淮河は、流域が人口の密集地であることに加え、その気候条件と地理環境のために、古来「問題視される河」であり続けてきた。淮河の氾濫を防ぐことは数千年来、中国の水利事業の大きな課題であったのだ。しかし、今日、水害のほかに憂慮すべき問題が加わった。水質汚染である。
2004年7月20日から27日にかけて降った大雨のために流域では大水が発生し、淮河に有史以来最大量の汚水が流れ込んだ。押し寄せた汚水層は実に5億トン、上流域から下流域へ距離にして133キロも広がり、沿岸の湖や沢を濁流に飲み込んで、一帯に生息する川魚や川エビ、カニを殺した。
突然の災害は中国政府に淮河の治水問題を再認識させ、世論はこれまでにない盛り上がりを見せる。
災害
2004年7月20日。
午前、江蘇省??県河橋鎮猫湖村に住む劉傑くん(7)は、いつも通りに家を出て、近くの七里湖に水遊びに出かけた。その数分後、彼の叫び声を聞いて湖に駆けつけたお母さんは、あまりの光景に呆然となる。昨日まで清く澄んでいた湖水は一夜にして黄褐色に濁り、泡だった水面からは悪臭が漂っている。劉くんはすでに水から這い出し岸辺に立ちすくんでいたが、しばらくして全身に焼けるような痛みを覚えた。お母さんは慌ててバケツで真水を運び劉くんの体を洗ったが、彼の体には赤い発疹ができていた。激しい痒みを伴う発疹は今も消えず、掻きむしるたびに肌は破れかさぶたになった。彼以外にも犠牲者はいる。魚、スッポン、エビ、カニなどの水生生物も活路を求めて汚水の中を泳ぎまわり、ついには陸地で息絶えていた。汚水の先鋒隊は光を帯びた薄墨色の水で、川底に沈殿して有害物質を出す。これに続いて黄緑色の水が表層部分を流れ、最後に茶褐色の汚水が流れ込んでくる。こうした汚染水が、2日にわたって淮河を移動し、いたるところを汚染しつくし、生物を死に至らしめた。
7月29日、国家環境総局のスポークスマンを務める潘岳副局長は、今回の大汚染について中国の首都・北京で講演をし、「淮河の水資源の開発利用率は、内陸河川の開発利用率の世界平均である30%をはるかに上回って、50%に達している。淮河の生態系が失われることは、単にこの川だけの問題ではない。渇水期には汚水が留まり、洪水のシーズンには汚水が溢れて近隣の水域に害を及ぼす。建設された膨大な数の堰堤は淮河を寸断し、地下水位は降下し、川底の砂の流失も激しく、生態系は悪化の一途をたどっている。淮河の自然機能は徹底的に破壊され、浄水能力を基本的に失っている」と、淮河の状態を語った。
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1950年代に行われた水利工事の現場
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淮河の支流は多い。支流は汚染物質の重要な排出ルートになる。
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地域的な保護主義が淮河の汚染問題解決の最大のネックになっている。ある企業は規定量を超えた排水を放出したため、営業を停止された。この企業の責任者は地元の有力者との合撮写真を示し、その馴れ合い体質を説明した。
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河川整備
突きつけられた現実から、われわれは逃げることはできない。たとえ、これまでにも採れる限りの方策を尽くしてきたといっても…。
早くは1951年、「大雨の年は大水害が起こり、雨が少なくても小さな災害は絶えず、雨が降らなければ旱魃に見舞われる」という淮河流域の治水問題を解決するために、当時の国家主席である毛沢東は、「淮河の治水は必ずやり遂げる」と大号令をかけ、中国政府も淮河の治水のために相応の措置を提出する。これにより中国では「淮河治水」の機運が巻き起こり、多くの水利施設が建設され、洪水予防、灌漑、給水、発電などの基礎的総合水利システムが形成された。
1980年代後半にはいると、水質汚染が淮河の治水問題の重点になる。
1994年、国務院は率先して、淮河流域の水質汚染改善の大規模なプロジェクトを展開させる。こうした動きの影には、全国規模で日増しに深刻化する河川の水質汚染に対し、その解決法を探るという希望があった。これに伴い、中国で最初の河川とその流域の汚染に関する法律『淮河流域水汚染防治暫行条例』が発布され、汚染源となる企業に対して汚染予防のための改造を促し、4000以上の改善の見込めない企業を廃業させた。1995年、国務院は中国で最初の水質汚染ガイドラインであるである『淮河流域水汚染防治“九五”ガイドライン』を制定し、256の行政単位に汚水処理システムを確立することを要求する。特筆すべきは、すべての工業企業の工業用水排出に制限時間を定めた1997年の「零点行動」、水質汚染の根治を目的とした2000年の「淮河水体変清」が淮河流域で大々的に展開されたことである。この運動で、沙頴河の主要な汚染源であった蓮花味精は1億5千万元をかけて汚水処理施設を建設している。安徽、山東、江蘇の各省でも約5千社の町村企業が廃業した。
起こされた行動は決して少なくなく、淮河の治水プロジェクトの役割も世に広く認識されたが、淮河の氾濫はより多くの現実を語っている。十年の間に投入された費用は600億元にも上るというのに、10年に一度、100年に一度といわれる規模の水害がこの10年に5回も起こっている。淮河の治水は人間の力では不可能なことなのであろうか?
