国際経済への本格参加に向け,新政府発足

2002年のベトナム

寺本 実
坂田 正三

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概況

2002年には,故ホー・チ・ミン主席生誕112周年に当たる5月19日に第11期国会代表選挙が実施され,2002~2007年の国会を担う新国会代表498人が選出された。第1回国会では,郵政・電気通信省,資源・環境省の新設,政府組織委員会の内務省への名称変更と任務拡充など,国家機構再編が行われた。注目のトップ人事では,現職のチャン・ドゥック・ルオン大統領,ファン・ヴァン・カイ首相,グエン・ヴァン・アン国会議長の留任が決定するとともに,5人から3人に削減された副首相ポストの1人に越米通商協定締結に貢献したヴー・コアン商業相が選ばれた。また,これまで国会ポストにある政治局員はアン国会議長1人だけであったが,国会副議長にチュオン・クアン・ドゥオク党政治局員の就任が決定し,国会重視の姿勢がより明らかとなった。

経済は2002年も好況を維持し,7%台のGDP成長率を達成した。前半不調であった輸出の伸びも後半回復し,前年比10%増を記録した。特に対米輸出が急増した。海外直接投資の新規認可件数は増加したが,認可額は大幅に減少した。対外経済関係の拡大が進んだ一方で,貿易,投資をめぐるさまざまな問題が発生した年でもあった。民間企業の設立が相次ぎ,月2,000社に迫る急速なペースで民間企業が新規設立された。

外交では,引き続き全方位外交を展開した。2001年のマイン党書記長の中国訪問を受けて,2002年2月,江沢民・中国国家主席が来訪した。ベトナム中部・カムラン湾からロシアが撤退し,中国の影響力はさらに強まる傾向にある。

国内政治

党中央委総会の動き

2月18日~3月2日にかけて第9期第5回中央委員会総会(以下,第9期5中総)が開催された。第9期5中総では,以下の5決議が可決された。①「集団経営の継続的な刷新,発展,能率向上に関する決議」,②「私的経営(kinh te tun han)の発展条件創出のための継続的な制度,政策刷新と奨励に関する決議」,③「2001~2010年の農業・農村工業化・近代化の迅速な推進に関する決議」,④「末端行政レベル(社・坊・市鎮)における政治システム刷新と質向上に関する決議」,⑤「新しい状況における思想・理論工作の主要任務に関する決議」。先の2決議については,2001年8月に開催された第9期3中総における国有企業関連決議に続くものであり,各経済セクターの振興を意図するものと考えられる。

私的経営に焦点を据えた決議②によれば,私的経営には,個人・小事業主経営,と私的資本主義経営が含まれる。これらのセクターは民間部門である。この決議の中で最も注目されるのは,「党条例と国家の法律・政策を首尾良く履行する私的経営の事業主である党員は,依然としてベトナム共産党の党員である」との文言である。これは,(1)私的経営を営む党員が現在すでに存在していることを正式に認め,(2)そうした党員をベトナム共産党としては排除しない方針を示したものといえる。

思想・理論工作に焦点を据えた決議⑤では,党員と私的経営の関係について,「党中央理論評議会(党の路線・政策計画の基礎となる政治理論問題などについての中央委員会,政治局,書記局に対する諮問機関――筆者注)は,党員が私的資本主義経営を行う問題……の研究を組織する」としている。私営企業家の入党を認めた中国共産党の動きをにらみながら,今後,この「党員と私的経営」の問題は,ベトナム共産党にとっても答えを見出すべき大きな課題の一つである。

他方,同決議では,基本的には政治的引き締めの方向が示されている。同決議は3章からなる。その第2章の第4節「思想・理論戦線で主体的に攻撃を行い,闘争を効果的に展開し,『和平演変』(平和的手段による体制転覆――筆者注)戦略,敵勢力の政権転覆のための騒乱の陰謀を敗北させる」,第5節「党防衛に関する党の指示,規定を厳格に実施する。悪質な資料,ねつ造された情報,悪質な内容を持つ匿名,偽名の手紙を広めるといった活動のすべてを,法律,党紀律にしたがって,時機を逃さず処理する」において,思想・理論領域の現況に対する警戒感が示されている。前者では,「党組織,政府,政治社会組織は,それぞれの地方,対象における思想的変化(dien bien tu tuong)をしっかりと把握し,起こりうる複雑な状況の変化を時機を逃さず処理する方法を持つようにする。内部から『自ら変化する』(tu dien bien)危機を防ぐ」と述べて,外部の「和平演変」を狙う勢力だけでなく,現体制内部から,体制崩壊に向けた動きが起こるという潜在的危機に対し,警戒するよう求めている。

