、つまり、脳味噌が尋常ならざる状況にあると断言するものである。



 

法華仏教研究六号・東祐介の「日興跡條々事」の考察なる妄説について、(一)

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年12月 3日(金)21時44分34秒
返信・引用
  花野充道氏が主幹の『法華仏教研究』なる雑誌に、東祐介なる妄乱が『日興跡條々事』を偽書として痴論を発表している。この者はかって、波木井坊が主催する身延派の「葵講」なる組織の教学部長をしていた「ロック」である。

この者が、如何なる理由か知らないが、大石寺門流の研究に余念が無いようで、物好きには御苦労さんと云っておきたいのだが、身延派にいながら興門研究を志す研究者は少なからずいる。

代表的なところでは物故したが執行海秀なる立正大学の教授もいた。この人物は仏教学の基本事項は理解しておったようだが、いかんせん、宗祖の文底仏法を理解しておらず、宗祖の仏教は天台の顕教のうえに建てられたものと錯誤していたのである。即ち、五老門の亜流から一歩も出ておらなかったのである。


さて、大石寺門流に対峙し批判する者の多くが、今まで日興跡條々之事に勝手な解釈をほどこして、なんとかこの文証を抹殺せんものと種々の妄論を構築している。今般の東祐介(以降ロック)なる妄乱の構築した痴論は、まるで考察の名に値しない議論好きな中学生による程度のものと理解して差し支えない。

が、これを教材として新たな視点によって、興尊の御遺跡を偲ぶことも悪くはあるまいと思い、痴論を破すとともに今までと違った目線から捉えてみた。

『日興跡條々之事』は、草案、正本ともに大石寺に格護されており、なかでも第二条は本門戒壇大本尊の衣文として貴重な文証となっており、幾多の邪輩を破折してきたのである。正本の分は正信会が発刊した「日興上人全集」にピンボケながら写真が掲載されていて今日、多くの研究者が眼にすることが出来るようになった。

『日興跡條々之事』は今まで公開されたものとして富士宗学要集、日蓮宗宗学全書、日蓮正宗聖典、新編御書、日興上人全集があり、特に日興上人全集は原文そのままで、写真が採録されているので最も権威あるものとなっている。以下、


【日興上人全集】※「/」は改行を表す。

 日興跡條々事

一、本門寺建立之時新田卿阿闍梨日目/為座主於日本國乃至一閻浮提之内/山寺等半分者日目嫡子分可令管領/所残半分自餘大衆等可領掌之。

一、日興宛身給弘安二年大御本尊/■■■■日目授與之可奉懸本門寺。

一、大石寺者云御堂云墓所日目管領之/加修理致勤行可待廣宣流布也。

右日目十五之歳値日興法花以来至于/七十三歳老体敢無違失之儀十七之歳/詣日蓮聖人所(甲州身延山)御在生七年之間常/随給仕、御遷化之後自弘安八年至元徳二年/五十年之間、奏聞之功依異他如此所書置也。仍為後證状如件。

十一月十日   日興(花押)



【富士宗学要集、八巻・一七頁】

 日興跡條々の事

一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主として日本国乃至一閻浮提の内に於いて山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし、残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。

一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊弘安五年(五月廿九日)御下し文、日目に之を授与す。

一、大石の寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し修理を加へ勤行を致し広宣流布を待つべきなり右日目十五の歳日興に値ひ法華を信じてより已来た(ママ)七十三の老体に至るまで敢えて違失の儀無し、十七の歳日蓮聖人の所甲州身延山に詣り御在世七年の間常随給仕し、御遷化の後弘安八年より元徳二(四)年に至る五十年の間奏聞の功他に異なるに依つて此の如く書き置く所なり、仍つて後の為に証状件の如し。

(元徳四年) 十一月十日  日興上人 在り判



【日蓮宗宗学全書二巻・一三四頁】※漢文のレ点と読順は[]内に示す。

 日興跡條々事

一 本門寺建立之時新田卿阿闍梨日目ヲ爲[2]座主ト[1]於テ[2]日本國乃至一閻浮提之内山寺等ニ[1]半分者、日目ヲ爲メ[2]嫡子分ト[1]可[レ]令ム[2]管領セ[1]所[レ]殘ル半分ハ自餘ノ大衆等可領[2]掌ス之[1]

一 日興カ充テ[レ]身ニ所[レ]給ハル弘安二年ノ大御本尊ハ日目 ■■■■ 授[2]与ス之ヲ[1]

一 大石寺ハ者云ヒ[2]御堂ト[1]云ヒ[2]墓所ト[1]日目管[2]領シ之ヲ[1]加ヘ[2]修理ヲ[1]致シテ[2]勤行ヲ[1]可キ[レ]待[2]広宣流布ヲ[1]也、

右日目ハ十五之歳値テ[2]日興ニ[1]信シ[2]法華ヲ[1]已来至[2]于七十三歳老體[1]敢テ無シ[2]違失之儀[1]十七之歳詣テ[2]日蓮聖人ノ所ニ[1](甲州身延山)御在生七年之間常随給仕シ御遷化之後自リ[2]弘安八年[1]至ル[2]元徳二年ニ[1]五十年之間之功依テ[レ]異ナルニ他ニ、如[レ]此ノ所[2]書キ置ク[1]也、仍テ爲[レ]後證状如[レ]件、

十一月十日   日興判


【第二条について日亨上人の頭注】凡四字者後人故意欠[2]損之[1]而授与下以[2]他筆[1]加[2]相傳之可奉本門寺九字[1]

【頭注読み下し】おおよそ四字(■■■■)は後の人が故意にこれを削損す、授与の下の「本門寺に懸け奉るべし」の九字は後の他人の加筆である。



【平成新編御書、一八八三頁】

 日興跡條々事

一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。

一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。

右日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じてより以来七十三歳の老体に至るも敢へて違失の儀無し。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で(甲州身延山)御在世七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って此の如く書き置く所なり。仍って後の為証状件の如し。

 十一月十日  日興花押


※「日蓮正宗・聖典」の分は、ほぼ新編御書とかわらない、というよりも新編のほうが聖典を踏襲されたものなので略す。


以上の五種は、ともに案文、正本の真蹟を検討したうえでの真訓両読の相違となったものである。草案の第二条には「弘安二年の大御本尊・弘安五年の御下し文」とあり、正本はこの部分が削り取られて空白となっていて、日亨上人は草案の文で補充したものであるが、現在「正本」と云われているものは果たして完成された正本と云えるであろうか。

高橋粛道師の要請によってこの両本を精査された山口範道師は案文、正本ともに日興上人の真蹟であると結論されている。であれば正本の分は「正案」とも云うべきもので完成されたものではない。興尊は正本のつもりで書かれた御文をみずから添削してついに完成されなかったのである。

以上の公開されたものは、基本的には日亨上人の考察によるものと、日淳上人が聖典に採録された二種であると云ってよい。


宗学全書の原文は「日目■■■■」となっているが、原書を見る限り「■■■■日目」であり、しかも削り取られた痕を見ると、四字ではなく、細字で十数文字と思われるから、草案にある「弘安五年(五月廿九日)御下し文」の文が、もともと正案にそのまま書かれたもので日亨上人の考察は正しいものと思う。

日蓮正宗聖典は日淳上人の監督のもとで製作されたものであり、内容にも淳師の指導が行き渡っていると考えても良いもので、新編御書はこれを踏襲したものであり、正案の欠損された部分は欠損のままに、日亨上人が後世の他筆と断定されたものは興尊のものとしてそのまま採用し、現在公開された正案を、ほぼそのまま公開しているのである。


以上が日興跡條々之事における現状である。身延派における興門研究、というよりも大石寺教学研究の第一人者である執行海秀氏は実物も見ないでこれを偽書扱いしているが、この文証は身延派にとってもかなり目障りな文証であり、なんとしても〝偽書〟とするか徹底的に無視を決め込むかの扱いとなっている。(笑)、

なお、大石寺の古文書研究家である山口範道師が真偽を研究しなおして、両書ともに日興上人の真蹟であると結論づけられたが、残念なことにその御所論は富士学林の図書室に格納されたままで公開されていない。


高橋粛道師はこの削損部分については日亨上人の所論を受けられ、「園城寺の下し文」が上古の代に紛失したために後世の人が当該部分を削り取ったものとされている。がはたしてそうであろうか。

日亨上人が後世の加筆と断定された「本門寺に懸け奉るべし」は山口範道師の研究で日興上人の御筆とされたいじょう、削損部分も日興上人が削り取ったものと拝察されるのである。

つまり、当初は日興上人は正本として書き改めたいわゆる〝正本〟は、結果的に草案の域を出るものではなく、したがって今まで正本と考えられていた跡條々之事は、二書ともに草案だったのである。



 

「才覚毒歩」なる痴犬の妄説を破す。(笑) (― 風塵舎の遁走で落着 ―)

 投稿者:法太郎@有志の会  投稿日:2010年11月25日(木)19時47分24秒
返信・引用
 


■今般、さる法華講員より「才覚毒歩」なる痴犬の妄説について質問が寄せられた。(笑)、私はこの類の妄説には飽き飽きしているのでなんら関心はない。このような痴論を破折しまくっていたら、時間がなんぼあっても足りないしもったいない。

が、こと私に対する反論のようなので少しばかり破しておきたい。


以下、点線内は「才覚毒歩」と称する痴犬の遠吠えである。(笑)、


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今度は 犀角独歩と称する妄乱を憐れむ なのだそうだ。「憐れむ」のであれば、悪口雑言はやめたら、どうか。さらに暴言を以て、虚構を構えてきた。また、重ねて記したが、今度は単に悪口のみである。わたしは正攻法を旨とするから、先に述べておく。どのような悪口をされようと、わたしは悪口で返さない。単に事実を語るのみである。これは事実を語るもののみが持ち得る自信である。敢えて、悪口など書き連ねなくても、事実は、なによりも強いからだ。
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■痴犬の妄乱笑うべし。(笑)、その人物の主張する内容が〝事実〟であるかどうかは当人が思いこんでいるものであり、大方、もしくは反対意見も考慮して再考すべきものである。そもそもである。身延派にせよ顕本法華にせよ、それぞれが正しい事実であると思考して発表しておるのである。