根源
一般に淮河の水害の元凶は、一に洪水予防施設が少なく、貯水・排水のコントロール量が少ない。二に淮河の水質汚染問題は企業の基準量を超える汚水の排出と、都市の生活汚水であり、これに対する処理が追いつかない。の二点にあると認識されているが、これは表面的な要因に過ぎない。淮河の治水が困難である深層要因は、生態系が破壊され、生態系による浄化作用が悪循環に陥っていることにある。
流域にあるダム、貯水池は表面的には淮河の安全を守るに十分なように見える。しかし、こうした公共施設は地元の安全を守るもので、地域的な保護主義の温床になっている。全体的に見れば、淮河の洪水予防施設の貯水量は標準値には達していないのである。
企業の工業排水について例を挙げよう。安徽省の豊原集団有限公司は華夏文明の発祥の地である塗山の麓、淮河流域の真珠といわれる蚌埠にある。豊原生物化学は自社が開発した「トウモロコシのエキスを発行させて生成するクエン酸」の特許技術を用いて、農産物を重加工し、低コストの高品質製品を生産し、迅速に中国最大規模の生物化学工業の生産基地に発展した。しかし、この製品の製造から生じる大量の排水の処理は難問である。豊原生物化学の成功は人々の知るところだが、工場から伸びる配水管はそれ以上に人々の印象に深い。
地方企業の利益と国家、民族の利益との衝突である。利益のために河川を犠牲にしてよいのか?淮河流域に住む人々の安全を脅かしてよいものなのだろうか?全国の生態環境に原子爆弾を埋めるような行為が許されるのだろうか?
この原子爆弾の威力は凄まじい。
1989年、1.1億立方メートルの汚水が蚌埠の水門から流出し、60キロに及ぶ汚水の流れを作り、淮陰市に1250万経済損失をもたらす。
1994年、全国を震撼させた「7.23」汚染事故が発生、55日間にわたって5000ムー(1ムーは6.67アール)あまりの農地を汚染し、1.7億元の経済損失をもたらす。
2001年、淮河上流で1.44億立方メートルの汚水が20キロあまりの流れを作り、水利部門が駱馬湖から8億立方メートルの水を放出して処理に当たる。
2002年、1.3億立方メートルの汚水が流出し、??県だけで5.3万ムーの水域を汚染…。
今回の汚染は有史以来最大のものである。
環境保護と経済発展の間の軋轢は発展しつつあるすべての国が抱える問題であり、水質汚染のほかに大気汚染、砂漠化などの諸問題も含まれている。このような状況に直面し、地方政府は新たな選択を迫られている。あくまでも発展戦略を貫徹するのか?それとも敢えて苦しい選択をするのか?つまり、生態とのバランスを考えた方策に切り替えるかである。
われわれが淮河の環境改善のために重ねてきた努力を否定する者はいない。しかし、まだ完了したわけではない。淮河の環境改善にいまだ明らかな効果が見られないのは、生態循環の悪化、地域の保身、企業の深刻な規定違反であり、これらの要因のために改善努力が環境破壊の速度に追いついていないのが現状である。