Hatena::ブログ(Diary)

pal-9999の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

生涯楽天家がモットーの男のネタ的はてなダイアリー。本家はこちら

2010-03-26

[]少年漫画はロリペド描写とどう付き合うべきかという話 少年漫画はロリペド描写とどう付き合うべきかという話を含むブックマーク


18禁プリキュアで東映始まりすぎワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


ほんとは別のエントリ書いてたんだけど、脱線的にちょいと、この話。最近、話題の非実在少年の話につながるんだけど、少年漫画におけるロリペド描写の問題ね。


twitterでぶつぶつ呟いてたんだけど、結構、問題だと思うんだよねこれ。


ロリペド描写は、最近、特に問題になってて、世論の目も厳しい。なんで、ロリペドが容認されないかってのは、色々あるんだろうが、個人的には、「幼女とのセックスというのは、大人の男性による性の搾取にしか写らない」ってとこなんじゃないかと思う。これは、ごく最近になって生まれた風潮かもしれないけど、とにかく、今は世論が児童ポルノに厳しい。


で、なんだけど、ロリペド描写というのは、日本においては、それなりに昔からあった。けれども、それは最初に漫画で問題になったのではなかった。主に、写真集、特に、少女ヌード写真集というジャンルだった。



1980年代は、少女ヌード作品が市場の大きな需要となっていることが明確に意識され、それに応えようと爆発的ともいえる供給がなされた時期となった。翻って1970年代から欧州においては、イリナ・イオネスコやデイヴィッド・ハミルトンなど限られた写真家の少女ヌード作品が存在したものの、数は限られており公に流通するのはその芸術性が社会的に認められたものだけだった。それとは対照的に1980年代の日本では大量の少女ヌード作品が生産され、1年間の出版数だけで、欧米の10年、20年を優に超えるほど類を見ない量的拡大を特徴とした。それが可能だったのは、猥褻図画をめぐる法律が実体主義(陰毛露出を基準とする)に終始して陰毛のない少女ヌードに適用されなかった事、欧州でイオネスコが直面したような児童ヌード表現と人権をめぐる深刻な議論や裁判を回避できた事、日本は欧米的なキリスト教的禁忌が薄くいわゆる「ロリコン」男性の需要にさほど抑圧的でなかった事などが挙げられる。会田我路、近藤昌良などの多作でメジャーな写真家もこの分野に参入した。

これらの大量増産は1980年代後半から問題視される結果となり、少女ヌードの存在は児童性愛的な男性の需要と密接に結び付けられ、わいせつ表現の面から、そして児童虐待や凶悪犯罪などの逸脱につながる可能性の面から、社会的な批判や介入をよび、いくつかの児童福祉法違反による検挙や猥褻図画としての規制圧力を余儀なくされるに至る。

一方でモデルとなった児童へのストーカー行為などから、出版社や写真家らはこうした事件の回避策として、海外により多くのモデルを求めるようになっていく。特に1990年代には力武靖をはじめとする写真家が多くの写真集において外国人モデルでありながら日本人のような名前を付けて発表していたことにはこうした背景が存在した。すなわち、モデルの実名は勿論のこと、その出身地や具体的なプロフィールを原則として一切公開せず、あくまでも日本人としてリリースし、モデル児童の人権を保護しようというものであったが、一般世論的には海外に安く性的な搾取を求めていると解釈され、より強い非難を浴びる結果へと繋がっていった。

大渕静樹(大舞地静樹)は刺激の強いものが多く、その足跡は1980年『白夜の少女ティナ』(徳間書店)から、1983年『妖精伝説 ヨーロッパの天使たち』、1984年『ロリコンTHEワールド 欧州撮り歩き』までの一連の作品に見ることができる。


少女ヌード写真集


「40万部を売り上げた石川洋司撮影の『プティフェ: ヨーロッパの小さな妖精たち』(1979年)」ってのがあって、これ以降、急速に少女ヌード写真集というジャンルが日本では立ち上がった。それ以降、急激に、このジャンルが立ち上がり、一般書店にまで出回るようになった。