発表するいじょうは、それ相当に〝自信〟を以て発しておるわけで、なにも今いまさら才覚毒歩なる妄乱がわいわい云うほどのものではないのである。(苦笑)、


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そもそも、斯様な悪口を繰り返せば、あとになって、法の下に不利なるのは、人権侵害側である。わたしは不軽の精神をもって当たるが、それは法的措置を執らないということではない。争いには弁護士を代理に立てる。わたしの周囲にどれほど、敏腕な弁護士が揃っているか、少し調べてから喧嘩を売ったらどうか。この点は忠告をしておく。ただし、謝罪は受け付ける。誤りは、速やかに懺悔し、改めることである。
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■笑うべし、身延派の波木井坊はじめ〝脅し文句〟で訴訟発言を乱発するのは邪教の常套手段と云うべきもので、これが現実になった試しがない。(笑)、創賊本部のように、訴訟を狙っているヤツは、密かに準備をすすめ資料が揃ったときに現実に提訴するものである。過去には法華チャンネル問題があり、れいな氏や樋田氏の前例の如くである。

このようなハッタリをかますから〝口舌の徒〟としてこバカにされるのである。下手なハッタリは低劣な謀略・陰謀論議として笑われるだけであろう。(苦笑)、


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さて、人権侵害に関する法的な忠告は以上であるが、では“憐れまれた”内容について。一読してはっきりしたことは、この筆写は、日禅授与漫荼羅が北山本門寺と大石寺の両方にあることを知らないのである。こんな初歩の認識もない。
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■バカよ、日禅授与の曼陀羅で重須本門寺にあるものは〝偽作〟であり、学会でも承認されておらないものである。そもそもである。立正安国会の本尊集に、重須本門寺のいわゆる『鉄砲曼陀羅』が所収されているのに、何故に日禅授与本尊が省かれているのか。それは、偽作であるから出せなかったのである。(笑)、

■以上の内容は、私が個人的に破折した時点での内容であり、この後に榎木境道師が「富士門流の歴史・重須篇」で、重須本門寺所蔵の「日禅授与曼陀羅」は宗内で偽書とされていることを指摘した事実を発見し、才覚毒歩なる痴犬の労苦は、学的根拠の無い妄乱であることが発覚し、確定したのである。(爆笑)、


■つまり、才覚毒歩なる痴犬は比較対照とした重須本門寺の日禅授与曼陀羅が偽筆であることを知らなかったために大狂乱を演じたのであることが確定したのである。もっとも、このような事実が嫡示されたら今度は、じつは、大石寺に売却した日禅授与曼陀羅は〝模写〟のほうであり、寺宝たる曼陀羅は重須に格護されている、等の妄想を論じ始めるのであろう。(爆笑)、



■以下は、上記以外の問題になるものであるが、宗史的に面白いので敢えて考察を加えておく。(笑)、


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なお、先にわたしは、彫刻の「愛染明王が他筆」であることを指摘した。これについては、何ら反論がなかった。できなかったのであろう。
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■(爆笑)、はははは、「彫刻」された文字が、原本から外れることは想定内であり、彫刻者の刀の走りに文句を云ってもはじまらないのである。(笑)、そもそもである。刻印された文字を筆跡鑑定するなんざ〝不可能〟であることは常識的判断である。(笑)、

■そもそもである。後世の偽作者が、不動明王を描いて愛染明王を描き忘れるなどありうべきことではない。(爆笑)、宗祖の曼陀羅を拝見しているものであれば決して〝書き忘れる〟ものではないのである。(笑)、

■もし、本門戒壇大本尊の愛染明王の梵字の刻みが他の座配と異例であるならば、彫刻者の仏師が弟子に交替するなりした結果であろう、ともあれ宗祖の曼陀羅を偽作するにあたり、不動を書いて愛染を忘れたのであれば、

春画本の作者が勃起したペニスを描いて相手の女性を書かなかったようなものであり、これではただのズリセン絵画であり春画の喜多川歌麿の値打ちは無くなるではないか。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、



(余話)■才覚毒歩なる痴犬が私に発した質問であるらしい。(笑)、が、私のもとには届いておらぬ。たんに自分のサイトでオダを挙げたことで済ますとは、私に知られたくない質問だったのであろう。(笑)、

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あと、3点。まず、質問。
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■私には届いていないが、ま、よかろう。(笑)、


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墨で書かれた文字のもの以外に真筆を認めない…学術的に真筆といえば文字ならず絵画にもいえるものであり、大聖人の書かれた絵画を真筆と云わないのであろうか。それでは保田の『不動愛染感見記』は真筆と云わないのであろうか。学術的考察に堪えない雑品画像を対象とした研究など所詮は雑品程度の雑論に過ぎないという論理を理解出来るであろうか。
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■上記は私の所論であるらしい。というのは、私は今まで何匹も痴犬を叩いているので自分の書き込みの全てを覚えているわけではないのである。これは当然であろう、しかして、破折された痴犬は悔しくて叩かれたハンマーの色や形状までよく覚えているのだが、叩きつぶした執行者は知らないのである。(笑)、


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「墨で書かれた文字のもの以外に真筆を認めない」と、わたしが記したのは、この前文から掛かる本尊についてである。その判読をできないのは、本人の読解力の問題である。一つ、質問を発しておくが、『不動愛染感見記』に書かれた図が日蓮のものであるという証拠は何か。これはいまだに学界では決着がついていないことである。
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■ほほう、殊勝であるナ。ハッキリ云うが、保田の妙本寺に格護されているいわゆる『不動愛染感見記』は真書として宗学界で承認されてるが、一部に反対意見もあるのも事実である。

■現在、保田の妙本寺に格護されている『不動愛染感見記』は真書とされ宗学会で承認されている。ネットじょうの才覚毒歩なるハンドルネームでぶちあげた妄説にいかがばかりの権威があるや。これは私も同じことであり、私の所論が日蓮宗学界でひとつのタームとなることもあり得ないのである。(笑)、

■『不動愛染感見記』は伝承経過はハッキリしており、これが描かれたのはおそらく立宗以前の叡山修学期と私は推測する。これに「建長六年六月廿五日」とあるのは、宗祖が新弟子に授けた日にちであり、描かれた年月日であはない。宗内の多くがこれに気付いていないのは摩訶不思議と云うしかない。(苦笑)、

■『不動愛染感見記』には、「建長六年六月廿五日 日蓮授新仏」とあり、書かれた年月日ではなく宗祖が新弟子に授けた日にちなのである。この日付は六老の「日朗師」が入信した日にちと合致するので、当初は朗尊に授けたのであろう。


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また、わたしの鑑別を「雑品画像」によったと批判をしているが、では、『不動愛染感見記』の図を真筆と言うとき、真筆を手にしていったのか。デジタル処理をした画像を使用していったのか、如何なる方法に拠ったのか。まさかと思うが、わたしの写真鑑別を批判する以上、同じように写真だけを見て語ったのではあるまい。人の言を口まねにしたのではないだろう。『不動愛染感見記』図が真筆である確かな証拠を示してもらおう。
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■私は「昭和新定日蓮大聖人御書」所収を参照とした。これに異論はあるかナ。(笑)、


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以下、判読能力は個人の問題である。
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■同意である。(爆笑)、


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河辺師は「御本尊のはニセモノ」とメモった部分に、御本尊の何がにせものと書かれてあるのか明確に述べよ
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■これは私の所論である。(笑)、これに対する反論が以下である。(笑)、

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勘違いしているのではないか。わたしは日顕氏の発言であると言われた川辺氏のメモに「ニセモノ」と書いてあるから、そう主張したわけではない。このメモに「日禅授与の本尊のお題目と花押を模写」という一節があったので、その点を検証したまでのことである。どこがニセモノか知りたければ、大石寺にでも聞いたらどうか。重須のパンフレットからの写真をアップしていたではないか。
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■(爆笑)、以上の〝云い訳〟は論ずるまでも無い。(笑)、重須のパンフレットは偽作本尊を公開したのであり御隠尊が述べておるのは真蹟の大石寺所蔵日禅授与曼陀羅である。比較すべき対象ではないワ。(笑)、

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これも文章の判読能力能力に関わることである。わたしは、ネットでアップすることに前後して、日教研で発表もし、また、現宗研も講演をしている。また、豊富に画像を挙げて、本を出版している。この際には、パンフレットの写真は使用していないと言っているのだ。それに対し、ネットは、その当初の発見を記したことだから、その時にはそれしか手に入らなかったパンフレットの写真を使用したと書いている。この点は再々書いているが、判読が追いつかないらしい。
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■重須本門寺の偽作本尊を対象としているのである。(笑)、

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補足を一点。先の悪口で、「『南』のお文字のヒゲが向かって左側に流れているのがかすかながら判るが、犀角独歩のアップした…画像には無い」などと述べているが、これはわたしのサイトすら、ちゃんと見ていない証拠である。サムネイルで貼っているところ、重ねた画像は、たしかに南字‘冂’画「ヒゲ」は確認できないが、単独の彫刻画像をクリックすれば、たぶん、ネット上でもっとも大きな画像で、この彫刻が表示されるようにしてある。この写真では、「南字ヒゲ」は写っているではないか。このページの最初のアップは'04年2月19日、いまから3年も前のことだ。何を今さら言っているのか。
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■サムネイルなどと云っても、パソコンの画像に如何なる学的権威が存するや。そもそもである。同じ方法で画像を重ねた学会人は、合わなかったので少し首題を伸ばしたと云っていることは述べた。(笑)、

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「破す」などというなら、もう少し調べてやってはどうか。これでは、同類からの信頼すら受けられないであろう。
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■私は別に、同門から賛同を得たいと思って破したわけではない。あくまでも私の個人的観解のもとに書いたのである。私は学者でも学究でもない。ただの〝破折屋〟である。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、


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わたしがやってきことは至って冷静な鑑別である。故に異議が立った報告を受ければ、反証は為さなければならない。しかし、わたしの論攷と鑑別は、こんな一般の自称信徒を相手取ったものではない。当初より、大石寺にその真偽を問うているのである。
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■であれば、大石寺の教学部に意見を送付すべきではないかナ。(笑)、・・・出来るのであれば、の話ではあるが。(爆笑)、


