山形のニュース

豪の元捕虜 52年ぶり酒田訪問 日本人遺族と対面

捕虜収容施設があった温泉施設の敷地内を歩くリチャーズさん

 太平洋戦争末期の1944年から約1年間、山形県酒田市の酒田港で強制労働に従事させられたオーストラリアの元戦争捕虜、ローリー・リチャーズさん(94)が4日、同市内の収容所跡地を52年ぶりに訪れた。収容所生活を陰で支えた日本人の遺族とも対面し、親交を深めた。
 外務省の「日本人とPOW(戦争捕虜)の友好プログラム」事業の一環。家族5人で酒田を訪れたリチャーズさんは、東京捕虜収容所第2派遣所(後の仙台捕虜収容所第9分所)があった酒田市本町3丁目の温泉施設に到着し、駐車場内を当時を思い起こすように歩いて回った。
 その後、収容所時代に世話になったという酒田市の日本通運元社員松本勇三さん、同市の食肉処理業高橋忠吉さん(いずれも故人)の遺族と市内のホテルで対面した。
 当時、日本通運の倉庫が収容所として使われ、約300人の連合軍の捕虜がいた。過酷な環境で、終戦までに18人が命を落とした。
 その中で、収容所の仕事に関係していた松本さんと高橋さんは、捕虜のために医薬品や食料を調達。衰弱した捕虜の労働軽減に便宜を図ったりしたという。当時軍医で、戦後シドニーで開業医として働いたリチャーズさんは59年に酒田市を訪問。人道的な処遇に感謝し、両氏、家族と交流を続けてきた。
 リチャーズさんは「若い人が歴史の事実を知り、平和をつないでいってほしい」と願っていた。今回は各地の収容所にいたオーストラリアの元戦争捕虜5人が来日し、前原誠司外相を訪ねるなどしている。


2011年03月05日土曜日


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