はっきりいって、この時点で、規制の声があがるのは時間の問題だったと言える。


少女ヌードについては、ある一定数の需要があるのは事実で、その需要がある限りは、それに応えて金儲けが可能になる。


日本では唯一NHKによる調査が存在する。『日本人の性行動・性意識』[9]では13歳未満の相手とのセックスについて、「してみたい」と積極的肯定回答した男性は、10代(16 - 19歳)6%、20代5%、30代4%、40代1%、50代8%、60代0%であった。他方、女性においては、積極的肯定回答はすべての層でほぼゼロに近く、消極的肯定回答も10代に2%が見られるのみである。選択肢には、他に「どちらかといえばしてみたい」 「どちらかといえばしたくない」 「したくない」 「実際にしたことがある」があった。また質問に対し「無回答」もあった。これらについて、10代-40代では「どちらかといえばしてみたい」の消極的肯定も、積極的肯定とほぼ同数かそれ以上あった。「無回答」は30代以下では1割以下だが、年齢と共に大きく増加し、60代では半数に迫った。「無回答」の比率は、各年代とも男女間に大きな差は見られない。

ペドフィリア


こっちもwikipediaからだけど、一定数の男性が、13才未満の相手とのセックスに興味を持っているという調査があるわけだ。だから、とにかく、そういう需要がある。つまり、ロリペド系の裸への欲望ね。


で、なんだけど、これ系の少女ヌード写真集は、児童ポルノ法で完全に出版不可能にされた。これが、1999年。これで、一応、三次元については、規制で決着がついたわけだ。


しかし、二次元については、問題が残ったままだった。最後のロリペド性描写の楽園、それが二次元になった。


で、1999年の一年前に、ロリペド系の漫画で、一つの金字塔的作品が世にだされた。つまり、「CCさくら」がアニメ化されたんである。反響は凄まじかった。ロリ的な意味でね。別にロリじゃなくても、かわいく見えたのも事実である。ヒロインのさくらがね。


そんなわけだったら、この作品は、凄くエポックメイキングなものとなった。これと前後して、少女ヌード写真集が完全に発行不能になった事も原因の一つとしてあると僕は見てるんだけど、二次元系のロリペドがものすごく金になるという事が明確に意識されたんである。


1980年代に、少女ヌード写真集というのが、非常に大きい市場をもつってことが、はっきり意識されたのと同様だった。


その結果として、2000年代、漫画業界やアダルトゲーム業界では、ロリペド描写が非常に盛んになった。ロリペドの過剰供給とも言える現象の始まりだった。


「ふたりはプリキュア」のメインターゲットとは


こっちの写真で見えるけど、制作側、編集サイドでも、いわゆる「大きな友達」という客層を明確に意識された作品作りがなされるようになった。2000年代は、正直、漫画のエロがロリペド路線を強く意識したものに変わった時期だと思う。お金になるからだ。腐女子、オタクは、基本的に金払いがよい。普通の子供相手のビジネスをやるより、ずっと付加価値をつけてグッズを売れる。そこに、もうひとつ、金払いの良い層として、ロリペド層が加わったんである。


これは、少年漫画でも、ある種、深刻な問題だった。


無論、以前から、コミケなんかでは、ロリコンブームがあったのは事実だった。魔法の妖精ペルシャとかミンキーモモの同人誌が飛ぶように売れた時期もあった。ただ、2000年代の特徴は、それが大規模に商業ラインにのせて行われるようになったことだった。


これは、一昔前であれば、何も問題なかったかもしれない。しかし、児童ポルノ法で、小学生の乳首はNGになっちゃったので、深刻な問題になった。


で、あるのだが、二次元については、規制を免れたので、少々、行き過ぎた描写が、少年誌でも出始めたしまった。こいつは、どの作品かっていうと、「ToLoveる」である。まぁ、近年のジャンプにおける、赤いビキニ環礁的な作品である。何がやばいって、「小学生の乳首を解禁」しちゃったんである。他にもお色気満載、乳首券大増刷で人気を取った作品なんだが、これは、もう本当にやばかった。今回、問題にされなかったのが奇跡的だった。


「部長ーっ 読者支持率ビンビン上がっています!大成功です!やった〜」

「中川!中川! あまりに知性に欠けていないか?」

「えっ」

「これでは視聴率が楽に取れるからとお笑いと

雑学クイズ番組ばかりになったテレビ局と同じだぞ!」

「するどい指摘」

「もっと志を高く持て!」

こち亀の作者が作品内でToLOVEる批判(?)