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幸いにも日蓮宗宗務院で開催された日教研の研究発表には、大石寺内では学僧の誉れも高い高橋粛道氏が来ていた。そのことは、会場に来集していた諸師が確認したことである。わたしの一つ前のの発表に質問をするのに、「大石寺、高橋粛道」と名乗ったからである。その後、富士学林の若い僧侶がわたしに質問をするのを黙って聞いていた。指導教官が学生にやらせているような有様と映じた。録音記録が残っている。しかし、高橋氏からは、何ら反論はなかった。宗内学者とはいえ、良識からしてできなかったのだろう。
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■これこれ、反論というのはその論拠に意義があるから為されるのであり、重須本門寺の偽作本尊をマテリアルとして対象とした才覚毒歩なる痴犬の妄論には、高橋粛道師ならずとも榎木境道師等も笑って相手にはせぬであろう。(笑)

■私のように〝物好き〟だから、痴犬の痴論を、〝アソビ〟としているのである。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、も


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故に大石寺は、わたしの発表内容を黙認したものと判断している。
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■偽作本尊との比較を真面目に論ずるものは、おそらく大石寺門流にはおるまい。(苦笑)、


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今頃になって、彫刻の所蔵者でもない一自称信徒がとやかくいう話ではない。
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■オレの反論がイヤなのか?、(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、


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そんな段階はとおの昔に過ぎている。それとも、大石寺は、こんな人権侵害もものともしない自称信徒を、鉄砲玉のように使い、トカゲのしっぽ切りをしようというのか。しかし、いくら大石寺といえども、裁判になれば勝ち目がない文章を、平然と晒すようなものを使うほど、法律に疎くはないだろう。大石寺が頼みもしないのに、庇護するつもりが、かえって迷惑をかけられていると言ったところか。
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■私を〝鉄砲玉〟とナ。鉄砲玉とは、ヤクザが縄張りを拡大するときに送る突撃隊のことである。(苦笑)、この才覚毒歩なる痴犬はチンピラを体験しておるようだな。(笑)、

■そもそもである。大石寺門流というれっきとした日蓮宗の権威が、私のような呆太郎を鉄砲玉とするいわれは何もないのである。(苦笑)、我が大石寺門流では、邪教の跋扈には新進の若僧衆の勉学の実践教材として正信賊、創賊、顕正賊等の妄論を破折しつづけておる。即ち「青年僧侶邪義破折班」がそれである。

■この若き龍像たちは已に〝実績〟という経験を踏んでおる。その破折対象にもならなかった「才覚毒歩」なる痴犬の遠吠えは、破折にも値しない痴論であるのだ。(苦笑)、・・・思い上がりもいい加減にせよ、と云っておくわい。(苦笑)、


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もし、異論があれば、大石寺が、速やかに鮮明な写真を公開し、彫刻の科学的調査を添えて、反論をすればよいだけのことだ。その役務は、高橋粛道氏が、まず負っている。一自称信徒が口出しすることではない。― 風塵舎の遁走で落着 ―
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■邪宗徒の妄論はかくの如しである。何故?高橋粛道師が「才覚毒歩」なる痴犬に反論の責任が存するのであろうか。門流以外の邪教を破折する責任は、我々大石寺門流のすべての僧俗に存するものであり、これは宗祖の立正安国論の精神に基づいておるのである。

■一信徒であれ、一末輩であれ、日蓮大聖人の門下であれば、三大秘法の随一たる本門の戒壇安置の大御本尊を否定する痴犬は悉く破折し尽くすのである。これが「日蓮仏法の愁眉」と解すべきであることを念記しておく。(笑)、


以上、才覚毒歩なる痴犬の妄説は破綻したことを宣言しておく。

呆太郎・軽薄。、、、ってか。(爆笑)、

 

『映画・ZERIO』=事件から 9年。はたして、911 は本当にテロだったのか。

 投稿者:法太郎@有志の会  投稿日:2010年11月25日(木)17時41分13秒
返信・引用
  私はJFK暗殺事件以来、米国の軍産複合体による利権維持装置の暴走に深い危惧を持ち続けている。今日ではオズワルドが真犯人であると考えているものは少なくなっている。

ケネディ暗殺の直前にオズワルドに銃殺されたテビット巡査の殺害の真相を含めてすべては闇の中である。私自身は軍産複合体の先鋭的機関であるCIAとともに、英国やイスラエルの諜報機関が関わっていたのではないかと考えているが、これは荒唐無稽な発想ではない。

ケネディの死亡によって〝得をしたヤツ〟を考えれば良いのであり、当時のケネディが進めていたデタント政策で何処の国が経済的やら自国の安全に影響をおよぼすかを考えれば良いのである。

世界中のいずくの国でも〝国益〟を優先することは至極当たり前の話であり、同盟国とか友好国なんどというものは互いの利益に合致したときに云えるものである。(余談)



今般〝911テロ事件〟に関する証言を集成した映画『ZERO』が封切りになった。


一般的な人々はマスコミ報道などによる表面的な情報により、あの事件をアルカイーダによる犯行と思いこんでいるようだが、私には信じられないのである。

軽飛行機の操縦を習ったものが、500キロ以上の猛スピードで飛ぶ大型のジェット機を、このスピードではマッチの軸頭を狙うようなもの、と云われるように、正確に衝突出来るものであろうか?。


動画の『ルースチェンジ(日本語版= http://www.youtube.com/watch?v=NoSY9Tw2j1I )』はこの前後の事実を探って世界中に公開されたもので、この情報が発信されたときはブッシュが弁明を行ったほどである。

ツインタワーが全壊したとき、イスラエル人で死亡したのは一人である。4000人ものイスラエル人が勤務していたにも拘わらずである。この事実を取材していたNHKの記者は突然NHK本社で墜死した。

果たして事実は如何に。国際状勢に興味のある方には是非とも映画の閲覧をおすすめしたい。以下は宣伝文。


※ 2010/9/11?9/24 に東京・恵比寿の東京都写真美術館ホールのイブニングショー(18:40?20:45)で、また、つづく 10/2?10/15 に同じく東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムのレイトショー(21:0023:00)で上映。

計 26 興業日で‘満席・ほぼ満席’合わせて半数の13回を記録。
2,705人(席数累計 3,176)を動員しました(平均入場率 85 %超)。

アルカーイダの仕業とされる 2001年9月11日の米国同時多発テロだが、米政府調査委員会の公式発表については国内外でいまも多くの疑問が指摘されつづけている。

事件から 9年。はたして、911 は本当にテロだったのか。

ZERO は、原版(イタリア語)の制作(2007年)以来、ローマ国際映画祭(2007年10月)、ブリュッセルEU議会場(2008年 2月)、ロシア国営放送(2008年9月)で上映された、対テロ戦争の原点を鋭くえぐる長編ドキュメンタリー。

事件から9年後の2010年9月、待望の日本語版、大好評上映中です。

現代世界情勢理解へのゲートウェイともいえる【 9/11 】を知るには欠かせない一作。
国際情報通、事実・真実ファン、必見!
 

最後の人類・最後の晩餐を考えた、

 投稿者:創価脱会・有志の会代表相談役呆  投稿日:2010年11月11日(木)19時19分34秒
返信・引用 編集済
 

地球上の生命体の運命は、あと、50億年が限界であることはすでに述べた。

太陽エネルギーの寿命により、地球の生命体が死に絶えることはそれ以前と思われるが
それが何時頃なのかはわからない。

人類が築いた科学文明は、宇宙の摂理である大自然の前には風前の灯火といえるのでは
ないかナ。

ある時、大気候変動によって地球の生命体が終焉を迎えるとき、食糧の奪取による悲惨な
争いののち、殺し合いに疲れ、残ったふたりの人類は、

目の前に残された一食のオニギリを前に、

①奪い合って殺し合いになるだろうか。

②半分に分け合うだろうか。

③互いに譲り合うだろうか。

④それとも、以上の推測の外に、対手を殺して、その人肉を貪るであろうか。


それにしても、最後の人類が見る風景はどのようなものなのであろうか。


大石寺門流の信徒の臨終には、頭上に御本尊を掲げることが化義としてのこされている。

死ぬときは、御本尊に成仏を祈りながら死にたいものである。


(^^/~~・・・バイバイ、

 

これも自浄?

 投稿者:  投稿日:2010年11月10日(水)21時21分15秒
返信・引用
  日本国民が「知っては都合が悪い」との判断は、果たして正しかったのだろうか。

これしかし国民に隠す問題なのだろうか?

私は素人だが、確かに「公(おおやけ)」にすべきでない問題もある」と聞く。

しかし、「国民に知らせない」、知らせた者は「反逆者(クーデター」だ。許さん!」なんて

何時の間に日本はこんな問題まで隠す政府を選んだのだろうか。正直、あきれた。

多分、「この問題は隠そう」と決めた連中に具体的な責任は問われる事はないだろう。
そして、いつもの事であるが、流出犯人(?)は懲戒免職で、一件落着となるのであろう。

「隠す事」が是か非ではなく、(その事ではなく)「政府の方針が「隠す」と決められた以上、それに違反した事が問われるのです」と、内部告発は許されないのである。


当然、この先、この問題は尾を引く事でしょう。

日本語訳の中華新報から引用してみる。

現実を見てみようではないか「現実に日本の裁判所が中国船船長には「お咎とが)めなし」としたし、日本の検察も「上告」しなかった事は周知の事実ではないか、だ捕は海保の「勇み足」、あそこは「中国領」だと認めたのだ」(中略)

「工業国日本の技術で「偽装ビデオ」を作るのに何日かけたのかは不明だが、二三十日後に「真相はこうだ!」とばかり「偽装ビデオ」を流したのだが。

早くに真相ビデオを見たであろう裁判所、検察は「お咎とが)めなし」と結論しているのだ。

法治国家としての日本国は法曹界の判断を信じるのか、それとも、事件から相当過日の「ビデオ内容」を信じるのか」

日本には「頭かくして、尻隠さず」(見え見えの嘘)という「ことわざ」もある。

世界中のどこの国に友好国の「領海侵犯は許す」なんて国があるのか。

「中国を馬鹿にするな!」


とか、「だいたい日本国の領土問題はおかしい」(ロシア)
それから、予想していなかったのだが
台湾と中国の軍隊が「共同演習」するなんて・・・勿論、対日本、アメリカですよ。

