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藤岡真blog

2011-03-02

唐沢俊一追討日記 和田寿郎

10:28

 背中を押された男 【訃報 和田寿郎】

 医博・和田寿郎氏死去。88歳。

 http://www.asahi.com/obituaries/update/0215/TKY201102150243.html

 1968年、札幌医大で宮崎信夫くんに日本初の心臓移植手術を行った。宮崎くんは経過は良好とされてマスコミは車椅子の彼の姿をこぞって紹介し、同時に和田教授の満面の笑顔もテレビ・新聞等に映ったが、術後83日目に気管にタンがつまったことが原因で死亡。その後、この移植手術に関してさまざまな疑問が噴出し、殺人容疑で告発されたりもしたが証拠不十分で不起訴。

 その後、東京女子医大教授になり、自分の名を冠した和田寿郎記念心臓肺研究所の所長となって“それなりに”栄誉に包まれた晩年を送った。裁判では証人として呼ばれた医学関係者がいずれもあいまいな証言に終始して、被告を有罪に持ち込めなかった。リアル『白い巨塔』などと言われたりもした。

 当時、私は中学生。自分の住んでいる札幌で日本中の注目の的となる心臓移植手術が行われたことに、かなりワクワクしたことを記憶している。そして、宮崎くんの死を告げたときの和田教授の泣き腫した目と、

「宮崎信夫くんは、呼吸不全により本日×時×分……死亡いたしました」

 という言葉が発せられた瞬間の、報道陣のどよめきも、昨日のことのように思い出す。日本初の心臓移植は、日本初のテレビによる医学ショー、でもあった。

 和田教授の手術がいかに問題のあったものか、についてはここではを費やさない。ただ、1968年という時代の雰囲気と、この手術の関係を個人的感想から述べておきたい。心臓移植の患者が、アイドルのように新聞や雑誌の誌面を飾る(亡くなった後、芸能雑誌である『週刊平凡』に“宮崎君83日の記録”という記事が載った)ほど話題を集めた時代だった。この年の紅白歌合戦の審査員には、和田氏でこそないが、心臓外科医の榊原仟氏が選ばれている。いかに心臓移植というトピックが日本人を興奮させたかという証左だろう。

 宮崎くんは、自分の手術後の推移を見守っている全国の人々に、

「信夫はこれからもがんばります」

 というメッセージを送った。何か、この“信夫”はという言い方はその年の1月に自殺したマラソン選手、円谷幸吉

「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」

 という遺書とダブって見えた。男子が“僕”や“私”でなく自分のことを名前で呼ぶのには、妙に自分の体が自分のものでなくなっている感覚が漂う。テレビで見る宮崎くんには、生きているのではなく“生かされている”感が紛々と漂っていた。

 その年、日本は“いざなぎ景気”と呼ばれる長期好景気に沸いていた。GNPがアメリカに次いで2位になった。日本初の超高層ビル、霞が関ビルディングがオープンした。一方で70年安保騒動で、安田講堂が占拠され、デモが荒れ狂った。性開放(ママ)も加速され、永井豪ハレンチ学園』が話題になった。好況と政治的混乱が一挙に襲い、国民はどこか狂躁的な感覚に陥っていた。要は“何でもアリ”。この感覚が日本中を覆っていたと言っていい。その象徴だったのが、この年の末に起った三億円事件だった。ともかくも、やってしまった者が勝ち、の時代だった。“心臓移植”というインパクトに富んだ語感は、この時代の日本を覆っていた万能感に、見事にマッチした。

 和田教授の、医師としてのモラルに問題があったことは確かだろう。だが、彼の背中を強く押したのは、明らかに”時代“の勢いだったと思う。あと5年早くても、5年遅くても、この事件は起こらなかったのではないか。少なくともメスを握る手に、躊躇が生れていたはずだ。1968年という年は、日本中が、興奮状態にあった年なのである。

 心臓移植手術報道騒動は、そのシンボルであった。

 そして、その後の和田教授追求は、興奮状態から覚めた日本人の、

「あの時自分は何をやっていたのか?」

 という、泥酔の翌朝の感覚に似た自己嫌悪の発露だったように思えるのだ。

 己の実体験を書くのになんでわざわざ間違えるのだろうか。

 1968年、唐沢は十歳の小学生だ。

 ぐちゃぐちゃと書き殴っているが、要は1968年が特別な年(“いざなぎ景気”と呼ばれる長期好景気に沸き、GNPがアメリカに次いで2位になり、日本初の超高層ビル、霞が関ビルディングがオープンした。70年安保騒動で、安田講堂が占拠され、永井豪ハレンチ学園』が話題になり、三億円事件が発生した)で、和田教授はその狂騒的な勢いに背中を押されて、心臓移植手術に踏み切ったのだと言いたいようだ。

あと5年早くても、5年遅くても、この事件は起こらなかったのではないか

 過去の検証でkensyouhanさんも何度か指摘しているが、ある年を特別な年のように描くことは意味のないことなのである。たとえば翌1969年だって、

 昭和天皇パチンコ狙撃事件、東大安田講堂攻防戦。東京大学の入学試験中止。永山則夫連続射殺事件犯人逮捕。東名高速道路全線開通。アポロ11号が人類初の月面有人着陸。大菩薩峠赤軍派53人逮捕される。

 象徴的な大事件が発生している。書き様によれば文明の急激な飛躍とそこに生じた歪による凶悪犯罪の年であった、なんて。

 和田寿郎が不正なやり方(ドナー脳死状態でなかったし、移植を受ける方にも必然性はなかった)で心臓移植手術を1968年に強行した理由は、只一つ、1967年12月3日に南アフリカケープタウンクリスチャン・バーナードが「世界初の心臓移植手術」に成功したため、日本初の称号を得んとしたためである。

 そんなことも見抜けず、間抜けな時代論を展開する、自称雑学の神様に、未来はないよなあ。

心臓にいい暮らし方 50のポイント

心臓にいい暮らし方 50のポイント

トンデモブラウトンデモブラウ 2011/03/02 09:59 素で自分の年齢とその時どこの学校に通っていたのか繋がらないのでしょう。
気の毒なことですが。

丁度5年遅い1973年には、エジプトとシリアがイスラエルに侵攻してますけど。(オイルショックを知らないのかな?)
日本がイスラエルで農業共同研究してた場所がえらいことになったのに。
狂騒的な勢いに押されるなら、5年後もかなりそんな雰囲気じゃないかなぁ、とまたしょうもないツッコみを。

