蒋介石との直談判促す書簡…吉田茂、近衛文麿に
読売新聞 3月6日(日)3時5分配信
第2次世界大戦で対英米戦に反対し、戦後は首相として日米関係の基礎を築いた吉田茂(1878〜1967年)が、戦争末期、元首相の近衛文麿に中国・重慶政府の蒋介石を訪ねて和平の直談判をするよう訴える書簡を出していたことが分かった。
吉田の関係者から国会図書館に寄託された史料から、柴田紳一・国学院大准教授(日本近現代史)が手紙の控えを見つけた。
手紙は1944年12月24日付。同年10月のレイテ沖海戦で海空戦力の大半を失い、戦局の悪化を受けて書かれたものとみられる。
吉田は、〈外交局面打開之途(みち)ハ唯対支干係(関係)あるのみ、重慶ニ通するの途ハ以て米英ニ延長連繋(れんけい)せしむへく〉と、日中戦争が終わればこれに介入した英米も戦争継続の意義を失うと指摘。日中戦争の泥沼化を招いた近衛に〈閣下自ら渡支、(中略)日支相提携して全世界和平発議を提唱せられんか〉と説いている。しかし、近衛の訪中は実現せず、当時の小磯国昭内閣は戦争を継続した。
吉田の関係者から国会図書館に寄託された史料から、柴田紳一・国学院大准教授(日本近現代史)が手紙の控えを見つけた。
手紙は1944年12月24日付。同年10月のレイテ沖海戦で海空戦力の大半を失い、戦局の悪化を受けて書かれたものとみられる。
吉田は、〈外交局面打開之途(みち)ハ唯対支干係(関係)あるのみ、重慶ニ通するの途ハ以て米英ニ延長連繋(れんけい)せしむへく〉と、日中戦争が終わればこれに介入した英米も戦争継続の意義を失うと指摘。日中戦争の泥沼化を招いた近衛に〈閣下自ら渡支、(中略)日支相提携して全世界和平発議を提唱せられんか〉と説いている。しかし、近衛の訪中は実現せず、当時の小磯国昭内閣は戦争を継続した。
最終更新:3月6日(日)3時5分
この話題に関するブログ 3件
関連トピックス
主なニュースサイトで 吉田茂(1878-1967) の記事を読む
この記事を読んでいる人はこんな記事も読んでいます
- ソニー、徹底的に争う構え…PS3輸入停止措置(読売新聞) 3月4日(金)22時12分
- 前原外相、在日外国人から献金=規正法に抵触、野党は辞任要求―民主内にも進退論(時事通信) 3月4日(金)17時24分
- 北朝鮮がサイバー攻撃か…韓国政府や在韓米軍に(読売新聞) 3月4日(金)12時0分
- <はやぶさ>乗客が非常ボタン押し緊急停止 下り一番列車写真(毎日新聞) 3月5日(土)12時35分
- FD「いやらしい証拠」…改ざん事件で前田被告(読売新聞) 3月3日(木)14時33分