一年前だと「民主党に国政を任せると国は滅ぶ」と言う意見に、
「それはちょっと大げさでしょう、官庁職員(専門家)も居る事だし、(国が滅ぶ)は過剰反応ですよ」と言っていた私ですが、今は、

「この人たちは今まで何を勉強していたんだろうか」と不安でならない。

勿論拘束力は無いにしても「仕分け」の視点は好感が持てるのだが・・・・・・。

やっぱ、解決法は、俺たちの一票か。
 

誤字だ

 投稿者:呆太郎  投稿日:2010年11月 8日(月)23時31分54秒
返信・引用
  成・住・壊・空  

最後の人類、・・ひかるクンと皆様へ、

 投稿者:呆太郎  投稿日:2010年11月 8日(月)23時02分55秒
返信・引用
 

一杯やって、ネット、ってか。(笑)、

いいじゃないか。(笑)、

「御法様」も、「御法主様」も、「御前様」も同じこと。(笑)、

一杯やっての間違いならば、楽しいものですわ。(笑)、

人類の生存時間はあと、50億年であるらしい。

CNNのニュースに乗っていたのだが、太陽の核燃料はあと50年ほどで燃えつくし、

核エネルギーを使い果たした太陽は赤く染まりながら膨張するということである。

地球の寿命は、24時間に換算すると、現在は、わずか一分ほどであるらしいが、

人類の時間は限られており、太陽の変動により、人類の生存は、おそらく50億年は
持たないであろう、ということである。

太陽が自身の核エネルギーを使い果たしていることは、仏教では「生・成・壊・空」と
喝破されている。

これは、現在までの人類による「自然観察力」によって得られた「真如」といえる。

原則は、まぁいい。

先に、死刑台が公開された。死刑囚の最後に見る此の世の風景は、死刑執行室に向かう前の
「青いカーテン」であるようだ。

こんな死に方、人として不自然極まることは云うまでもない。これについての云云は今の所談
ではない。


さて、太陽が自身の生命を燃えつくして、真っ赤な膨張球体となり、陽光が減少したときは
すでに地球の生命体は滅亡しているのではないかと思われる。


最後の人類の見る風景は、どんな風景なのであろうか?。

そろそろ、ネットから撤退する時期にきたように思う、呆太郎よりの

法華講員を名乗る皆様への、最後の詰問であると受け取って頂いて結構である。

(^^/~~・・・バイバイ、

 

Re: 彼の口癖は・・・御本尊様と御法様です。

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年11月 6日(土)23時16分19秒
返信・引用
  > No.5716[元記事へ]

呆太郎さんへのお返事です。

> ・
>
> >彼の口癖は・・・御本尊様と御法様です。
>
>
> ほう、御本尊様は、創価学会の口癖ですネ。・・・「御法様」ですか?。
>
>
> 「御法主様」ではなく?、
>
>
> この字を間違う法華講員は、おそらく、この世に存在していまい。
>
>
> ・・・と、いうことで。
>
>
> (^^/~~・・・バイバイ、
>
>
> ・

気がつくのが遅くなって失礼いたしました。
返事を頂きましてありがとうございます。
私ごとき無知のものを・かまっていただいてありがとうございます。
小さな誤字にご注意いただき・呆太郎様の気の使いようには・感服いたしました。
何分酒に酔っての勢いでの投稿で・けしからん奴とお叱りくださいませ。
そうですね・・・私はとっくにこの世の存在ではございません・・・30年前の16歳の時に交通事故で転重軽受がなければ・事故死か半身不随の身でしたので・・・呆太郎様の仰せの通り「この世に存在していまい」の我が身です。なにせ交通事故の全治1年の重症でしたものですから・・・過去世の罪の重さは幾ばかりか・・・こんなアンポンタンをお許し下さい。

では・バイバイ♪
 

彼の口癖は・・・御本尊様と御法様です。

 投稿者:呆太郎  投稿日:2010年11月 5日(金)23時45分55秒
返信・引用
 

>彼の口癖は・・・御本尊様と御法様です。


ほう、御本尊様は、創価学会の口癖ですネ。・・・「御法様」ですか?。


「御法主様」ではなく?、


この字を間違う法華講員は、おそらく、この世に存在していまい。


・・・と、いうことで。


(^^/~~・・・バイバイ、


 

宗教とは?、

 投稿者:呆太郎  投稿日:2010年11月 5日(金)23時33分54秒
返信・引用
  いまさらと云うものもおるであろう。(苦笑)、

樋田氏の掲示板は、支離滅裂の大狂乱状態に陥り、その元凶となった私は、とっとと退去を決め込んだ。(笑)、

あそこは「アキマヘン」・・・ともあれ、れいな氏を中心に動いているようで、私ごとき老爺の出るまくはないことをさとりました。(笑)、

そもそもである。彼の管理者の樋田氏が、創価人を脱会に追い込んだことを特筆すべき重大トピックとして捉えているところに、私は違和感を感じるのである。

創価人は、現況においては、脱会希望者が無数にいるのであることは、創賊破折の活動を実践している法華講員であれば、体感して汲み取っている事実なのである。


なにをいまさら、自分の土地の権利を引き替えに折伏をすると云うのは「ウソの折伏」である。(苦笑)、

日蓮大聖人の功徳とは、土地の権利が無償で手に入ることではないし、500世帯を折伏したからエライというものでもない。(笑)、

口先ばかりでも折伏は出来るし、現証なんぞなんとでも解釈は出来る。・・・たとえば、現証に窮したあまり大聖人が「信心の厚薄によるべし」と云われたのは、ハッキリ云うが「論点のスリカエ」である。

「信心」というのは、信仰者の内省の問題であり、たとえ日蓮大聖人といえども、たとえ久遠実成の釈尊といえども、方便品の対告衆の舍利弗といえども、寿量品の対告衆である弥勒菩薩といえども、

「理解不能の次元」なのである。


ここで、ハッキリ云っておこう、私は過去に500世帯くらいの折伏はやっているし、そのせいで「副講頭」もやっているし、法華講青年部の部長もやっている。


が、ここではっきり云っておきたい。

御本尊が常住御本尊であるから信徒がエライということはない。御本尊が形木であるから成仏が難しいということはない。(笑)、

手段を選ばずに折伏をやっているから大聖人様から成仏と云う褒賞を得られるという可能性も無い。(苦笑)、


ようするに、日蓮正宗の信徒としての優等生を描いて「ウソ」をばらまくことは、堕獄への第一歩であることを、キミに云っておきたい。

呆太郎・敬白。

 

現実に目に見えるもの

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年11月 4日(木)23時02分53秒
返信・引用
  正しい判断は・目に見えなければ・誰も信じないものです。
題目を唱えれば・現証が必ず出ます。
私には・難しいことは・何にもわかりません。
日本人のほとんどが・考えるのは苦手です。
TVに映るものが・全部真実だと思っています。
理解できない話は・とんちんかんになってしまうのが現実です。
大聖人様の話をしても・とんちんかんで???ばかりです。
でも・誠心誠意だけが・伝わるのです。
私は・頭が悪くどうしょうもないけれど・精神誠意だけです。
私が・19歳から縁のある今は90歳で折伏を500世帯以上はしている老人が言ってました・・・難しい話は・解るわけ無い!!私は印鑑証明を用意して・自分の土地と引き換えに折伏した無茶を幾度もしたが・叶わない願いは何一つなかった!!折伏は自分の生活を懸けてやるものだ!!この世は大聖人が言っている通り臆病な人間しかおらん・・・あんた!!できるか?仏法は厳しいよ・・・やった分しか功徳は無い!!
口先ばかりは・誰でもできるが・折伏はそうはいかんぞ!!
でも・彼の口から出る言葉は・現証が出ます。
彼の口癖は・・・御本尊様と御法様です。
 

YHA!「うーまん」さん、

 投稿者:呆太郎、  投稿日:2010年10月27日(水)21時26分23秒
返信・引用 編集済
 

おそれ入ります。

今、これまでアップした御歴代や希少書籍の語訳をやっている最中です。

また、珍しいものがあったら紹介しますね。

(^^/~~・・・バイバイ

 

法太郎様

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月26日(火)23時38分26秒
返信・引用
  > No.5711[元記事へ]

呆太郎、さんへのお返事です。

貴重なご投稿をありがとうございます。

拝読致しました。

とても興味深いもので、歴史をかけめぐり・・・

・・・・目を輝かせて読み入りました。

大事にさせて戴きます。

娘たちも興味を懐く一書と思います。

ありがとうございました。

私、自身の能力の範囲で学びの努力をしていきたいと思いますが、
このような貴重な投稿がすぐさまの学びになって、読書などはなかなか
難しい状況です。

拙い身ではありますが、貴重なご投稿にご縁があることに感謝いたします。

管理人・敬白
 

補遺

 投稿者:呆太郎、  投稿日:2010年10月26日(火)20時45分15秒
返信・引用
 

以下の亨師の講述を、今回広くアップしたのは、邪宗が、『聖人御難事』の出世の本懐に
ついて、戒壇の大御本尊のことを指したものではなく、熱原の法難そのものを〝本懐〟と
云ったのである、と論ずる狂乱が出始めたためであります。

宗祖の本懐には二種あり、化義の広宣流布と化法(法体)の広宣流布であります。

化義の広宣流布は、宗祖の教法が止めどなく流れることと、もうひとつ「流溢(るいつ)」
とがあることを日達上人は御指南されております。

たとえ、今は小さな法華講といえども、日達上人は、法華講に対し、

 「山桃の実は
       小さくも身を守り、
                広布の願い萌えいづるらん」

と、お詠みになられました。

昭和五十三年ころの御歌であります。さらに達師は、

「日蓮正宗の教義でないものが広まっても広宣流布とは云わない(趣意)」と明確に
御指南あそばされました。

護法同志の諸氏とともに精進せることを「今生人界の思ひ出」として、今回、投稿さ
せていただきました。

呆太郎・敬白。

 

(無題)

