平成23年3月4日
金光学園のホームページに「校長室だより」を載せるようになったのが何年
前だったのか定かではないのですが、そろそろ終わりに近づきました。
私は、この3月末をもって現職を引きます。この欄を毎月楽しみにしていると
いうお声をたまに聞くことはあったのですが、何人の方が開いて見てくださっ
ているのか、私には全く分かりません。これまで「校長室だより」に目を通して
くださった不特定小数?の方々にお礼とお別れを申し上げます。
月初めの更新を自分に課してやってきましたが、時には 2ヶ月ぶりのことも
ありました。HPの担当のY女史から月末になると催促をもらうのですが、「ワ
カッタ」と返事ばかりで、Yさんには度々迷惑をかけました。けれども別にイヤ
イヤやっていたわけではなく、むしろ楽しんでキーに向かって打ち込んできま
した。それだけに思いつきの記事や事実に反する報道もあったかもしれませ
んし、何より気ままな論評を書かしてもらったような気がします。
近況報告から始めましょう。2月13日(日)は中学の新入生招集日でした。
今年、定員を大幅に超えて、205名の入学者が決まり、数年ぶりの6クラス編
成となりました。数学の先生の1名増が必要となり、2月末に採用試験、遅い
時期でしたから応募があるかどうか心配でしたが、おかげで新卒のよい先生
の採用が決まりました。
2月中旬には、例年高校2年生による芸術選択者の発表会が行われます。
音楽選択者は、19日(土)の午後、金光公民館を借り切って、半年以上かけ
て練習してきた音楽演奏を披露しました。ピアノ・コーラス・バンド演奏など、
好きな分野ですから、レベルは相当なものでした。
書道と工芸の選択者は、
校内で作品を展示します。陶芸・面の彫り物・卓上
ランプなど、生徒たちの感性はすばらしいと思います。書道は習字の域を超
えた芸術性を感じさせます。工芸も単に課題を仕上げたというものではなく、
自己の内面が表現に出ています。優秀作品は、卒業式当日玄関のロビーに
展示され、来賓の方々に見ていただきました。
部活動でビッグなのは、 音楽部コーラスです。2月6日に真備町のマービーふ
れあいセンターで、県のボーカルアンサンブルコンテストが行われ、女声合唱
の部で見事1位になり、3月19〜20日に福島市で行われる全国大会に出場す
ることになりました。3年前にもこの大会に出場しましたが、一層の活躍が期
待されます。金光教福島教会の皆様にはあのときたいへんお世話になりまし
たが、この度も教会長にご連絡し、応援とご祈念をよろしくとお願いいたしま
した。
運動部では、ラグビー部です。倉敷福田公園のラグビー場で行われた1.2年
生大会の準々決勝で関西高校を破り、準決勝では、津山工業高校に惜しくも
敗れてベスト4になりました。昨年1年間、仕事の合間を縫って東京から度々
帰郷してラグビー部を指導してくださった横内宏士氏(高校30回卒)は、今の
ラグビー部は県大会どころか全国へ行っても通用する部になっていると言わ
れました。
高校の第63回卒業式は、2月28日に行われました。あいにくの小雨模様で
したが、朝8時に本部参拝する頃は降りやみ、式の始まる前も小降りで、式の
間にかなり降り、第2部が終わったときは完全に上がっていました。本当にお
天気のおかげを頂いたと思いました。参拝のときの代表照岡祐君のお届け
の内容と態度がとても良かった。2年生の守屋早友里さんの送辞は明るく元
気ではきはきとしていた。それに答えた加藤嘉浩君も堂々として十二分に代
表の役割を果たした。
開会の前の司会者の発声を紹介しましよう。
今年度の卒業生は198名、保護者のご出席は237名です。
ご来賓は、衆議院議員柚木道義様、衆議院議員加藤勝信様
