2004-11

本誌特別記事

 


汚染にあえぐ淮河を救え

文/馬 飛
 編集者の言葉  淮河の環境整備に注がれた費用は過去十年間で600億元に達する。しかし、その結果は芳しくなく、今もなお汚染された水がたまり、淮河は有史以来の惨状を呈している。淮河の水質汚染に中国国民は関心を寄せているが、とりわけこの川を「母なる川」として親しんできた地元の人々は、かつての黄金水道の荒廃ぶりに心を痛めている。新中国の初代国家主席である毛沢東は、「淮河の治水は必ずやり遂げる」と言ったが、現在も淮河は「最も整備が困難な河川」のままである。淮河は人間の意思ではどうにもならない、人間の力の及ばない川なのか?淮河流域の四つの省、河南、山東、安徽,江蘇を発展させることで中国全体の持続的発展を支えると同時に、地球の生態環境を守るため、私たちは淮河の汚染原因を追究し、この川を蘇らせなくてはならない。
淮河とその水利施設
毛沢東の「一定要把淮河修好(淮河の治水は必ずやり遂げる)」の言葉。この言葉は淮河流域の信陽の堤防に刻まれている。
昔の淮河の水利地図

淮河は、流域が人口の密集地であることに加え、その気候条件と地理環境のために、古来「問題視される河」であり続けてきた。淮河の氾濫を防ぐことは数千年来、中国の水利事業の大きな課題であったのだ。しかし、今日、水害のほかに憂慮すべき問題が加わった。水質汚染である。
 2004年7月20日から27日にかけて降った大雨のために流域では大水が発生し、淮河に有史以来最大量の汚水が流れ込んだ。押し寄せた汚水層は実に5億トン、上流域から下流域へ距離にして133キロも広がり、沿岸の湖や沢を濁流に飲み込んで、一帯に生息する川魚や川エビ、カニを殺した。
 突然の災害は中国政府に淮河の治水問題を再認識させ、世論はこれまでにない盛り上がりを見せる。
災害
 2004年7月20日。
 午前、江蘇省??県河橋鎮猫湖村に住む劉傑くん(7)は、いつも通りに家を出て、近くの七里湖に水遊びに出かけた。その数分後、彼の叫び声を聞いて湖に駆けつけたお母さんは、あまりの光景に呆然となる。昨日まで清く澄んでいた湖水は一夜にして黄褐色に濁り、泡だった水面からは悪臭が漂っている。劉くんはすでに水から這い出し岸辺に立ちすくんでいたが、しばらくして全身に焼けるような痛みを覚えた。お母さんは慌ててバケツで真水を運び劉くんの体を洗ったが、彼の体には赤い発疹ができていた。激しい痒みを伴う発疹は今も消えず、掻きむしるたびに肌は破れかさぶたになった。彼以外にも犠牲者はいる。魚、スッポン、エビ、カニなどの水生生物も活路を求めて汚水の中を泳ぎまわり、ついには陸地で息絶えていた。汚水の先鋒隊は光を帯びた薄墨色の水で、川底に沈殿して有害物質を出す。これに続いて黄緑色の水が表層部分を流れ、最後に茶褐色の汚水が流れ込んでくる。こうした汚染水が、2日にわたって淮河を移動し、いたるところを汚染しつくし、生物を死に至らしめた。
 7月29日、国家環境総局のスポークスマンを務める潘岳副局長は、今回の大汚染について中国の首都・北京で講演をし、「淮河の水資源の開発利用率は、内陸河川の開発利用率の世界平均である30%をはるかに上回って、50%に達している。淮河の生態系が失われることは、単にこの川だけの問題ではない。渇水期には汚水が留まり、洪水のシーズンには汚水が溢れて近隣の水域に害を及ぼす。建設された膨大な数の堰堤は淮河を寸断し、地下水位は降下し、川底の砂の流失も激しく、生態系は悪化の一途をたどっている。淮河の自然機能は徹底的に破壊され、浄水能力を基本的に失っている」と、淮河の状態を語った。