 投稿者:あじゃり二世  投稿日:2010年10月26日(火)20時39分41秒
返信・引用
  お答、ありがとうございます。法華経のどこに書かれているかって、法華経自体がそのために書かれた経典ではないかと、私は思っています。法華経の文底秘沈抄とで言いましょうか。ここでは、法華七喩を使って説明しましたが。まあ、普通から言った、とても信じられないはなしですよね。普通だったら、削除されてもおかしくないところを、削除もしないでとりあって下さり、ありがとうございます。
実は、この話は、聖書、コーラン、諸世紀、、、などのもろもろの予言書に書かれております。日蓮の蒙古襲来の預言も、この雛型にすぎません。そして、その前に、虚空会(地涌の菩薩の出現)でことの真相が判明し、世界の宗教・宗派が一つに帰する。これを一天四海皆帰妙法というのです。
世界の宗教、宗派が争いを止め、いや、人類が争いを止め、世界を一つにまとめることが出来るなんてすばらしいと、思いませんか。
 

うーまん氏へのプレゼント、

 投稿者:呆太郎、  投稿日:2010年10月26日(火)20時22分4秒
返信・引用
 
法太郎改め、呆太郎であります。

今般、御宗門では公式に公開しているものではないのですが、かなり珍しい御歴代の著を紹介したい。最近、邪宗ではこれを使って悪巧みを企てるものがいくらかいるようです。日亨上人が熱原法難を宗祖の本懐と論じられたのは、この一書のみであります。

が、この「富士教学の陵夷」は筆者の香道師が書き取ったものであり、御宗門の公式書籍とは言い難いものがあり、香道師が清書するにあたり、どの程度まで香道師の思考が混入したかは不明であり、この全てを日亨上人のものとするには、やや、躊躇すべきと思います。

(一)、日亨上人は熱原法難を以て「宗祖の本懐」と述べている一節がありますが、「上求菩提下化衆生」による衆生の末端に至るまで教が、広く布かれたことを述べられたものであります。これ「化義」の上の広宣流布であります。

(二)、最後の(付)に、観心本尊抄で説かれた五重三段のうち、文底下種三段が明瞭に説かれており、正宗分は御本尊に題目と戒壇を含むと説かれております。これが「化法」の広宣流布であり、宗祖の化法は一大秘法の大御本尊に極まるのであり、即ち、法体の広宣流布が論じられております。

宗祖の本懐は法体の建立にあるわけで、阿仏房御書に、「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。(御書・七九二頁)」と説かれているごとく、宗祖は明瞭に御自身の本懐は大御本尊の顕発にあることを御指南されております。

以上の二点のみ押さえれば、邪宗の邪難は恐るに足りません。異流義なぞ、五重三段など知らず、ましてや文底下種の三段などは思いも寄らない法義なのでありましょう。であるから、都合の良いところがあれば、その切り文に縛られて他が見えなくなり、邪義がさらに進行して狂者の症状を呈することとなります。(笑)、以下全文、


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

富士教学の陵夷  堀 日亨 講述

去る昭和十四年(八月十九日~二十三日)の講習会には「富士教学の陵夷」と題して講義をした。陵とは丘であり、盛であり、隆である。此れに対して、夷とは平地であり、盛に対して衰であり、隆に対する退である。

 一、法脈相承の形式   二、三宝式
 三、二品読誦      四、符及守
 五、国諫        六、僧俗一途
 七、六老会議      八、社参禁止


以上の大要八項目について話したが、

 九、興学 十、布教 十一、聖凡行

の三項目が当時残ったため、今度は此等について話していく。


一、法脈相承については、大は前法主から新法主への相承、小は僧侶から俗信の者への相承も又、法脈の相承である。石山では近来、後者は余り言わないが、宗祖から阿仏房への書には、僧から俗への相承を明かされておる。


私(日亨)が聴講衆に法門を話し、それを夫々受入れる所に相承が成り立つのである。

イ、口決相承(秘密)
ロ、広く相承(顕露)


石山では古来から経巻相承と言う事を頭から毛嫌いする慣習があるが、此れは宜敷くない。

二、三宝式は、人法一箇の大御本尊一体三宝とすべきである。

三、対他宗的には、二品読誦についての知識を大いに必要とする。

四、中世、不便な所では符も守も必ずしも法主が書かず、形式上のことは時代の変遷に依って改めるべきである。
五、安国論主義は、何時までも身命・寺院・信徒を的としてあくまでも実行しなければならない。
  形式だけでは駄目である。

六、僧と俗とは、信仰に於て区別なし。唯、その立場が違うだけである。信仰の法則も行相も一途なり。
  但し俗は  生活をしながら信仰を増進し、僧は生活と信仰を合致させなくてはならない。

七、宗祖が病気中に、夫々地方に是非必要な弟子を本弟子として六人定められ、合議制度とされた。
  昭は浜土、は比企谷、向は藻原、頂は真問、興は甲・駿の旗頭として定められた。後年、
  日興上人は此の先例を用いて、本六を石山に、新六は重須に居て富山の行政上の合議を行わせられた。

八、社参の禁止は、法義から見れば外かくの問題であって、宗祖の法門から見れば低い位地の事であるが、
  実際には社会的に大問題である。


扨て学問なき信仰は誠に弱いのである。世間の変動や思想の変動、生活の急変等に依って退転してしまうのである。布教は信仰と熱と弁が有れば出来ると誤解されて来た者が有るが、見識を磨くには学問が大いに必要である。学問を修得すれば信仰上必要な本因妙の助けとなる。世間の学問、普通仏教上の学問、宗門独特の学問、此等の何れもが行態を進め、信仰を増す。次に広宣流布は天下の与論が涌き上がって来なくては出来上がらない。

徳川時代には幕府の行政制度に依って僧俗の区別が分かたれた。天台・真言に於ては従来より分たれて居た。区別の判明しない所に末法の味が有る。開山上人の弟子分帳には、波木井・南条等を第一の弟子なりとされ、百姓(熱原等の)を在家の弟子とされ、婦人等は女弟子とされている。従って、宗祖は檀那の中に弟子ありとされている。鎌倉の民間に信仰されていた仏教には僧俗の区別なし。末法は僧俗一途、以て経営すべきである。



九、興学

宗門に於いて、学問は如何様に行われて来たかを、お話しする。宗学要集、資料類聚、談林の段を見ると良く判るので便宜である。

宗祖の御在世当時は俗に鎌倉闇黒時代と一般に言われている。政治上の学問をするため、かたがた僧侶に学問をさせるために行われていた遣唐使は(菅原)道真の時に廃止されてしまい、支那の文化は新に取り入れられる方途がなくなってしまった。仏教も学問も共に支那よりも日本が勝れて居たために、取り入れるものも無くなってしまったと言うのが廃止の理由であろう。その後は、一部の者だけが学問をしたが、民間では平易な信仰仏教が盛んとなり、前時代のように学問は広く行われなくなっていた。従って世間の学問も当時は教える人が余り無かった。

宗祖の弟子・檀那の中にも普通の学問及び普通の仏教学等の有る人は、余り無かったようである。(昭・朗・向・頂等)宗祖の御筆を見ても当て字が多い。


興尊は若年の頃に四十九院・須津の庄・中里に於て冷泉中将に就て歌・国文・筆道を。美作について学び漢学を学ばれた。後に及んで、日向が「日興は安国論を外典読みする」とけなした程、興師は漢文を意得されていた。大石記を見ると、

 イ、日仙・日代の問答 日道上人は下之坊に居て、しめくくられた。

 ロ、当時、重須には御経も満足に読めない人があった程、文字に暗かった。

 此のような事が書かれている。

○日時上人の筆は立派である。何所で修学されたか詳かでないが、或は仙波に赴いて尊海に就て田舎天台学を修められたのではなかろうか。但し、どの程度まで学ばれたか記録は無い。

○影・阿・底三師については何れも不明である。

○有師が宗学大成までの経路は明らかでないが、青年時代に天台学を得られたのではなかろうか。近江の柏原駅の東の山中に成菩提院と言う寺が有る。此所に柏原談所が有り田舎天台の談所であった。此所の学頭貞舜の著に「相原案立」と言う本がある。学頭貞舜-慶舜。日有上人は京都に巡化の途次、柏原の慶舜の所に度々行かれたと記した古書が房山に有る。日有上人の書き物、有師の聞書(吉奈大乗房・下野連陽房等の記した)には、貴重なものが多くある。

○昌師は飯高談林の出身。此の時代から石山と一般日宗との学問上の交渉が開かれて来た。有師が諸国を巡化して本因妙を弘められたが、余り影響がなかったが、昌師は談林関係のためか、他宗の書物にも其の名が残っている。

○盈師は京の松ケ崎、下総の小西・中村、上総の市東と、各談林に席を置かれている。恐らく玄・文己上に進まれたであろう。東金に有った顕本の宮谷談林では玄義の能化を勤められた。富士から他門の談林へ行った人の中では成績優秀の方である。尚、昔の山小寺たる大石寺を今の大石寺に成した人である。然し寺域の規模についてであって、信仰的・学問的には余り尽されなかった。

○精師は宮谷談林で表面では天台学をやりながら内面は日蓮宗の学問を行われ、本迹論以上の論評となって、顕本対八品・富士の論評の結果、現在の本城寺の南方に沼田の談林を八品学徒と共に創められて此所に移られた。新設の沼田談林に於て、八品の教義と合わぬ富士の学徒は更に分離して細草談林を創設して移った。談林では日蓮宗の宗義を盛にするために台学を学んだのである。

沼田能化で後に京都妙蓮寺の二十代貫主となった信入院日崇を能化とし、本能・妙蓮両寺系の少数の所化が、石山・重須・下条等の所化と合して細草に移った。談林建立の経費は法詔寺日感の尽力に依って敬台院から出資された。寛師の天台学は信入院日崇の台学に依られた。

○舜師は次の典師岡様に、沼田談林で小部即ち名目・條箇・集解を講じられた。従来、石山系からは能化出でず、漸く舜師が始めて能化(八代)となられた。已後は全体の六・七割まで石山系で占められている。舜師は台・宗学共に寛師の師僧とも言うべき立場であった。筆法も寛師の若い時代の物は舜師と同じである。老後は悪くのびてしまったようである。