「高度経済成長を達成しつつ,かつ現体制を維持する」との当局の基本方針が,これら両決議の検討からも読みとれる。

続く第9期6中総は7月4~15日に開かれた。マイン書記長は閉幕演説で,「幹部はすべての仕事の礎である」,「徳が礎である」などの故ホー・チ・ミンの言葉を引用し,ホーが「紅であり専である」(vua hong vua chuyen)幹部隊列を作るために,「政治について堅固で専門について優れている」ことを幹部に求めたことなどに言及している。こうした発言は,第9期6中総が,人材育成,人事を中心課題とした中央委総会であったことを象徴していると思われる。これには,政府主要人事を決める第11期第1回国会の開催を控えていたことも大きく影響しており,同国会で決定された人事は,この中央委総会で決められた内容に沿ったものだと考えられる。第9期6中総の討議の結果は,「第8期2中総決議の継続的実行,2005~2010年の教育・訓練,科学・技術発展方向に関する第9期6中総決議の結論」,「組織・幹部工作に関する第7期3中総決議,第8期3中総決議,第8期7中総決議の継続的実行に関する第9期6中総の結論」として,Nhan Dan紙に8月22日,掲載された。

また,第9期6中総では,ブイ・クォック・フイ中央委員・公安省次官,チャン・マイ・ハイン中央委員・「ベトナムの声」放送社長を中央委員の職,その他の党務から解任する処分を決定し,公安省次官,放送会社社長の職などについても,それぞれ解任するよう政府に提案した。これら2人は,賭博,賭博組織,売春,殺人,傷害などの罪を問われた,ホーチミン市を主な根拠地とする暴力団組織チョン・ヴァン・カム(ナム・カムとも呼ばれる)一味の問題との関わりで,処分を受けた。フイ中央委員は,ホーチミン市公安局長時代の管理責任などを,ハイン中央委員は,カムを罪から逃すために虚偽の情報を流すなど,職権乱用,新聞・雑誌法違反を問題とされた。なお,カム一味関連では,2002年5月にはファム・シ・チェン最高人民検察院副院長も職務停止処分を受け,さらに,2003年1月に開かれた第9期7中総第2部でも,チュオン・タン・サン党経済委員会委員長が,ホーチミン市党委書記時代(1996~99年)の管理責任を問われ,譴責処分を受けた。中央政界にまで及んだカム一味の投げかけた波紋は,国民の現体制に対する不信感を増大させたと思われる。

2002年11月7~9日には第9期7中総第1部が開催された。この中央委総会は続いて開催された第11期第2回国会の準備という色彩が濃く,2003年の経済社会発展計画に関する報告,討論,ソンラー省の水力発電所建設計画,カマウ省のガス,電力,窒素肥料複合施設建設プロジェクトなどについて話し合われた。

第11回国会代表選挙

2002~2007年の国会代表を決める第11期国会代表選挙が,5月19日に開催された。ベトナムの選挙では,ベトナム共産党影響下の政治社会組織であるベトナム祖国戦線が候補者のスクリーニングを行ったうえで,選挙が実施される。そのため,共産党の意向が選挙結果に反映される仕組みになっている。当初,代表定数は前回比50人増の500人,選挙区は前回比13増の188,立候補者総数762人で選挙は実施される予定だった。しかし,5月15日,立候補者の内3名が国会代表の基準を満たしていないとして除名され,759人となった。この措置を受けて,代表定数も当初予定の500人から498人に削減された。

一部の選挙区で再選挙になった以外は,選挙は順調に行われ,有権者総数4990万2967人のうち,投票率は99.73%を記録し,有効投票率は99.35%であった。選挙結果はつぎのとおりであった。

当選者498人のうち,465人(全体に占める割合は93.37%。かっこ内以下同様)が大卒かそれ以上の学歴を有する。その比率は第10期国会代表の91.3%を超えており,国会代表の教育レベルを上げ,国会議論の質,立法機能を高めようとの方向性は変わっていないと考えられる。