1950年代に行われた水利工事の現場
淮河の支流は多い。支流は汚染物質の重要な排出ルートになる。
地域的な保護主義が淮河の汚染問題解決の最大のネックになっている。ある企業は規定量を超えた排水を放出したため、営業を停止された。この企業の責任者は地元の有力者との合撮写真を示し、その馴れ合い体質を説明した。

河川整備
 突きつけられた現実から、われわれは逃げることはできない。たとえ、これまでにも採れる限りの方策を尽くしてきたといっても…。
 早くは1951年、「大雨の年は大水害が起こり、雨が少なくても小さな災害は絶えず、雨が降らなければ旱魃に見舞われる」という淮河流域の治水問題を解決するために、当時の国家主席である毛沢東は、「淮河の治水は必ずやり遂げる」と大号令をかけ、中国政府も淮河の治水のために相応の措置を提出する。これにより中国では「淮河治水」の機運が巻き起こり、多くの水利施設が建設され、洪水予防、灌漑、給水、発電などの基礎的総合水利システムが形成された。
 1980年代後半にはいると、水質汚染が淮河の治水問題の重点になる。
 1994年、国務院は率先して、淮河流域の水質汚染改善の大規模なプロジェクトを展開させる。こうした動きの影には、全国規模で日増しに深刻化する河川の水質汚染に対し、その解決法を探るという希望があった。これに伴い、中国で最初の河川とその流域の汚染に関する法律『淮河流域水汚染防治暫行条例』が発布され、汚染源となる企業に対して汚染予防のための改造を促し、4000以上の改善の見込めない企業を廃業させた。1995年、国務院は中国で最初の水質汚染ガイドラインであるである『淮河流域水汚染防治“九五”ガイドライン』を制定し、256の行政単位に汚水処理システムを確立することを要求する。特筆すべきは、すべての工業企業の工業用水排出に制限時間を定めた1997年の「零点行動」、水質汚染の根治を目的とした2000年の「淮河水体変清」が淮河流域で大々的に展開されたことである。この運動で、沙頴河の主要な汚染源であった蓮花味精は1億5千万元をかけて汚水処理施設を建設している。安徽、山東、江蘇の各省でも約5千社の町村企業が廃業した。
 起こされた行動は決して少なくなく、淮河の治水プロジェクトの役割も世に広く認識されたが、淮河の氾濫はより多くの現実を語っている。十年の間に投入された費用は600億元にも上るというのに、10年に一度、100年に一度といわれる規模の水害がこの10年に5回も起こっている。淮河の治水は人間の力では不可能なことなのであろうか?
根源
 一般に淮河の水害の元凶は、一に洪水予防施設が少なく、貯水・排水のコントロール量が少ない。二に淮河の水質汚染問題は企業の基準量を超える汚水の排出と、都市の生活汚水であり、これに対する処理が追いつかない。の二点にあると認識されているが、これは表面的な要因に過ぎない。淮河の治水が困難である深層要因は、生態系が破壊され、生態系による浄化作用が悪循環に陥っていることにある。
 流域にあるダム、貯水池は表面的には淮河の安全を守るに十分なように見える。しかし、こうした公共施設は地元の安全を守るもので、地域的な保護主義の温床になっている。全体的に見れば、淮河の洪水予防施設の貯水量は標準値には達していないのである。
 企業の工業排水について例を挙げよう。安徽省の豊原集団有限公司は華夏文明の発祥の地である塗山の麓、淮河流域の真珠といわれる蚌埠にある。豊原生物化学は自社が開発した「トウモロコシのエキスを発行させて生成するクエン酸」の特許技術を用いて、農産物を重加工し、低コストの高品質製品を生産し、迅速に中国最大規模の生物化学工業の生産基地に発展した。しかし、この製品の製造から生じる大量の排水の処理は難問である。豊原生物化学の成功は人々の知るところだが、工場から伸びる配水管はそれ以上に人々の印象に深い。
 地方企業の利益と国家、民族の利益との衝突である。利益のために河川を犠牲にしてよいのか?淮河流域に住む人々の安全を脅かしてよいものなのだろうか?全国の生態環境に原子爆弾を埋めるような行為が許されるのだろうか?
 この原子爆弾の威力は凄まじい。
 1989年、1.1億立方メートルの汚水が蚌埠の水門から流出し、60キロに及ぶ汚水の流れを作り、淮陰市に1250万経済損失をもたらす。
 1994年、全国を震撼させた「7.23」汚染事故が発生、55日間にわたって5000ムー(1ムーは6.67アール)あまりの農地を汚染し、1.7億元の経済損失をもたらす。
 2001年、淮河上流で1.44億立方メートルの汚水が20キロあまりの流れを作り、水利部門が駱馬湖から8億立方メートルの水を放出して処理に当たる。
 2002年、1.3億立方メートルの汚水が流出し、??県だけで5.3万ムーの水域を汚染…。
 今回の汚染は有史以来最大のものである。
 環境保護と経済発展の間の軋轢は発展しつつあるすべての国が抱える問題であり、水質汚染のほかに大気汚染、砂漠化などの諸問題も含まれている。このような状況に直面し、地方政府は新たな選択を迫られている。あくまでも発展戦略を貫徹するのか?それとも敢えて苦しい選択をするのか?つまり、生態とのバランスを考えた方策に切り替えるかである。
 われわれが淮河の環境改善のために重ねてきた努力を否定する者はいない。しかし、まだ完了したわけではない。淮河の環境改善にいまだ明らかな効果が見られないのは、生態循環の悪化、地域の保身、企業の深刻な規定違反であり、これらの要因のために改善努力が環境破壊の速度に追いついていないのが現状である。

