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「水素エコノミー(ジェレミー・レフキン著)」の第三章「エネルギーと文明の興亡」では、熱力学の視点から、人間の経済活動が分析されています。現在の産業が化石燃料をベースとしたエネルギーによって成り立っているのは疑いのない事実ですが、そのエネルギー自体に目を向けることによって、現状の産業社会のもつ構造的な問題点を指摘しています。
進化した生物はエネルギーを絶えず消費することによって活動せざるをえない。しかしながら熱力学の法則によれば、全体としてのエネルギー量は一定であり(第一法則)、かつエネルギーは利用可能な形体から利用できない形へと変わる(第二法則)。ある意味で、かなり閉塞的な前提条件をつきつけられるわけですが、そこから逆説的に「では現在の化石燃料に基づいた経済基盤というものが絶対なのだろうか?」という疑問を提議することで、より包括的な視点を獲得している点が面白い部分です。
著書全体に一貫して読み取れる考えですが、単純に資本主義、あるいは消費経済を非難するだけではなく、これまでの社会、産業構造のどの部分が、化石燃料という単一のエネルギー源に依存しているがゆえに、構造的な矛盾を抱え込んでしまったのか?エネルギーの消費が不可避であるならば、”閉じた系”としての地球環境において、どのようにエネルギー流通を最適化することができるのか?という問題解決型のアプローチをとるためにも、より大きな視点を獲得することが重要なのでしょう。
熱力学の基本解説から、一国の富の尺度として利用される国内総生産(GDP)とはいったい何なのか?という疑問に到達する過程をみることで、”経済発展”という言葉で一括りにされ、国家目標として国民のコンセンサスとされてきた”右肩上がりの経済”、”株価が上がれば好景気”といった、判りやすいようでいて非常に抽象的、かつあやふやなスローガンにたいする分析の切り口になるのかもしれません。
経済指標に対する環境目標、GNPの何%にもとづいた温暖化ガスの何トン削減というような、個人レベルで考えるにはあまりにも抽象的な話にくらべると、熱力学という一般には馴染みが無い学問をベースにしているにもかかわらず、生命活動におけるエネルギーの流れを解明していく方が、結果的には社会にたいして浸透していくのかもしれません。
あらゆる科学の礎となっている不可分の通貨はエネルギーだ(フレデリック・ソディー:イギリスのノーベル賞科学者)
見事な理論ほど前提が単純で、多様な事物にあてはまり、応用範囲が広い。それゆえ私は、古典的な熱力学に深い感銘を受けた。それは、普遍的内容をもつ物理理論として唯一、その基本概念を応用できる枠内ではけっして覆されないだろうと私が確信するものだ。(アインシュタイン)
熱力学の第一法則
「宇宙のエネルギー量の総和は一定であり、エントロピーの総和はつねに増加している」全宇宙に存在するエネルギーの量は、最初から一定で、最後までそのまま。第一法則は「保存則」とも呼ばれる。
熱力学の第二法則
エネルギーは創出することも消失させることもできないが、その形はたえず変わっている。そしてその変化はつねに一方向で、利用できる形から利用できない形へと向かう。例えば石炭を燃やした場合、エネルギーは残るが、二酸化硫黄や二酸化炭素などの気体に変わり、やがて空気中に拡散する。その過程でエネルギーはいっさい消失しないが、その石炭をもう一度燃やして有用な仕事をさせることはできない。エネルギーが形を変えるときにはかならず、その過程で”利用可能な”エネルギーが失われる。この使えるエネルギーの消失が「エントロピー」とよばれる。リサイクルに関しても、使用済みのゴミを集め、運び、処理するエネルギーが必要なので、環境中の総合的なエントロピーを増やすことにはかわりない。
熱力学の系
熱力学の系には、開いた系、閉じた系、孤立した系の三種類がある。開いた系は、エネルギーと物質の両方を外部と交換する。閉じた系は、エネルギーの交換はするが、物質のやり取りはないに等しい。孤立した系は、エネルギーも物質も交換しない。
