中国の淡水養殖事情

福 田   裕   

 私は,1996年から2000年までの四年間,中国上海水産大学で「中国淡水漁業資源の有効利用技術開発」の共同研究を行って参りました。この共同研究は国際農林水産業研究センターの総合プロジェクト「中国主要食料資源の持続的生産と有効利用技術開発」の一環として実施しているものです。急増する淡水漁業資源の流通・加工技術の開発により,中国の食糧問題の解決支援を目標としたものです。この間,中国の淡水養殖の実態を調査する機会がありましたので,紹介いたします。

紀元前からのSustainable Aquaculture
 陜西省西安市の東方にある半坡(ハンパ)遺跡を訪れたとき,夥しい彩陶土器の殆どに魚の模様が描かれていたのを見て驚きました。人面魚のユーモラスな絵模様もありました。半坡遺跡は今から約5000年前の中国人の源流,ヤンシャオ文化の大集落跡です。ここは大陸のど真ん中ですから,これらの遺物は当時から淡水魚が重要なタンパク質資源であったことの証であり,既に淡水漁業に人間の介在があったことを思わせます。
 時代は下って河南省安陽市にある殷代(3000〜3500年前)の遺跡から,甲骨文字で書かれた淡水養殖魚の最古の記述が発見されています。
 更に,「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」で知られる春秋戦国時代(2500年前)の越国の王の話がありますが,その越王に仕えた范蠡(ハンレイ)は,世界最古の淡水養殖魚教科書「范蠡養魚経」を残しています。一部を紹介しますと,「卵をはらんだ長さ三尺(この時代,1尺は23.1cm)の鯉二十匹,雄四匹を二月上旬の庚の日に,水の音を立てないようにそっと養魚地に放ちますと,鯉はかならず生育します」とあります。中国淡水養殖は現代まで続くSustainable Aquaculture(持続的水産養殖)の典型と言ってよいでしょう。

人工繁殖技術の成功と政策
 中国の淡水養殖生産量は1998年に1322万トン(中国漁業統計年鑑)を記録しました。内陸の淡水養殖だけでも最近の日本の漁業生産量の二倍もあります。しかし,この大ブレイクは中国の長い淡水養殖の歴史の中でも20世紀の後半のことです(図1)。
図1 中国の漁業生産量を押し上げる淡水(内水面)養殖
 1957年に四大家魚(アオウオ,草魚,ハクレン,コクレン)の人工繁殖技術が開発され,どこでも大量に淡水養殖ができる条件が整いました。それまでは,長江(揚子江)の天然魚卵や仔魚を採取して孵化させ飼育していたので,リスクも大きく効率も悪いものでした。
 しかし,せっかくのこの技術開発も,すぐには発展には結びつかなかったのです。1959年に設立された人民公社は「一大二公(一に規模は大きく二に公平)」のスローガンの下,悪平等主義は漁民の労働意欲を低下させました。更に追い打ちを駆けたのが,「囲湖増田」と言って湖沼・池等を耕地に変え農業生産だけを増大させる運動でした。文化大革命後,この反省から「退田還湖」が行われました。このように時々の政治の動きに翻弄された淡水養殖は停滞を余儀なくされ,生産量はギザギザの成長をとげてきました。

