佐世保市が運営する在京の男子学生寮「求義塾」=東京都渋谷区代々木1丁目=が3月末、約60年の歴史に幕を閉じる。昔ながらの共同風呂と共同トイレが敬遠されて入寮者が激減し、老朽化した施設の維持が財政難で困難になった。OBからは閉寮を惜しむ声が強く、最後の寮生たちが歴史を記録にとどめようと、記念誌づくりを進めている。
求義塾は、新宿や渋谷からもほど近いJR代々木駅から徒歩5分の閑静な住宅街の一角にある。茶色の重厚な鉄筋5階建てで、1階に佐世保市の東京事務所が入居する。
戦後復興半ばの1950年に東京都杉並区荻窪につくられ、代々木に66年に移転してから通算で2千人を超える学生を社会に送り出してきた。
8畳一間の2人部屋が30室あり、家賃は月に4万円。入寮者が減って個室にしても定員割れが続き、耐震強度の問題もあって2007年4月以降、学生の募集を停止。現在は、3人の学生が暮らしている。
東京大大学院でフィールドワークなどを学ぶ寮生の團康晃さん(25)は一昨年、80代の初代寮長から思い出を聞いたのをきっかけに記念誌づくりを思い立ち、OBを探して聞き取りを重ねた。「学生運動から犯罪スレスレの武勇伝まで、それぞれの時代を感じられる話が集まった」と團さん。
話を聞いた十数人のOBからは寮祭の写真や各年代の寮の規則集、会議録などが寄せられた。3月26、27の両日に開かれる「閉寮の会」では寮を開放し、荻窪時代からの歴史をまとめたパネル展や資料をまとめた小冊子の配布も予定している。
年末の12月31日にはOBも顔を見せ、先輩の部屋を回って生活マニュアルを暗唱する規則を懐かしんだ。塾で年を越した東京農工大工学部4年の川邊田慶介さん(23)は「初めはついていけないと何度も思ったが、面倒見が良い先輩たちや、仲間との暮らしには社会での生き方がすべてあったと思う」と語る。
主に自治体の学生寮でつくる「全国学生寮協議会」(45寮)によると、ここ数年で在京の17寮が閉鎖された。協議会の会員でもある求義塾の野中和彦寮長は「どの寮も恒常的な定員不足と施設の老朽化に悩んでいるのが実態だ」と話している。
=2011/02/26付 西日本新聞朝刊=