Strongbow lives in …

2011-01-25 映画『海炭市叙景』を観て

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)

あらかじめ自分は前のエントリで原作についていくつかの言及をしていたのだけれど、先月の頭に恋人と映画『海炭市叙景』を札幌から函館シネマアイリスまで日帰りで見に行った感想をいくつか。その後に、最近の同映画の受け入れられ方についていくつかの考察。

その前に断っておきたいのだけれど、自分は映画を見に行く際、事前情報や粗筋を見ても全くに意に介さないし、むしろ喜ぶほうなのだが、世の中にはそういったネタバレに敏感な人がいるので断っておきたい。


以下、ある程度ネタバレ含む。

1)映像≒空気感

少し四方山な話をしたい。

自分は北海道以外の冬を知らない。だからあまり本州や外国の人が冬を迎える際の間隔について語ることはできない。けれども、北海道の冬については語ることが出来る。

道民にとって冬というのはそれほど寒い存在ではない。それというのも、寒さと言う感覚が既に生得的に熟知されていて、気温が下がるにつれ、ああ、いつもの雪の時期がやってきた、という感覚が喚起されるのみであるのが一般だからだ。

更に言えば、本州における冬よりも格段に早く冬の時期が訪れる。だから特に冬、一般的に12月から2月を現代日本では呼ぶのだろうけれど、その頃にはもう心情が冬真っただ中に入ってしまっている。

冬の北海道の空気は冷蔵されている。

今では常設の暖房が増えたために少なくなったが、北海道では家の中の空気が既に冷たい。15度前後であることも珍しくはない。だから服や蒲団を「着込む」。

そしてその部屋を暖めるために、過剰なほどの暖房を入れる。

外があまりにも冷えるので、中に温かみを求めるのである。

しかし、いくら暖房を求めるとはいっても、一日の活動を終えるころになれば、なかんずく貧しい家庭ではなおさら、そういつでも暖房を焚いておけない。

なにしろ、火事の原因にもなる。

だから、夜は暖房を落として、再び衣類と寝具を「纏う」。

これが北海道の人々が経験し、骨身に染みている冬の空気である。

D

閑話休題して本題に戻ろう。

本作はこの雰囲気を、冒頭の、兄妹が目を覚ます場面で表現する*1

その映り様は、「ああ、そうそう」と道民のうなずきを誘う。

それ以外にも、中盤、家に帰宅したプラネタリウムの主が感じる人気のない家の肌寒さ、

ガス会社の若旦那が暮らす家とその父親の家が醸し出す、

「家の中の『空気』だけは暖かい」

という感触が、見る者に何かしらのリアリティを疑視させる。

とりわけ、冬空の下で見る景色というのは、

澄んで見える一方で、寒気から目を守ろうとする潤いが膜を張り、

微妙に滲んだりぼやけたりする。

熊切監督と撮影担当の近藤さんは、これを計算に入れた描写を取り入れた*2

劇中で幾度となくズレを生じるピントは、意図的なのだろう。

舞台背景や道具の精密な配置が、またこの空気感を程よく惹きたてる。

国道5号線に沿った老婆の家。雪道を重く滑るプラスティック橇。

錆や人の優しい手あかにまみれたドック。

雪が半分残り、半分は溶けて凍って、白と黒が綯い交ぜに彩る車道。

あまりはやっていない酒場、市場、そして質素な地方色の強い住宅群。

まばらな街影を縫う路面電車

そして、鈍色の煙を鬱陶しそうにたゆたわせる函館山

これらが、原作の物語にできるだけ忠実に位置づけられて、この季節のあの街を再現する。

役者が主要人物以外は市井の一般人であることが、更にこの現実感に奥行きを与える。

特に老婆*3。本当に浜言葉の道民*4はこうだなぁ、と感嘆する。

また、地方の街に根を張る保守性がうまく描かれている。

そしてプロットも味わい深い。

その保守性の中でもがき苦しむ若者もまた、よく書き込まれている。

一例はガス会社の面々。

息子に経営をゆだねながら、全く手放しにしない先代。

現状に甘んじて誠実な仕事をしない若手と、旧弊に習うシニア

その成り行きを見守る事務の女性。

ヤクザ水商売

父を越えようとしながらも、結局のところ地縁を頼らざるを得ず、湧き上がる無力さに苛まれる二代目。

体面のために犠牲になっていく様々な関係と所縁。連鎖する正しさとは逆方向の情。

そしてこれらは、

あまりにも恵まれないこの街の苦しみを敏感に感じ取った原作者の呼吸に合わせて噴き出し、

作品全体のパトスを冷やす。

それは前にこのブログでも書いた、

「得たものを失うことによる失望」

に他ならない。

恋人は、やはりガス屋のエピソードに感銘を受けていた。

―男の人って、ああなのかな。暴力とか、プライドとか、そういうものでしか自分表現できないのかな。

自分は言った。

―うん、そうだね。そしておそらくそれ以外に捌け口や価値を見つけることのできないくらいに追い込まれている、選択肢がない、そういう力の傾きがこの街、引いては北海道の地方の傾向なのだと思うよ。

そして女性の強かさも。

何より、プラネタリウムの主が妻に言われた一言*5は、自分の過去を彷彿とさせた。

生き延びるためには、女性も必死なのであった。

衰退していく街という生命体のあり様を、90年代の初頭、自らも苦境にあった原作者佐藤は、敏感に肌で感じ取り、この作品をあらわした。

そこに、忘れられたリアリズムの再生、キッチン・シンク・リアリズム*6とも言うべきミニマルリアリズムと、時間軸を曲げてつなぎ合わせた群像劇、アンサンブル・プレイとが育まれたのである。


2)受容≠既視感

ところで、本作品の受容のされ方に、自分は少し違和感を覚えていた。

色々な批評や寸評が、この作品を「どこかにある風景」「それはわたしたちなのかも…」と、

ことさらに未だ映像を見ていない人々に呼び掛けているからだ。*7

あるいは、原作者佐藤の先見性をことさらに評価し、

その才能を高く評価する人もいる*8

しかし、本当は少し違うのではないか。

確かに佐藤には鋭い感受性、人並み外れた表現力が有ったのかもしれない。

そこに先見性という魔性が胎芽した可能性もあるだろう。

けれども、その憶測、あるいは直覚だけで人々が、この小編を集めたアンソロジーを、まるで現代を予告したかのように言うのには、どうにも後だしジャンケンのごとき印象がある。

おそらく本当はそうではない。佐藤に確たる先見性があったのではない。

現代日本の人々が求めるカタルシスが、変化したのである。

ロスト・ジェネレーション以降、いいだけ世界に後れをとり、結果的には底を這いずりまわるような苦境に陥った日本の一般人の精神が、次第に無為徒食で失望に苛まれた佐藤の目線に近づいただけなのである。

あるいは、穿った見方をすれば、そうした失望を疑似体験することで、自分の置かれた状況もまだ満更ではないのだと暗に安心する、その心理が、『海炭市叙景』7刷刷り・60000部という感情浄化の数量に結びついているのではないだろうか。

少し長いが、小樽の先達、伊藤整氏の『改訂 文学入門』(講談社、2004年)から、これをほぼ言い当てている部分を引用する。同書第五章、「芸術至上主義私小説」第7節、太宰治ヴィヨンの妻』に関する論考から。赤字は引用者による。


…読者の感動の仕方も、その時に変わって来る。ふつうの生活者は、自分たちが日常営んでいる、当たり前の生活の幸福が、これらの人々*9の滅んでゆく物語りを読んでいるうちに、逆にはっきり分かるのである。たとえば、夫が勤めに出て、妻と子共と夫で平穏な生活を営んでいる人がいるとする。その人はそういう平穏な生活にいつも不満でいる。もっとゼイタクをしたいとか、どこかへ旅行したいとかいうふうに考えている。生活の壊れてゆく経過としてのこの小説は、一面では生きることの意味は何だろうという思考に人を追いつめる。また一面では自分の生活の中にある目立たない幸福に人を気づかせる働きをする。…人間はその時になって、はじめて、平凡にして平和な家庭の和やかな幸福を痛切に意識する。子供が親を失って悲しんでいるのを見て、はじめて親子のつながりという平凡な幸福の認識を持つようになる。しかも、そのような危険が、主人公の善の追求から始まるとすれば、この作品の女主人公の言う*10ように、何か人間以上の絶対的な力のある神とか秩序とかを持たない限り、人間は救われないのかもしれない、という感じが起る。これ(訳者註:『ヴィヨンの妻』のこと)はそういう一種の思想小説である。