十分な汚水処理施設を持たない小さな製紙工場
流域の湖沼に流れ込んだ汚染物質
洪水で決壊した堤防

社会的関心
 淮河監測ステーションの王余柿所長は、「10年たっても、淮河はまだ泣いています。我々は淮河流域に住む人々にまでこの嘆きが及ぶことを座して見ていることはできません。この悲劇を子孫にまで及ばせるわけにはいかないのです」と、私たちに訴えた。
 淮河の汚染問題は中国政府も重視しており、社会各層も関心を寄せている。国家の関係部門の官僚もこぞって談話を発表し、社会各層からも意見が出され、生態バランスの整った淮河の再建に人々は取り組んでいる。
 淮河の現状を正確に把握し、汚染を防止するため、国家環境総局、水利部、淮河水資源管理局はそれぞれ個別に淮河沿岸の江蘇、山東、安徽、河南の主要31か所に水質監測ステーションを建設し、国内外の先進技術を導入して、淮河監測のオートマチック化を実現した。
 前出の国家環境総局の潘岳副局長は「淮河流域の経済状況、人口密度、汚染状況を冷静に観察すると、水質汚染の解決には未曾有の困難が待ち受けていると言わねばならない。現在挙がっている成果も相当に脆弱なものである。社会各界、とりわけ淮河流域の各省、都市は、淮河の環境問題を再度強硬に成し遂げるべき任務として行政スケジュールに、最優先課題として加えるべきである」と表明している。
 淮河流域水流域水資源保護局の姜永生局長と程緒水副局長は中国メディアの取材でも、その強硬姿勢を堅持し、厳格な表情で政府各部門の決意を表示しただけでなく、メディアがこの問題を引き続き取り上げることを望んだ。
 淮河の汚染対策を編集、制定した科学者の夏青氏は現状に対し、二足歩行で行くべきという意見を持っている。つまり片方は排水量を制限し、これに成功した後、水質の改善に目標を移し、長期的な努力を続けるというものである。
  また、夏氏は地域的な保護主義の弊害を除くため、淮河流域の各省の領域を超えた上級専門機関―淮河流域水務管理局を立ち上げ、「淮河流域水務管理法」を公布するという意見も提出している。
前途
淮河の環境対策の成果については評価も様々だが、客観的に見て汚染事件は関係部門の努力と成績を無効にするものではない。淮河の水利問題は複雑であり、解決は困難で、その成果も非常に脆弱で懸念要因を含んでいることは人々も理解している。科学的見地でこの十年の成果を評価するなら、淮河の過去と現在の姿を比較するだけでなく、汚染対策を社会経済発展という背景の中で捉えなければならないだろう。この十年、淮河流域の経済性は3倍に成長したが、汚染の負荷は60%以上も下がっている。経済発展に加え、都市化率が30〜40%の伸びを示す中、淮河の水質は目立った改善は見られないにせよ、1994年当時を下回ることはなく、淮河流域の住民の生活水準は向上している。これは事実であり、この10年の取り組みの最も重要な成果である。
