スポーツ【産経抄】3月3日2011.3.3 02:45

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【産経抄】
3月3日

2011.3.3 02:45

 日本の野球が変わった瞬間だった。昭和26年6月19日、戦後初の外国人選手として巨人入りしたばかりの与那嶺要さんは、代打を告げられる。名古屋(現・中日)戦の七回裏、無死一、二塁の場面だ。三塁側に転がすまでは、犠牲バントのサイン通りだった。

 ▼ところが本人も一塁を駆け抜けセーフとなる。初ヒットは、野球の教科書になかったセーフティーバントだった。このプレーが、イチロー選手の大リーグでの活躍につながったといえば、野球通に笑われるだろうか。

 ▼昭和20年代は、川上選手と大下選手の「赤バット」「青バット」の時代だ。豪快な本塁打が人気を呼ぶ一方で、内野ゴロでは全力疾走しない、怠慢プレーも目立った。それを何より嫌ったのが、与那嶺さんだ。

 ▼フットボール仕込みの猛烈なスライディングは、しばしば野手を吹っ飛ばし、塁上では常に次を狙った。左右に打ち分ける巧妙なバットコントロール、外野手としての守備範囲の広さも、観客を驚かせた。選手、監督としての実績だけでなく、野球を進化させた功績も大きい。

 ▼小学生時代の王貞治さんのボールにサインして、ファンサービスの大切さを教えた人でもある。その歴史の積み重ねが、イチロー選手を生んだのではないか。2人はともに、きわどい球をファウルで逃げる名手でもある。

 ▼ただ皮肉なことに大リーグは、本塁打を何より尊重するスタイルに後戻りしている。10年前に飛び込んだイチロー選手は、前人未到の記録に挑戦しながら、野球本来の面白さを逆に、アメリカ人に再認識させてきた。85年の生涯をハワイで終えた与那嶺さんは、「イチロー選手みたいだ」といわれるたびに、顔をほころばせたという。

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