前掲書、pp.137-138

改訂 文学入門 (講談社文芸文庫)

改訂 文学入門 (講談社文芸文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

半世紀前に生きた人である伊藤整の本書は、テーマが近代日本の私小説が持つ特徴の本質を論じることであり、その筆致は過分に印象批評的な、主観的文学論であって、必ずしも学術的な吟味にはこたえられないかもしれない。一例をあげれば上掲部分にある「善」といっても、西洋哲学美学に依拠する所であるのか、日本の伝統意識に由来するものであるのかは厳密に議論されておらず、現代では批判的な見方を持つ必要があるだろう。しかし一線でジョイスの後継を任じ、チャタレイ裁判表現の自由を守るために論陣を張った文学者の、芸術が持つ筋書きに対した、人の情緒をとらえることを生業とする人ならではの目線というのであれば、いくらか信憑性も生まれよう。

『チャタレー夫人の恋人』裁判―日米英の比較

『チャタレー夫人の恋人』裁判―日米英の比較

自分はいくらか「これらの人々」に近い生き方をトレースしているので、『海炭市叙景』を見ると本当に胸が締め付けられる。抗えない自分の何かにたいして破壊的になり、全てを投げ出して「氏にたい(もちろんネットスラングだ)」という心持になる。それがパンクの、犬儒的な、大きな不可視の何かへの抵抗思想に近似であることは前のエントリに書いた。だから「ああ、何か心がほっとする、家族の絆が感じられる」「あれはどこかで私たちだったのかも」と考えるのであれば、それは泉下の伊藤や佐藤および「これらの人々」にほくそ笑む機会を与えることになるのではないか。すなわち、「そう言っていられるうちが花だ、実際そんな状況になったら『自分の方がもっとひどい』と言うのでは?」と。

これはひねくれた目線かもしれない。しかし、あのような乾いて寒々しい、人の情けが曖昧の霧に霞んでぼやけてしまうような寂しい文学と映像を見て、何か温かいものを心に感じているのだとしたら、その成分の何割かは「うちはこうじゃないもんな」という安堵の快楽である。そして、それを自覚して鑑賞に及べば、自分を含む人間とはかくも悲しく脆い生物なのだ、と実感することであろう。そこに佐藤泰志の「忍び寄る寂滅*11に裏打ちされた清しいリアリズム」を感じ取ることができれば、しめたものかもしれない。

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*1:その導入ともなる一つのシーンは、本当に現実の古い校舎を利用した、冬の学校が映し出される

*2:日本映画撮影監督協会(Japanese Society of Cinematograghers)が将来性の ある優秀新人撮影者に与える『三浦賞』を『海炭市叙景』のカメラマンである近藤龍人さんが受賞:公式サイトニュース、また第65回毎日映画コンクールにて、『海炭市叙景』が撮影賞と音楽賞を受賞 http://www.japan-movie.net/news/winners65.html

*3:一般の方。しかし役者を上回る存在感。

*4北海道の方言は一つではない。内陸部と沿岸部ではかなり異なるし、札幌など都市部では一部の強調語句とイントネーションを除けばほとんど標準語に近い。

*5:「見たら終わりだよ」

*6オズボーン『怒りを込めて振り返れ』などに代表される、どこにでもいそうな家族が破滅する状況を日常的な台所というトポスからの目線で描いた劇作品の持つ芸術思潮

*7:公式サイトにもこのようなコメントがあるhttp://www.kaitanshi.com/comment.html

*8:同じく公式サイトニュースの某談話より「この作品に時代を超えたリンクがあったからだと思います。優れた文学作品というのは、必ず未来を予言する力があるのだと思います。」2011.01.24

*9:伊藤の言い方を借りれば、「現実の社会にある古い約束との妥協を嫌って、たとえ自分の身を滅ぼすことになろうとも真実を求め、自分の家族を傷つける結果になろうとも、自分が正しいと思う行動をし、また、それをあからさまに書くことが正しいこと」だと考える近代日本の私小説文士たち。前掲書p.115

*10:前掲書より二重引用「トランプの遊びのやうに、マイナスを全部集めるとプラスに変わるといふ事は、この世の道徳には起き得ない事でせうか。神がゐるなら、出て来て下さい!私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました。」

*11:(名)スル〔梵 nirvāna〕(1)〔仏〕 煩悩(ぼんのう)をすべて打ち消し、真理の智慧(ちえ)を完成させた状態。究極的な悟りの境地。涅槃(ねはん)。(2)消えてなくなること。また、死ぬこと。三省堂大辞林

2010-11-26 やくしまるえつこはエロかカワイイか

1)エロイか、カワイイか

われわれの性感は、文化によって拘束されている。何に感じ、そそられるかは、時代により民族により、ことなっている。

『性欲の文化史 2』井上章一編 2008年 講談社 p.11

人間は声にも性感を持つと言えるだろう。まして歌を文化とする人間社会であれば。*1


本日は自分のよく聴く女性ヴォーカルについての随想。

ある日の恋人との会話、on長電話。


相対性理論ってエロイよね」

「え?カワイイよ」

「えー、エロイってw」

「そうかなぁ。」

「だって、あの何て言うか、正に猫なで声と言うか、あれ。あれはちょっと男子だと勃つぞwあれはAKB48とかではできないでしょ。」

「へー、男子ってあれで興奮するの?単純w」

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何故男性にとって相対性理論、なかんずくやくしまるえつこの声はエロティックで、女性にとってのそれはキュートなのか。それはスガシカオの声が女性にとって性的な魅力を持ち、男性にとってはちょうど歌いやすいカラオケレパートリーになること、またはポルノグラフティのヴォーカルのハイ・トーンが女性にとってセクシーに聞こえると言うことの違いと同じことを表しているだろうか。すなわち、基本的な性別*2によって或る対象から受ける感覚は違うと言うこと。

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女性が男性ヴォーカルに感じる性的なアピールは、おそらくはその優秀さを示す点に力点が置かれていると考える。たとえば集団を統率するに足る声量、大衆を説得する抑揚、メロディアスな音韻…すなわち総合芸術とも言うべき、人間の精を込めた主張を通せるような。あるいは、その延長として、女性を口説き落とす時のウィスパーのごときハスキーもまた、好まれるのではないか。

*3

対するに、男性が女性ヴォーカルに感じる性的アピールは、基本性行為そのもの、ないしそれを誘い込むインヴィテイションに主軸があると思われる。冒頭の相対性理論に関してはまさしくそれで、youtubeのコメント等には「興奮する」という男性と思しきリスナーからのコメントも上がっている。筆者もそう感じる。あの、誘い込むような独特の囁き声は、魔性のように耳朶を擽る最高の「男じゃらし」である。おそらくは、大方の男性がこの「その気にさせる」かのような声で性的興奮を受けてしまい、男女比が程々に均されるような野外フェスにおいてでも男性オーディエンスが「エツコォー!!!」と野太く叫ぶような事態になるのだ。

*4

このやくしまるのごときウィスパー・ボイスは、現代フレンチ・ロリータ・ポップスの女王、ジェーン・バーキンの頃から受け継がれた、いわゆるコケットリの芸術である。男を惑わすコケットリ。実はこれこそ現代音楽における「男性向け」女性ヴォーカルの必須要素ではないだろうか。相対性理論の同時代性、とどこかで仄聞したことはあるのだけれど、それはロリータ・ポップスから連綿と続く「通時性」と言い換えるべきだ。ちなみに下のヴァネッサ・パラディ椎名林檎の『幸福論』および『カプチーノ』のパクリ元インスパイア元ネタであることは言うまでもない。

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しかし、なぜ女性はカワイイと思い、男性はエロイと思うのか。もう少しそのあたりを探ってみたい。

2)コケットリの定義から

ここに社会学の重要な古典的業績として、ゲオルグ・ジンメルの『社会学の根本問題』がある(清水幾太郎訳、1979年、岩波書店。以下ジンメルとする)。そこに、社交、すなわち「全ての人間が平等であるかのように、同時に、すべての人間を特別に尊敬しているかのように、人々が「行う」ところの遊戯」の一形態として、エロティシズムの遊戯形式としてのコケットリを定義していく。