地球は、太陽系や宇宙との関係においては”閉じた系”で、隕石が落ちるようなケース以外では物質の交換はせず、エネルギーの交換のみをおこなう。自由に使えるエネルギーの源は太陽であり、植物は光合成で太陽のエネルギーを取り込み、凝縮したエネルギー源を動物に提供する。生物が腐敗して炭素堆積物となり、石炭や石油や天然ガスとして、現在の人間が燃やしている(石油埋蔵物のほとんどは今から一億五千年以上前のジュラ紀後期、緑藻類を含む浮遊プランクトン植物と、単細胞プランクトンの動物の残骸)。
ただし、太陽エネルギーの流入そのものが物質を生みだすことはなく、地球に存在する物質の量は一定であり、それが太陽エネルギーの力を借りて、生物などの有用な形にかわりうるだけ。
石油を燃やして使われたエネルギーは気体となり、もやは仕事をさせることはできない。遠い未来に、炭素堆積物が地質史上の一時代に再び集積することも考えられるが、人間の歴史スパンより遥か先であるため、化石燃料は「再生不能エネルギー源」とよばれる。
エネルギーの流れとして生きる人間
経済活動として石油を燃やす以前に、食べ物として消化するという本能的な面でも、人間はエネルギーをたえまなく処理することによって生きながらえている。病気などによってエネルギーを取り込むことができなくなった平衡状態は、すなわち死であり、急速に分解されて周囲の環境へと散逸していく。
エネルギーはすべての生き物の中をたえまなく流れているが、進化した生物ほど平衡状態にならないためにたくさんのエネルギーを必要とする。単純な食物連鎖を例にとれば「ひとりの人間が一年間生きるためには、300匹のマスが必要。そのマスには9万匹のカエルが必要で、そのカエルには2700万匹のバッタが必要で、そのバッタは1000トンの草を食べなくては生きていかれない(G・タイラー・ミラー 科学者)」
進化とは、より複雑な構造の生体組織を形成することであり、種は進化するたびに前の種よりも分化し、特殊化して、より多くの利用可能なエネルギーを取り込み、凝縮するようになる。熱力学の観点にたつと、進化とは、安定した間断ない進化というよりは、たえずエネルギー利用の増大とエネルギー消散の増大の折り合いをつけていく過程なのだ。進化の結果、局所的にはより大きな秩序が生まれるが、その代償として、全体としてみると宇宙はますます無秩序になっていく。もしこれが種や生態系にあてはまるのなら、人間の社会組織についても同じことがいえる。
古典的資本主義経済学とエネルギー
あらゆる作用にはそれと同等で逆向きに働く反作用がある、というニュートン力学の考え方を借りてアダム・スミスやジャン=バティスト・セーなどの古典的経済学者は、市場には需要と供給がたえず調整しあうメカニズムがある、と主張した。
”神の見えざる手”を天然資源の利用にも当てはめると、資源が乏しくなったら売り手が価格をあげるので、供給する側は、入手困難になっていく資源を新しい技術を用いて開発するか、あるいはそういう資源の代替品を見つけるかの、どちらかを促される。資源ベース全体がつきることはなく、何らかの形の資源が、つねに適正な価格で利用できると考えられている。一方、エントロピーのつけなどというのは、あるとしてもビジネスの外的結果であって、商業を営むためのコスト全体から見れば取るに足らぬもの、というわけだ。ところが、熱力学の法則を考えると、まったく話がちがってくる。経済活動とは、エントロピーの低いエネルギーを環境から借りて、価値のある製品やサービスに一時的にかえることにすぎない。その過程では、生産される物やサービスに込められるよりも多くのエネルギーが費やされて環境へと失われる。「完成した」製品やサービスも一時的なものにすぎず、人が使ったり消費したりするうちに散逸あるいは分解し、最終的には使用済みエネルギーや廃棄物の形で環境にもどっていく。
国内総生産(GDP)の本質とは、熱力学の視点から考えると、利用可能なエネルギーの蓄えを減らす一方で、エントロピーとなる廃棄物を増やすという代償を払ってつくりだされた財やサービスに埋め込まれている一時的なエネルギーの価値をはかる尺度、と言ったほうがいい。
■書籍「水素エコノミー」に関する記事
- 水素エコノミー(ジェレミー・レフキン著)を読んで
- 熱力学から考える、人間と経済のエネルギー消費
- 食卓の食べ物は、石油の匂い。近代農業のエネルギー効率と都市
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