○永師は道・郷己来絶えていた学頭寮の講堂・部屋を現在の蓮蔵坊の後方に建立して、寛師を学頭として、宗学・祖書を講ぜしめられた。細草入談の所化は自費であった。石山は一寮を常に持って居た。後年、細草焼失の時の記録に依ると、石山の寮は二・三有ったようである。

○啓師も談林能化となり、己後は能化続出し、最後は日胤上人まで続いたが、能化続出のために石山歴世の在位年数が短くなった。日胤上人は山城の大亀谷談林の出身である。大亀谷は八品の談所であった。同じ山城の小栗栖は要山の談林なり。

久遠院日謄は細草の能化となり、英師の代に石山の学頭に補せられながら十年も石山に登らなかった。英師が支度金として百両送られたが、書物を買い入れるのに全部費やしてしまい、学頭には敬台寺の寂光院日遥を推された。日遥は大亀谷の出身で老年の故に辞退されたので、霑師が昇進された。

○忠師は細草で能化にならず、文句部の上座であった。

○礼師も忠師と同様であった。殊に礼師が猊座に昇られる事に定まった時は、ゴタゴタしたようである。談林での日常生活は世法に準じて繁雑な制度と厳格な法度に規制されていた。春秋各々百日間づつ開講されていたが、朱子・陽明・荻生の復古的な漢学等は余りやらなかったようである。談林が閉講されている冬・夏には、本山から行っている所化は山に帰って学寮の所化部屋で、地方の末寺から行っている者は夫々師僧の所へ帰って行って三道に勤めた。

久遠院日騰は、初め名古屋の書店一貫堂の小僧であったが、幼少から書に親しまれたのであろう。談林でも漢学のみに止まらず、梵暦(印度磨)までも、芝増上寺に来ていた普門律師に就いて学ばれた。又、石山の経蔵には明本の一切経が有ったが、芝増上寺に有る高麗・宋・明本の三蔵を閲経されている。

覚林坊日如は特に秀でて居た人であるが、仙台で二十七年も流罪されたので石山では敬遠され、黒須野に寓居して居られたが、当時では富士系第一の学僧であった。

○寛師は歌や詩も良く作られていたが、何所で学ばれたかは不明である。

久遠院己後は、幕末から明治に至る世間動乱のためか、余り学問に励まなかったようである。小梅の山口俊嶺は大坂蓮華寺に在寺中は漢学・語学を修めて藤沢塾の塾頑を勤めた程の人だが、著書は無い。その他には見るべき者も出ず。尚、要山の日辰は「学党式」を定めて、学徒を物・心共に敬っている。石山でも学問をやろうと志す者に便宜を与え、奨励するようにすべきであろう。


十、布教

徳川時代は特に布教と言う事に重きを置かなかった。布教は強折をともなうために、本山に害の及ぼされるのを恐れたからであろうか。寛政度に於ける加州信徒が金沢城下で強折し続けたが、法難に遭うに及んでも尚、本山では此れを援けて温んで布教しようとしなかった、例の如し。強折出来ぬ布教は宗門の布教に非ず、と言う考え方のようであった。

精師は江戸鴬谷在住時代に上野黒門辺りの道路で演説を行われたらしい。永師・寛師の時代には布教に関する文献が残っている。精師の弟子の中で、異流を立てる者が出来した。此れが後世、堅樹日好の異流の源となった。

九州に於ける妙寿日成尼の布教、有元大慈院の布教、盛師、胤師の布教は、近世では何れも独特のもので活目に値いする。(量師の俗弟子たる)長瀬清十郎は、師の化に浴して入信。後に出家した者であるが、彼の布教は実に立派なものであった。


十「聖凡行

聖僧・凡僧の名は鎌倉時代から用いられているが、戒律等に依る根拠は無い。大乗四十八戒・小乗二百五十戒を持つ者必ずしも聖僧ならず。戒の持・破に依って聖凡を定める人もないではない。平安・藤原時代の末期には諸大寺の持戒は乱れてしまったと言う事が「沙石集」という本に書いてある。

開山上人は戒の持・破を論じられず。何となく乱暴な事をしないで信仰が有り、人を導くに足る人を聖僧と言い、其れ已下の人を凡僧と言う。此のような見方・考え方を以て、開山の二十六ケ条、有師の百二十一ケ条等を拝すると面白い。

衣食住を質素にし、女犯を厳禁した者を、鎌倉時代には聖僧とし、人間に近い生活状態の者を凡僧とした。此の考え方は、戒定慧三学の内で戒に最も重点を置いた考えに依る。


開山の二十六ケ条の中に「余が門弟は聖僧たるべし云々」或は「時の門主たりとも云々」等とあるが、五人所破抄には聖凡を論ぜず。それ故に二十六ケ条は偽書なりとする説が古くから有る。或は二十六ケ条中、五ケ条位は後人の加筆かと思われる。

有師は、既に戒行の時代にあらず、無戒時代なりと戒の持破は論ぜず。戒を超越して精神をこめて唱える題目行が戒なりと、至る所に説かれている。但し、戒を破るような乱行をしてはならない。先師方の仰せの形を取らず、精神を汲み取って日常の行態として、夫々僧道を全うすべきである。



(附)

文書の地位・性格・因縁等を他門外部に対して明示すべし。そのためには、

 イ、直伝等の授書を精しく検討しなくてはならない。
 ロ、法門の組立てが論理的である事が必要である。

○門徒存知事は草案である。日澄が筆したもので、後段の追加文たる八ケ条は開山の筆哉。此れに依って三位日順は五人所破抄を記す。五一反目の法門は既に日澄に至って見了・批判し得た。

三秘抄は太田氏へ送られ、太田氏から日頂へ、日頂から日澄へ譲り渡され、日澄から日順へ与えられ、日順が大沢の草庵へ持って行き、已後不明と見るべきであろう。三秘抄によって日澄は戒壇建立の地を何所とも明示しなかった。

日順は叡山に修学した人でもあり、迹門戒壇に対して、富士山に本門戒壇建立と断定している。此の考えを五人所破抄に明示している。宗祖の真意は、本尊の在す所即戒壇なりである。延山流では、唱題する所即戒壇なりと言うが、此れは本尊を正意としない故に言う所の非壇論である。化導を全うしない仏教は「戯論」である。


上の仏が下の衆生を対手として導くのを教と言う。導かれた者が仏の意を内蔵してこそ、初めて本懐を達したと言える。弘安三年の熱原の件こそ本懐を達したと言える事である。本因妙抄・百六ケ抄等は法身の開顛たる種脱の仕上げとも言うべきものである。

宗祖の在滅を通じて一代三段に分ち、法身の開顕たる本尊の制定を正とし、此れが流通を定められたのが両巻抄であると言える。法体は一応本尊抄に明かされて居るけれども。

 序- 文永八年迄は上行の確証(報身の開顕)。題目を中心として本尊・戒壇を表には顕さず。

 正- 弘安二年迄は三秘の建立(法体の開顕)。本尊を中心として題目・戒壇を内に含む

 流通-弘安二年己後は戒壇を主として本尊・題目を内に含む。左に図を以て示す。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




在滅三段
                    (付嘱流通)
   ┏━━━序━━━上行確証━━━━題目━━━┓
   ┃   ┃           ┃    ┃
   ┃   ┣━━━報身開顕    ┃    ┣━━━序━━┓
   ┃   ┃           ┃    ┃      ┃
在世━╋━━━正━━━三秘建立━━━━本尊━━━┛      ┃
   ┃   ┃           ┃(付嘱流通)      ┃
   ┃   ┣━━━法体開顕    ┃           ┃
   ┃   ┃           ┃           ┃
   ┗━━━流━━━勧持流通    戒壇━━━━━━━正━━╋━滅後
                               ┃
           付嘱流通                ┃
                               ┃
                               ┃
                            流━━┛



(昭和四十五年五月二十二日清書畢  香道日祥)
 

Re: 法華経

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月25日(月)22時27分11秒
返信・引用
  > No.5706[元記事へ]

あじゃり二世さんへのお返事です。

ここに書かれている内容を理解することができませんが、

これらの物語は、法華経に書かれているのでしょうか?

なんだかアブナイ思想が含まれているように感じておりますが・・・。

法華経のどの部分に書かれているのか教えてください。

はじめてお聞きしますので、よろしくお願いします。

管理人
 

法華経

 投稿者:あじゃり二世  投稿日:2010年10月25日(月)21時05分11秒
返信・引用
  古くてボロボロの屋敷(惑星)があった。その屋敷(惑星)には、多くの小部屋(国々)があり、
また、汚物(環境汚染物質)で満ちていた。
その時、その屋敷の持ち主(その惑星の影の支配者)は、屋敷(惑星)の外の宇宙ステーションにいた。
(惑星の支配者達は、全ての問題は人口増加にあると考え、不要な人々を処分すべく、
キラー衛星から、地上の人々を攻撃した。そうとは知らぬ地上に残された人々は、全面核戦争を始めてしまう。
あまりにも多くの核を使用したために、その惑星は人の住めない死の惑星となってしまった。
その惑星は、火宅となり、住民もろとも焼け死んだのだ。
そのおかげでこの陰謀を実行した人々は、宇宙に閉じ込められて、そこで後悔と絶望の内に死んでいった。
しかし彼らの子孫は生残り、理想郷を求めて、宇宙の果てに旅立って行った。
宇宙には彼らのなんとか住める惑星はあっても、彼らの祖先が破壊した惑星ほどすばらしい惑星はなかった。
実に彼らは、千年以上宇宙空間を放浪することになる。
この期間に、彼らの体は、すっかり宇宙人になってしまったものの、
バイオテクノロジーによる無量の寿命(永遠の生命)を完成する。
そしてとうとう、彼らは、UFOすなわちタイムマシンを完成し、
彼らの祖先が破壊した惑星、地球に、帰ってきたのだ。

そして、1999年7の月から始まった不要人類抹殺計画を早い段階で阻止し、
地震活動がもっとも活発になることを狙って、疫病をばら撒いたのだ。
その疫病は、あまりにも凄まじく、大飢饉、暴動、戦争を引き起こし、再びこの世を火宅としたのである。
そしてころあいを見計らい、特効薬と食糧と石油を携えて、彼らは、天から降臨したのであった。
しかし彼らは、彼らの支配体制が整うと、地球人を奴隷にしてしまったのである。
まさに、彼らこそ第六天の魔王であった。
これは、余りにもひど過ぎると思った未来人のグループがあった。
この時間の世界に先行する時間の世界で、彼らは直接、地上に降り立ち、
これらのことを、地球人に警告した。しかし理解されず、追い返されてしまった。