*5


「両性間のエロティックな問題が与えることと拒むこと(固より、その対象は、限りなく多くの種類や程度があって、決して重要なものとは限らないし、況んや、肉体的なものとは限らない)を中心としているとすれば、女性のコケットリの本質は、与えることを仄めかすかと思えば、拒むことを仄めかすことで刺激し、一方、男性を惹きつけはするものの、決心させるところまで行かず、他方、避けはするものの、すべての望みを奪いはしないと言う点にある。コケットな女性は、結局は本気でないにも拘らず、謂わば男性に完全に与えそうなところまで行くことによって、彼女の魅力を最高に増す。彼女の行動は、イエスとノーとの間を揺れて、何処にも止まらない。こうして、彼女は、謂わば遊びながら、エロティックな決定と言うものの純粋な形式を描き、決定における両極的対立物をただ一つの行動のうちに結合することが出来る。」ジンメル、p82

要は寸止めである。男性から聞こえるやくしまるえつこの声は明らかに戯れなエロスの放出で、決して最後に到達させることをす見込みのないような印象がある。そのギリギリのラインで男性は興奮を憶える。卑しい言い方をすれば、我がものにして組み伏せたくなる。しかし、それをかなえることはできない。なぜならもともと声は歌い手のものであって、リアルな女性のそれではないからだ。


「このように、堅い内容や動かぬリアリティの重みをすべて捨てているところから、揺れ動くもの、離れているもの、空想的なものという性格がコケットリに生まれるのであって、それゆえに、私たちはコケットリという「芸術」―単に「技術」でなく―を云々する理由があるのである。…男性が、この自由に揺れ動く遊戯、エロティシズムにおける或る決定的なものがただ遠いシンボルのように仄見える遊戯、それ以上のものを求めない時、また、男性が、欲望や欲望の警戒を離れて、あの仄めかすもの、あの仮初のものの魅力を感じるようになった時、その時に漸く社交が始まる。…人々の全生命を結びつける真実の中心は、社会学で社交と呼ばれるものへは一般に入って来ないから、社交におけるコケットリは、エロティシズムが相互作用の純粋な形式を実質的或いは全く個人的な内容から解き放したとでも言うか、奇妙な、いや、皮肉な遊戯なのである。社交で社会の諸形式の遊戯が行われるように、コケットリでは、エロティシズムの諸形式の遊戯が行われる―この本質的類似性のゆえに、コケットリが謂わば社交の一要素たらざるを得ないのである。」ジンメル、pp..82-83

つまり、「ロリータヴォイスの蠱惑的=コケティッシュ、なかんずくやくしまるえつこの声」という等号は、男女の社交であることの証左。恋に焦れる女子の想いの吐露、その蒸気を疑似的に感じて興奮する男性の遊戯で、仮初めの興奮なのだ。

ここまで書くことで、男性がなぜこうした声に興奮するのか、それは寸止めの魅力なのだということがある程度は理解できる。しかし、ならば何故女子は「カワイイ」と思うのであろうか。それについては、つい先日の恋人と私の会話に鍵が隠されていた。


「…というわけで、彼氏に会うためにその子がおめかしなんかしちゃってさぁ。わざわざ酒まで買って、新しい洋服着込んで。悪い彼氏なのに」

「えー、可愛いじゃん。」

どういうことか。

つまり、男子はそうした媚態、フラート*6な様は自分だけに見せてくれるものでなければすぐに「ビッチ」扱いして女子を蔑みがちになるのだが、女子からしてみれば、そうやって男子の気を惹こうと懸命に努力して媚態を行おうとする同性に、ある種の同情と姉妹的絆(シスターフッドとも言おうか)を抱くようなのである。ここに、やくしまるえつこを「カワイイ」と捉える女子の論拠というか、感覚的根拠があるような気がする。また、相対性理論の歌詞」にしても、恋に狂う女子の妄想が爆裂する「脳細胞高速活動焼き切れ寸前ナチュラルハイ」な内容である。その取りとめのなさもまた、女子をして同僚的、カマラデリーな愛着を感じさせるのではないだろうか。

相対性理論は、こう言う意味で、アインシュタイン博士が産んだ光の物理的法則ではなく、「相対」する両「性」の「理論」を仄めかす諧謔を含んだ素敵なバンド名であることがわかる。

3)視覚と聴覚

さて、現代では視覚的なコケットリと聴覚的なコケットリが分化している。AKB48モーニング娘。などは前者の(いまのところ)最先端であろう。即物的な形で営業戦略を練り、できるだけファンとの距離を近付けるようなイベントを行い、露出も増やしながら、かといって絶対に成就させない。

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聴覚的な点ではやくしまるえつこが音楽、詩的に長じている。ところで、その両者を備えているのが実はPerfumeである。視覚的にはガール・ネクスト・ドアでありながら高度なコレオグラフ、聴覚的には中田ヤスタカのハイセンスなテクノサウンドを採用。いままでにない、音楽好き男性と(アイドル志望ではない)女性が共に納得できるアイドルとして、間違いなく独自の路線を走っていると思う。私がファンクラブ会員なのは秘密だ。

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*1:数寄屋造りに関する論考として、前掲井上の言葉がある。「性愛にさいして声をだす「女体」が、そこでは楽器に見たてられていた。それは「女体」という楽器を「かきならす」部屋でもあった、と。」井上、前掲書 p.20

*2:筆者の筆力不足でインターセクシュアルな人々についての言及が不可能なのでお断りしておく。

*3:ところで、カエルの声の例など、体の大きさなどの基準となる例もある。竹内久美子著『浮気人類進化論 厳しい社会といい加減な社会』文藝春秋、1998、pp..148-149

*4:実際、2010のRSRでは男性ファンが「えつこー!かわいー!」と叫ぶことが多かった。そのリスナーがマキシマムザホルモンを聞いていなかったと誰が断言できよう。マッチョな奴もやくしまるには勝てない。

*5ジンメルはこれに社会的遊戯Gessellschaftsspielが含まれているとも述べる。ジンメル、p81

*6:…多数の少女が受けていた不平等で乱暴な教育に変わって、数十年をかけて少しずつ、より平等で進歩的な恋愛の手ほどきが行われるようになった。これがフラートである。ファビエンヌ・カスタ=ローザ 吉田春美訳『「恋(フラート)」の世紀 男と女のタブーの変遷』 2002年 原書房p.20 (原題:HISTOIRE DU FLIRT Les jeux de l’innocense de la perverdsité) 

2010-10-23

悔嘆失望賦

本日は、函館を舞台にした映画『海炭市叙景』の原作にまつわる随想などを書きとどめておきたい。

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)

1)パンクという精神骨格

パンク。あるいはパンク・ロック。

どれだけこの言葉にこだわった音楽が生まれてきたか、自分にはわからない。あるいはパンクなどなかった、既に死んだという言い方もあるだろう。なにしろ、ムーヴメントの終焉前後から既にそのような自浄作用的文言が飛び交っていたくらいである*1

本エントリで拘りたいのは、音楽としてのパンクの奥にある精神、表現としてのパンクである。

パンクにはもともと、以下のような根拠があった。

1970年代半ばのイギリスにおけるブリティッシュ・ロックは、楽曲における演奏の難易度が上昇し、ティーンエイジャー達には真似できない演奏技術を要していた。若者の音楽からプロミュージシャンの音楽へと変貌しつつあったのである。パンクは、このようなミュージックシーンへの反発から生み出された。

(中略)

イギリスでは、失業者の増加と言う社会問題が下地となって、若者たちの不満、怒り、反抗、暴力性などを掬い上げたパンクが大きな社会現象となった。ジェネレーションX(ビリー・アイドルが在籍)などのポップなバンドも次々に生まれ、盛り上がった。ファッション、芸術、文学にまでその波は広がり、セックス・ピストルズ以上に髪を逆立たせ、服を破いたスタイルのロンドン・パンク・ファッションは世界中で知られた。1980年代のロンドンでは観光客相手に、パンク・ファッションで街頭に立ち、お金をもらって写真を撮らせるビジネスもあった(ちなみに日本ではこういった行為は違法である)。