非党員の立候補者は134人(17.65%)で,うち51人(10.24%)が当選した。前回はそれぞれ112人(16.89%),66人(14.7%)であった。今回の選挙では非党員の立候補者数,比率は増加したものの,当選者数とその比率は減少したことになる。各組織,分野から推薦される形ではなく,自らの意思で立候補する独立候補は,前回選挙では11人(1.66%)が立候補者名簿に掲載され,3人(0.67%)が当選した。他方,今選挙では13人(1.71%)の独立候補のうち,2人(0.40%)が当選という結果になった。独立候補についても立候補者数とその比率では前回を上回りながらも,非党員と同様,当選者数,比率が減少した。結果をそのまま見れば,国民は非共産党員より共産党員を,独立候補よりも非独立候補を選択したことになる。しかし,前述したように共産党の意向が選挙結果に反映される仕組みが存在することに留意する必要がある。

国会代表選挙法の修正・補充により,一定の代表数確保が目指された女性代表数は136名(27.31%)となった。第10期国会では全代表に占める比率は26%であり,微増したことになる。少数民族代表は86名(17.27%)の当選で,比率的にはほぼ変化がなかった。その他の当選者構成は,宗教関係14人(2.81%),第10期からの再選135人(27.11%),企業関係25人(5%,このうち,民間あるいは株式会社が6企業)となっている。

マイン書記長,ルオン大統領,カイ首相,アン国会議長はそれぞれ立候補し,当選した。注目されるのは選挙区である。マイン書記長,カイ首相はそれぞれ前回同様ハノイ市(北部),ホーチミン市(南部)で立候補した。他方,ルオン大統領は,前回のクアンガイ省(中部)とは異なるハイフォン市(北部),アン国会議長も前回のニンビン省(北部)から,ダナン市(中部)に選挙区を移動した。この結果,書記長,大統領,首相,国会議長がベトナムに四つある中央直轄市からそれぞれ立候補したことになる。第9回党大会でも中央直轄市党委書記の政治局内序列の急上昇が見られたが,これら北部,中部,南部を代表する中心都市を重視する姿勢がここでも示されたのではないかと考えられる。

選挙後,Nhan Dan紙には「第11期国会代表選挙 ベトナムにおける民主選挙制度の勝利」(6月12日付),「第11期国会代表選挙の勝利を決定した要素」(6月19日付)と題した小論が,紙面を飾った。しかし,後者の論文で体制側にあるグエン・トゥック・ベトナム祖国戦線中央委員会主席団常務委員は「われわれはベトナムの国家機構が人民を心配させる弱点を持っていることを明確に認識している。それらは官僚主義,民と距離があること(xa dan),一部の幹部・公務員に見られる資質,道徳,生活スタイルにおける頽廃である」と指摘している。同様の論調は,最近のベトナム紙でよく見られる。しかし,選挙の勝利を謳う論文で現体制側の人物がこのような認識を披瀝するのは,選挙結果に関係なく,国民の現体制に対する視線が厳しいことを率直に示しているものと思われる。

国会の動き

3月15日~4月2日にかけて,第10期国会(1997~2002年)最後の会期が開催された。この会期では,国会,大統領,首相,最高人民裁判所長官,最高人民検察院院長の1997~2002年における工作報告の検討が行われ,人民裁判所組織法,人民検察院組織法,労働法のそれぞれ修正,補充案が可決された。

先述した第11回国会代表選挙の結果を受けて,7月19日~8月12日には第11期第1回国会が開幕した。ベトナムでは各期の第1回国会でトップ人事が正式に決められるため,人事に特に注目が集まったが,アン国会議長,ルオン大統領,カイ首相の留任がそれぞれ決定した。国会副議長は5人から3人に減らされたが,そのうちの1人にドゥオク政治局員,党大衆工作委員会委員長が就任した。国会議長だけでなく,副議長にも政治局員が就任したことは,国会重視の姿勢をより強めたものとして注目される。就任受諾の際,カイ首相は「最も重要なことは,清潔で堅固な行政機構を建設することであり,幹部・公務員の資質,能力を高め,汚職,濫費,官僚主義を防がなければならない」として,国家機構の整備,行政刷新への意欲を示した。また,「次世代への任務引き継ぎにおける先輩諸氏の経験を学習し,正しい時期に世代交代を実行し,政府活動の安定を保障し,絶え間なく効力,効果を高める」と述べ,世代交代の準備を行う意向を示している。