そこで、彼らは、方便を使うことにした。彼らは良医になって地球人を救うことにした。
彼らは我々を飛び越え、六千年前まで遡り、三つの車(三車)、、世界の三大宗教を残した。
いや、全ての宗教を残したのだ。化城として宗教を与えたのである。
彼らは、我々の襟に、測り知れないほどの価値のある珠を縫い込んだのである。

そして、時が来たら、すべての宗教はどれとも違う唯一乗になるように仕組んでおいたのだ。
多くの宗教宗派を仏は、雨を降らせ、養って来たのだ。
しかし、その時には、その真意を悟りその忠告に従う良い木と、それに背く悪い木が生じるのである。

しかしこれは、単なる歴史にすぎない。
この人類の不幸を招いているのは、むしろ衆生の無明にある。
自分たちの生命こそ、如来(宇宙)の分霊であり、
無量の力(明珠)が与えられていることすら知らなかったことにある。
長者の息子は、自分が何ものであるかも知らず、マイナス思念を発し不幸になり、
無明の闇をさ迷って来たのである。 今こそ、我々はこれらの事実を認め、彼ら地獄から涌きだす地涌の菩薩たちを受け入れ、
自己の中の煩悩(マイナス思念)を洗い清め、皆の幸福を願う慈悲の思念を発し、
仏国土をこの地上に、出現させなければならない
 

よほど気に障ったようですね。

 投稿者:如水  投稿日:2010年10月22日(金)23時39分56秒
返信・引用
  > No.5704[元記事へ]

如氷さんへのお返事です。

レスを返すのがお早いですね。

顕本法華宗のお坊さんはよほど暇をもてあましているらしい。

それにしても、中身のないレスですね。

「あほゆうやつがあほじゃあ」みたいな内容ですね。


> いいえ、私は法華講かも知れませんよ。私は日蓮正宗の法太郎とあなたと同じ事をしているだけです。
>
> つまり、あなた方が「某巨大在家新興宗教の会員にそっくりだ」と教えてあげているわけです。


笑われるのがお好きなんですね(笑)
 

よかったですね

 投稿者:如氷  投稿日:2010年10月20日(水)08時44分23秒
返信・引用
  > No.5703[元記事へ]

いいえ、私は法華講かも知れませんよ。私は日蓮正宗の法太郎とあなたと同じ事をしているだけです。

つまり、あなた方が「某巨大在家新興宗教の会員にそっくりだ」と教えてあげているわけです。
 

やれやれ

 投稿者:如水  投稿日:2010年10月20日(水)07時33分1秒
返信・引用
  > No.5702[元記事へ]

如氷さんへのお返事です。

> 法太郎さんへのお返事です。
>
> こちらでも、宜しくお願い致します。
>
> http://9324.teacup.com/hotaro/bbs

本当にやることなすこと某巨大在家新興宗教の会員にそっくりですね。

顕本法華宗のお坊さんって。

恥ずかしくなりませんか?

いえ、あなたが「恥知らず」なのはとうに了解していますが、一応確認させていただきました。

で、「如氷」ってあなたの道号ですか?

なわけないか・・・。

単に私のハンドルネームをもじっただけですよね。

本当に情けないなあ・・・。

いたくかたはらいたきものなり。
 

Re: 管理者殿へ、

 投稿者:如氷  投稿日:2010年10月18日(月)10時40分48秒
返信・引用
  > No.5698[元記事へ]

法太郎さんへのお返事です。

こちらでも、宜しくお願い致します。

http://9324.teacup.com/hotaro/bbs
 

応相談

 投稿者:そらうみ  投稿日:2010年10月17日(日)22時53分19秒
返信・引用
  決まりは決まりとして確かに存在するけど実際の運用は個々のお寺の住職の裁量に任されている場合もあるようだ、たぶん。だから下の人のように知らない人もいる。
筆者はこれまで幾人かに仏縁を持たせてきたが、入信する際は必ず住職に「ご供養はどうするか」を質問している。答えも必ず決まっていて「普段のご供養と同じに心得てください」だ。つまり金額的にはいくらでもいいということ。

なぜ答えの決まっていることを毎回確認するかというとご供養に関して信徒が勝手な判断を加えてはいけないことを知っているからだ。

ただし学会員の折伏の場合「御本尊の再下付は5千円」と言い渡すことに決めていた。この場合、本人は正しい信仰をしていた経験者であり破折とけじめをつけるためであった。
しかしある時そう話していたにもかかわらず住職と面談の折、本人が「ご供養はいくらか」と直接住職に尋ねたことがあった。

正直ここで「いくらでもいい」と言われてしまえば筆者は詐欺まがいの行為をしたことになり、信用も面目も丸つぶれであり、冷や汗をかいたことがある。
だがそこで住職は毅然として「御本尊再下付の時のご供養は5千円です」と言ってくれた。

それ以降は学会員の折伏の時も「5千円と伝えてよいか」を確認することにした。やはりご供養に関して(御本尊のことなら尚更だが)信徒が軽々に判断して勝手をしてはいけないからだ。

しかしだからといって必ずその金額を用意できなければ御受戒も御本尊も戴けないかというとそれはまたそれで無慈悲であろうというもの。原則は原則。
折伏成就を祈ります。

それはそれとして。。。。
自分の知らないことを問われていきなり「なりすまし」発言をするような対応が信仰の成果だとするとそんな信仰したくないだの、井の中の蛙だの言われても仕方ないな。
 

Re: 管理者殿へ、

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月17日(日)18時31分36秒
返信・引用
  > No.5698[元記事へ]

法太郎さんへのお返事です。

法太郎さま、了解いたしました。

こちらこそ大変お世話になりました。
ホントに日蓮正宗についてよく学びました。

いい出会いがあって有り難く、私自身の成長に相当な影響を与えて下さり
お世話になりました。

私のところに残っている資料は、大切にさせて戴きます。

また、ご活躍の場にお伺いして拝見させて戴きます。

ありがとうございました。

管理人  敬白
 

Re: 普通でしょ

 投稿者:初心者  投稿日:2010年10月17日(日)16時30分45秒
返信・引用
  > No.5696[元記事へ]

そらうみさんへのお返事です。そうです、御本尊様もいただきます。以前学会の偽本尊に変えてしまったそうです。そんなにいろいろ細かく決まってるんですね。でも友人は今とても苦しい状態なので御住職様に相談してみます。

> 誰か言ってるように「御授戒で5千円」と言われたなら問題かもしれないけど、初心者さんは「かん戒」と言われているのだから、その勧戒が御本尊再下付を伴うものだったなら5千円で間違いないですよ。
>
> ちなみに家族5人そろって御授戒(だけ)を受けるなら5千円。家族5人で御本尊を初めて下付される場合だと(矛盾するようだけど)3千円。
>
> 御本尊再下付なら人数にかかわらず5千円。
>
>
> これは代々法華の伝統!なんかじゃなく宗務院が決めたこと。
 

管理者殿へ、

 投稿者:法太郎  投稿日:2010年10月17日(日)12時47分43秒
返信・引用
 

ご無沙汰しております。法太郎めにございます。

私のサイトにリンクをお張りくださり、ありがとうございます。

インフォーシークのサービス停止に伴い、私どものサイトは今月末をもって閉鎖することと
なりましたのでお知らせ致します。

速やかに、リンクをお切りくださるようお願い致します。今後、サイトを自分のプロバイダ
のサイトに移行するかどうか検討中でありますが、一旦は休止とします。

今後は、邪宗叩きとして樋田氏の掲示板である「降魔の剣」

http://8223.teacup.com/koumanoken/bbs

とともに、理論研究の場として顕本法華宗などの破折で知られた法蔵の「破邪の蘭室」

http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs

で、且くのあいだ参加しようと考えています。

管理者様にはたいへんご支援をいただき深くも感謝申し上げます。

法太郎・敬白。

 

Re: 自浄能力

 投稿者:山さん  投稿日:2010年10月17日(日)09時54分34秒
返信・引用
  > No.5692[元記事へ]

そらうみさんへのお返事です。

> 何を言ってくれてもたぶんかまわないと思う。それも自由だろう。ただ自由には責任が伴うもんだね。社会に害毒を流し続ける宗教を国法の名の下に容認することを日蓮正宗では良しとしない、ってことなんだろう。
>
>
> あと、中途参加の筆者には意味がわからないこともあったりしたが、信仰は人格形成に多く寄与してるとは思うけど信仰だけが彼女の人格を決定したものでは無いと思う。
>
> むしろどんな人間の屑でもカスでも日蓮正宗を信仰すれば最終的に成仏できるというのが日蓮正宗のすごいところ。いくら人格者でもノーベル賞とっても成仏できなければ意味がないとしたものだろうね、たぶん。
>
> だから大さんが人格形成主義者ならともかく仏道修行者なら仏道成就をまず念頭に置くべきだろう、としたもんだ。

うみねこさん。しかし彼女がしたんでないにしろ、動物に石を投げる行為は、不謹慎だと思います。

それを注意する。おかしく思うのは、人間の性ではないでしょうか。

何故その場にいた、法華講員は注意をしなかったのか?

都合が良すぎるんですよ。

十四誹謗はただの言い訳ですよ。

それで彼女もその場にいた、法華講員も罪障を積むのではないですか?

それでまた関係のない、御僧侶に迷惑がかかるのでは?

大さんは、そこを言いたかったんではないでしかね?