夫人周子様同じく村田吉隆様ご代理、浅口市長栗山康彦様、
教育長城山藤一様、教育委員長清水直道様、金光教教務総
長ご代理岡成敏正様をはじめ43名、それに加えて、在校生・
教職員、合計約1000名の参加によって本日の卒業式がまも
なく開催されようとしています。 これほど多くのご来賓の出席
をいただくのはほんとうに有難いことと思います。
第2部は、小体育館に場を変えて、卒業生・来賓・保護者・教師の約500名
が持つ祝賀会です。司会の垣内先生の発声で向き合った卒業生と保護者
・
来賓・教職員とが握手して会は始まります。同窓会会長の歓迎の挨拶、保
護者からの卒業記念品の贈呈、全体合唱「若き人よ」はコーラス部の指導で
次いでお祝いのコーラスとブラスバンドの演奏、そして会食、食前訓は、バ
レー部の中溝翔君、食事が一段落したところでやつなみ保護者会会長高島
義樹様のお祝いの言葉、それから、お待ちかねの「あしあと」は、担任団の先
生が編集したたくさんの写真で 6 年間を振り返るもの、ナレーターは、宰相夕
佳・土谷香奈子の両先生。行事の度に詠んだ短歌も紹介され大きな拍手と
歓声。最後はお礼の言葉、保護者代表土倉芳子様・卒業生代表小林裕子さ
んのあと、3月末に退任する私のために保護者代表弓削さんと垣内さんから
大きな花束と記念品が贈られ、私は心からのお礼を申し上げました。終わり
は学園代表安達恭也副校長のお礼の言葉で締めくくられた。卒業生たちは
「晴れたらいいね」のテープ演奏が流れる中、晴れやかに退場していった。
外では、待ちかねていた各部の後輩たちの歓声が聞こえる。
かくて、198名は旅立っていった。各地の卒業生の皆さん、どうか後輩たち
をよろしくお願いいたします。
3月の校長主催の二つの催しのお知らせ
第10回やつなみセミナー(最終回)
日時:3月12日(土)13:30〜15:30
場所:祈りの室
内容:金光教の教祖の後半生を描いた映画
「おかげは和賀心にあり」の鑑賞
これは一見にも二見にも値する作品です。
初めて参加される人も遠慮なくお出でください。
やつなみ保護者会の読書会 (今年度最終回)
日時: 3月22日(火)
場所:祈りの室
読本:「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」井村和清著
◎ 今後の読書会のあり方についても話し合います。
ずいぶん長くなるのですが、次の一文を、よかったら読んでください。
やつなみ保護者会の機関誌「やつなみ」に連載した私の随想の最終回です。
最後にお礼を述べましたので読んでいただければ幸いです。(一部は省略し
ています)
じゃがいもの花(43)最終回(平成23年3月号)
ラストオーダー ―夢と感謝―
明け方夢を見た。一面霧に包まれているが、運動場があって、体育会が始
まろうとしている。私は校舎の角を H先生と並んで歩きながら、今日が自分
の最後の体育会だと思っている。 H先生も「教員生活のこれが最後です」と
言う。生徒たちは体育会の準備をしたり、楽しそうに話したりしている。私は
生徒たちの群れに近づいていく。すると、地面に紙袋が散らかっている。
私は大声で「誰だこれは。5分以内に片付けろ」と叫ぶ。しばらく歩いて元のと
ころに戻るとゴミはきれいに片付いていて、傍らに大柄な男の子が照れくさそ
うにしている。素直に私の注意を聞いてくれたことがうれしくて、「また捨てろ
よ」と冗談を言う。彼はニヤッと笑う。別のグループに近づくと、ダンボールに
サツマイモが入っていてそばに男子生徒がいる。一本を取り上げて、「これは
おいしそうなお芋だねえ」と言う。開会式が近づいて整列が始まった。柵があ
って外に体育委員らしき男たちが数人立っている。その顔はいつのまにか私