8月1日,カイ首相は政府中央に2省,省と同級の1機関を新たに設置するなどの政府再編案を提案した。具体的には以下のような内容であった。

(1)政府組織委員会の機能,任務を拡充し,名称を変更し,内務省とする。(2)科学・技術・環境省の名称を変更し,科学・技術省とする,(3)民族・山地委員会の名称を変更し,民族委員会とする,(4)資源・環境省を設置する(地政総局,科学・技術・環境省から分離された環境局,気象水理総局と関連他機関より設立),(5)郵政・電気通信・情報技術省を設置する,(6)人口・家族・児童委員会を設置する(人口・家族計画委員会,児童保護・育成委員会の統合を基礎として設立)。

この案はおおむねそのまま可決されたが,「郵政・電気通信・情報技術省を設置する」案については,文化情報省の情報機能と誤って理解されうるなどの各国会代表からの指摘を受け入れ,名称を「郵政・電気通信省」とすることが決められた。

今回の政府機構の再編には,以下の目的があったのではないかと考えられる。(1)IT関連分野,資源関連分野など,今後のベトナムにとって重要だと思われる分野でまだ省級機関が存在していない領域に省級機関を設け,専門的に当該分野を担当する体制を整えること,(2)行政改革で中心的役割の一つを担ってきた政府組織委員会を強化,名称変更し,行政改革など,新政府が取り組むべき問題の解決に向けた体制を整えることなど。つまり,政府の基本的構造を維持しながら,既存の政府機構の中で今後予想される政策ニーズに照らして,強化すべき点,修正すべき点に手を打ったということではないかと考えられる。

8月8日,国会は副首相,政府閣僚人事に関するカイ首相の答申を可決した。カイ首相の組閣案に対しては,構成員が若くなく(Lao dong紙,8月8日付によると,第10期内閣の平均年齢57.04歳,組閣案の平均年齢55.94歳),能力,専門性,地方経験が不足しているのではないかなどの指摘があったが,首相の提案がそのまま承認された模様である。閣僚の平均年齢が若干若返っていることから,閣僚の平均年齢の高さについての批判は,2002年末で69歳となるカイ首相その人に対する批判ではなかったかとも考えられる。副首相は5人から3人に削減され,ヴォー・バン・キエト元首相時の体制に戻った。グエン・タン・ズン副首相(国内経済全般担当),コアン副首相(対外経済担当),ファム・ザー・キエム副首相(科学技術・文化・スポーツ担当)の布陣となった。コアン副首相は1937年10月1日生まれでルオン大統領,アン国会議長と同世代である。商業相時に,越米通商協定の締結交渉で中心的な役割を果たしたとされる同氏の昇格は,ASEAN自由貿易地域(AFTA)への完全参加など,国際経済への本格参入に際しての役割を期待されてのことではないかと考えられる。

11月12日~12月16日,第11期第2回国会が開催された。この会期では,国家予算法,法規範文書制定法,国会会期内規,国会代表・国会代表団の活動規則のそれぞれ修正・補充案,第11期国会と2003年の法・法令制定プログラムを可決した。アン国会議長は,国家予算の決定,実行監視における国会,人民評議会の役割・責任を高め,予算支出管理における効率性,公開性,透明性を保障することなどを,国家予算法修正目的の一つに挙げている。既存の法律と現実のニーズの間にあるギャップを,既存法の修正,補充によって埋めようとする試みだと思われる。

行政改革

第11期第1回国会で,カイ首相は新政府が直面する重要問題として,つぎの三つを挙げている。(1)中央から末端に至る国家行政システムにおける,業務実施の遅延(tri tre),重複,多すぎる窓口,(2)幹部・公務員編成(bien che)における弱点,(3)政府の指導は依然として同じサイクル,速度で同時に実行されておらず(thieu dong bo),しっかりとした検査が欠けており,行政紀律は依然として厳しさが足りず,達成される効果に限界がある。特に(2)の問題については,一部の幹部・公務員が,誤った政策を行い,国民に強要し(hach sach),国民を苦しめる状況の広がりをカイ首相は率直に指摘し,「もしすぐに解決できないならば,社会の秩序,安全に深刻な影響を引き起こす非常に大きな問題となるだろう」とした。同首相は2002年1月に政府組織委員会(現在の内務省)に行政改革局を設置することを決定している。

