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天声人語

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2011年3月7日(月)付

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 「金時(きんとき)の火事見舞い」といえば赤ら顔である。ニコニコ顔にも「えびす様がアンパン食べてるような」という愉快な例えがあるそうだ。随筆家の戸板康二(やすじ)さんが、幼い頃におばあさんから聞いたと紹介している。もらい笑いを催す破顔が浮かぶ▼えびす様に負けず、その「笑顔」も強烈だ。奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳で見つかった武人の埴輪(はにわ)である。人の形をしたものでは日本最古、4世紀末の作という。下膨れの顔は口と目が笑っている、いや、笑っているように見える▼〈喜怒哀楽のほかに/説明されても/もう我々には分からない感情があっただろう〉。川崎洋さんの詩「埴輪たち」の一節にうなずいた。武人も、表情を四つに整理する私たちの習いを拒むかのようだ▼かぶと姿で盾を構え、墓を守る役目らしい。墳丘から転げ落ちたとみえ、数百のかけらになっていた。墓守としては笑える状況ではない。にわかに元の姿に戻され、照れているようでもある。赤い顔料のせいか▼『埴輪の微笑』(川島達人〈たつひと〉編著、新人物往来社)によると、その魅力は古拙美、素朴で巧まざる美しさにある。「媚(こ)びることなく、何の主張をするでもなく、ただ無心に埴輪であり続けている。埴輪が表情を変えるのは、見る人の心の投影にほかならない」▼だとすれば、この武人に笑いをもらえる人はそこそこ好調といえようか。太古の「幸せ測定器」である。それではと、改めて切り抜きの尊顔を拝してみた。眺めるほどに攻守は逆転、こちらの胸中を見透かされているようで落ち着かない。

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