Wikipediaパンク・ロック』より抜粋

パンクとは初期衝動の音楽および表現である。すなわち様々な洗練の手続きを経た主流のそれらへの羨望と疎外の入り混じったある種若さそのものの発露、成熟へのアンチ・テーゼを希求すること。オルタナティヴという思想が温故知新であるとするのなら、パンクというのはまさしく犬儒シニシズムである。古のギリシアの時代から培われた、「死んだらその辺に放っておいてくれ」とか、権力の頂点に立った人間に「あなたにそこに立たれると日陰になるからどいてください」と言う精神である*2。ある程度まで文化が熟すると、その後には必ずこうした揺り返しのような表現の骨格が育つようになる。敷衍すれば、ヘルマン・ヘッセ車輪の下』に登場するハンス・ギーベンラートとヘルマン・ハイルナーにはこの兆候がはっきりと見える。少し長いが、引用してみよう。寄宿学校の問題児ハイルナーが詩作に耽っているところに主人公ハンスが出くわし、話す中で授業で受ける古典文学と現実の情動の差異について前者が語りだすシーンである。

「まったく、いまとは全然ちがっていた。ここではそういうことのわかるやつがいるだろうか。みんなくだらないずるいやつばかりだ。やたらにあくせくするばかりでヘブライ語のアルファベットより高尚なものは何も知っちゃいないんだ。君だって同じことさ」

ハンスは黙っていた。このハイルナーというのはまったく変わりものだ。空想家で、詩人だ。いままでにも、しばしばハイルナーにはおどろかされた。ハイルナーがほとんど勉強しないのは周知の事実だが、それなのにいろいろなことをよく知っていて、ちゃんと答えることはできるのにそういう知識は軽蔑しきっていた。

「いま、ぼくらはホメーロスを読んでいるんだけれど」ハイルナーはまた、あざけりつづけた。「まるで、オデュッセーを料理かなんかの本のようにね。一時間に詩が二行。それから一語一語くり返して読みなおし、またかみしめる。しまいには吐き気がしてくるよ。そして時間の終わりには、いつもこうだ。『作者がいかに巧みにこの語を用いているかわかったでしょう。ここに詩の創作の秘密を垣間見ることができるのです』なんて。ギリシャ語の不変化詞や不定過去で窒息してしまわないように、そのまわりにソースをふりかけるだけのことさ。こんな読み方じゃホメーロスのよさなんかまったくなくなってしまうよ。いったい古いギリシャのものなんぞ、ぼくらとなんの関係があるというんだ。もし、ぼくたちのだれかがちょっとでもギリシャ的な生き方をしようとしてみろ、すぐ放り出されるさ。なのに、ぼくらの部屋はヘラス室というんだからな。まったくおかしな話さ。どうして『紙屑かご』とか『奴隷の檻』とか『シルクハット』とか言わないんだ。古典的な物なんか、みんなまやかしさ」

ハイルナーは空に向かってペッと唾をはいた。

ヘルマン・ヘッセ著,井上正蔵訳『車輪の下集英社,1992,pp.102-103

あるいはその一世代前のアルテュール・ランボー、シャルル・ボードレールらをこの類に加えることも無理ではないだろう。付け加えるならば、時代をうんと下がって20世紀、その最後のパンクアイコンであるところのカート・コバーンも、「クールでいるよりなぜ死にたいと思うのか、わからない Idon't know why I'd rather be dead than cool」と言って、自身が感じる既存の流行への漠然とした反骨を歌っていた。

このような、初期衝動への未成熟(と言ってよいのなら)な追従的表現がパンクである。成熟していないことへの批判はともかく、そこにあるのは、周到な道具立てと理論とを背景に何かを組み立てる洗練とは対象の荒削りである。

自分が佐藤泰志海炭市叙景』を読んだあと、じんわりと感じたのは、このパンク的な表現の骨格であった。


2)汝、失望せよ

なぜ、小説を読んだ後に感じた感想が「パンク」なのか。少しの正当化を試みたい。

この小説は、読んでみるとわかるのだが、とにかく明るい印象を感じない。天気雨の中で、ぬかるみのなかに足を踏み入れながら、靴に沁み込む泥に耐えて前を進む感*3がある。まとわりつく悪寒に耐えながら、顔を伝う霧雨の滴を流れるがままに任せるような。

そこにあるのは、失望だ。深い闇の底に沈むような絶望ではない。自分の存在は絶たれたわけではない、でも望みをみつけられない。そのようなはかない海炭市の人々の姿と思いのさざめきが、時折液漏れを起こしそうな万年筆で、幾分滲んで記されている。

失望に対して湧きあがる思いのたけを吐きだすこの様は、まさしく韜晦や内省という意志による感情の精錬を跳躍して、ただその丈を吐き出すという、パンクに近いと解しうる。

例えば、同じような失望を感じ、語るのでも、周到なプロットドラマツルギーに基づいた『北の国から』にあっては、描かれ方の成熟度が異なる。もう今さら説明する必要もない名シーンの集成たる当作品ではあるが、敢えて抜粋するならば、主人公の純が離婚した母親の待つ東京へ一度は帰りたいと願って叔母の雪子と共に富良野を去ろうとするシーンなどにそれが凝縮されている。

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清吉「お前ら―。

いいか―。

敗けて逃げるンだぞ」

雪子。

清吉。

「二十何年いっしょに働き―お前らの苦しさも、かなしみもくやしさもわしはいっさい知っているつもりだ。だから他人にはとやかくいわせん。他人にえらそうな批判はさせん。しかしわしにはいう権利がある」

純。

雪子。

清吉「お前ら敗けて逃げて行くんじゃ」

純。

清吉「わしらを裏切って逃げ出して行くンじゃ」

純。

清吉「そのことだけはようおぼえとけ」

純。

雪子。

倉本聰著『北の国から全1冊』理論社1990年,p.61

この部分では、過酷な北海道の自然に揉まれ翻弄された農民が富良野を「都落ち」する、仲間がどんどん自分から離れて行く、それでもそこに踏ん張り続けることを決め、葛藤を耐え抜いた清吉の、不撓不屈の精神が描かれる。僅か数分の場面で、流行歌、厳然たる悲しい事実、それに立ち向かう強いやせ我慢。そこに息づくのは歴とした意志の力であり、感情のみが迸って悲劇を生む、という構成ではない。例えるのならばチェーホフ『ワーニャ伯父さん』の結末、ソーニャの言*4

一方で、『海炭市叙景』には、こうしたサヴァイヴァルの成熟がない。悲しみにまみれた人々が、流れるようにその町を過ぎさっていく姿の印象が強い。書籍版冒頭の青年と妹の話には、救われる個所が一個もない。ただただ乾燥した悲しみに対して失望を叫ぶ感情がそこに残り、ある種ひび割れた地面にたたきつけられて砂を食む感触すら覚えるのである。一回りして生命の実感を得る、というような感想が、ここには希薄である。そしてその印象は、ガス店店主の物語、ひなびたバーでの出来事、職業訓練校の中年生徒、立ち退きにあう老母、プラネタリウムの主、市電の運転手…それらの群像に付きまとっている。そして彼らのうち少なくない数が、自らの悲哀に半ば狂して抗おうと鬱屈した情緒を解放し、文脈の中で我が道を見失い、迷子になる。まるで作者の末路を辿るかのように、あるいはフォークデュオ野弧禅の曲の主人公=竹原ピストルのように。

D

2月のクランクイン時期からこの作品のことを知り、奇しくもこの映画の上映を公開に先んじて体験したeastern youth吉野寿殿がこう感想を述べた。


2010年02月05日

その作家を俺はこの歳になるまで知らずに生きて来た。

俺のアンテナも全くのポンコツで情けない。恥ずかしい。

中学の同級生の弟が彼の原作で撮るという話を風の噂で聞いて

俄に引き付けられ、本屋に走り、漸く行き着いた。

出会えて良かった。

良い映画に仕上げてください、熊切くん。

2010年09月21日

俺の「人生の実感」は

現実に座っているその試写室ではなく、

むしろスクリーンの中にあったよ。

観終わって出た渋谷の街には雪が降っていた。

ホントに降ってたぞ!

熊切くん!

