「慰安婦法廷」めぐる特集番組 NHK、直前に大改変(検証)
慰安婦制度を取り上げたNHKの番組が放映直前に大幅改変され、出演者らが抗議する事態になっている。(本田雅和、柏木友紀)
○民間法廷を題材
問題の番組は、NHK教育テレビで一月三十日午後十時から放映されたETV2001特集の「問われる戦時性暴力」。「戦争をどう裁くか」という四夜連続シリーズの二回目だった。
最初に企画・提案したのはNHKの関連会社エンタープライズ21(NEP)と制作会社ドキュメンタリージャパン(DJ)。きっかけは「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW−NETジャパン、松井やより代表)などが昨年十二月に日本軍慰安婦制度の責任者処罰を求めて東京で計画した民間法廷「女性国際戦犯法廷」だった。
昨年九月に作られた企画案では「女性法廷の過程をつぶさに追い、半世紀前の戦時性暴力が世界の専門家によってどのように裁かれるのかを見届ける」となっていた。
DJの担当者は十月、戦争犯罪を「人道に対する罪」として裁くという国際的潮流を踏まえた四回シリーズの一回としてVAWWに取材を申し込み、VAWW側も協力することを決めた。松井代表は「法廷」の趣旨について一時間以上、インタビューを受けたという。
○消えた「軍の責任」
民間法廷は予定通り開かれた。その中で、国際法の専門家である「判事」役が慰安婦制度について日本国家の責任を認め、昭和天皇を「有罪」と結論づけた。
インターネットの掲示板上に右翼団体などが「放送反対」の声を大量に流し始めたのは今年一月中旬からだった。二十日すぎからはNHKに直接、電話やファクス、Eメールなどで「放送中止」の要求が届き出した。
<抗議のメール>「(法廷は)反日売国勢力と南北朝鮮・支那(原文のまま)および欧米侮日メディアが結託した世界最大規模の反日集会」「事態を座視するな」「(放映)内容はつかんだ。明らかに偏りすぎ」
昨年末時点の台本にあったVAWWの松井代表のインタビュー、昭和天皇を「被告」としたことや「法廷」で出た有罪判決、日本軍による性奴隷制の責任が免罪されてきたという米山リサ・米カリフォルニア大助教授の指摘、責任者処罰を求める意見などが次々と削除されていった。
放映三日前の一月二十七日、「維新政党・新風」の西村修平氏が代表を務める「NHKの『反日・偏向』を是正する国民会議」のメンバーや「チベット自由と人権委員会」代表の酒井信彦・東大史料編さん所教授ら約三十人がNHKに放送中止を申し入れた。「大日本愛国党」も街宣車でNHK前に乗りつけた。
NHKによると、放映直前までに抗議の電話やファクスが五十三件きた。
<NHK内部の証言>「番組関係者に来た抗議も含めると百件以上。執ようさも気になったが、なぜ放送内容が事前に漏れたのか」
放映日当日まで、NHK内部で内容をめぐって揺れ動きがあった。
<DJ関係者によるメールの内部告発>「NHKに納品した作品を局上層部が右翼への過剰反応で編集に介入し、有無を言わせず改変している」
<「法廷」で強姦(ごうかん)などの加害証言をした旧日本軍兵士の話>「放送日の二、三日前、NHKから電話があり放映を承諾したが番組では削られていた。その後何の連絡もない」
削られた部分の代わりに戦争のニュース映像などが挿入された。
放映二日前。「法廷」に批判的な秦郁彦・日大教授の撮影取材があった。(1)重大な戦争犯罪は東京裁判で裁かれており、一事不再理の法常識に反する(2)被告人の人権を無視している(3)弁護人を付けることに韓国側が反対した、などの談話が加わった。
一方で、コメンテーターの高橋哲哉・東大助教授による「『人道に対する罪』は時効や二国間条約を超えて追及されうる」などの国際法の新しい流れや日本の法的責任についての論評は削除された。
<秦教授の話>「NHKの担当者は二分間だけ撮りたいと言ってきた。上からの指示でいやいや来たという感じだった」
<NHK幹部の話>「二十九日ごろ、会長側近の局長や放送総局長のための『異例の試写』があった」
<NHKの局長の一人>「右翼の騒ぎがあったし、外に対して自信を持ってきちんと説明するためには見ておかないと……」
<NHK内部の証言>「放送直前の数時間、いったんOKが出ていた作品の改変指示が局長以上から出た」
○直前改変の説明なし
放映日。秦氏の映像は二回に分け三分三十秒間流れた。一方、内海愛子・恵泉女学園大教授のコメントは一分十五秒にとどまり「東京裁判では裁かれなかった日本軍の植民地女性への性暴力を記録と記憶に残した」という部分以外、「法廷」を評価する意見のほとんどが削られた。
削除と修正が相次いだ番組は、ほかの三回と比べて約四分短くなった。
<NHK番組担当者の見方>「放映された作品は、甘い編集で未熟な作品になってしまった」
高橋、内海、米山の各氏とも、直前の改変を知らされないまま放映を見て衝撃を受けたという。同じシリーズの別の番組のコメンテーターだった鵜飼哲・一橋大教授とともに二月十六日、海老沢勝二・NHK会長あてに説明を求める申入書を提出した。
●出演依頼と異なる
米山リサ・カリフォルニア大助教授の話 放送された番組は出演依頼とはまったく異なり、大幅改変についても一切連絡がなかった。法廷は国境を超えた女性たちの努力で可能になったもので特定の国家や民族、団体の利益に偏ったものではない。その意義や被害者の証言を評価した論評はすべて削除され、支離滅裂で誤解を生む内容になった。一部の排外的差別的な圧力によって国際的に共有されつつある価値観や歴史の常識を伝える機会が失われてしまったのではないか。
●厳しく自己点検を
高橋哲哉・東大助教授の話 放送2日前の台本までは承知していたが、その後大幅改変があったことは間違いない。NHK教養番組部の人たちは番組本来の趣旨を守ろうと努力していた。直前にどこからどういう圧力が加わったのかが問題だ。ほかのテレビや新聞も、自主規制など同様のことがあるのではないか。自社がこうした問題をどこまで報道できたのか、厳しく自己点検してほしい。
●外部の影響受けず
石村英二郎・NHK広報局経営広報部長の話 制作過程については編集権の問題であり答えられない。この番組はNHKとして自主的判断で編集したもので、いかなる外部勢力の影響も受けていない。放送されたものはバランスはとれていると思うが、さまざまな批判は重く受け止める。
【写真説明】
「戦争をどう裁くか」シリーズ第2夜のタイトル(NHK教育テレビから)。前週の番組ガイド「TVステラ」では「日本軍の戦時性暴力」だった。NHK広報局は「(日本軍が抜けたのは)内容に従って変えた。タイトルの変更はよくある」という
(出典) 『朝日新聞』2001年3月2日(金)付 朝刊37面(第3社会面)
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