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『風の旅人』 42号

FIND the ROOT 彼岸と此岸5

生命の全体像
THE NATURE OF ORDER


過去から未来へと連なる一つの宇宙。
宇宙それ自体の仕組みは、始原より変わっていない。
宇宙の構成要素である物質と、
物質を動かすエネルギーの総和は不変であり、
物質とエネルギーとは相互に転換され得る。
物質とエネルギーが転換されると、場の状態が変化し、
それに応じた秩序ができるだけである。


宇宙に出現する現象は、物質とエネルギーの関係である。
人間社会もまた、これまでの歴史を通じて、
何度も、物質とエネルギーの関係を変化させ、
場の状態を変化させてきた。
人間は、そうした変化の全体像をどこかに記憶しているが、
自分が属する場の状態に応じた秩序に自分を適合させ、
それ以外の可能性は、一時的に忘却している。


人間社会も、宇宙も、その時々の場の状態に応じて
物質とエネルギーの関係性を持ち、形と動きを秩序化する。
その秩序は、固定的なものではなく、常に揺らいでおり、
揺らぎが増幅することで場の状態が変容し、
形と動きが劇的に変わり、新たな秩序が整えられていく。
生命とは、物質とエネルギーの関係性に応じて生滅する
躍動的な秩序的現象である。


風の旅人 編集長 佐伯剛



©井津建郎

※下に紹介している写真は誌面全体のごく一部です。

THE SACRED FORM

© 井津建郎

© 井津建郎

© 井津建郎

IN GOD WE TRUST

© Munem Wasif

© Munem Wasif

© Munem Wasif

THE EYE OF THE NIGHT

© Jehsong Baak

© Jehsong Baak

© Jehsong Baak

いのち鎮風景

© にのみやさをり

© にのみやさをり

© にのみやさをり

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※掲載写真の印刷物への使用は法律で禁止されています。

vol.42 2011年2月発行

定価 ¥1,200(税込)
全170ページ 30×23cm

【 表紙・裏表紙 】

表紙・裏表紙写真/井津建郎

【 写真 】

【 文章 】

     