ブログ『天沼メガネ節』*5より

吉野殿の人生の実感とは、ファンの方になら語るべくもないし、上述のブログのコメントの数々を見ていただければ話自明なので詳しく自分の述べられるところではないが、いわゆる主流とはかけ離れた、本質的な人間への目線に基づく感想であるともいえるだろう。そして彼の目線はやはり失望を捉えている。

2010年08月03日

失う事によって得られる、

という事は少なくないように思う。

そして

そうして得られたものは

とても大切なものである場合が多い。

しかし、

失う為にはまず「得られ」なくてはならない。

得られなかったものを失う事はできない。

だから

やっぱり「得よう」という心は

とても大切な気持ちなんだと思う。


得よ。そして失え。

失う事によって、

より深い何かを得よ。(前述ブログ)

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「ここは地獄なのかよ、クソッ!」

吉野寿 bedside yoshino『朝に死んで夜に生まれる』裸足の音楽社,2010

さて、更に誤解を恐れずに言うのであれば、函館という海炭市のモデルは、上述の吉野殿の、「得よ。そして失え。失う事によって、より深い何かを得よ。」という言葉を体現しているかのような歴史を持っている。そして札幌人の自分が言うのはおこがましいが、函館の街で生活・成長した人には、存在のどこかに、まるで澱のようにこのテクストが沈殿しているようなイメージがある。つまり、函館の人々には生まれつきのノスタルジアが内在していて、彼らの精神風土は深くかつ複雑にそれらによって影響を受けているのではないだろうか。たとえば、次のような函館出身作家亀井勝一郎の言葉がある。


文明開化の導入口となった函館について、函館生まれの亀井勝一郎はいう。北海道文学の系譜には三つの型があり、札幌のピューリタニズムと小樽リアリズムに対し、函館は”ロマンチシズム”の街である、と*6

木原直彦著『北海道文学ドライブ 第2巻・道南編』イベント工学研究所,2003,p.13

ロマンチシズムとは、定義的には西欧啓蒙思想以前の旧弊な教条主義的道徳観から個人の感情や存在を解放し、ありのままを描こうとする表現思潮の一端で、それを受容した世界の諸地域での同様の動きを指す。してみれば、函館と言うところはその成立からして日の本の欧化運動の先鞭となっていたわけであるから、そのような例えも、さも、ありなんと考えうる。だが、果たして函館はそれ一色を基調にして描写できるほど単純な街であろうか。それであれば本作は描かれることがなかったであろう。確かに、それを幾分肯定的に捉えた、「同市出身」と自称する成功者の以下の言説も、あることにはある。

 何故、私が函館にこだわるのか。過ごした四年間という短い期間が、私にとっては最も多感な青春期だったことは否定できない。しかし私が函館にこだわる理由はそれだけにはおさまらない。函館と言うこの歴史のある港町が持っている幻想的なトポスが私にいまだに何かを投げかけてくるのである。まるで町自体が一つの生き物のようで、町が発する

粘液にからめ捕られ、すっかりその魔力に包囲され、身も心も虜にさせられてしまったかのように。(中略)

 自分を安心させるために、ここへ戻るのではない。函館の傾斜した路地をただ歩くだけで、心の奥深くに鬱積する日常の塵が吹き飛ばされ、元々誰もが有している丸みを帯びた魂の輪郭が浮き上がってくるような気がするからである。

辻仁成著『函館物語』集英社,1996,pp..10-11

しかしながら、彼が述べるように、ここにきても「安心」はないのである。この町の日常に息づく人々のすべてを受けとめているのなら、「日常の塵が吹き飛ばされ」と彼が言う言葉はあまりにも残酷であると言えるだろう。まさしくその「日常の塵」の中でしか味わえない、「幻想的」ではない、海峡と言うトポスに織り込まれた悲哀と懐古の中にこの町の人々が生きていると知れば。その態様をうまく表現している別の女性作家のとあるセンテンスも抜粋してみよう。

函館の空はどんより曇っている。風が止まっている。重たい雲の下で樹木が緊張し、その場で時を止めているように見える。

谷村志穂著『海猫 上巻』新潮社,2004,pp..213-214

このように重苦しい、ダブリンシアトルの雨天のような側面も函館にはあるのだ。

これらの表現に紡がれるような、失われた何かにかかる憧憬を、本作の作者佐藤は感情の迸りと抑制的な筆致で描き切ったのであり、そのパンキッシュで清純ともいえるシニシズムは、戦後そのロマンチシズムという夢を厳しい現実によって打ち砕かれてきた、現代の函館びとの失望を率直に表現するという極点にまで到達したのである。この失望こそが、函館風土に根付く哀愁のノスタルジアの一端を担っているのだと、自分は本作を読んで深く感じ入ったことであった。

最後に、その現実の函館について、自分なりのまとめをして、実際の映画公開を待つことにしたい。


3)海峡という揺籃に抱かれる

函館はいま。

それでも函館の市街地はさびれつつある。函館中心街を案内してくれた函館市の西尾正範助役(引用者註:2006年出版当時のことで、現在は同市市長)は、松風町で放置された銀行跡地や商店街の数多くの空き家を指さしながら「国家の棄地思想には我慢できない」と語る。西部地区世帯の十三.六パーセントは単身高齢者世帯で、虫食い的空き地や空き家が九万三000平方メートルも大量発生しているそうだ。

第二次大戦による戦災を受けなかったこと、北洋漁業の操業停止による影響も受けなかったため、新しい時代の波に乗れず、札幌旭川等の新興都市に比べて経済的には著しく立ち遅れた感がある。

尾島俊雄著『この都市のまほろば Vol.2』中央公論新社,2006,pp..12-13

この表記は一部では批判に足るところもある。すなわち、経済と北洋漁業についてはWikipedia

高度経済成長期には、地場産業の要である造船とその関連産業が大いに賑わい活気に溢れていたが、オイルショックを境にそれらは一気に冷え込み街に暗い影を落とした。同様にかつては北洋漁業の基地としても栄えており漁船団の一斉出漁なども風物詩として見られたが、ロシア(当時はソ連)の200海里経済水域の設定以降はその姿が消えてしまった。

という記述がある*7。北洋漁業の衰退が函館自体に与える影響は大きかっただろう、と自分は思う。遠洋漁業とは人と船の集団移動であり、それだけ周辺経済が潤う可能性を秘めているからだ。銀行、取引所、花街…その成功例が横浜ではないか。以下の言もその推測を補強してくれるだろう。

こうした繁栄を誇っていた函館港の面影は今はない。天然の良港と呼ばれていたが、地勢的におくれをとりやすい位置の上、大型船を接岸させるだけの水深もない。現代、良港と呼ばれるには手を入れてさまざまな機能を備えなければならない…むかしの人は「お宝は海から来た」と言っていた。それを受け入れるために、函館の努力が今、問われている。

北海道新聞社編『函館 街並み今・昔』北海道新聞社,2001,p.84

同書によれば、明治時代の函館北海道経済の八割を握り、その繁栄の度合いたるや現在の札幌に勝るとも劣らなかったという。よく言われるように、函館の人は札幌のことを「奥」と言い、そこに行くことを「奥に行く」と例える。かつての玄関口としての賑わいを支えた人々の子孫としての自負がそこにはあるだろう。小樽函館というイザナミイザナギが居て、その滋養を受けて札幌の胎芽が育まれたと言っても過言ではない。札幌人はこれらの町に足を向けて寝られないはずだ。

考えてみれば、函館小樽の両市は、いわば本州各地の栄えた港、博多佐世保広島神戸、堺、横浜等と素質的に大きな差があるわけではない。そこに差があるとすれば、中心から北に遠く、産業が根付きにくかったと言う、たったそれだけのことにつきる。ただ、その僅かな差が、急速な経済構造転換や人の動きに大きな綻びとなって現出したのであろう。

港と内陸、中継点。未開の地に分け入ってきた我々が、いや開かれた内地に息づく人々ですら忘れてはいけないない何かを、函館は私たちに教えてくれる。上述の辻氏の作品と、倉本氏の作品から少し長いながらも的確なこの気持ちの表現を引用して、本日は、お開き。


―― (青函連絡船の)乗組員の人たちは、その後どういう人生を歩んでおられるんでしょう。

森山 まぁ、いろいろみたいなんだけれども、転職していって成功している人たちもいるし、中で、人生がどんどん変わってしまって、風のうわさでは自殺したとかね。

(中略)

―― 青函連絡船がなくなった今、振り返って函館を見て、自分と函館のつながりが、どう胸の中に積もっていますか。

森山 船を下りて、一時、札幌にいたんだけれども、なぜ僕が今、札幌にいなければならないのかという疑問がまず第一にあった。その時、急きょ函館に来る用事ができたんです。まだ船が暫定運航で残っていて、汽笛が聞こえるわけね。ああ、今、何時何分発の何便だと言うのがわかるんですよ。そうすると、こう思いついたんです。(中略)いずれあちこちに散っていった連中が函館に戻るころまでは、僕はここにいなきゃいけないんじゃないか。ふるさとに帰ってくる連中がいたら、函館はこうだったよ、こういう風に変っていったよと、いつでも言えるようにね。

