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悼む:NPO法人「中国帰国者の会」会長・鈴木則子さん=1月26日死去・82歳

 ◇帰国者たちの心の支え--鈴木則子(すずき・のりこ)さん=肺がんのため、1月26日死去・82歳

 「戦時中、中国大陸で何があったか。残された人間がどんな思いで生きてきたか。そのことを訴えたかった」

 戦中、戦後の混乱で帰国できなかった中国残留婦人の一人。中国人と結婚して3女2男の母となり、異国に生活基盤を築いても永住帰国を決意したのは、根底に国に対する怒りがあったからだ。

 東京で生まれ、14歳のとき、両親や姉妹らと旧満州(現中国東北部)の興安南省に開拓団として入植した。敗戦でソ連軍に追われ、どうにか日本に帰ることができたのは妹1人だけ。その妹を頼って1978年、自費で帰国し、家族を呼び寄せた。

 その後の活動は目覚ましい。中国残留孤児の訪日調査の開始を受けて「中国帰国者の会」を82年に設立し、日本語の教育や就職、住居探しなど孤児たちの支援に奔走した。東京都国立市に長く住み、「自分もぎりぎりの生活なのに、鍋やコンロを買いそろえ、親身になって面倒を見た。私たちも、日本人なのか、中国人なのかと苦しんだが、そんな母がいたから家の中は明るかった」と長女で整体師の希美子さん(59)は語る。

 自身が原告となり元孤児と3人で国に計6000万円を求めた訴訟は09年2月、最高裁で原告側の敗訴が確定した。同じく原告だった西田瑠美子さん(77)は「裁判が終わっても小柄な体でつえをつき、あちこち歩いてみんなを励ます姿は変わらなかった」と振り返る。

 昨秋、肺がんが判明した。「2世、3世の問題など、やることはまだいっぱいある」と最期まで気をもんでいた。

 4月10日、文京区の日中友好会館で「お別れの会」が開かれる。心に焼きつく柔和な笑顔は帰国者らの支えとなり続ける。【明珍美紀】=写真は遺族提供

毎日新聞 2011年3月6日 東京朝刊

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