「経済改革開放」がもたらした大ブレイク
 文化大革命の終焉後,経済制度の改革開放が図られたのはの1978年です。1979年には水産物価格の魚種・規格・鮮度による価格差が是認され,1982年には内水面の「使用権の緩和」と「請負責任制」を開始,1984年には政府の「水産の発展を加速せよ」との号令により集約的池塘養殖の推進,養殖専業化など淡水養殖重視政策が強力に押し進められ,この頃より淡水養殖生産量は伸び始め中国の漁業生産量を押し上げてきまた。1985年,水産物の価格は全面的に自由化されました。1992年に「社会主義市場経済制度」が打ち出されると,中国人の所得向上が養殖魚の需要を喚起し,その魚価の向上が漁民の生産性を押し上げ,相乗効果が淡水養殖業の大ブレイクをもたらしました。
図2 中国淡水養殖魚介類の構成
淡水養殖は農家の庭先が漁場
 中国内水面域には200種以上の淡水魚が棲み,約50種が養殖対象種となっています。1997年の淡水養殖の魚種構成(中国漁業統計年鑑)は総生産量1237万トンのうちハクレン・コクレン37.2%,草魚21.3%,コイ14.2%,ダントウボウ3.5%(図2)と大半がコイ科魚類です。一方,生産性は低いが高価な「名特優品種」と呼ばれるケツ魚,中国スズキ,テラピア,ウナギ,カムルーチ,淡水マナカツオ,スッポン,河カニ,オニテナガエビなども盛んに養殖されており,「市場経済制度」の中で生産者がこれらの高価格品種への傾斜を益々強めることは必然でしょう。これまで高い生産性を支えてきたハクレン等は消費者から次第に敬遠され,廉価のため加工による付加価値の向上が量的再生産を持続させるために必要とされています。
 淡水養殖の主たる生産の場所は池塘(池は天然の池,塘は人工の池)で,全体の72%の生産をあげ,単位面積あたりの生産量も4.6t/haで,いずれも湖沼・河川・ダム・稲田に比べて圧倒的です。つまり,淡水魚の漁場は農家の庭先にあるのです。その意味するところは,選抜育種,染色体操作,遺伝子工学などによる品種改良を閉鎖系だから実現できる巨大な場が生まれたことです。

混合養殖と環境保全機能
 養殖場にはダックが放されていたり,豚舎が側にあり,排泄物による施肥養殖が行われています。また,池の周辺には黒麦草・蘇旦草などの草魚のための餌が至る所に植えられています。また,底に溜まった泥は畑の肥料として利用されます。これが農業・畜産業・水産業の複合経営です。
 池の中では,上層魚(ハクレン・コクレン),中層魚(草魚・ダントウボウ),そして下層魚(コイ)が論理的な比率で同時に飼育されています。草魚は草類を,ハクレン・コクレンは排泄物で培養されたプランクトンを,下層では雑食性魚類が余剰物質を食べ,一つの池の中で食物連鎖を巧みに利用したシステムが作られているのです。これを混合養殖,生態養殖等と呼んでいます。
 淡水養殖池を覗き込むと,魚影をはっきりと見ることができないほど透視度は低く濁っているのですが,腐敗は殆ど認められません。不思議に感じて疑問を投げかけても,現地ではまともな答えは得られませんでした。帰国後,養殖研の報告書に関連の記述(松里氏)を発見しました。一部紹介しますと「草魚は立体的生物濾材(餌として摂った草類のCellulose particle)を提供し,ハクレンは濾材のクリーニングを行っている。青魚やコイも底質の保全に役立っている」とありました。つまり,混養のシステムは,池の水質浄化を行う微生物や原生動物の塊である活性生物フロックを培養し維持管理する機能を持っているのだと推理されました。
ダックと淡水魚の混合養殖システム 西安市郊外の広大な淡水養殖池
運河で淡水魚市場に運ばれてきた養殖淡水魚
淡水養殖と世界の食糧問題
 20世紀の後半,巨大な水産動物タンパク資源が中国の内水面域に出現したと言っても過言ではありません。FAOでは中国の淡水魚の伸びを根拠に2010年には世界の漁獲量の25%を,世界の養殖魚生産量の65%を,淡水魚が占めると推定してます。中国と同じような条件を持つ内水面域は東南アジア,南米,アフリカ等に広がっています。
 世界の食糧問題の解決のため,内水面域での淡水魚養殖技術の開発は非常に重要な研究として注目され始めています。高いレベルの研究と技術に関する集積を持つ我が国の研究者の活躍の場は世界に広がっています。

(栄養代謝部長)

[HOME] [BACK]