藤岡真藤岡真 2011/03/02 10:06 >トンデモブラウさん
 わたしが中学生のときに東京オリンピックが開催されました。小学生時代、高校生時代と間違えようもない。大事件だけ取り上げれば、毎年が「狂騒的」な年になりますしね。

儒学者儒学者 2011/03/02 17:44 藤岡先生

>術後83日目に気管にタンがつまったことが原因で死亡。

と唐沢氏は断定文で書いていますが、これはあくまで和田寿郎が発表した死因であって、病理解剖を行った同じ札幌医大の病理学教室藤本教授の見解では緑膿菌感染による化膿性腹膜炎となっています。
心筋と冠状動脈には拒絶反応の痕跡があることから、「最初は免疫抑制剤を使わず、拒絶反応が起こった後から慌てて使った(しかも使いすぎた)所為で死の原因となった感染症を引き起こした。よって和田寿郎は移植医としての不適格」ということは、和田移植を扱った文献には大概載っているエピソードです。死因を呼吸不全と書いていることで、文献なんて全然読んでないことがバレバレです。
まあ、唐沢氏が書きたかったのは移植の話そのものではなくて、68年の話なのでしょうね。

>あと5年早くても、5年遅くても、この事件は起こらなかったのではないか

5年遅くても、まだ日本で誰も実行していなければ和田はやったでしょう。藤岡先生も書かれておられる通り、日本で最初にやることに意味があったのでしょうから。

藤岡真藤岡真 2011/03/02 18:15 >儒学者さん
 唐沢は「和田教授の手術がいかに問題のあったものか、についてはここではを費やさない」と書きながら、ご指摘のような虚偽をそのまま引いてくるのですから、本当に無知蒙昧です。和田教授が、ろくに準備もせずに手術に踏み切ったのは「一番病」のせいだと、なんで分からないんでしょうかね。

CREWGUYSCREWGUYS 2011/03/02 22:22 >己の実体験を書くのになんでわざわざ間違えるのだろうか。
>1968年、唐沢は十歳の小学生だ。

唐沢が歳をサバよんでるようにも思えてきました。
唐沢商会当時にやたらと「若いのに古いことをよく知っている」と言われると強調していましたが、
同年代から年下に対してハッタリをかますためにキャラを作っていたのではないかと推測。
だから経歴や経験を書くたび不統一で韜晦(?)になっちゃうのでは……

藤岡真藤岡真 2011/03/02 22:53 >CREWGUYSさん
 ひ弱で小心な唐沢坊やは、人生の初期に、いい加減な嘘が通用し良い目を見るという経験をしてしまったのかも知れませんね。見え透いた嘘だってなんとかなるという。だから年齢、学歴、女性体験、ことごとく嘘で通してきた韜晦人生。

蘭月新十郎蘭月新十郎 2011/03/02 23:21 >昨日のことのように思い出す。日本初の心臓移植は、日本初のテレビによる医学ショー、

昨日のことのように思い出すことなのに当時、自分が小学生か中学生かわからない。もう「究極超人あ〜る」の光画部時間なみに前後の幅をもった「唐沢俊一時間」の中で生きているとしか考えられません。

藤岡真藤岡真 2011/03/03 07:47 >蘭月新十郎さん
 せっかく近所で、かつリアルタイムで体験したことなんだから、自分の周囲がどんな反応を示したとか、どんな空気だったとか実体験に基づいて書けばいいのに一般論に持ち込むのは、wikipedia無しではなにもできないことを証明しているようなものです。
>「究極超人あ〜る」
 天本英世が出てましたね。

2011-03-01

検証 唐沢俊一 わたしはなにをしてきたか

14:38

 事前にお約束したとおり、これまでわたしが起こしてきたアクションを総括することにする。別に内部告発の文章ではないので、あくまでもわたしが責任を取れる範囲での話である。後輩や得意先に迷惑をかけないよう、匿名の部分も多々あることをお断りしておく。また既報と重複するところと新情報を区別するために新情報は青文字にしておくので、留意していただきたい。

 まず、わたしは「知的財産」といった概念を唐沢に理解させようと考えた、コピペで自分の著作を作り、相手が訴えない限り罪には問われない。相手がアマチュアならパクリ放題、といった考えが社会に通用するものでないことを思い知らせようと思ったのだ。すなわち「知的財産権の侵害」は親告罪だということに胡坐をかいている人間に、鉄槌を下すことにした。JASRACに通報するというやり方である。音楽著作権の侵害は親告罪ではない。露見した段階でJASRACは徹底的に取り締まる。通常の文芸作品とは違い、歌詞は引用できないし、歌詞を使用する場合には作曲者の許諾も必要なのだ。CMの場合、作詞、作曲者の許諾を得(有償無償、金額も様々)、なおかつオンエア回数に添った金額をJASRACに支払う。たとえば東京キー局なら一回のオンエア料は数万円である。全国ネットで展開したならどれほどの金額になるか想像できるだろう。ただし、多くのCM楽曲はJASRAC登録前に「タイアップ」扱いとし、この金額を発生させない方式をとっている。それとて、既成楽曲(登録済み)には適用できない。

★裏モノ日記、及び著作に引用されている既成楽曲の歌詞が、JASRACの許諾を得たものか、裏モノ日記をネットで検索できる分総て洗い出し、JASRAC担当者に送った。結果、著作物は出版社が許諾をとっていたが、日記は総て無許可ということだった。営業用のサイトに歌詞を載せる場合は営業行為と看做され、年間で数十万円という金額が請求される(作詞者、作曲者には別途許諾を得た上で)。唐沢は十年以上裏モノ日記を続けていたので、どれほどの金額になったのかは想像していただきたい。

筒井康隆『バブリング創世記』の違法朗読会(著作財産権口述権、著作者人格権の侵害)をホリプロ経由で通報。中止させる(具体的にどういった話し合いが為されたかは不詳)。