―― まじめすぎるくらい生まじめに見えますが、そういう目で見た函館が、僕は大好きなんです。どんなに観光化が進んでも、この町の持っている風情というものがありますよね。(中略)

森山 確かにトンネルができて、スピード化して、それはそれで、日本の国が一つ前進していることで、いいと思うんだけれども、じゃあ、人間の内面的な部分でどうなのかということを考えるとね。自分の子供にも、函館の町は、本州と北海道を結ぶ玄関口で、こういう町だったということを僕らが伝えて行かなければね。

辻前掲書 pp..89-90

(―部分は聞き手、辻仁成)

清吉「おれァただ土地から出てったもんは、土地にいるもンをとやかくいう資格はねい。そのことだけを言いたかったンだ。」

(中略)

清吉「お前らだけじゃない。みんなが忘れとる。一町起こすのに二年もかかった。その苦労した功績者を忘れとる。功績者の気持ちを誰もが忘れとる」

向田「清さん」

清吉「とっつあんはたしかに評判わるかった。しかしむかしァみんなあの人を、仏の杵次とそう呼んどったよ。そういう時代もむかしァあったんだ。それが―。どうして今みたいになったか」

五郎。

和夫。

純。

清吉「とっつあんの苦労をみんなが忘れたからだ」

一同「―」

清吉「忘れなかったのは、あの馬だけさ。あの馬だけがとっつあんをわかっとった」

一同「―」

清吉「その馬を―手放すとき」

みどり。

五郎。

純。

清吉「その馬を―売ったとき」

間。

とつぜん。

―清吉の目に涙が吹き出す。

倉本前掲書,pp..302-303

D

*1:詳しくはCrassの"Punk is Dead"などを参照されたし

*2: 言わずと知れたディオゲネスの言。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%B9_(%E7%8A%AC%E5%84%92%E5%AD%A6%E6%B4%BE) 

*3キリンジ『悪い習慣』歌詞も参照のこと

*4ソーニャ「でも、仕方がないわ、生きていかなければ。ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね」。

*5http://www.yoshino-seisakujyo.com/meganebushi/2010/09/ また2010/02/

*6:瑣末な遊びではあるが、これに道央・道東のナチュラリズム、自然主義を考えることもできよう。すなわち、自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定するということ。

*7http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B8%82

2010-10-01 現代の追分、江差の詩人、モテキ

今回は、いよいよ今夜に迫ったTVドラマモテキ』最終話に向けて、テーマソングとなるeastern youth(以下eastern)を取り上げる。

1)はじめに

まず最初にお断りしておきたいのだけれど、筆者のeastern歴は浅い。かつてカウンターアクション*1で90年代の後半にコピバンでささやかなライブをさせていただいた(記憶がある。もしかしたら他のバンドのライブに便乗して控室に入っただけだっただろうか。友人が寝ゲロしまくって大変だった覚えが…)人間ではあるのだが、その頃筆者のヒーローは亡きカート・コバーンであったし、既にeasternは札幌よりも全国で有名になっていたのだと自分は記憶している。また、easternが全国的に有名になった90年代後半から2000年代初頭は、自らの遍歴としても地獄と言うべき時期で、音楽など二の次の状況であった。

そんな筆者だったが、つい二年ほど前に人づてに知己を得たとある友人(以下H君)*2にeasternの話を聞き、ちょこちょこ聞くようになり、今年春の同ヴォイス*3吉野殿復活ライブ@札幌キューブガーデンにてその良さを見出すことができた。いままで彼らを知らなかった自分の狭量に痛く後悔した次第である。

それに付け加え、2009年度私的フェイヴァリッド漫画『モテキ』最終話がeasternの『男子畢生危機一髪』*4だということもあり、ドラマ最終話に入るに向け、何かしら調べてまとめてみたいと思ったのが先日。そして試作版を某SNS*5うpしたところ、H君から好評を受けたので、いま少しの加筆修正を加えたうえではてなうpさせていただこうという心持になったのである。この点、少しばかり長文となってしまっているが、もし原文がお読みになりたいかたは、上記のSNS経由で、こちらまで訪れていただければ、と思う。

以下、本文においては幾分主観的解釈先行、はなはだ筆の至らないところはあると思われるが、ドラマ本編見る前にちょこっとeastern見てみようかな、と思った人が、暇つぶし程度に読んでいただければ幸い。


2)生きている限り隣り合わせの、何か

第31話 男子畢生危機一髪/eastern youth

最後はイースタンと決めてました。道で倒れた時、膝の砂を払って立ち上がろうという気分にしてくれる(友人談)そんな曲ばかりです。

久保ミツロウによるサブタイトル解説コメント 

久保ミツロウ著『モテキ』4.5巻 講談社,2010,p110

 


久保先生は上記の様に漫画原作『モテキ』のサブタイトルコメントを述べた。

原作最終話で幸世に振りかかってくるのは、別れ、そのものである。

数年前からの思い人夏樹は、幸世との微妙な距離が縮まることを拒絶して去る。

また、恋人に近い交際をしている東京の女性、土井亜紀は、別の男性にモーションをかけられていることと、自分が離れていても幸世の役に立てていないという主観的な遠距離恋愛の錯覚とを「利用」して、幸世に別れを告げる。

夏樹「ねえ幸世君 やっぱ 私 ここでいいわ(中略) ね?ここでお別れしようよ 手ェ放して 幸世君」

亜紀「私たち別れた方がいいと思うの」

幸世「……え? あ〜〜……わ 別れる?」

亜紀「うん このままじゃさ お互い気を 遣い過ぎて ダメだと思うの」 

  

久保ミツロウ著『モテキ』4巻 講談社,2010,p182,p189

幸世が感じるのはいつも通りの自分への無力感。

俺はやっぱ 天才じゃなかろうか

いつも俺は 大事な言葉を 伝えられないし

欲しい言葉は 聞き逃す

なんだろう この「やっぱり」って 慣れた感じ

  

モテキ』4巻,p187,p190

しかし、幸世は思う。母親が倒れた後、分相応に生きるという幸世に対して、

「幸世が嫌々生きているのなんか一番見たくないわ やりたい事あるなら頑張りなさいよ」(『モテキ』4巻,p193)

という一種の諦観を言葉にして返す。ハッとする幸世。それは、自分が別れ際夏樹にかけた言葉、

「楽しんで生きろよ そーゆー夏樹ちゃんが好きだから」(『モテキ』4巻,p184)

とほぼ同じでないか。フラッシュバックする別れ、既視感。所詮親譲りの、「束縛をしないという優しさ」が、女性との距離感を埋められなかった原因だったのだ、と気づく幸世。

サブタイトルとなっている曲はeasternのこの曲である。

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男子畢生危機一髪 作詞・作曲 吉野寿

数多のため息が 

季節を飲み込むので

私は思わず目を伏せる

―小さな影法師―

何処へ行く

足早に急ぎ行く

名も知れぬ人

走って、走って、走り去る!

月光と太陽を駆け抜ける!

真昼の眩しさが

景色を燃やすので

私は思わず口籠る

―さざめく屋根瓦―

現れて消えて行く

夏の雲

冬の朝焼け

走って、走って、走り去る!

月光と太陽を駆け抜ける! 

