ああ、足が重い。
まるで鉛をぶら下げているのかと思うくらい鈍重に感じる両足を、僕は新しい校門の前でさっきから一歩も踏み出せずにいた。立ち止まった時間はほんの数秒だったと思うけど、僕にはそれが十分くらいの間のように感じられる。
石造りの校門は「私立山吹高校」と刻まれた校名を誇らしげに抱え、その後ろには満開の桜の花びらが新入生達を祝福するようにこれでもかと舞っていた。その門を通っていく人たちは大抵が数人のかたまりを作って、互いにはちきれそうな笑顔を交し合っている。近くまでついてきたのだろう着物を着た大人の人や、胸に紅白の造花を掲げた教師達も、みな一様ににこにこと微笑んでいて。
――三年前、中学校の入学式と殆どなにも変わっていないこの光景に、僕は思わず深く嘆息した。
僕には一緒に校門をくぐる人なんていない。楽しそうな話をしながら通り過ぎていく人たちは、どこか遠い世界の存在のように思える。接点なんて、どう引っくり返っても生まれようはずはない。
同じ中学校からこの山吹高校に進学する人は何人もいたし、来る途中で数人見かけたような気もするけど、その人たちが僕を見て言う言葉はどれも申し合わせたように同じだった。
「うわっ、アイツ伊藤じゃん。山吹行くんだったっけ? マジかよ、同じクラスになったりしたら最悪だな……」
「なに? あの一人で歩いてる暗そうな人」
「あぁ、同じ中学だったんだけどさ、あいつマジできめぇの。暗いっつーか、本物の根暗な。俺アイツが喋ってる所なんか三年間見た事ねーわ」
「うっそぉ!」
「ホントだって、あんま近づかない方がいーぜ。暗いの伝染すっから」
「キャハハハ! やっばい!」
――そんな会話を耳が勝手に拾ってくる。
別に慣れてることだからそこまで気にはならないけど、それにしても本人が居る前でこれ見よがしに聞こえるように言うというのは、わざとなのだろうか。呆れと諦観が入り混じったような息が、口から漏れた。
僕が周りの人から避けられるようになったのは、中学一年の秋くらいからだった。決定的に避けられるようになったのは〝あの事件〟があってからだろうけど、それ以前から人見知りで暗い性格だった僕を避ける人は結構居た。最初の頃こそ僕もそれなりに気にはなってて、何とか人に話しかける努力をしようとした事もあったけど、二年生になるころには正直もう自分の中でそれほど大きな問題にはなっていなかった。幸か不幸か、その環境に慣れてしまっていたのだろう。
だから僕は――こうして門の前で佇んでいるときにも、新環境への期待感なんてものは欠片も持ち合わせていない。むしろこれからまた新たに始まるのであろう見切れた生活に、憂鬱を感じるだけだ。
※
適当に入学式を終わらせた後、僕は自分の割り振られた教室へ移動した。さすが私立校といった所で、設備や施設の清潔さは中学とは比べ物にならないほど良く、クラスも一年だけで一組から十組まであるらしい。広さで有名な所だと聞いていたけど、これほどとは思わなかったな。
僕の苗字は伊藤という事で、初日に座る席は名簿順で一番前の席となった。別に嫌というわけじゃないけど、教壇に一番近い席というのは無意味にプレッシャーを感じてしまう。
「はい、じゃあ今日は登校初日という事でな、それぞれ自己紹介をしてもらおーかな」
と、担任となった三河先生が、顎鬚をじょりじょりといじりながら面倒くさそうに言った。スーツを着ているというのにどこかだらしなく感じてしまう人で、いい加減そうなイメージを持ってしまう。中肉中背といった感じで、水分の足りていなさそうな乾いた目に銀縁の眼鏡をかけた男の先生だ。
「んー……じゃあとりあえず出席番号一番の、……伊藤君からね。はいどーぞ」
「あ、は、はい」
名前を呼ばれて、慌てて席から立つ。昔からこういう自己紹介めいた事は苦手だったけど、せめて最初の挨拶くらい好印象を持たせたいな……。
僕はできるだけはきはきと、大きな声を出すよう心がけ、胸に少しだけ空気を入れてから喋りだした。
「えと……錦内中学から来ました、伊藤祐樹といいます。みなさんとはできるだけ仲良くしたいと思っていますので……どうかよろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げると、緊張で少し上気した頬の熱を冷ますように急いで席に座った。クラスの人たちは適当に拍手をしてくれて、良くも悪くも普通の滑り出しとなった。
――すると。
「…………」
教室の奥の方の席から、聞いた覚えのある声がひそひそと聞こえてきた。
目立たないよう首を動かして振り返るとそこには、さっき来るときに会った同じ中学出身の男子が横を向いて座っていた。名前とかはあまり覚えていないけど……その人は隣の席にいる女子に耳打ちするように話し、にやにやと嘲笑するような笑みを浮かべてこちらを指差している。
――何を話しているのかは、容易に想像が付いた。数秒して、女の子達のくすくすという笑い声が聞こえてくる。
「……」
まぁ、こうなるよね。
分かってたはずの事なのに、何だか少し悔しいや。
「はい、伊藤祐樹君というそうです。んじゃ次、えーと……出席番号二番の……」
三河先生の名簿を読み上げる声も、少し薄れて聞こえてきた。かわりに大きく聞こえてくるのは、どんどん広がっていくクラスの人たちのくすくすという笑い声。
「えーと……これ何て読むんだ? やり……? すまん、わかんねーわ、二番の人ー?」
でも、仕方がないよね。全部僕の身から出た錆なんだから。他の人を恨むなんてお門違いってものだよね。
「おーい、二番の人ー?」
「……うつぎの」
その時。
ふと、教室中のささやき声が一瞬で静まり返った。
「槍埜(うつぎの)凛です」
その声は、僕のすぐ後ろから聞こえた。
思わず振り返ると、そこには――
「……ふんっ」
腰に手を当ててふんぞり返る、腰で揺らめくほどの長髪の女の子が立っていた。
続く