記者の目

文字サイズ変更

記者の目:肺がん治療薬「イレッサ」訴訟判決=日野行介(大阪社会部)

 ◇国は「薬害」として誤り認めよ

 肺がん治療薬「イレッサ」の副作用を巡る訴訟で、2月25日の大阪地裁判決は、承認(02年7月)直後の添付文書(医師向けの説明書)での警告が不十分で、製造物責任法上の欠陥品だったと判断し、輸入販売元の「アストラゼネカ」社に賠償を命じた。しかし、国の責任は認めなかった。この問題は企業の利益が優先された結果、人為的に拡大した「薬害」であり、国が誤りを認めることが、再発防止の第一歩だと訴えたい。

 「副作用が少ないことを強調する一方、間質性肺炎が発症する危険性を公表していなかった。経口薬であり、従来の抗がん剤に比べて警戒なく用いられる危険性があった」。私は判決のこの部分に、訴訟で問われた「薬害」の核心が凝縮されていると感じた。

 ◇副作用少ないと専門医らが推奨

 原告11人のうち唯一の生存原告、清水英喜さん(55)は02年9月下旬、「従来の抗がん剤と違って副作用が少ない」と医師から薦められた。服用し始めて1カ月ほどすると、激しいせきが止まらなくなり、40度近い高熱が出た。いくつか病院を回っても原因が分からない。1週間後、イレッサによる副作用死の拡大を報じた新聞記事を読み、記事を手に病院へ駆け込んだ。そこで初めて間質性肺炎と診断され、イレッサの服用をやめ、ステロイド剤の集中投与を受けて一命を取り留めた。新薬の販売直後の「警告」がいかに重要かを示す実例だ。

 さらに、ア社が承認前から展開した広告や宣伝、マスコミ報道が被害拡大を招いた。臨床試験(治験)に携わった権威ある専門医たちは専門誌やパンフレットに登場し、「副作用が少ない」「驚くほどの腫瘍縮小」とイレッサを推奨。切除手術が困難な進行がん患者は承認を待ち望んだ。

 そんな専門医の一人が判決前、取材に応じたが、「当時はどういう患者に効くかほとんど分かっていなかった。慎重に正しく使ってもらうためで、宣伝とは思わなかった」と釈明するばかり。専門医たちは被告側証人として出廷し、報酬を得ていたことも明らかになった。

 ◇使用施設限定や全例調査されず

 無防備な服用の拡大を防ぐ手立ては「警告」以外にもある。国は承認にあたり、使用できる医師や施設を限定したり、販売後の全患者の使用成績を集める「全例調査」を行政指導できる。だが、それらの措置は取られなかった。

 判決は、承認時の国の対応を「万全な規制権限の行使だったと言いがたい」と批判しながら、添付文書への警告記載は「行政指導にとどまり、記載させる法的権限はない」と判断。全例調査や使用限定も「承認時は必要性があったと認められない」として、国の法的責任を認めなかった。副作用被害に対する国の不作為責任を認めなかった「クロロキン最高裁判決」(95年)の基準に沿った判断だ。

 しかし少し視野を広げ、健康被害を巡る国の不作為責任が問われた水俣病関西訴訟や筑豊じん肺訴訟の最高裁判決(04年)を見ると、国の責任を明確に認めている。公害と薬害という違いはあっても、国民の健康被害を防ぐ国の責任の重さは同じだ。国が承認した医薬品について国の責任を狭く解釈することに、国民の納得は得られない。

 大阪、東京両地裁が1月、国とア社の救済責任を認める和解所見を示した際、国や製薬会社、一部の専門医らは「後付けで結果責任を問われれば、国外医薬品の承認が遅滞する『ドラッグ・ラグ』に拍車がかかる」とする反論を一斉に展開した。

 だが、イレッサは欧米に先駆けて承認された異例の新薬だ。企業の利益が優先され、患者たちが無防備な形で副作用にさらされたことに問題の根本がある。「ドラッグ・ラグ拍車論」は議論のすり替えに過ぎず、専門家のおごりや開き直りすら感じる。

 薬害に詳しい福島雅典・京都大名誉教授は「薬害を防ぐ仕組みはあったのに使われなかった。仕組みではなく人の問題だ」と指摘する。同感だ。安易に処方されやすい飲み薬なのに、なぜ全例調査などの措置が取られなかったのか。イレッサを推奨した専門医は「全例調査は医師にとって面倒で、使い勝手が悪くなる。製薬会社も嫌がる」と本音を漏らしたが、真相は6年に及ぶ訴訟を通じても明らかになっていない。

 イレッサの後で承認された類似薬「タルセバ」では全例調査や使用限定が指導され、間質性肺炎も表紙の警告欄に記載されている。イレッサでの国の対応が「誤り」であったことは明らかだ。国や製薬会社、専門医ら関係者はまず「誤り」を直視し、なぜ薬害を生んだのかを検証しなければならない。

==============

 ご意見をお寄せください。〒100-8051毎日新聞「記者の目」係/kishanome@mainichi.co.jp

毎日新聞 2011年3月4日 東京朝刊

 

おすすめ情報

注目ブランド

毎日jp共同企画