名筆の写経に高麗青磁、ヘンダーソン・コレクションの数々(下)

 ヘンダーソン・コレクションに対する視線はさまざまだ。まず、韓国戦争の混乱のさなかで消失する危機に直面した韓国の文化財を体系的に収集し、それを守ったという肯定的な評価がある。ヘンダーソンは「ハン・デソン」という韓国名を使うほど韓国文化を愛した。当時全国の骨董品商は、品物を仕入れてはヘンダーソン邸に出入りした。

 しかし、文化財搬出犯ではないかとの見方も根強い。1962年に文化財保護法が制定され、海外に文化財を搬出することが不可能になったが、ヘンダーソン氏はいかなる制裁も受けなかった。同氏の没後、ボストンの自宅を取材した現地メディアの記者が「部屋ごとに韓国の文物で満ちあふれており、家全体が博物館のようだった」と述べたほどだった。

 慧門和尚は「当時米政府の歓心を買おうと、政界、軍部、学界、財界の関係者がわいろとして贈った遺物も多かった。苦しかった韓国の近現代史の中で、わが国のエリートがわいろとして贈った文化財の数々だ」と語った。作家チョン・グァンヨンの小説『カピタン・リー』に登場するブラウン博士は、ヘンダーソン氏を風刺した人物だという。

 一方、キム・ジョンギ韓国外国語大言論情報学部名誉教授は、最近出版した『美の国朝鮮』で「1987年にヘンダーソン氏と会った際、同氏は贈られた品は一つもなく、自分のコレクションは外交官の給与でこつこつと買い集めたものだと反論した」と書いている。

 文化体育観光部(省に相当)の鄭柄国(チョン・ビョングク)長官は「ヘンダーソン・コレクションは『違法略奪』だということを証明できないため、返還を受けるのは難しい。海外に搬出された最上級の遺物が初めて里帰りすることだけでも大きな意味がある」と述べた。

 鄭長官はまた「今後国立中央博物館と協議し、海外に行かないと見られない搬出文化財の国内企画展を開きたい」と語った。

グレゴリー・ヘンダーソン氏

 ハーバード大大学院を卒業し、1948年に在韓米国大使館に副領事として着任。国会連絡官、文政官、大使特別政治補佐官などを歴任し、韓国側関係者と親交があった。韓国名はハン・デソン。抗日運動家の金九(キム・グ)氏は49年、ヘンダーソン氏に「韓美(韓米)親善、平等互助」という直筆の揮毫(きごう)を贈っている。ハーバード大で政治学博士号を取得したヘンダーソン氏が68年に米国で出版した『朝鮮の政治社会-渦巻型政治構造の分析』 (邦題)は韓国政治学の古典だ。69年には自身のコレクションを紹介した『韓国陶磁器-多彩な芸術』という図録も出版した。1988年に転落事故で死去した。

許允僖(ホ・ユンヒ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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