ドアン・マイン・ザオ官房長官によれば,行政改革には,(1)制度改革,(2)行政組織機構改革,(3)幹部・公務員の刷新と質向上,(4)財政改革,(5)行政の近代化・情報化といった課題がある。2002年の主な動きとしては,前述した第11期第1回国会における中央省レベル政府機構再編,政府国境委員会の外務省への統合,税関総局・政府物価委員会の財務省への統合,民間航空局の交通運輸省への統合,国家行政学院の内務省への統合などの動きがあった。特に,行政幹部の養成機関である国家行政学院の内務省への統合は,行政改革において中心的役割の一翼を担う内務省の強化を狙ったものとして注目される。また,10月初めまでに,内務省は20の省庁・各分野,43省・中央直轄市の人員削減計画を検討,承認し,地方で8728人,中央省庁・各分野で1831人の人員削減が伝えられている。

外国直接投資の増加をそれほど見込めない複雑に変化する現在の国際環境下で,ベトナムが目標とする高度経済成長を達成するためには,中央地方含めて政府機構が的確かつ敏速に動く必要がある。また,国民の現体制に対する信頼を獲得,回復するためにも,行政改革の実施は必要不可欠な状況にある。

ドイモイ以前から基本的に維持されてきた機構・制度を,市場経済化,グローバル化という時代の趨勢に合った組織,制度に刷新し,そこに働く既存幹部の能力・意識・モラルもまた新たな趨勢に合うように高めていくことは,ベトナムが日本のような敗戦の経験を経ていない以上,既得権受益層の抵抗など,多くの大きな困難が予想される。ベトナムの幹部の多くは,現体制・社会秩序維持の観点から「一歩一歩,少しずつ」の改革ペースの重要性を強調するが,堅固な政治的意思と強い指導力の下に,断固として改革を進めなければならない時期がきていると思われる。

「民主規則」の展開

1997年のタイビン省における農民抗議行動を契機として出された,「基礎における民主規則の構築と実行に関する政治局指示」(1998年2月18日)の経験を総括する初めての会議がハノイで2002年3月4~5日に開催された。総じていえば,同指示は,既存の政治体制強化を目標とするという制約の下で,社(行政の末端単位)のような基礎レベルにおけるインフラ整備など諸施策の決定過程,実行監視などへの国民参加確保を意図したものであった。これは,大衆の不満が熱を帯びる前に種を摘み取るとともに,大衆を現体制に取り込もうとする試みでもある。

会議には,マイン書記長はじめ,カイ首相,ファン・ジエン書記局常任,ドゥォク大衆工作委員会委員長・中央民主規則実行指導委員会委員長(役職当時。現国会副議長)らが出席,ドゥォク政治局員,ファム・テー・ズエット祖国戦線議長が進行を務めた。ドゥオク政治局員はその報告で,「90%の社,坊,80%の機関,単位,企業が基礎における民主規則を展開,実行した」結果,現制度に対する人民の信頼,インフラ開発への推進力も強化され,党・政府幹部たちが人々を尊重し,配慮するようになったとしている。また,ベトナムの研究機関による調査は,「民主規則の展開により,人々は地方政府を以前より批判しやすくなった」と指摘している。ドゥオク報告が,同工作の弱点を述べるくだりで「若干の者は民主を利用し,秩序を乱し,綱紀,法律を無視している」としているのは,ベトナム研究機関の指摘した状況を別の形で表現したものと考えられる。

しかし,Nhan Dan紙「読者の意見」欄で,農村の人々の抗議行動への懸念が表明され,その発生原因として,人民の請願・告発の解決がうまくいっていないこと,人々への配慮が欠けていることなどが指摘されている(7月4日付)ことや,「農村における民主規則実行を重視する必要がある」とする意見(9月25日付)を見る限り,中央当局は,民主規則の展開も含め,農村などの末端をいまだ掌握しきれていないと思われる。3月末,党書記局が,民主規則関連政治局指示の継続的推進を決めたのは,その証左だと考えられる。

(寺本)

経済

7%台の成長を達成

2002年のベトナムは,前年まで2年続いた6%代後半の成長を上回る7.04%という高いGDP成長率を記録した。これで1990年代後半の低迷を脱した2000年から3年連続の高成長となった。2003年初の政府発表によれば,部門別成長率は農林水産業4.06%,工業14.5%,サービス業6.54%となり,農林水産業,工業部門で2002年の目標値を上回る結果となった。高成長を支えたのは民間セクターと輸出の伸びであった。主に民間企業からなる「非国営」セクターの工業生産の伸びは19.2%に達し,国営セクター(11.7%),外資セクター(14.5%)を上回った。輸出額は165億ドルに達し,2002年の目標である172億ドルには届かなかったものの,前年から10%増加した。