司馬遼太郎作品の違法朗読会(著作財産権口述権の侵害)を文藝春秋社担当者に通報。中止させる(具体的にどういった話し合いが為されたかは不詳)。

アインシュタインの「舌出し写真」が「熱写ボーイ」の『世界ヘンタイ人列伝』第16回「世界最高の頭脳の真実」に使用されている件。アインシュタインの肖像は、グリーンライトという会社が管理していて、広告で使用する場合、事前の原稿チェックを受けた上で一千万円以上の使用料を支払っている。しかし、雑誌等の記事の場合は正当な使用と認められた場合は無料で使用できる。「熱写ボーイ」は無断で掲載した上、内容は「アインシュタインは変態だった」。通報したグリーンライトの担当者はかなり怒っていた。その結果か、「熱写ボーイ」は廃刊となった。

★キリスト教系某宗教団体Aを、著作内でカルト系の某教団Bを語る際に、同様のものと記述した件を、教団A広報に通報した。非常に丁寧な返事を戴いたが「日本で布教して何十年にもなるが、こんな誤解をされているのは布教活動に至らぬ点があるのだろう。やり方を見直したい」という感謝の内容だった。朝日新聞書評委員がこうした誤解をしているのがショックとも書かれ、あくまでも「誤解」ととっているようだった。その後のAのアクションは不明。

★某障がい者支援ボランティア団体を揶揄するような記述が、裏モノ日記にあることを、その支援団体に通報した。責任者の方から非常に丁寧な返事を戴いた。この方は唐沢俊一を知っていて「テレビなどで有名な文化人が、こうした文章を書くことが哀しい」とおっしゃっていた。その後のアクションは不明。

★外資系C社のアメリカ本社が制作したCMを無許可でイベントで上映した件をC社日本法人に通報。即日以下のような返事をもらった。

 ご連絡をいただきましてありがとうございます。また、日頃からのご愛顧に心よりお礼申し上げます。○○○(註:商品名)のCMは各国で独自に検討され、放映されております。お知らせいただいたサイト(註:上映した事実を書いた裏モノ日記)を拝見いたしましたが、Cで制作、放映しているCMではないようで私どもとしては関与する立場にはございません。

 貴重な情報をありがとうございました。

 今後とも皆様にお喜びいただけるような製品づくり、企業活動に努めてまいりますので、一層のご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

と学会誌22の表紙にに唐沢のイラストとともに、チタノザウルス、メカゴジラの写真が掲載されている件を東宝に問い合わせた。WEB担当者からは、以下のような返事をもらった。

お問合せをいただきありがとうございました。すべて拝見させていただきますが、回答をいたしかねる場合がございます。また、回答までお時間いただく場合がございます。ご了承ください。【お問合せコード : 18146】

 事後の報告はなかった。

唐沢俊一缶チューハイの雑誌広告に起用された件。

 唐沢は担当代理店「博報堂」の名前を出して、再三「美味しい仕事」を強調していた。博報堂ではCMに出演するタレントは、原則的にミュージック&エンターテインメントという組織を介して契約するので、要注意人物としてリストアップされている唐沢が起用されることはあり得ない。では、あれはなんだったのか。あれは週刊現代編集部による「編集企画」である。雑誌社が企画し原稿制作し誌面を提供、各代理店にスポンサーを募る。代理店は売り違い御免で各社を廻りスポンサーを探す。決定した場合媒体仕入れはその代理店の業務になる。制作費は媒体社が負担。当然、博報堂制作はノータッチのため、唐沢が起用されてしまった。

電通コンプライアンス部門と提携して、要注意人物の情報を交換する。

 リスク情報も競合のエッジとなると判断され実現には至らなかった。

★D社の新製品キャンペーンに於ける唐沢俊一の起用

 競合で獲得した新製品広告キャンペーンのコンプライアンスチェックを行った。企画書内に、メインのマス媒体のキャンペーンとは別に、その商品の豆知識を企業サイトの新たなページに掲載し、その監修者を唐沢俊一にする旨が記載されていた。わたしは営業部長を呼びつけて『社会派くんが行く!』を見せ、唐沢がどんな人物かを説明した。D社には組織横断の厳しい倫理委員会がある。部長はこんな人物は到底起用できないと、人選の見直しをD社に申し出、D社も当然ながら変更を指示した。わたしは知泉さんの名を上げたが(ある理由があって、D社の責任者は知泉さんを知っていた)、結局D社内の開発担当者が起用された。唐沢にとっては缶チューハイよりもっとずっと美味しい仕事が一つなくなったことになる。

 これ以外にも雑誌編集者、出版関係者、TV局関係者と話すときには、唐沢俊一がガセとパクリの常習者であることを説明してきた。どこまでそれが浸透したかは不明だが無駄ではなかったと思う。

 以上。

? 2011/03/01 07:10 実際の行動、ネラーの自分は頭が下がる思いで拝見しました。ご立派です。

猫遊軒猫八猫遊軒猫八 2011/03/01 07:25 おつかれさまでした。
藤岡さんに検証イベントの出演をお願いしたところ、かなり辛辣なお言葉を頂きました。
あのとき頂いたアドバイスでそれなりのものになりました。
回を重ねることは出来ませんでしたが、ありがとうございました。

藤岡真藤岡真 2011/03/01 08:19 >?さん
 一読お分かり戴けたと思いますが、わたしの行動の大半は、属性とは関係ありません。広告屋として動いたのは、アインシュタインの件と最後の例だけです。

>猫遊軒猫八さん
 イベントには苦労してきましたので、ついリスクを考えて厳しいことを言ってしまいました。面白半分でも良かったのかなとも思います。

トンデモブラウトンデモブラウ 2011/03/01 08:31 個人的にはJASRACのあり方や知的財産に関する現行の状況には問題あると思っていますが、こういった「利用法」はアリですね。
というか、これが正しい利用法なんでしょう。

藤岡真藤岡真 2011/03/01 08:38 >トンデモブラウさん
JASRACが文芸の著作権も管理すると言い始めたときは、わたしも反対しました。引用が出来なくなり書評も出来なくなります。自分が作詞作曲した歌を歌っていたスナックの経営者(歌手)が、JASRACから十何年分の著作権料を請求され、支払えずに店を閉めたという事件がありましたが、唐沢もこの程度の請求をされたようです。

