2011年2月1日火曜日

海沼武史写真展 セツナキ微笑


海沼武史の写真展が2月28日まで港区麻布十番2−6−3カフェ・ベルマネンテ(03-6447-0125)で開かれている。わたし舞台美術家は写真を評価するには知識が足りなすぎる。
しかし武史の写真を見ると自分も同じく被写体に接しているデジャブ体験のような感覚に陥る。
自然光の色彩のなか、静かに語りかけ、見つめる武史の目がある。

日常から切り取られた一瞬かも知れないが、その前後の時間も感じられる。
やさしいのだなぁ。

2010年11月26日金曜日

深町 純さん



11月22日、深町 純さんが亡くなられた。23日にある人からの電話で、Twitterでひとりのミュージシャンが「大変な事になった、深町さんが死んだ」と書き込んでいるけど知ってますか?と聞かれ、一瞬戸惑った。嘘だろう!ついこの間本番をご一緒して渋谷で飲んだのに。
誰に聞くのが良いだろう。
そこで深町さん経営のレストランへ電話、本当だった。
翌日、躊躇しながら深町さんの奥さん、布美子さんに電話する。顔を見に来て欲しいとの事で25日の夜、実家のある石神井公園へれいこせんせいとふたりで向かう。ピアノのある居間の中に白い棺、深町さんが寝ている。まさしく寝ているような安らかな顔、少し笑っているような顔。
深町さんは奥さんが声をかけて昼過ぎに出かけられた後、仕事をしたのだろうか、ピアノに突っ伏し鍵盤に頭を載せて逝かれたそうだ。最後まで音楽家だったのだなぁ。

今日26日、新宿区の目白教会での告別式、大勢の仲間が集まり、出棺の際は目白通りに集まった参列者の盛大な拍手の中、深町さんは旅立たれました。

れいこせんせい、舞台美術家にとって仲間、友人、尊敬するアーティスト、そして兄のような
深町さん。
ありがとうございました。
ブラボー!深町さん。

2010年10月7日木曜日

ダルマストーブ


壁に穴を開け、煙突工事をれいこせんせいと二人で挑戦。壁の中はどうなっているのか開けるまで解らず。やってしまいました。壁中を這っていた屋外照明のコードも切ってしまいました。
しかし、悪戦苦闘の末、完成。

夜は点火式。

暑い!

ふたり、最初はストーブの側にいたが、どんどん離れ、会話の遠い事。

ストーブは冬にかぎる。

2010年10月1日金曜日

大阪の一日。



大阪国際会議場グランキューブで聖飢魔Ⅱの二日間の公演。一日目が終わるとばらしも無いので、中間打ち上げを開催、そのためだけでひとり、大阪へ。
グランキューブのメインホールの楽屋は6階、タバコを吸うには1階の屋外へ。
そこの植栽に看板。上を見ると鳩が卵を抱いている。こんなところでねぇ。
夜は一週間後に新規開店というちゃんこ屋へ。これはデーモンの仕切りだな?

吉本興業が焼酎を持って来た。物販のお姉さんが焼酎を作ってくれるが、お姉さんは焼酎の価値なんて解らないから大盛り。
幻の焼酎も形無しだなぁ。

ロックで大盛り!大阪の夜は更けて行く。

でも二日前は熊本、博多にいて、やはり飲んだくれておりました。

2010年9月9日木曜日

道志村山小屋。


道志村の山小屋も完成間近になりました。ここはみんなのスペースです。
れいこせんせいの稽古場のみんな、舞台美術家の仲間、多くの友人が楽しく過ごす場所です。(倉庫でもあるのですが)
うどん、蕎麦を打つグループもいます。ぼ〜と過ごす家族もいます。
みんながそれぞれ楽しめる場所になれば嬉しいです。ダルマストーブも入ります。

DANCEDESIGN DOSHI BRANCH
として始まります。泊まるときはれいこせんせい、舞台美術家に声かけてね。

2010年9月2日木曜日

講義

1日、朝10時から蒲田の学校で90分の特別講義。
階段教室を使い、200人の学生に舞台美術を語るのだが、はたして何人が興味を持って話を聞くのだろう?教室の前列中央の学生と目が合う。ぺこりとお辞儀する。
やはり、前の方が反応が良いようだ。講義が終わるとその学生含め、3名が質問に来る。
200人いて3人か!しかしわれわれの世界、なりたい人間が200人いても3人が望み通りなれるとは思わない。
でもその3人の学生の未来を応援したいと、思った瞬間でもありました。

2010年8月28日土曜日

舞台美術家、最近のお気に入り。

最近、つけめんに凝っている。それも中野の名店「若葉」のつけめん。
八王子に支店があるのだが駅から遠く、街の片隅に立っている。連日続く猛暑の中、わたし舞台美術家には良いアイデアが浮かんだ。
生暖かい麺を氷水でキリッ!と冷やすのだ。
そしておもむろに冷蔵庫から器ごと冷やしたつけ汁を出し、カウンターに置く。

あ〜至福の一杯。

そんなこと、店側には言えないし。
でも食べたいな。