2011-03-06
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「あれは親にも責任がありますよ。まだ3歳なんだから、親も目を離したらいかんですよ。トイレに行かせるのだって、ちゃんと遠くからでも見ておかないと」
自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言
よく考えてみたいのは、この運ちゃんもだからと言って親の責任追及してるわけでもないのである。
結局事件そのものと全く関係のないタクシーの運ちゃんがやっぱり事件そのものと何の関係もない客に話しかけてるだけ。
責任を追及してるような口ぶりで、実際は「〜だったらよかったのに」的に無事だった場合を想像してるにすぎない。
正しさ自慢というより、運ちゃんも運ちゃんなりに胸を痛めての発言じゃねぇかなぁと。
で、それを
少なくない数の人が、「自分はこんなに苦労して、ちゃんとやってきた」と他人にプレッシャーをかけようとするのだ。
とか他人の発言を「プレッシャーかけてる」なんて被害妄想でしか受け取れないようじゃちょっとなぁ。
なるほどね。
うん、あんた自己認識どおり暗いわ。うんざりするほどに。
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一見いわゆるいい話っぽいけど、よく考えたらコジキ使って遊んでるだけだったと。
しかしヒドイ話だ。
コジキは少なくとも社会学者や思想家、大学教授や非常勤講師よりは世の中に協力することにやぶさかでない人々。
そんな彼らを「支援」の名の下で弄んでさぞ楽しかろうな。
ところでこれ
キャリアが昨年11月からの新人コジキ。
だから携帯電話いじくり回すくらいわけなかったんだろうけど。
ベテランのコジキにはなかなか難しいものがありそうだ。
でもそんな悪戦苦闘っぷりを見てゲラゲラ笑うんでしょ?
コンビニからかっぱらってきた熱湯を、ベンチで寝てるコジキにぶっかけるのとほぼ同等のレジャーだな。
ほんっとひでぇな、善意気取りって。
それはいいけど
そしてモラレスさんが呼びかけてからわずか2日後の25日午前10時、2人はマンハッタン近くの公園で再会を果たした。リベラさんは4歳と1歳の子どもたちも連れ、おじいちゃんと孫は1時間ほど一緒に遊び、笑い合っていたという。
で、1時間後に娘と孫は家に帰り、おじいちゃんは路上に帰っちゃったんだ?
なんつぅか根本的な解決というのは全く果たされていないとしか。
その辺がTwitterとかFaceBookという、バカが大はしゃぎで使ってなんかやり遂げた気分に浸るゴミのゴミっぷりを表してるわけですな。
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そういえば、国旗を侮辱する意図で汚損したり、国歌の替え歌を作ったら刑事罰とする法案がなんとかかんとかのアレ。
それに対して「日の丸弁当がなんとかかんとか」「清志郎のはなんとかかんとか」とか喚くのも、想像上の立場の逆転に属するもんなんでしょうな。
都条例のアレで「しずかちゃんの入浴がなんとかかんとか」つってた連中も。
自分がアウト判定を下す立場を想像してるという。
あぁいうのはほんっとにみっともない。
いや、そういうのをやったことないといえば嘘になりますけど、そんなのやってみたところでただ虚しいだけというのに気づくとやっぱちょっと躊躇しちゃいますよね。
言うたらアレですよ、「もしもピアノが弾けたなら」的な。
どうでもいいけど
ネットキチガイって基本的に「口に出す(というか文章にする)と想像ではない」的な感覚なのかもしれない。
想像上の立場の逆転でしかないのに「ステキな代替案」みたいな気分に浸ってるという。
あの辺の勘違いってなかなか治らないんでしょうな。
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家宅捜索まだかなぁ。お前ん家の本棚にも納まってる「ヌレヌレのロリマ●コがどうしたこうした」みたいな漫画がどっさり出てきたら面白いのになぁ。
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ところでさ。
いやほら、その50社受けて手応えがなかった人が「俺はコミュ障じゃない、大手厨でもない!」とか主張してたけど。
実際どうなんだろう?と。
あれじゃん?昨今警察の取り調べを可視化せよとか言って、ICレコーダでの録音が重要だとかなってるじゃん?
一回面接を録音するなりUstreamで垂れ流すなりしてみたら?
意外と声が裏返ってたりドモってたり呼吸がおかしかったりヘンな汗かいてたり挙動不審だったりするかもしれない。
ギャラリーからフィードバックってのが得られて便利かもしんねっすよ。
つってもそれはやんないんでしょ?あくまでも
「自分には絶対に問題はない」
という前提だから。ヘタにオープンにすっとバレちゃうし。
だから元増田とかいうバカみたいな名前を名乗っててめぇに都合のいいようにネットで喚いてるだけなんだし。
「おかしいのは常に自分以外、責任は全て自分の外にある」
というヘンな全能感に塗れてるわけじゃん。それがパソコンキチガイ特有なんだけど。
しまいにゃ「自分がもし人事や面接担当だったら」とか仮想の条件出してけつかるし。
それがパソコン弄るくらいしか能がない生き物の悲しい習性なわけよ。
どうでもいいけど
「自分が人事や面接担当になる」にはまずどっか企業に入社しなきゃなんないわけじゃん?
そっから考えていくと人事や面接担当になってる自分なんか想像できる分際じゃないじゃん。
そこら辺なんすよね、ほんっとパソコン弄るくらいしか能がない人らの困ったとこって。
とりあえず
さらに、子供の心には依存心をもてあそぶ親への憤りも発生してきます。親の立場というのは赤ん坊や子どもからすれば圧倒的に優位な立場にあります。そして、見捨てられた自分は圧倒的に弱くて惨めな状態にあります。この力関係はどうにも動かしようがありません。そこで、一つの解決方法として、空想の中で立場の逆転を起こそうとすることがあります。見捨てられた惨めな自分を否定して、それとは反対に自分が親よりも優位に立って親に復讐するのです。空想の中で、不安をもてあそぶ卑しい親に対して、繰返し勝利を体験し、無限の優越感を味わうのです。
「子供」を「就活学生」に、「親」を「面接担当者」に置き換えて読んでみるといい感じ。