自分のもとから過ぎ去ってしまう何かに対しての、強い郷愁、思慕。

それを言葉にすることの無力、おかしみ、かなしさ。

揺れ動く感情の一片が、モテキ最終話とこの曲によって凝縮されている。

これらは互いに別箇の物ではあるが、調合することによって、匂い立つような強い印象を受け手に与えている。いわばアロマ・ポットの原油のようなものだ。生々しく、それでいて清々しい、植物系の芳香。

「別れ」がその根底で通奏低音になり、強い感動を引き起こす構成になっている。

人は生きている限り別れと隣り合わせである、と言う、西洋哲学の基本姿勢、「死を忘れるな」にも似たイメージが、この調合の触媒となっている。


3)ルーツ、あるいは音楽の一形態

ここで少し、読者の皆様をウェブ上の小旅行にお連れしたい。

北海道には江差という、かつてはニシン漁で栄えた町がある。

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日本海に面して風光明媚江戸以前からの華やぎが足あとを残している、北海道の中でも近世日本を引きずっているかのような、不思議な町である。

同地には短いながらも伝統があり、姥神神社と言えば、北海道最古の神社として有名である。

荒れる海を鎮めるためには、神頼みが必要だった。

活況を呈した江戸末期の江差では、豪商関川平四朗が、「正風俳家位付三段」*6ともなり、荒くれ者の漁場の親方たちですら、鰊漁場の始まりを待つ時期に鰊俳句会を開くほど、民間におもむきの風潮が流れていた。

(田端他共著『北海道の歴史』2000年,山川出版社,p143)

筆者も江差には一度足を運んだことがあったと思う。

19の頃、函館旅行を当時の彼女*7として、帰りは左回りで…と、江差を経由して帰ってきたような。

あるいはもう少し上、積丹のあたりからだったかもしれないが、行けども行けども海岸線、強い風、荒れる波、まばらな人家と、とにかく人の心に寂寞を与える印象が、あのあたりの地域の名前からは呼び起こされる。

ニシンの多寡でこの町は浮沈を繰り返した。こんなおとぎ話もある。

D


ここには、江差追分と言う、全国的に有名な追分文化がある。

追分とは、道が別れるところの意味で、軽井沢にある信濃追分、わけても追分宿が観光で有名である。かつて馬追いたちは、馬の轡を取りながら辛い道中を朗々と歌い、その節が追分で一つの謡曲形式となり、追分節というジャンルを成立させた。

それが北海道北前船と言う交易船の船頭を経由してもたらされ、さらに越後の謙良節という歌などと交わり、寛永(1624年から1643年まで)のころ、謙良節の名人で座頭(盲人)の佐之市なる人が、今の江差追分の原形として大成させたという。

この信濃追分にある、北国街道と中山道の分岐点に、「追分の分去れ」碑がある。以下、軽井沢観光ガイドより引用。


江戸から来た場合、右は北国街道の更科越後方面、左は京都、吉野など関西へむかう分岐点となりました。その昔長旅の途中で親しくなった旅人同士が、別の行く先を前に別れを惜しみともに袂を分けて旅を続けたといわれるのがその名の由来です。

さらしなは右 みよし野は左にて 月と花とを追分の宿

「みよし野」とは現在の奈良県南部吉野地方のことで、飛鳥のころから皇族離宮が置かれ、桜咲き乱れる遊興の地として有名であった。他方、更級は現在の長野市大岡地方の旧名で、月の名所であった。

「右に行っても左に行ってもこの世にいいことはある、別れの悲しみも愛でるものがあればこそ。」

このような昔の人の心持がしのばれる一句である。

言い方を変えれば、追分節には、別れを忍ぶ人の悲しさと決意がある。

江差追分のルーツを探り日本を旅した江差出身の樹木医、舘和夫は、この地方の追分節の師匠からこのような言葉を頂いたという。

追分については、「人生は追分なり」というのが師の信念であった。つまり、人間は生きているかぎり欲望の赴くところいろいろなものを追い求めて行くが、結局はそのすべてと分かれなければならない。それが人生だというのである。したがって、師によれば追分は、この唄を聞き知っているほどのあらゆる人々にとって、人生を表徴する唄だということになる。

館和夫『江差追分物語』北海道新聞社,1989,p114

追分は、悲しみを決然と見つめながら、それでも生きる、という覚悟の唄であった。

では、実際に江差追分の中でも有名な下の形式*8を聞いてみよう。

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泣いたとて どうせ行く人

遣らねばならぬ

せめて波風 穏やかに

泣くなといわれりゃ

なおせき上げてネ

泣かずにおらりょか

浜千島

人との別れに涙せざるをえない。せめて天気の無事を祈れども、泣くなと言われればなお悲しい。浜の向こうの島々を凝視して涙をこぼす人。そのような内容である。

eastern吉野殿は、一説にはこの江差地方の出身であると言う*9

彼の重厚な音楽への姿勢と、余計な物を取り去った無骨な、しかし繊細な詩情を思い出させる歌は、まさしく「現代の(江差)追分」であると連想する。

「共感なんていらねえよ!」

そう歌いながら醸し出す彼の歌には、皮肉なことに、現代で肩を怒らせながら寂しく歩く人間の詩情があふれ、それ故に、この情感の勢いを以て人に共感を与え続けてしまうのである。

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吉野殿自身は否定されるかもしれないが、最近ファンになった私は、彼には江差びとのDNAがまぎれもなく流れている、と考える。

なんとなれば、上述の追分の歌詞、あの

「悲しいが現実にゃあ打ち勝てぬことでござんす。

でもそれならそれで、

せめて幾分か穏やかな心持でおられぬでしょか。

畢竟、人生の悲しみとは、

歌うに足りるものでごぜぇましょう」

というココロの有様が、江差びととしての彼に表れているのであって、その中身に、「人生」と言う唄を生きる人々は共鳴せざるを得ないのではないだろうか。

そんな追分の心は、この曲と吉野殿のMC*10にも強く表れている。

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吉野殿の好む詩人井伏鱒二*11があり、特にその『厄除け詩集』中の訳詩がお気に入りのようだと、H君から聞いた。

いわく、唐の詩人于武陵(ユーウーリン)による『勸酒(チュエン・チュー/飲もうよ)』より、

勧 君 金 屈 巵

(チュエン ジュン ジン チュー ジィ)

満 酌 不 須 辞

(マン ジュオ ブー スー ツー)

花 発 多 風 雨

(ファー ファ デュオ フォン ユー)

人 生 足 別 離

(レン ション ツー ビエ リー)

鱒二の訳は以下。

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

      (井伏鱒二『厄除け詩集』)

愛別離苦。この心があり、それを乗り越えようとするのが追分の精神である。

吉野の背景には、あの潮風に揉まれる北海の風景*12が、厳然と広がり、ルーツとなっている。そんな邪推をして楽しむ筆者の心である。

付け加えるようであるが、江差追分は一定の型を覚えれば後は自由に唄を組み立てても目くじらをあまり立てられないらしい(館の前掲書あとがきより)。その放埓さが、吉野のシングアロング・ブルーズのスタイルにも流れているのかも知れない。

そんな彼の歌う森田童子『たとえば僕が死んだら』のカヴァーは、いい意味で「切れ」ている。剛直な鉛の塊が、その身の先端で切り落とされた形、そのような鈍い鋭さ。切実、切迫、切なる何か。その背後には、生涯常に隣り合わせ=畢生の、別れと悲しみが同居しているのではないだろうか。

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杏の花の頃は3月下旬から4月頃、その散る頃はまだ春浅い季節。

混迷続く90年代の終わりごろ、吉野殿も、この季節に襟を立て、遠く江差帯広富良野札幌の春を思っていたのであろう*13

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4)数多のため息を抱え、走る



アルセスト「…いや、あなたはもうごめんだ。僕はしたたかあなたに侮辱されて、永久にあなたのさもしい束縛から解放されるんです。…僕にはあなたのお心を受けるねうちがあろうとも思われません。僕はあなたと御一緒になれるようには生まれて来なかったんです…」

モリエール著,内藤濯訳『人間ぎらい』1952年,新潮社,p102

上述の戯曲『人間ぎらい』は、初演1666年。主人公アルセストのわめきは、幸世とまったく同じものだ。

モテキ』はとかく現代草食系男子の物語として語られがちであるが、そのようなことはない。

常に孤立しがちな「自信のない」人間*14の、恋愛を中心とした人間関係を扱った、普遍的なドラマである。

ここらでぐるりと一回りして、話題を今日最終回のドラマ『モテキ』に戻したい。

eastern youthがテレビドラマで初めて大きく取り扱われる。

ドラマ版の土井亜紀は、オム先生の新しい担当、easternのTシャツを着た*15坊主頭の「吉野」という人物に、響くものを感じて惹かれてしまう。そこで幸世に別れを告げるのである。

どんどんと斜陽を続ける日本の中で、若者たちは捉えようのない寂しさと怒りにとらわれ始めている。

仕事のない現実。仕事に飼いならされる日々。

一部の人間以外には保障されない未来。

ほんのわずかな幸せを手に入れても、それがいつ壊れるかわからないし、実際に崩壊する予感を覚えてしまう。

砂を食む「生活」が現前する。

自分の矮小さを思い知り、自分を恃むことができなくなり、幸世のように思う。

「俺みたいな人間が誰かに好かれる資格なんて無い」

その乾いて鬱屈した世界にeasternはよく似合う。

決してミスチルのように、悩んだ果てには「愛する女性(ダーリン)」の懐で慰めてもらえるような、恋愛や仕事に恵まれた人間の抱える、予定調和の湿った鬱屈ではない。

常に危機と別れを隣に孕んだ孤独、見聞きするものに漠然と怖れを抱いてしまうような、冷え切った独り身に襲いかかる、不確定の暗闇そのものだ。

それに対し吉野は「追分」を歌うのである。

若者は徐々にeastern youthと吉野殿の奏でる「現代の追分」に共鳴し、本当の自分自身を取り戻そうともがいている。まさしく遣る瀬のない、行き場を持たない気持ちを鎮めるかの如く。