彼岸と此岸5

いのちの全体像
THE NATURE OF ORDER


 現代生活の隅々まで行き渡っている科学的論理は、宇宙内の全ての場所が同じ科学的性質を持つことを前提に組み立てられている。宇宙内で生じている現象は、誰がどこで見ようが、結果は同じでなければならない。さらに科学的論理に基づく宇宙は、その内に存在するものが全て、必ず、互いに何らかの影響を及ぼしあう存在であることが前提になる。この関係性を、美しく簡潔に示した式が、アルベルト・アインシュタインによって導かれたE=MC²である。( E:エネルギー、M:物質、C:光速 )
 この式は、我々の宇宙における物質とエネルギーは等価で、転換可能なものであることと、光速を超えた速度は存在しないことを示している。
 エネルギーが物質になり、物質が質量の一部を失うと、エネルギーが発生する。広島に落とされた原子爆弾が核分裂を起こした時、ウラン235(約50kg)のうち、7g程度の質量が消えたと推測されている。
 現代は、科学技術の力で人間にとって都合が良く快適な世界を作ることが当然のように行われているが、そもそも科学によって宇宙の本質を探求する目的は、宇宙内の様々な物事の関係性と存在理由を知ることであった。
 その到達点の一つがE=MC²という公理であり、この式には、一つの物質である私達人間も、死んで消えれば宇宙のエネルギーに転換するという宗教観ともとれる概念が組み込まれている。
 しかし、現実の人間世界は、現代科学が導いた宇宙式とズレが生じている。公理の上では物質とエネルギーは等価なのに、人間は物質に固執し、物質のためにエネルギーが存在しているかのように考え、エネルギーの総量が無限であるかのような営みを続ける。また宇宙内における現象は全て流動的な関係である筈なのに、人それぞれが自分に都合の良い状態を維持しようとするために軋轢が生じ、対立が深まる。人間が作り出した科学的論理と、人間が選択している営みのあいだには乖離があるのだ。
本来、宇宙における人間の存在理由や関係の仕組みを示す筈の科学的論理が、原爆をはじめとして人間の利己的な都合のために使われ、結果として人間環境を脅かすことになってしまう。人間の存在不安や関係への不信は、科学的論理によって解消されるどころか、益々増大する結果となっているのだ。
 その最大の理由は、宇宙全体を視野に入れて存在や関係性をとらえる科学的論理を、現代人が、自分に都合の良い“部分”だけ切り取って活用していることだ。自分に都合の良い部分だけを切り取れば、当然ながら皺寄せは他の場所に行く。
自分の都合で物事を取捨選択する分別は、自我から発生している。自我というのは、自分を中心にエネルギーと物質を集めようとする磁場や重力のような働きの一種で、人間だけが備えるものではないが、人間の自我は、優れた記憶力の働きとともに物事を固定化していく思考運動になりやすい。
 宇宙においては、エネルギーと物質の転換は常に起こり、転換が起こることで場の状態は常に変化していくので、以前とまったく同じ場の状態というのは存在せず、それゆえ、場の中の物とエネルギーの関係性も常に変化していく。しかし、人間の自我に基づく思考運動は、固定化していく性質のために変化全体を捉えることが得意ではなく、現象を個別の瞬間ごとに静止させて区分し、その枠に囚われ、物事の躍動的な関係を断ち切りがちだ。結果として、自分自身もまた世界から切りはなされているという不安感に陥り、益々、自己防衛的になって自分の周辺の枠を強化する。そうなってしまうと、物質からエネルギーへの転換も難しくなり、生気が乏しくなってしまう。頑なな前例主義に陥り、活気の乏しい官僚主義は、その典型と言えるだろう。
 宇宙に存在する物質やエネルギーが互いに関係を持ち、影響を及ぼしあっているという今日の宇宙論の前提は、そのような自我に基づく頑迷な思考によって曇らされる。その偏狭な思考によって「今ある形」のみに囚われ、流れ全体や、自分と全体との関係性が見えなくなり、自らの存在理由がわからなくなる。自分を守るための自我が、自分を蝕んでいくという悪循環に陥ってしまうのだ。
 宇宙の全体像は、物質の寄せ集めではないし、決して固定した形でもない。宇宙全体に存在するエネルギーと物質を互いに転換させ、その都度、“秩序的現象”(ORDER)を生んだり消失させたりする関係性の“本質”(NATURE)はいったい何であるのか。
 つまりそれは、生きて死ぬ私達もその一部として関わっている“生命の全体像”とは何であるのか、という問いと同じである。
 私達の生命は、その場ごとの関係性に応じて、その瞬間ごとに物質とエネルギーの複雑精妙な転換を繰り返しながら、形を生成し、やがて消滅していく。やがて消える宿命だから形を成しても意味がないわけではなく、形を成すプロセスと消滅のプロセスは、他との関係を通して起こる次の段階へとつながっていくからこそ、生命なのだ。
 たとえば人間は、学問を行い、論文を書いたりするが、その形を社会のエネルギーに転換しなければ学界という閉じた場での官僚主義に陥るし、会社での仕事もまた、日々、エネルギーを発揮して働いていても、次につながる形を作り上げているという感覚を得られなければ空虚になる。形とエネルギーが互いに転換するダイナミズムを失うと生命感覚に乏しい状況になってしまうことは、私たちの身の回りを見渡すだけでも、知ることができる。
 生きている人間が認識しづらいのは、私達の身体が消滅したら、それは本当にエネルギーに転換されているかどうか、もしそうならば、どのようなエネルギーとなって、この宇宙に存在しているかだ。
 生命と宇宙は等しい。私達が、生命活動として認識している有機物の活動にかぎらず、鉱物等の無機物、さらに人間の創造物も含め、形を成してやがて消えていくものは全て、宇宙内の物質とエネルギーの関係性に応じて生滅する現象である。全ての現象は、宇宙の秩序に基づいて生じている。人間の目で混沌に見えるものは、人間が、全体の一部を切り取って見るからであり、宇宙全体からの視点では、全ての現象は、他との関係性において、なるべくしてそうなっている秩序的現象である。
 宇宙に存在する全てのものが、互いに影響を受けあいながら、誕生、成長、衰退、消滅を繰り返しており、全てが、一つの生とでも言うべき大いなる関係性のなかに存在している。
 色即是空。「色」は物質、「空」はエネルギー。色と空は等価であり、常に転換するものである。現代科学もまた、私達の宇宙を貫くこの原理を把握し、自我に囚われない視点で、E=MC²という公理を導き出し、この式を社会の中に組み込んでいる。
 そもそも人間の科学的思考は、この広大な宇宙の中で、自らの存在理由を問うために始まった。思考によって自らの内側に閉じてしまい、迷路に入り込むこともあるが、自我に囚われない視点で、常に原点に回帰する必要がある。
 私達の宇宙は一つ。その中の物質とエネルギーの総量は常に等しい。それらは、その時々の場の状態に応じて互いに転換しながら異なる現象を生み出していくが、物質とエネルギーの比率が変わることで場の状態も変化し、その変化が新たな転換を引き起こす。すなわち、私達の宇宙にとって、完全な終わりはなく、それは常に新たな始まりと同じである。
 吹き抜けていく風は、物事に転換するエネルギーの凝縮した場である。場のエネルギーが、何かしらのきっかけによって形あるものに転換する。その形は、やがて姿を消してエネルギーに転換する間際であるから、生き生きと感じられるのである。
 『風の旅人』という雑誌もまた、いつまでも形をとどめるものではない。一つ一つの形が完結しているわけではなく、一つの形は、次の段階のエネルギーとなり、さらにそこから新たな形が生まれる。その転換を繰り返すうちに、どこかの段階で「雑誌」という形でなくなることがあっても、エネルギーがあるかぎり、それが終わりなのではない。
 全てのものは、それぞれの現実世界で、どんな風に生きて消えようとも、宇宙全体からの視点で見ると、そのプロセスは、生命全体の一部として、我々の宇宙を貫く公理にそって存在している。

風の旅人 編集長 佐伯剛