障害者がクラスにいると、まわりの迷惑となる、足手まといになる。その考え方は、果たして真実を伝えているのだろうか。
「ヒロがいてくれたおかげで、困っている子がいたら自然に助け合いのできる、優しいクラスに、すばらしいクラスになったんだ」
これは、岡先生特有の、ボクに劣等感を感じさせないための優しさだったのかもしれない。だが、的外れなことでもないように思う。保母をしている友人から、こんな話を聞いたことがある。「この春からダウン症の子を受け持っているの。やはり、最初のうちは子どもたちもビックリして、その子を遠巻きにしていたのだけど、1〜2カ月と経っていくうちに、その子を中心としてクラス全体に優しい気持ちが芽生えるようになったの」
ここに挙げた例だけでなく、このような話はあちこちで耳にする。障害を持っている子がクラスにいると、そのクラスは必ずと言っていいほど、すばらしいクラスになるようだ。
目の前にいる相手が困っていれば、なんの迷いもなく手を貸す。常に他人よりも優れていることが求められる競争社会の中で、ボクらはこういったあたりまえの感覚を失いつつある。
助け合いができる社会が崩壊したと言われて久しい。そんな「血の通った」社会を再び構築しうる救世主となるのが、もしかすると障害者なのかもしれない。
乙武洋匡
不景気、リストラ、凶悪犯罪と暗い時代の閉塞状況のなかで、乙武くんはまさに、新しい社会のありかたを指し示してくれる救世主なのかもしれない。