1999年から続いていたデフレ傾向からも脱し,年間の消費者物価指数の上昇率は4%であった。特に食料品(7.9%増),住宅・建設資材(7.1%増)の価格が大きく上昇した。また,2001年のテロ事件以降高騰している金価格(19.4%増)も大きな要因となった。2002年は在外ベトナム人からの送金も大幅に増え,前年比14%増の24億ドルが送金された。そのうち,海外に在住する40万人のベトナム人労働者・技術者からの送金が14億ドルを占めた。観光業も引き続き好調であった。2002年の海外からの来訪者は263万人を数え(11.5%増),そのうちの56%が観光客で,国別観光客数の第1位を占めたのは中国であった。

好調な輸出と海外直接投資の質的変化

2002年全般を見ると好結果に終わった輸出も,年の前半は低調であった。特に第1四半期の輸出額は前年比12%減という低水準であった。これは,主要輸出産品の国際価格の低下と,日本をはじめとする主要な輸出先の経済不振の影響が2002年に入っても続いたことが原因である。コメ輸出は,2001年の洪水によりメコンデルタの冬春米の収穫が遅れたため,第1四半期は輸出量で59%減,額で46.5%の大幅な減少であった。第2四半期に入り,遅れていたコメ輸出が始まった影響もあり輸出額は増えたものの,上半期の輸出額は前年比6%減に終わった。

しかしその後,6月,7月で前年同月比それぞれ7%増という成長を回復し,9月以降は毎月前年比30%以上の急激な伸びを見せた。この後半の急成長の要因は主に三つあると考えられる。まず,前年低迷したコメ,コーヒー,天然ゴムなどの主要輸出品の国際価格の上昇である。特にコメの平均輸出価格は前年より1トン当たり30ドル以上上昇し,186ドルとなった。二つめは,アメリカ市場の拡大である。これは2001年12月の越米通商協定の発効の影響が2002年後半になって現れた結果である。前年10.6億ドルだった対米輸出額が2002年は20億ドルに上昇した。特に衣料製品の輸出は9億ドルに達し,実に前年比20倍という急成長を見せた。三つめの要因は輸出品への付加価値税の免除,輸出支援金融,農産物輸出企業への奨励金などの輸出振興政策を政府が2002年後半に積極的に打ち出したことである。

一方,輸入も機械や自動車部品などを中心に大幅に増加し,前年比12%増の193億ドルとなり,貿易赤字は28億ドルにのぼった。

一方,過去2年間好調であった海外直接投資(FDI)の流入は,新規認可件数が前年比32%増の694件と大幅に伸びたものの,認可額は45%減の13.8億ドルにとどまった。これは,新規大規模インフラ建設案件が減少し,労働集約的な製造業へのFDIの流入が増加したことによるものである。2002年に認可された最高額は5000万ドルであった(過去最大のFDI案件は2000年に認可されたナム・コン・ソン天然ガスプラントで,その投資額は15億ドルであった)。2002年の特徴のひとつは,認可済み,あるいは既に操業している外資企業が大きな追加投資を行ったことである。外資305企業の総額9億1870万ドルの追加投資が認可されたが,これは前年の追加投資額から51%の増加であった。また,2000年に認可されたナム・コン・ソン天然ガスプラントが11月にガス供給を開始し,2001年に認可されたメトロ・キャッシュ・アンド・キャリー社の卸センターが3月にオープンするなど,過去に認可された大規模FDIが実際に操業を開始した。

認可額で見ると2002年の最大の投資国は韓国(142件,2億6100万ドル)であり,以下,台湾,香港,アメリカ,日本と続いた。外資企業の総売り上げは前年比10%増の90億ドル(石油を除く),外資企業による輸出は45億ドル(23%増),税収は4億5900万ドル(23%増)と,外資は2002年も変わらずベトナム経済において重要な位置を占めた。

ナマズ問題

対外経済関係の拡大は,先進国の保護貿易主義の壁という試練をベトナムにもたらしている。2002年はガスライターと防水靴の輸出に際してダンピングの疑いがあるとしてそれぞれEUとカナダから提訴された(裁定はそれぞれの訴えを棄却)。日本でも,中国製と共にベトナム製綿タオルに対するセーフガード措置の発動要請がなされた(2003年1月段階で発動の決定は下されていない)。