ラーオラーオ 2011/03/01 12:05 ご説明ありがとうございました。
約束の実行の早さにびっくりしましたが(内容にも)、と学会会長も藤岡さんを見習って早く「長文」をアップしてもらいたいとも思います。

JASRACにも困ったことだなぁと思います。
なぜ自分の曲で著作権料を請求されるんだか、訳が分からない。
札幌でも小さなライブハウスでアマチュアバンドが既成曲を使用した際の著作権料を何年分も請求されたことがありました。
文芸作品まで管理しようなんて、驕ったことです。

でもこのエントリー、もし唐沢が読んでいるとしたら逆恨みされそうですね。身から出た錆ですが。

藤岡真藤岡真 2011/03/01 13:30 >ラーオさん
>唐沢が読んでいるとしたら逆恨みされそう
 JASRACの話はリアルタイムで日記にアップしましたし、当時の裏モノ日記では唐沢が愚痴を書き捲くっていましたから、今更でしょうね。

おおくぼおおくぼ 2011/03/01 14:35 八百長を地道に告発してきたのに無視されつづけてた人達が、やっと陽の目を見た「大相撲騒動」を連想しました。

藤岡真藤岡真 2011/03/01 14:43 >おおくぼさん
 わたしは、個人的な八百長は、大相撲の伝統だと思っています。貴乃花が若乃花に負けたような。近代スポーツではありませんから。しかし、組織ぐるみの集団八百長、しかも大金が右から左に動く状況は、腐りきっていると思います。

おおくぼおおくぼ 2011/03/01 17:31 唐沢俊一検証から外れてすいませんが、貴乃花と若乃花の優勝決定戦は八百長だったと思うのですが、若乃花は八百長をするつもりではなかったと思います(推測)。
貴乃花一門は八百長厳禁で有名ですが、あの一番が八百長になった理由は、父親が息子に優勝をさせてあげたいという願望を二代目貴乃花につぶやいてしまったのが原因だと言われています。

NNTNNT 2011/03/01 22:32 エントリと関係なくてすみません。
>おおくぼさん
あの優勝決定戦は八百長ではなく、弟が兄を見くびった取組だったと思います。
本人の無意識が取らせたというか。
兄弟の確執って色々ありますからね、唐沢兄弟も…。

藤岡真藤岡真 2011/03/02 08:45 >おおくぼさん
>NTTさん
 安易に八百長と書いてしまいましたが、真相は当人しか分からないことですね。繰り返しになりますが、陥落の危機にある同輩に片八百長で星を進呈することを八百長と糾弾したくはありません。誤解を覚悟でいうなら、それはある種の「美徳」とも思います。ロサンゼルスオリンピックの柔道決勝の、ムハマンド・ラシュワンみたいに。

萩 2011/03/02 09:00 >歌詞は引用できないし、歌詞を使用する場合には作曲者の許諾も必要

これはJASRACが法的根拠もなく勝手にやっているだけではないでしょうか?

著作権法には引用であれば認められるという記載があるのみで、具体的にどこまでが転載でどこからが引用になるのかについては、裁判の判例で判断するしかないですが、歌詞については判例がなく具体的な基準がまだありません。

ですが、引用自体が認められることは(特に歌詞について除外の規定が法令化されているわけではないので)明らかですので、「歌詞の引用は許可が必要」というのは誤りです。

JASRACが請求するのは勝手ですが(引用の範囲であれば)払う義務はないはず。

>作詞作曲した歌を歌っていたスナックの経営者(歌手)が、JASRACから十何年分の著作権料を請求され

楽曲の演奏については引用ではないので唐沢の件とは関係がないかと。

藤岡真藤岡真 2011/03/02 10:19 >萩さん
 ご指摘ありがとう御座います。今回の記事は(良し悪し別にして)JASRACの基準に即して書いております。JASRAC側は上記した方針で請求すると告げてきましたので、それを記述しました。法的根拠、唐沢がどう応対したかは不明です。

>「歌詞の引用は許可が必要」というのは誤りです。
 唐沢の著作では出版社が許諾を得て掲載しています。出版社の方針というだけかも知れませんが。

>楽曲の演奏については引用ではない
 唐沢のような文筆家の公式サイトは、営業用ツールと看做すので、そこにおける詞の使用は単なる引用ではないと判断する、といったようなJASRACの見解を聞いたように覚えています。
 また、文芸であっても、CMでの使用は「引用」とは看做されません。裁判になった場合、短いフレーズが「著作物」と看做されるかは疑問ですが。
 JASRACへの通報は「強硬手段」を期待してのことだったので、あるいは過剰な希望的意見を書いてしまったかも知れません。その点はお詫びします。

2011-02-28

検証 唐沢俊一紙芝居 限りなく時空は歪む

14:38

 以前、検証のペースは落ちるけど、やめるわけではないと書いたのに、日本語に不自由な方が数名いらっしゃるようで、やめると言っておきながらネチネチと続けている、なんて非難していやがる。あのねえ、唐沢の過去の著作をひっくり返す作業はやめると言ったんだよ。こっちが忙しくなってきたのと、唐沢の著作は全部捨てたんで、ひっくり返すこと自体できないからね。

 さて、本日は、おかしなサイトを見つけたんで、そこに書かれている、唐沢の幼少時代について検証する。

 そのサイトは「唐沢紙芝居」というものだ。唐沢はここで斉藤友里子という人からインタビューを受けている。全文は長くなるのでリンク先を参照して下さい。

一一そんなに紙芝居ってナンデモありなんですか?