そんな流れの表象に、モテキが一役買っているのかもしれない。

「人に選ばれない若者が自分から人とかかわりあうことができるようになるまでの物語」

と作者久保ミツロウも言っていたこの作品*16

eastern youthの描く世界とシンクロしている。

江差出身の詩人は、ようやく全国波の表舞台*17で、生ぬるさと乾きにあえぐ若者に喝を入れることになりそうだ。

悩む若者必見、モテキ。必聴、eastern youth

*1札幌では老舗のライブハウスで、バンドしている人なら大体知っている。easternもここが拠点だった。

*2:Akinoriderとは彼の事だ。

*3:ヴォーカルではない。easternのクレジットではこれが正式。

*4:男は生涯、ひとつ間違えば、非常な危険に陥ろうとする瀬戸際にあるのだという意味。

*5:mで始まる最近TVCMがうっとうしいところ

*6:同様の事例として、江戸後期安房俳句文化などを参照されたい。

*7:17から4年一緒にいて別れた。

*8:他にもいくつか本唄はある。館の前掲書に詳しい

*9:成長したのは帯広という説もあり、真贋定かでない。

*10:「来年はどうなるか君も俺もわからんよ…本当に。まぁよいお年を」

*11:井伏は詩人としては幾分即妙の技術があったようだが、作家としては剽窃、盗用の気味が多かったと猪瀬直樹氏は言う。詳しくは『黒い雨と井伏鱒二の深層』中のこの部分「丸写しではないが、瓜二つといえる。ただここで示した三篇目の「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」のフレーズだけは、『臼挽歌』から少し飛躍した感じに出来上がっている。ふつうの人が知っているのもこの部分、しかし考えてみると意味はよくわからない。正確な表現ではない。けれどなんとなくわかる、とのあいまい領域の表現が人口に膾炙した。井伏のルーズな部分がたまたま生きた、というほかはない。」

*12:そういえばeasternドラムスの田森氏は江差よりも更に北、北海の孤島礼文出身であるという。ちなみにベース二宮氏は太平洋に面した愛媛の出身。

*13:90年代前半に上京してから、easternのメンバーは工事現場などで働いて活動を続けていた。メジャーデビューは97年12月である。

*14:アルセストはなんにでも筋や正義を通そうとする一本気で強情っぱりな人物として描かれているが、それは実のところ、それらの根拠に依存していなければ現実に対処できない、柔軟性を欠いた自信欠如な人間本性の表れでもある。心理学的には「性格が真面目で忍耐強い人ほどかかりやすい」適応障害ともいえる。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A9%E5%BF%9C%E9%9A%9C%E5%AE%B3

*15:ドラマ本編内で土井亜紀がeasternのTシャツを着ているシーンもある。

*16:4巻あとがき漫画およびhttp://natalie.mu/comic/pp/moteki/page/4などを参照のこと

*17:現時点までの予想だけれど、easternのライブがドラマで流れる可能性がある。大根監督もフジロックなどで彼らを見たファンらしい。

2010-07-26 予言者とは幸福を告げてはならない 〜黒鳥に関して〜

「幸福を告げられた者は努力もせず

あらぬ幸運を期待する

もしそれで何事も起こらなければ

『チクショー

ジッと家で待っていたが

幸運なんかこなかったぞ』

と言って怒鳴り込んでくるだろう

別に不幸が訪れたわけでもないのに

幸運がこなかったと言うだけで

不幸になるのだ

だからよく当たる予言者とは

不幸ばかりを告げる者のことを言うのだよ」

漫画『黒鳥 ブラック・スワン』 山岸涼子著 1999 白泉社 p.45

黒鳥―ブラック・スワン (白泉社文庫)

黒鳥―ブラック・スワン (白泉社文庫)

個人的にブラック・スワンに関しては、

ハリウッド謹製の映画よりも、

山岸涼子さんのこの作品をおすすめいたします。

もうひとつ、証券用語などでも、

「確率論や従来からの知識・経験からでは予測できない極端な現象が発生し、その現象が人々に多大な影響を与えること」

という『ブラックスワン理論』などと言うのがあるようですが…。

http://www.hf-klug.jp/hfglossary/line_ha/hu/003474.html

ドイツ童話をもとにチャイコフスキーが編み出した、

『白鳥の泉(Лебединое озеро レベディノーエ・オゼーロ)』。

ワーグナー作『ローエングリン』を下敷きに描きなおされたこのロマンスは、

ひとえに「表象にだまされる人の悲しき性」の物語であります。

白鳥の湖

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E3%81%AE%E6%B9%96

悪魔ロッドバルド、そしてその手先、黒鳥オディールは、人の醜き感情を表象する存在。

彼らは美しいものを憎み、呪いで鳥に姿を変えてしまう。

その美しさから鳥に姿を変えられたオデットは、

「まだ誰をも愛を誓ったことがない=童貞ジークフリードに、

愛を誓ってもらうことで鳥から人間に戻れる。

ジークフリードも、21歳にして、

未だ心から愛することのできる女性を探しあてられぬまま、

さまよううちに、

夜の間だけ人間になれるオデットに一目ぼれをして、

愛を誓おうとするのです。

「城で開かれる舞踏会に来てくれ、そこで愛を誓おう」

しかし、悪魔は狡猾です。

オディールという、悪魔がオデットに似せて差し向けた黒鳥の美女で、

ジークフリードをたぶらかすのです。

ジークフリードはオデットだと勘違いしてオディールに求愛します。

憐れ、そこで呪いは永遠に解けなくなるのです。

王子は悪魔を倒しますが、解けない呪いに絶望し、

来世で結ばれるために白鳥のオデットと湖へ投身してしまう…。


人間は表象にだまされます。

相対する人間の本当の姿を見抜くこともままならず、

なんとなく日々を過ごしては、

過ちばかりを繰り返す。

まれに、本当の何かをつかみかけては、

自分のくだらない自尊心や固定観念で、

指の間から逃してしまう。

本当に人とかかわることは、

とてつもなく困難なのであります。

そんなこんなで、

幸せは訪れるなんていう言葉を信じてしまいたくなるのです。

おや、

なんとなく展開が、

マイ・フェイヴァリッド漫画2009、

モテキ』の筋書きに近いではありませんか。

そういえば主人公は幸世という名前でありました…。

とまれ、

幸せは訪れるのではありません。

大事な何かに触れた時、

まずはそこに見出すものなのだと、

心の中に宿る絶対的な感情の一つなのだと、

様々な先人たちが、

いろいろなところで語っておられます。

社会に生きる上では最小不幸を目指す必要もあるでしょうが、

個人が生きる上では、

個人の感じる個々の幸せを、どうか大事に。

その幸せを慮り合うことが、

人の世の情けなのではないかなぁ、と推し量ります。


そんな今日の気持ちは、

この一曲で。

雨の中の幽霊が、語ります。

D

作詞・作曲:細美武士

<strongbow私的訳>

計画に従って

バリケイドに向かっていく

多様性や懐疑主義で頭はごっちゃ

構えた弓でそれをこすり

弦の響きを聴いた

そしたら最後の呟きが

対話の中に滑り落ちた

僕は雨の中の幽霊

見えないけれど、

そこに立っている

雨の中の亡霊

同い年

続けるんだ

最後には世界が見つけてくれる

ダイアグラムの中に

筋が通っていく

スペクトラムは絶望の中

冥界に僕を誘う

だから野蛮なままなら

独立していられる

欺瞞が暴かれたなら

何がヤバイのかが見てわかるはず


多様性や懐疑主義で頭が大変なんだ


僕は雨の中の幽霊

見えないけれど、

そこに立っている

雨の中の亡霊

同い年

続けるんだ

最後には世界が見つけてくれる



【黒鳥関連】

マリア・トールチーフ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%95

映像

http://upstreamvideos.com/wp/videos/maria-tallchief/


グルジア人ダンサー、ニーナ・アナニアシヴィリ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AA

ニューヨーク・シティ・バレエ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8%E5%9B%A3