保護貿易主義の影響を最も強く受けたと政府が非難したのは,ナマズの輸入に対するアメリカの態度についてであった。アメリカ向けのナマズ輸出は2000年から急速に伸びていたが,2001年10月,食品の衛生・安全を確保するという名目で,アメリカで一般的に養殖されているナマズであるIcataluridae種以外の種の淡水魚をナマズ(catfish)として輸入することを禁ずる法案をアメリカ上院が可決した。2002年に入り,今度はアメリカ国内の農家全般の保護を目的として5月に下院で可決された「農家保護・投資法案」にも同様の禁止措置が盛り込まれた。これらの法案の可決により,アメリカに輸出されているベトナム産ナマズ科の淡水魚Pangasius種はcatfishの名前で輸出できないことになった。ベトナムの水産業者はその後,catfishという名前は使わず,「チャ」(tra)あるいは「バサ」(basa)というベトナム語名をそのまま用い,アメリカへの輸出を続けた。

さらに6月28日,ベトナム企業が「チャ」,「バサ」の輸出に際してダンピングをしている疑いがあるとして,アメリカナマズ養殖業協会(CFA)がアメリカ国際貿易委員会(ITC)に提訴し,ベトナム政府に対してもダンピングを支援していると非難した。これに対してベトナム水産品輸出・加工協会(VASEP)と外務省,商業省は即座に「根拠のないもの」であり,「越米貿易協定の精神に反する行為」であるとして,CFAの提訴に対して否定声明を発表した。

CFAの提訴を受け,アメリカ商務省(DoC)が9月にベトナムに来訪し,情報収集を行った。その結果として,11月8日,「ベトナムは市場経済ではない」という声明を発表し,DoCはダンピングの事実があると判断するという見解を暗に示した。ベトナムのナマズ養殖業者の多くは国有企業であり,従業員の給与,器材購入などで国家からの補助を得ているため,不当に安い価格付けが可能であるという結論であった。DoCは結局,2003年1月24日,ベトナムの水産業者はダンピングを行っているという仮決定を下し,これらの業者からの輸入に対して38~62%の反ダンピング税を課すことを決定した。最終的な裁定はITCによって2003年6月に下される予定であるが,ダンピングであるという最終決定が下された場合,「チャ」「バサ」に対しては,最大191%の輸入関税がかけられることになる。2002年のベトナムの「チャ」,「バサ」の対アメリカ輸出額は前年から37%減少しており,既に大きな打撃を受けている。

政府と外資バイク企業との関係悪化

ASEAN自由貿易協定(AFTA)による関税引き下げ開始を控えるなか,自由化期限までに集中的な保護育成を行い,競争力強化を図ろうとして混乱を招いているのがバイク部品産業である。2002年のバイク生産・販売は前年に引き続き好調で,前年比24.4%増の70万台が生産されたが,そのうち7社ある外資による生産は56万2000台を占め(前年比109%増),52社の地場企業による生産は13万8000台(前年比50%減)と,外資の伸びの方が著しく大きかった。そのひとつの要因は,2001年末に日系のバイクメーカーが地場企業製品並みの廉価モデルを相次いで発表し,売れ行きが大幅に伸びたことである。

商業省は9月4日,国内の部品産業の保護・育成を狙い,2002年のバイク部品の輸入制限を前年の250万台から150万台分に減らすという新たな数量規制を発動し,この輸入割当のうち90万台分を地場企業へ,60万台分を外資企業へ配分すると発表した。そのため,2002年前半に生産を伸ばしていた日系2社と台湾企業1社が輸入部品不足に陥り,9月から10月にかけて操業中止に追い込まれ,国内のバイク価格が急騰した。日本自動車工業会も乗り出し工業省と折衝した末,11月上旬,外資5社に対して合計18万5000台分の部品輸入割当てが追加付与され,生産を中止していた3社の生産も再開された。その一方で,売り上げが落ち込んだ地場企業は,2002年分の輸入割当てのうち半分しか消化できなかった。

2003年からはさらに厳しい輸入規制を敷くことが決定している。10月25日に発令された2003~2005年のバイクの生産,輸出入管理に関する首相決定で,バイクおよびエンジンの完成品輸入に対する輸入関税が60%から最低100%に引き上げられることとなった。バイク部品の輸入関税率は2005年まで現行の税率を変更しない予定である。バイク部品の輸入関税率は国産化比率に応じて決まっており,部品の国産化比率20%以下のバイクについては,エンジン部品に対して50%,その他の部品に対して30~40%,国産化比率が80%以上のバイクは,エンジン部品が5%,その他の部品の輸入関税が3%という低いものとなっている。