●斉藤さんなんかもそうだと思いますが、紙芝居は幼稚園や小学校の課外授業なんかで体験してるでしょう? 教育紙芝居ってやつ。でも紙芝居はカタイだけじゃない。昔はエロもあったと梅田先生が教えてくれたのですが。「お座敷紙芝居」。芸者さんと遊んでいたりするでしょう。そこへ紙芝居屋さんを呼んでダンナと芸者さんがエロ紙芝居を鑑賞するというやつなんですが。今で言えばラブホテルでエロビデオを観たりっていうのに近い行為なのかもしれない。紙芝居がテレビ代わりだったのだから、御客の要求に応えていけば、エロもグロもあっておかしくないってことですよね。

一一だからナンデモありだと。

●そうですね。僕の紙芝居の原体験はやはり幼い頃になるのですが。足が悪かったんでリハビリに通 ってましてね。少し離れた町に出かけていっていたんです。治療が終わったら迎えに来てくれていたんですが、それまでに時間があることが多くて、近くの公園で紙芝居を観て時間を過ごしたりね。紙芝居って結構エグいセリフ言うんですよね。「妾の子が!」とか。後で知ったのですが、その町って事情があって、実はつまり二号さんの子供が多く住んでいたらしい。ナンデモありというか、シュールというか、ナンセンスといいますか。

青文字が唐沢)

 うーむ

 唐沢はかつて、自分のリハビリについて、こんなことを書いていた。裏モノ日記2008年8月2日

 あれは小児麻痺のリハビリのマッサージを受けていたころだから4歳か5歳の頃か。まだ昭和30年代である。札幌・中の島のマッサージ医院(東京から飛行機で通っている患者もいたそうだからかなり高名なところだったのだろう)、医院と言っても普通のしもた屋みたいなところだったが、そこの縁側に、少年サンデー』が積んであった。待ち合わせの間に読んで、“世の中にこんなに面白いものがあったのか!”と、文字通り心ふるえたのが『おそ松くん』の、忘れもしない『チビ太の移動歯医者』の巻であった。わがままを言って持ち帰らせてもらい(たぶん泣いたりわめいたりしたんだと思う)、家で繰り返し読んだ。何十回も読んだ。読むたびに快感があった。それほど面白いものに出会ったのは生れて初めてだった、と、少なくともそのときはそう思った。

 ええと。その町って事情があって、実はつまり二号さんの子供が多く住んでいたらしい。って、中の島のことなの? 中の島にどんな事情があって二号さんの子供(二号さんは?)が多く住んでいたんだろう。そして、そんなところで、「妾の子が!」なんて言葉をわざと使うなんて、客に喧嘩を売っているだけじゃないか。そんなことして紙芝居屋になんかいいことあるの?

 それに、唐沢は『おそ松くん』に夢中になっていたはず。家族が迎えに来るまで、4、5歳の子どもが、一人で紙芝居見ていたなんてねえ。紙芝居が話題なんで、例によって「昔から紙芝居のファンだった」という嘘をでっちあげたんだろう。まあ、やること為すこと。

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トンデモブラウトンデモブラウ 2011/02/28 15:11 落語は一発で覚えて再現できた、という武勇伝に倣って、漫画も紙芝居も本職顔負けの画力でそっくり再現とするには画力が足りないか…
韜晦趣味(?)で語る経歴が全て嘘臭いというのは笑えるけど。

藤岡真藤岡真 2011/02/28 16:27 >トンデモブラウさん
 弟に絵を描かせて紙芝居をやり、好評を博したなんて話になりそうなもんなんですが。

2011-02-26

検証 唐沢俊一「裏モノ日記」その7 『science friction』

13:42

 今回はスタン・ヴァンダービークの『science friction』を取り上げている。

  D

 ああ、懐かしいなあ、スタン・ヴァンダービーク。おれはアンダー・グラウンド・シネマテークの会員だったから、スタン・ヴァンダービークやケネス・アンガースタン・ブラッケージなんかの映画をしばしば観たものだ。蠍座には浪人時代から通った。後にCMの演出を何度かお願いした松本俊夫さんは憧れの存在だった。

 など思い入れのある作品なんで、突っ込みだすと(多分)長くなるだろう。こうした映画に興味のない皆様には鬱陶しいだけだろうから(お為ごかしだが)、気になった一点に関してのみ検証する。

 古い映画をみませんか・11 『science friction』(1959)

 タイトルの『science friction』はもちろん、『science fiction』のもじり。『4Dマン』のときにも書いた、スプートニク・ショックによる米ソの宇宙開発競争の激化によるfriction(摩擦・軋轢・不和)を描いた作品である。コラージュ元として出てくる人物に当時のアメリカ大統領アイゼンハワーソビエト最高指導者フルシチョフの顔が出てくるが、もはや若い人たちにはわからないかもしれない。

 ねえ。典型的な唐沢症候群の症状だ。

 アイゼンハワー大統領だったのは、1953年〜1961年唐沢俊一が3歳の時には、大統領ジョン・F・ケネディに替わっている。唐沢家にテレビが来たのは1968年だから、テレビもない時代に、3歳だった唐沢はアイゼンハワーの顔を知っていたんだろうか。いや、後年知るチャンスはあったかも知れないが、次の大統領ケネディの存在が余りにも派手であったため、アイゼンハワーは影が薄く、リアルタイムで知らないと顔なんか分からんのじゃないかと思うのだ。歴史上の人物として唐沢が知っているなら、若い人だって知っているだろうし。なんでこんなことで先輩面して見栄をはろうとするんだろうね。

 おれはパラマウントニュース(映画館でかかる海外ニュース)で、アイゼンハワーを知っていた。あの竹脇昌作パラマウントニュースの名物アナウンサー、俳優竹脇無我の父)の名口調「アーメリカのアイゼンハウアー大統領は」なんて今でも真似出来るしね。そうそう、この台詞は当時の声帯模写芸人の持ち芸の一つだった。

 『Science Friction』にはコラージュ元として出てくる人物が、フルシチョフやアイゼンハワー以外にも、老若男女沢山いるんだが、結局、若くない唐沢もこの二人しか分からなかったのね。

※ 唐沢家にカラーTVがきたのが1968年でした。誤情報、削除しました。

映像の発見―アヴァンギャルドとドキュメンタリー

映像の発見―アヴァンギャルドとドキュメンタリー

トンデモブラウトンデモブラウ 2011/02/26 14:50 私はアイクの顔は、ノルマンディを題材にしたゲームでの箱絵とか、カードに写っている写真で知りましたけど。
唐沢にそんな趣味はないだろうし、ミリタリー系の知識もアレだからなぁ…

藤岡真藤岡真 2011/02/26 15:13 >トンデモブラウさん
 ノルマンディを題材にした映画『史上最大の作戦』ではヘンリー・グレイスがアイクを演じていました。ソックリさん演技でしたね。アイクは『シュロック・ホームズの冒険』にもゴルフ好きの大統領として登場していました。アイクが大統領に就任したとき、わたしは3歳。先代のトルーマンの顔なんて今も知りません。

shimojoshimojo 2011/02/26 18:43 アイゼンハワーの顔はフルシチョフとの絡みで見たのかなあ。フルシチョフの顔をした人工衛星に周囲をめぐられてノイローゼになるアイゼンハワー、なんて一齣漫画がありました。

wakamewakame 2011/02/26 20:49 はじめてコメントさせて頂きます。

僕はスタン・ヴァンダービークという名前は全くしらなかったのですが、モンティ・パイソンでテリー・ギリアムが作ってた写真アニメの元ネタなのかなーって、見て思いました。
すでに両者の関係って研究されてたりするんでしょうか?