の高校の同級生になっていて「今日はがんばろうぜ」と言っている。
―そこで目が覚めた。時計を見ると3 時半だ。フロイトの心理学なら、この夢
はどう判断されるだろうと思いながら、私は床の中で夢を反芻した。
運動場は、どうも金光学園ではないらしい。荒れた畑のような感じは、私が最
初に教員生活を送った四国の学校かもしれない。 H先生は、退職された学園
の先生で、最近電話で久しぶりに話した。サツマイモの入ったダンボールを
横に置いていたのは、学園に赴任して最初の年に担任した生徒だ。サツマイ
モは、年末に卒業生のおじいさんからおいしいお芋を頂いて焼いもをこしらえ
たのが夢になったのだろう。柵の外に並んでいたのは、私の同級生のO君や
S君や I君であった。こんなことを考えているうちにいつの間にかまた眠ってし
まった。
私はよく夢を見る。ほとんど支離滅裂で、なんでこんな夢を見たのだろうと
分からないことが多い。時には正体不明の美しい女性が登場する楽しい夢も
ある。繰り返して見た怖い夢もあった。それは私がとんでもない大きな罪を犯
して怯えている夢である。大学で進級できないかもしれないと心配している
夢も若い頃は何度か見た。悲しいのは、息子の一人がどんどん私から遠ざか
っていって呼べど叫べど帰ってこない夢。目が覚めるとほっとするけれど、涙
を流していたこともあった。
けれどもあの明け方の夢は私にはよく分かった。 私はこの3月末で現職を去
る。やつなみ誌上の「じゃがいもの花」もこれが最終回である。昨秋引退を決
意してからは、全てが最後と思われて学園の日々の行事や出来事や人物が
愛おしく思えるが、ことにこの「じゃがいもの花」に愛着があったことに気づき、
平成8年186号から22年228号までの42編を読み返してみた。それが、明け方
夢を見た前日のことで、夢の中の出来事は42編の中の表現とどこかに関連
があるだろうと思った。 私は金光学園に、33年間、勤務させていただいた。
生徒としての6年を加えると、39年間学園のお世話になった。そして、大学を
卒業した昭和34年以来52年間、教師としての生活を送った。私の大学時代
は、多くの学生が卒業間近かに就職を決めていた。私は大学の求人情報を
見て、岡山に近くて、公立高校より給料が高いというだけの理由で四国の私
学を選んだ。面接だけで採用が決まり、晴れやかな気分で、校門を出て池の
ほとりの道を歩いていたら、向こうから私と同じ大学の国文科の同級生がや
ってきたのには驚いた。彼とはその後下宿も一緒になって、4年後に別れて
からもずっと付き合ってきた。建設途上の学校で校舎は平屋の木造二棟、
運動場も石ころだらけだったが、昨年、彼と訪れたときは見違えるほど立派
になっていた。
私は子どもの頃から将来の職業はなんとなく学校の先生と思っていたが、
大学を出る頃は雑誌の編集者になりたいとか北海道で農業をやりたいとか
大学院へ進学したいとか、あれこれ思っているうちに多くの選択肢は消えて
結局教師の道を選んだわけだから、いわゆるデモシカ先生であった。
だが、私は、四国で教師の第一歩を踏み出した途端にこの仕事にのめりこんだ。
そしてのめりこんだまま、目に見える大きな喜びと、心の底に深い悲しみ
を残して52年の歳月が過ぎた。
明け方の夢に、散らかったゴミが出てきたのは、清掃についてよく先生や
生徒に言ってきたし、自分でも気をつけていたからだろう。ダンボールの傍ら
にいた男子はすぐれた男で、慶応大学を卒業したが、若くして亡くなった。若
者の死は深い悲しみとして残る。彼の他、不慮の死ともいうべき早世の人た
ちがいて、脳裏に面影はすぐに浮かんでくる。そのなかで在学中に亡くなった
学園生はふたり、一人は平成14年に高校2年生で、一人は平成19年に中学