と思います。
 

普通でしょ

 投稿者:そらうみ  投稿日:2010年10月17日(日)00時08分59秒
返信・引用
  誰か言ってるように「御授戒で5千円」と言われたなら問題かもしれないけど、初心者さんは「かん戒」と言われているのだから、その勧戒が御本尊再下付を伴うものだったなら5千円で間違いないですよ。

ちなみに家族5人そろって御授戒(だけ)を受けるなら5千円。家族5人で御本尊を初めて下付される場合だと(矛盾するようだけど)3千円。

御本尊再下付なら人数にかかわらず5千円。


これは代々法華の伝統!なんかじゃなく宗務院が決めたこと。
 

Re: 教えてください

 投稿者:長岡鉄斎  投稿日:2010年10月16日(土)22時39分47秒
返信・引用
  > No.5694[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

> 先日友人をしゃく伏してお寺にお連れしてかん戒を受けることになりました。ご住職様にお話ししてご供養の話になったら、5千円と言われました。友人にはご供養は真心だからいくらでも・・・と話していたのですが、これってふつうなんでしょうか。私が無知なのかもしれないけど。おねがいしまs。


失礼ですが、あなたは法華講員さんでしょうか?

御受戒に関し、5千円と金額を決めているとしたら問題です。どこの寺院でしょうか?
それとも、貴殿は学会員の「法華講員なりすまし」ですか?

以上
 

教えてください

 投稿者:初心者  投稿日:2010年10月16日(土)17時09分3秒
返信・引用
  先日友人をしゃく伏してお寺にお連れしてかん戒を受けることになりました。ご住職様にお話ししてご供養の話になったら、5千円と言われました。友人にはご供養は真心だからいくらでも・・・と話していたのですが、これってふつうなんでしょうか。私が無知なのかもしれないけど。おねがいしまs。  

人間革命

 投稿者:そらうみ  投稿日:2010年10月15日(金)21時36分29秒
返信・引用 編集済
  かつて(今は知らないが・・)創価学会では信仰の目的について「人間革命」の語を標語のように使い、ほとんど「成仏」と同義語のように使用していた、と思う。

「人間革命」とは・・・怒りっぽい人が優しくなり、ネガティブな人がポジティブになり、貧乏人が金持ちに、病人が健康になる、、、ようなことだった、と思う。

確かにこれらは信仰の功徳としての現証ではある。しかし、信仰の究極の目的は「成仏」にあり、その即身成仏の現証はその体を改めることなく、つまり貧乏人は貧乏なままでも、病人は病気のままでもアホはアホのまま、馬鹿は馬鹿のまま成仏することにある。

性格異常や異常行動者を非難することはたやすい。しかし、彼らを成仏させるために善導できうるものは日蓮正宗しかない。

一票欲しさにおもねることもなく、無責任に非難するだけでもない。彼と彼女を成仏させるために地涌の善導は続く。。なんてな。


ところで彼女はなんで「日蓮宗と真言宗」だったんだろう?

ちょっとだけ彼女のトラウマが気になる、そらうみ(空海ではない)。
 

Re: 自浄能力

 投稿者:そらうみ  投稿日:2010年10月13日(水)20時00分10秒
返信・引用
  > No.5691[元記事へ]

> 自身が何を信じ込もうと、国法を犯さない限り自由でしょう。

誰か自由じゃないと言った人がいるんだろうか?

> 「日蓮が正しい、そして、代々の僧侶の指導も、きっと正しい」と信じ込むことに、とやかく言うつもりはない。

何を言ってくれてもたぶんかまわないと思う。それも自由だろう。ただ自由には責任が伴うもんだね。社会に害毒を流し続ける宗教を国法の名の下に容認することを日蓮正宗では良しとしない、ってことなんだろう。


あと、中途参加の筆者には意味がわからないこともあったりしたが、信仰は人格形成に多く寄与してるとは思うけど信仰だけが彼女の人格を決定したものでは無いと思う。

むしろどんな人間の屑でもカスでも日蓮正宗を信仰すれば最終的に成仏できるというのが日蓮正宗のすごいところ。いくら人格者でもノーベル賞とっても成仏できなければ意味がないとしたものだろうね、たぶん。


だから大さんが人格形成主義者ならともかく仏道修行者なら仏道成就をまず念頭に置くべきだろう、としたもんだ。
 

自浄能力

 投稿者:  投稿日:2010年10月13日(水)12時29分32秒
返信・引用
  自身が何を信じ込もうと、国法を犯さない限り自由でしょう。

「日蓮が正しい、そして、代々の僧侶の指導も、きっと正しい」と信じ込むことに、とやかく言うつもりはない。

ことし、都の教員資格を見事手に入れたと、喜ぶ彼女に多くの人々がエールを送る。
ところが数日後の彼女の投稿内容は「邪宗日蓮宗、真言宗の人たちはこうなればよかった」と動画を指示していた。

これを開いて、皆が絶句した。

川の真ん中に向けて石でも投げるように、なんと六・七匹のまだ眼が開いていないだろう子犬をつぎつぎに川の中へ投げ込んでいる映像の紹介である。

気分が悪くなる映像なので、ここに乗せる事はしませんが、

この娘さんに「このような、その人が信じる宗教でその人を
判断してはいけませんよ・・・・」と促すのは、言うところの「邪宗」の皆さんです。

なぜこれまで投稿していた多くの正宗信者は注意しないのだろうか。

彼女をこのように育てたものは何なのか、正直私にはわかりません。

しかし、「この娘さんにわが子を受け持って欲しくない」と言う気持ちだけは確かです。
 

Re: 顕本

 投稿者:如氷  投稿日:2010年10月13日(水)01時13分18秒
返信・引用
  > No.5682[元記事へ]

一信徒さんへのお返事です。

何でもかんでも、他のケチをつければという浅ましいのが、法華講でしょうか?
 

Re: 自浄能力

 投稿者:そらうみ  投稿日:2010年10月12日(火)20時42分28秒
返信・引用
  > No.5673[元記事へ]

> 他の掲示板に、そして、一昨日でしたかyahoo!掲示板に「学会の本尊を燃やしている写真」の投稿がありました。もちろん、多くの人々から、大変な非難をされています。
>
> ところが、日ごろ、正宗の正しさを訴えている人々からの非難の声がないのです。
> 残念至極ですね。
>
> 他門の本尊を焼いて、その写真を投稿する。勿論、このような人は正宗でも著しい異端者でしょう。しかし、いの一番に正宗の人たちに非難して欲しかった。


日蓮正宗では謗法払いと言ってそれまで信仰していた邪宗の本尊やお札等を焼却や廃棄する習慣があるからたぶん免疫があるんだろうね。もちろん画像をネットで配信するなどと言う習慣は無いだろうけど。
 

どっちもあり?

 投稿者:そらうみ  投稿日:2010年10月11日(月)20時41分12秒
返信・引用
  缶コーヒーのCMでそんなのがあったかな?確かに、地方在住の筆者には交代より共存を望みたい。(池田が死ねば)創価学会の名目上の指導者は確かに誰かに替わるけど・・・実質は永遠の指導者たる総軍様、、、じゃなかったか、池田路線の継承に過ぎないのであればどっちもありは永遠に無理。。秘密のベールは直に明らかになるし、偽物のベールもまもなく明らかになるかもね。どっちにしても折伏が大事。折伏しないであれこれ言うのはただの増上慢。  

はじめまして

 投稿者:東京一望  投稿日:2010年10月10日(日)09時34分37秒
返信・引用
  東京一望と申します。

いよいよ、東京を一望出来るタワーが完成まじかです。東京タワーから東京スカイツリーに交代です。

http://www.tokyo-skytree.jp/

創価学会も池田大作氏から次の指導者に交代されます。それが誰なのかは秘密のベールに包まれたままです。

以後、宜しくおねがいします。
 

15年前に・・・

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年10月 8日(金)06時47分13秒
返信・引用
  Aさんの経営する会社は・勢いがあったが・取引先・従業員・病気・人間関係で常にイライラする出来事があった・・・Aさんの会社に貼ってある神札がイライラの原因であると指摘すると・神札の前に手を広げて立ち上がり「俺の守り神だ!」と目を怒らしていた。
あれから15年を過ぎて・・・会社も自分の体も・・・もうボロボロで「藁をも掴みたい思いだ」とつぶやくほど・あの頃の勢いは全くなくなっている・・・Aさんに早くお寺に連れて行って・蘇らせてあげたい。
Aさんとは・私が28歳の頃に出会い今の私が46歳・・・出会って18年・・・折伏の縁は・一生涯かけてのものだなと・・・感慨深いです。
 

悲観的な日本人・・・

 投稿者:ひかる  投稿日:2010年10月 6日(水)22時03分28秒
返信・引用
  この夏の東京の猛暑に・・・ドバイから来たインド人が「日本は何でこんなに暑いんだ?」と言っていたらしい・・・また・経済が落ち込んだら・日本人はこの世の終わりのようになって・将来が不安とか・悲観的になりすぎる・・・そんなんじゃ良くなるものも良くならないと・・・外国人からすると謗法の国だからそういう見方になるのでしょうか?
このまま世界の中で日本は遅れをとって見放される・・・外国でも生活できる一部の日本人だけが生き残りその他大勢が取り残され・本当の空洞化が起きてしまう・・・逆を考えれば・世界広布の時である・・・やはり日本国に元気になってもらわねばね。
自分もそうだが・このただならない日本国内の状態を脱却させるためにも折伏せねば。
ほんと・・・くだらんことには・かまう暇などない。
 

Re: 顕本

 投稿者:マリトック  投稿日:2010年10月 1日(金)07時08分46秒
返信・引用
  > No.5682[元記事へ]

一信徒さんへのお返事です。

> マリトックさんへのお返事です。
>
> > よく、顕本がやってくるが何故なのでしょうか?
>
> あなたがケンポンご本人ですよね(^O^)
私は顕本ではございません。法華講員です。
 

Re: 顕本

 投稿者:一信徒  投稿日:2010年 9月29日(水)23時49分21秒
返信・引用
  > No.5679[元記事へ]

マリトックさんへのお返事です。

> よく、顕本がやってくるが何故なのでしょうか?

あなたがケンポンご本人ですよね(^O^)
 

Re: 静かですね

 投稿者:山さん  投稿日:2010年 9月15日(水)21時34分3秒
返信・引用
  > No.5680[元記事へ]

大さんへのお返事です。

> 色々な宗派の方々がお越しになり、色々な角度から「仏教」や「キリスト教」などを、語ってくだされば、「井の中の蛙」になる事も無いでしょうしね。
>
> そんな事で、PCの前に座れる時には、決まって、ここを開くのですが、静かですね。

余計な奴が余計なこと喋ると、騒がしくなりますがね。

まぁ僕も余計な奴なんですが
 

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