唐沢氏はモンティ・パイソンの話も書いてたのに、見た事あれば絶対少しは触れると思うんだけどなぁ…。

wakamewakame 2011/02/26 20:53 すみません、元ページを見ずに頓珍漢な事を書いてしまいました。既にモンティパイソンの事は書いてあったんですね。
大変失礼いたしました。

藤岡真藤岡真 2011/02/26 23:46 >shimojoさん
 フルシチョフはアイゼンハワーより、ケネディと共に語られる人物です。キューバ危機で第三次世界大戦を忌避できたのは、ケネディとフルシチョフの決断だった、なんてお前らが引き起こした問題だろうっての。ジェームズ・エルロイがずっと描いてきた世界もケネディとフルシチョフの時代。

>shimojoさん
 いえいえ、お気になさらずに。唐沢のオリジナルの文章を全部引用するのもしんどいと判断したのはわたしですから。

karahamukarahamu 2011/02/27 06:41 はじめまして。入力ミスかと思いますか゛、竹脇、ですね。

藤岡真藤岡真 2011/02/27 09:42 >karahamuさん
 ありがとうございます。訂正しました。
 他人の検証していてこれではなあ。反省します。

2011-02-24

検証 唐沢俊一「裏モノ日記」その6 『地獄変』

13:42

 古い映画をみませんか・10 『地獄変』

地獄変豊田四郎監督(1969年)

 芥川龍之介の名作を、文芸映画の巨匠・豊田四郎が監督し、龍之介の息子の也寸志が音楽を担当した(本人作曲のNHK大河ドラマ赤穂浪士』のテーマとそっくり)格調高い平安時代絵巻……で、あるはずなのだが、妙に思想的な要素が入り込んで原作の雰囲気をかなり変調させているのは、70年安保改定をめぐって世が騒擾していた公開当時の状況が、八住利雄のシナリオにかなり影響していることが原因。と、いうか、この時期に『地獄変』を映画化しようという企画の中に、そもそも、時代性がパラレルである、というような観点があったと思われる。

 念のためおさらいしておくと、1970年に自動延長されることになっていた日米安全保障条約(安保条約)に反対する学生運動が1968年ごろから盛んになり、ゲバ棒、ヘルメット姿で武装した学生たちのデモが頻発していた。これにより世情は不安定になり、69年1月には東大安田講堂ににたてこもった全共闘の学生らと機動隊の大規模な衝突がおこる。やがてそれらの学生運動は分散・過激化し、72年のあさま山荘事件などにつながっていくわけである。スタッフたちは、この時代の状況を、貴族たちだけが繁栄を謳歌し、庶民は塗炭の苦しみに喘いでいた平安時代の京の都に重ね合わせようとしたわけである。原作にはない野党たちによる堀川の館襲撃シーンなどが入っているのは、そういう意図によるものだろう。検非違使が機動隊であるわけだ。

 とはいえ、69年当時、日本の庶民は決して塗炭の苦しみに喘いでいたわけではない。それどころか、高度経済成長の爛熟期にあたり、GNPが世界第2位になるなど、生活は右肩上がりでよくなっていた(私の家でも、初めてカラーテレビを備えたのは68年である)。平安時代の庶民の苦しみを描いても、そこに感情移入は出来ないのである。

 そこで八住脚本は、原作にない、絵師の良秀(仲代達矢)の出自を描き加えた。良秀が帰化人である、という設定である。良秀は祖国への帰還を願い出るが、堀川の大殿(中村錦之助)は「生意気な。お前達の先祖はもとはわが国の捕虜だったのだぞ」と許さない。あきらかにこれは在日北朝鮮たちの帰国事業の中断(68年から70年まで)を反映したエピソードだろう。表面で純文芸作品に見えるこの映画、実はかなり露骨な政治映画なのである。それも、ちょっと無理のある。

 この“無理”がこの映画の整合性に、多少の歪みを与えている。本来、善悪という概念より芸術性の方を重んじるエゴイスト、として描かれている原作の良秀を、平安の都の栄華の矛盾に疑問を持ち、現実を写すことでレジストを試みる良心の徒として描いているため、娘を大殿に奪われてなお、地獄絵図の屏風を描くことに執念を燃やす狂気が唐突に感じられ、さらにその娘を生きながら焼き殺されるという事態に正気を保っている人格が不自然に感じられてしまうのである。

 監督の豊田四郎は、その矛盾を解決させるのに、良秀を演じる仲代達矢に、とにかく“オーバーアクト”に演技をさせることで観客を納得させようとしたと思われる。こういうパラノイア的人物ならば、通常の人間心理を逸脱した行動をとってもまあ、致し方あるまい、と観客に思わせることで疑問を封じ込めようとしたのである。

 その思惑はある程度成功したといっていいだろう。目をカッ、と見開きながら日常会話までをおどろおどろしいセリフ回しで語る仲代を見れば、どんな無理な設定でもソンナモンカと観ている方は納得してしまう。必然的に、仲代の相手役を務める大殿役の中村錦之助(萬屋と改めるのはこの3年後の71年)もまた大芝居となり、全編、この二人のハイテンション極まる大芝居の対決が続く映画となった。ワンパターンではあるが目力声力で押していく仲代と、おどおどしたかと思うと次の瞬間にはカン高く笑い、高慢になり、傲岸不遜になり、ふっと無邪気になるという、権力者の千変万化の顔を見せる錦之助。力量ある役者同士の演技合戦とはこういうものだ、と圧倒される経験をするだけでも、この映画は観ておいた方がいい。なにしろ、脇に天本英世だとか沢村いき雄だとか二見忠男だとかのクセモノがいろいろ出ているのだが、まったくこの仲代&錦之助の前では印象に残らないくらいなのである。