こっちで、以前、こち亀で、少年漫画におけるエロ描写をネタにした回の事が取り上げられてるんだけども。


少年漫画におけるエロというのは、児童ポルノの問題の他に、雑誌の質を下げるものとしても問題とされる。僕としては、こっちのほうが問題だと思う事も多い。大原部長の台詞には、おおいに賛同する部分が大きいのである。少年漫画にしろ、少女漫画にしろ、楽に売れるからって、美少年美少女山盛り、オタ受け腐女子受け狙いを続けたら、お笑いと雑学クイズ番組ばかりになったテレビ局みたいな状態になってしまう。


児童ポルノというのは、表現規制の問題も含む為、それ事態が漫画の供給量をおとすものとして、忌み嫌われるのはわかる。僕個人も、それには賛同する。エロがなかったら、永井豪は世にでれなかっただろう。そして、永井豪がいなければ、今の搭乗型ロボットというジャンルは、生まれなかったと言っても良い。マジンガーZ,ゲッターロボ、そしてグレンダイザー。どれも、日本アニメの搭乗型ロボットアニメのひな形となったといっていい作品だった。グレンダイザーに関しては、中東では知らない人がいないという位のアニメだし、フランスでは視聴率100%という、今後絶対抜かれることがないだろう記録をもってる。


ただ、そうだとしても、最近のロリペド描写は問題だと思ってる。


というのも、安易に視聴率やコミックスの売り上げを稼げてしまうため、そっちに傾倒してしまう作家が出てしまうのだ。現状、二次元のみが、ロリペド描写を描ける媒体なため、売り上げを稼ぎやすいのは事実なのだ。


しかし、このまま、やりすぎれば、PTAや議会、世論から攻撃をうけて、規制を食らうのは時間の問題だ。場合によっては、これはオーバーキルに転じてしまうだろう。どこかの馬鹿が、幼女の監禁殺害でもやらかしたら、世論が一気に二次元殺しに転じる可能性は高い。ベルギーの連続幼女監禁殺害事件や、日本の埼玉の例のアレの時の世論の高まりを見れば、そういう流れになるのは目に見えている。少女ヌード写真集みたいに、オーバーキルされてしまうと思う。


僕としては、何らかの自主規制は必要だと思っている。


このままだと、何かの拍子にオーバーキルされかねないし、少年漫画の発展に、ロリペド描写は必要ないと思うからだ。パンチラや多少のエロなら多めに見れる。人気のない作家が、エロで時間稼ぎをするのはある程度しょうがない。ドラゴンボールだって人気のない時期はエロ描写が行われてたしね。


ただ、小学生の乳首を解禁しちゃうような「ToLoveる」みたいな作品は、マイナー紙ならいいけど、メジャー紙でやるのは不味い。不味すぎる。


世論がうるさいんだから、ああいうのは別の雑誌でやればいいと思う。今は、メジャー紙で、18才未満の乳首はまずい。どうしてもやりたいというなら、「18才未満の乳首券は一作品につき7回(ラッキーナンバー)までしか発行しない」という条件をつけるべきだ。これ、僕は半分ネタだが、半分本気である。


乳首券0にするのはやりすぎだし、人気の回復策として、乳首券を少年誌作品でも発行しても良い。ただし、ホントにやばい時に限れ、発行枚数は少数限定しろ、というのが僕の最近思うところなのである。


乳首券ネタにしてるように、これは半分ネタである。が、半分は本気である。そのくらい、最近のロリペド狙いは過ぎていると思うし、ロリペド狙いは、過剰供給になっていると思う。


まぁ、あれですよ。ワンピースが売れてることだけが救いですよ。少年漫画の王道は、いまだ死なず、と実証してますからね・・・

乳首乳首 2010/03/28 14:02 為になりましたわ。

mm 2010/04/03 02:21 二次元キャラに年齢や性別を問うのはいかがなものか

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20100326/p1