中国政府は淮河流域の人民を災害の脅威の下で生活させはしない。中国は周辺国家をはじめ世界の国々を憂慮させるようなことはない。中国は淮河と関わるすべての生命に対して責任を持ち、世界の生態環境にも責任を負う。目下、環境保護は政府の業績の主要な評価基準となっており、キーポイントでもある。環境保護で成果を挙げられなければ、他の項目でどのような成果を挙げようと、評価はゼロになる。
国家環境保護総局の汪紀戒副局長は、「淮河流域の汚染問題を根本解決するためには、各級政府が科学を発展させるという観念に立ち、産業構造の調整に力を注いで、環境のエネルギー容量に適合した地域経済活動を組織し、汚水の排出の許可制度を厳格に執行して、科学的に、合理的に水資源を利用していかなければならない。このほか、法律法規を改正して“法律を遵守するにはコストがかかるが、違法行為は安上がり”という問題を解決しなければならない」と、強調した。
「素早く行動を起こして、母なる河を救う」。我々は汚染問題の解決を急ぎ、淮河を再び風光明媚な清流に戻さなければならない。「5月、6月に暑い日はなく、夜明け前には漁の歌が聞こえてくる」というのどかな風景を蘇らせるには、まだ長い道のりを行くことになるだろう。しかし、我々は期待し、そして確信している。いつか、一幅の絵のように美しい淮河を眺める日が来ることを。

汚染された川で水遊びをする子供たち
汚染物質のために死んだ養殖魚
支流に設けられた汚水の排水口

淮河流域の概況:
 淮河流域は長江と黄河の中間の中国東部に位置する。淮河の源は河南省南部で、全長は1000キロ、その流域は東経112〜121度、北緯31〜36度の間に広がり、面積は約27万平方キロメートルに及ぶ。流域の西部、西南部、東北部は山間部または丘陵区に当たるが、その他は広大な平原を流れ、支流、湖沼、湿地が多く分布する。
 淮河流域の年間平均降水量は920ミリ。降水量は年によって変化が大きく、最高を記録した年の降雨量は最低の年の3〜4倍にもなる。降水量も季節によってばらつきがあり、6〜9月の雨季に一年間の50〜80%の雨が降る。雨雲の動きと川の流れが一致しているため、洪水を引き起こしやすい川である。
 淮河流域は河南、安徽、山東、江蘇と湖北の5省に及び、35の都市、189の県(小都市)を貫く。流域の総人口は16043万人、人口密度は1キロ平方当たり594人で、全国平均の122人の4.8倍になる。これは他の大型河川の中でも最も高い数字である。
 流域の耕地面積は18326万ムー、主要な農作物は小麦、米、トウモロコシ、イモ類、大豆、綿花、アブラナで、1997年度の穀類生産量は全国の総生産量の17.3%に当たる8496万トン。流域内は支流が縦横に走り、貯水池や湖沼が多い。水域面積が広く、水産資源が豊富で2000万ムーあまりの水域に100種あまりの魚類が生息している。中国の重要な淡水魚の宝庫である。
 工業は石炭、電力工業、農産物及び副産物を原料とした食品加工業、紡績が盛んで、ここ十数年は石炭化学工業、建材、電力、機械製造業などの工業が迅速な発展を示している。