 地獄で苦しむ人物を描くため、良秀は弟子の金茂(内田喜郎。『大怪獣ガメラ』でガメラに救われる灯台守の子供を演じた)を裸にし、鎖で縛り上げ、天井から吊るし、蛇に襲わせるというドSな行動をとる。むっちりした内田の白い肌に鎖がからむこのシーンにやたら力が入っているのは、ゲイであった豊田監督の趣味全開か? そう言えば、他の監督が(あの黒澤でさえ)可愛く撮ろうと一生懸命になっている内藤洋子を、何かおざなりに撮っているような気がするのだが……気のせいかな?

 豊田・八住のコンビは以前にも仲代達矢伊右衛門にして『四谷怪談』を撮って(1965)、文芸的に過ぎて少しも怖くなかった結果に終った前科がある。それに比べると今回の『地獄変』はまだ、ドロドロした恐怖描写は描けているかな、という感じがする。とはいえ、やはり芸術とケレンの中間で宙ぶらりんになってしまった感はある。ワンシーンだけ、画面分割のシーンがある。錦之助の大殿が絵師の仲代を見下ろしてしゃべる。答える仲代の顔が画面の右半分に分割して映る。……すると、驚いたことに左半分にいる錦之助は、その、分割された画面にいる仲代と視線を合わせて会話するのである。二人の心理的対決を“絵”として見せる工夫だろう。これがこの映画、ギリギリのケレンであった。

 ラスト、錦之助が火車に追われるシーンを合成で処理しているが、これ、ケレン派の石井輝男とか中川信夫なら、絶対セットを本当に割って、本火使った火の車を現出させるだろう。まあ、村木忍(美術)が承知しないかもしれないが……。錦之助の最期のシーンは、D・リンチの『砂の惑星』のハルコンネン男爵みたいでよかったけれど。

 もの凄い解釈ですな。

 1969年と言えばおれは浪人中で、予備校帰りには必ず映画館に寄っていた。だからこの当時公開された映画は洋画邦画成人映画実験映画はほぼ見ているはずだ。確かに安保前夜の混沌とした雰囲気は、おれには「アンダーグラウンド」「サイケデリック」「反体制」といった形で身近に感じられていたし、それを反映した映画も多々あった。だけど、芥川の原作を脚本家が改竄して、安保の何が描けるというのだろう。庶民が飢餓と貧困に喘いでいるとき、贅沢三昧の暮らしに淫している貴族を描いたのは、芥川の原作そのままだし、そうした持てる者と持たざる者の対立という構造は、日米安全保障条約とは全く関係がない。社会主義アレルギーの唐沢は、貧者と富裕者の対決=社会主義=反安保といった間抜けな思考回路で、『地獄変』を解釈しようとした。そのため、

この時期に『地獄変』を映画化しようという企画の中に、そもそも、時代性がパラレルである、というような観点があったと思われる。

 こんな意味不明なことを書いてしまう。だったら、どんな時期なら『地獄変』の映画化に相応しいと思っているのだろうか。

とはいえ、69年当時、日本の庶民は決して塗炭の苦しみに喘いでいたわけではない。それどころか、高度経済成長の爛熟期にあたり、GNPが世界第2位になるなど、生活は右肩上がりでよくなっていた(私の家でも、初めてカラーテレビを備えたのは68年である)。平安時代の庶民の苦しみを描いても、そこに感情移入は出来ないのである。

 出来ないのである、って唐沢は八住利雄に対して、反安保を描こうとしたんだろうがお生憎様っていいたいようだ。しかし、「いまどき平安時代の世界を描いても、誰も感情移入できない」って言ってるだけのことで、八住利雄の政治的な意図を批判したことにはならない。

 いや、それより何より、八住利雄は同じ1969年に公開された日本海大海戦』の脚本も書いているんだが、この作品にも政治的な意図があるというのだろうか。むりやりこじつけるなら、国防のための軍備の必要性、つまり日米安全保障条約の必要性を説いた映画ってことになるよなあ。

 そこで八住脚本は、原作にない、絵師の良秀(仲代達矢)の出自を描き加えた。良秀が帰化人である、という設定である。良秀は祖国への帰還を願い出るが、堀川の大殿(中村錦之助)は「生意気な。お前達の先祖はもとはわが国の捕虜だったのだぞ」と許さない。あきらかにこれは在日北朝鮮たちの帰国事業の中断(68年から70年まで)を反映したエピソードだろう

 堀川の大殿が「お前達の先祖はもとはわが国の捕虜だった」と言うことが、帰国事業の中断を反映したものなのか。随分と安直な政治批判だなあ。大体、在日北朝鮮って何? 現在、日本に住んでいる、つまり在日外国人としてのコリアンは在日韓国人と在日朝鮮人だけだよ。日本政府は、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)を国家として承認していないから、北朝鮮籍も認めないし大使館もない。ここでいう在日朝鮮人とは戦前の日韓併合時代の朝鮮籍でなおかつ大韓民国成立以降も韓国籍に帰化しなかった者のことを言う。朝鮮民主主義人民共和国の国民と言う意味ではない。

 豊田四郎は文芸映画の巨匠だったが、それはまた正統派のストーリテラーとしての巨匠でもあった。だから唐沢が言うように、

 豊田・八住のコンビは以前にも仲代達矢伊右衛門にして『四谷怪談』を撮って(1965)、文芸的に過ぎて少しも怖くなかった結果に終った前科がある

 のも、そもそも、殺されたお岩の怨念ではなく、貧困から抜け出そうとする伊右衛門の怨念を描いた結果の当然の成り行きなのだ。

 この映画が、芥川の原作にある狂気を描ききれなかったのは、まさにそうした豊田の資質にある。芥川の原作には、

 所がその後一月ばかり経つて、愈々地獄変の屏風が出来上りますと良秀は早速それを御邸へ持つて出て、恭しく大殿様の御覧に供へました。丁度その時は僧都様も御居合はせになりましたが、屏風の画を一目御覧になりますと、流石にあの一帖の天地に吹き荒んでゐる火の嵐の恐しさに御驚きなすつたのでございませう。それまでは苦い顔をなさりながら、良秀の方をじろ/\睨めつけていらしつたのが、思はず知らず膝を打つて、「出かし居つた」と仰有いました。この言を御聞きになつて、大殿様が苦笑なすつた時の御容子も、未だに私は忘れません。