2年生で亡くなった。私はお二人の御霊としての幸をこれからも祈り続けるし、
お二人は金光学園をいつまでもお守りくださるだろう。
夢の終わりの場面に高校の同級生が何人か登場したのは、O君の入院が気
になっていたからに違いない。
夏目漱石に「夢十夜」という特異な作品があって、いつか私も漱石の真似
をして夢について書いてみたいと思っていた。「夢」とは、まことに不思議なも
のだ。「そんな、夢みたいな事を言うな!」と切り捨てられることもあれば、「正
夢だった!」と歓喜することもある。
「夢」を辞書で引くと、@睡眠中のユメ Aはかないもののたとえ
B空想的な願望 C実現したい願い・理想
と書いてある。「 dream 」を英和で引いても、ほぼ同じ意味が載っている。
古語としての【夢】も意味は現代語と同じである。万葉集にある、大伴旅人の
「梅の花夢に語らく風流びたる花と我思ふ酒に浮かべこそ」は、梅の花が夢
の中に出てきて、<私は風流な花ですからお酒に浮かべてください>と言っ
たというのだから、これは@の意味である。古今集の、小野小町「思ひつつ寝
ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」は、@の意味だがAの
思いもあるだろう。生徒は、「夢は宇宙飛行士になること」など、Cの使い方
が多いだろうが、同じCでも現今の就職難では「夢も希望もない!」と、時代
に絶望する大学生は多い。だが、しかしである。若者の夢とは、大企業に就
職することだけなのか。
最近こんな話を聞いた。大学4年生で卒業が近づいても就職が決まらず、
意気消沈している若者に、その大学の先生が言った。「自信喪失するような
就職活動はやめてしまえ。卒業まで必死にバイトしてお金を貯めて、春にな
ったら自転車で日本縦断でもしてこい。自分だから出来たということをしてみ
ろ」先生はまさか彼が実行するとは思わなかったが、6ヶ月後、彼は真っ黒に
日焼けして先生の前に姿を見せ、「先生やりましたよ」と言った。しかも就職ま
で決めて。先生はうれしさをどう表現していいか分からず、彼のきちんとセッ
トされた髪の毛をグチャグチャにかき回した、という。いい話だと思った。
ここまで書いたとき、若田光一さんが、国際宇宙ステーションの船長に決定
というニュースを聞いた。若田さんは、おばあさんが金光教日本橋教会の熱
心な信者さんで、1996年、若田さんの宇宙船第1回搭乗のときには、当時の
教会長故畑やすし先生は信者さんたちと一緒にフロリダのケネディー宇宙セ
ンターに行き、ご祈念しながら遥かかなたの打ち上げを見守った。若田光一
さんは日本人の夢を実現してくれた。
退職を前に、私の夢はいくつかある。まず、今、学園が企画している、教育
プログラムが実現すること。次に、学園生活の中にいまだにあるいじめが一
切なくなって「合言葉」が実現すること。三つ目は学園生たちが真に世のお役
に立つべく懸命に勉強すると共に、多くの部が全国大会へ出場すること。
音楽部コーラスは、平成23年3月19日、福島の全国大会に出場して早くも私
の夢をかなえてくれた。
バレー部は新・春高の夢を、野球部は甲子園の夢を、ラグビー部は花園の夢
を!諸々の部がそれぞれの夢を!
終わりは私自身の夢、それは、金光教の教祖さまの教えが一人でも多くの
人に伝わるためのお役に立ちたいという願いであり祈りであり夢である。
長い間皆さまから頂いたご厚情に心から感謝いたします。全ての生徒と卒
業生の皆さまに、保護者の皆さまに、ほつま同窓会の皆さまに、「メタセコイ
アの会」の皆さまに、学校法人の皆さまに、教職員の先生方に、金光教の皆
さまに、地域の皆さまに、私の同級生たちに、わが愛する家族と亡き両親に
そして、天地の親神さまに、心からの御礼を申し上げます。