 それ以来あの男を悪く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど一人もゐなくなりました。誰でもあの屏風を見るものは、如何に日頃良秀を憎く思つてゐるにせよ、不思議に厳かな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如実に感じるからでもございませうか。

 と抑制の効いた文章で書かれてあるだけだが、だからこそ、完成した屏風に描かれた絵の恐怖がふつふつと湧き上がってくるのだが、映画ではそれを具体的な「絵」として提示しなければならず(提示しないという遣り方もあったろうが)、そこに至って「映像作家」ではなかった豊田は、二人の人物の狂気を、全面に押し出さざるを得なかったのだ。

 監督の豊田四郎は、その矛盾を解決させるのに、良秀を演じる仲代達矢に、とにかく“オーバーアクト”に演技をさせることで観客を納得させようとしたと思われる。こういうパラノイア的人物ならば、通常の人間心理を逸脱した行動をとってもまあ、致し方あるまい、と観客に思わせることで疑問を封じ込めようとしたのである。

 「気違いじゃが仕方がない」ですかね。では、中村錦之助のオーバーアクトにはどんな理由があるんだろう。

 他の監督が(あの黒澤でさえ)可愛く撮ろうと一生懸命になっている内藤洋子を、何かおざなりに撮っているような気がするのだが……

 おざなりって、この映画で最も恐ろしいシーンは、内藤洋子が焼き殺されるシーンじゃないのか。ポスターやCDのジャケットの写真だよ。むっちりした内田の白い肌に鎖がからむこのシーンの説明にやたら力が入っているくせに、このおざなりさはなんなんだろう。

地獄変 (集英社文庫)

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地獄変 [VHS]

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トンデモブラウトンデモブラウ 2011/02/24 10:27 親戚にその年東大を受験できなかった、という人がいる(という話を伝聞で)らしいのですが、69年の入学者は0なんでしょうかね。
関係ない話ですみません。

藤岡真藤岡真 2011/02/24 10:30 >トンデモブラウさん
 わたしが現役受験生だった年ですね、>東大を受験できなかった
 入試中止ですから当然0でしょう。

ましゅましゅ 2011/02/24 11:34 毎回のことですが、唐沢の文章はヘタで文意が取りにくいです。
短い文の中に同じ単語が重複する悪癖も相変わらず。
タイトルが「古い映画をみませんか」なのに
いつもながら、取り上げた映画を全くみたいと思わせない紹介には脱帽です。

藤岡真藤岡真 2011/02/24 12:33 >ましゅさん
だって、結局、今回の主旨は「左翼的だから駄目だ」ってことですからねえ。「古い映画を見ません」にすりゃあいいのに。

tochicatochica 2011/02/24 20:07 『地獄変』は僕のトラウマ映画です。子供の頃に観ているので、恐ろしい形相の錦之介が「火を放てぇー!」と叫び、あの内藤洋子が焼き殺されるところは何ともショックでした。別の映画を観たときの予告編でこの「火を放てぇー」の部分だけやっていたのですが、まさかね、助かるよね、と思って観に行ったらホントに焼き殺されたので驚きましたね。

shimojoshimojo 2011/02/24 20:27 勝手に自分で物語の枠組みを妄想し、勝手に「その枠組みをあてはめるには無理がある」と貶すってパターン……どこかで読んだ覚えがあると思ったら、唐沢俊一本人が、清水正「宮沢賢治を解く『オツベルと象』の謎」をトンデモ扱いしていた理由そのまんまじゃないですか。(「トンデモ怪書録」所収)

藤岡真藤岡真 2011/02/24 23:15 >tochicaさん
 内藤洋子のシーンはこの映画と言うより、あらゆる日本映画の中でも特筆すべき恐ろしいシーンですよねえ。唐沢はの金茂を裸にし、鎖で縛り上げ、天井から吊るし、蛇に襲わせるのを、「ドSな行動」って書いているけど、じゃあ生きたまま焼き殺すのは? と訊き返したくなります。女性が犠牲者の場合はあんまり興味がなさそう。

>shimojoさん
 無理矢理、安保とか帰国事業に結び付けないと語れないというのも酷いですが、ひょっとして安保時に12歳の唐沢は、安保闘争を貧乏な学生が富裕層を襲うという階級闘争だった思い込んでるのかなんて考えてもしまいます。

消印所沢消印所沢 2011/02/24 23:58  『地獄変』の表紙の絵が,そんなことになっていたとは…(驚

 それはさておき,帰国事業の中断ですが,「無理」と言いたいのであれば,そもそも中断なるものは,「地上の楽園」なるものが全くのウソであることが知れたために,帰還希望者が激減したことが原因であって,日本政府が無理矢理中断したかのような描写が誤りであることを指摘すればよいだけのはずなのですが……
 しかし仮にそう指摘したところで,「そもそも結びつけることこそ無理があるだろう」と反論されるのがオチでしょうね.
(事業の実態については,石高健次著『これでもシラを切るのか北朝鮮』(幻冬舎文庫)を参照されたし――うろ覚えなので,別の本かも(笑))

altnkaltnk 2011/02/25 01:21 映画『地獄変』は未見ですが公開当時に新聞の広告を見た記憶があります。子供心にも恐ろしげでした。唐沢の文だと出来の悪い左翼ホモ映画みたいで興ざめですが見る価値はありそうなので探します。

藤岡真藤岡真 2011/02/25 07:46 >消印所沢さん
 帰国事業の意味も分かっていないのでしょうねえ。『キューポラのある街』から何年たっていると思っているのやら。

>altnkさん
 左翼ホモ映画で、登場人物はパラノイア的なオーバーアクト。確かに怪作として観る価値はあるかも知れません。