さらに11月の国会で政府は,バイクの過剰輸入がハノイとホーチミンの交通渋滞,交通安全上の問題を引き起こしているという見解を示し,今度は,交通安全と渋滞緩和という観点からバイクの総数を規制する方針を打ち出した。2003年の新規登録台数は100万台に制限される予定である。

2002年は自動車の売り上げも好調で,前年比38%増となる2万6872台が販売された。特に企業による購入が増加している。自動車産業においても部品の国産化比率を上げることを目的として,12月4日,自動車部品の輸入関税を2003年1月から40%に,2004年までに70%に引き上げる首相決定が発令された。しかしこの決定は,ベトナムで自動車を生産している企業(すべて外資)からなるベトナム自動車製造協会(VAMA)の反発を受け,12月27日に財務省が決定の施行を一時凍結する事態となった。なお,現在ベトナムで生産されている自動車の部品の国産化比率は2~8%である。

企業構造の改革

国有企業改革では,企業の株式化について2002年も目標を下回る実績しか上げられなかった。6月19日に国有企業株式化に向けた具体的なガイドラインとなる64号決議が出されたにもかかわらず,2002年に株式化された国有企業は,目標の502社を大幅に下回る150社にすぎなかった。2002年末現在の国有企業の数は5175社であり,そのうち黒字を計上しているのは約3分の2(3979社)にすぎない。また,4月には,前年首相承認された新たな国有企業形態である「母子企業モデル」(国有企業同士による持ち株会社化)として,ベトナム建設投資・輸出入公司(Constrexim社)が営業を開始した。

一方,民間企業は設立ラッシュとなり,年間約2万2000社が新規に設立された。その登記資本は外資の認可額を上回る30億ドルに達した。これで2000年の企業法改正以来4万9700社の民間企業が設立されたことになる。2002年,民間セクターはGDPの42%に貢献した。しかし,民間企業の成長に重要な役割を果たすと期待されている株式市場の拡大は進まなかった。4月にはホーチミン証券取引所での証券取引日が週3日から5日へと増え,上場企業数も10社増えて21社(2003年1月現在)となったものの,取引は低調な結果となり,2002年の取引は平均株価指数(VN Index)183.33ポイントで終了した。これは2001年6月につけたこれまでの最高値(571.04ポイント)の3分の1以下の値である。取引日1回当たり平均取引株額も前年の61億ドンから46億ドンに減少した。証券取引を活性化させるため,2003年1月からは取引株価に関する規制が緩和され,取引株価の変動幅が前回取引価格の±3%以内から±5%以内へと引き上げられた。

農業・農村の工業化・近代化政策

2002年も,325万トン,6億800万ドルのコメを輸出するなど,ベトナムのコメ生産は好調を維持した。その一方で,生産と流通の「工業化」「近代化」により,より生産性の高い農業構造への転換を図ることを意図したいくつかの政策が打ち出された。2月に行われた第9期第5中総では,2010年までの「農業・農村の工業化の促進」に関する決議が出され,さらに「集団経済の継続的刷新・奨励・効率向上」として,農業合作社の発展と効率化を促す決議が出された。それに先立つ1月には,国家銀行が農業合作社の抱える1996年末以前の負債の返済免除を決定し,1997年に始まった農業合作社改革を加速させる環境を整えている。

図1 株価指数(VN‐Index)の推移

また,6月には農家への「委託契約」による農業生産を奨励する首相決議80号が発令された。この委託契約は,これまでカントー省の国営ソン・ハウ農場などで試験的に行われてきたものであり,高品質の農作物の生産を促進し,輸出業者や卸売業者が効率的に流通できる制度として,政府は今後の発展を期待している。

経済協力

5月の援助国会合中間会議において,計画投資省を中心に2000年から作成作業を続けていた貧困削減戦略ペーパー(PRSP)が完成し,「包括的貧困削減成長戦略」(CPRGS)という名称で発表された。その内容は,2001年の第9回党大会時に議決された2001~2010年経済・社会発展10カ年戦略の内容と,文章構成を変えてはいるものの,多くの部分が一致するものとなっている。具体的には,2010年までにGDPを2000年の2倍にするなど三つの「経済目標」と中等教育の完全普及,環境保護,政府の透明性の確保など12の「社会・貧困削減目標」が掲げられ,それぞれの達成のための投資の指標,モニタリングと評価の方法,スケジュールが記されている。

12月の援助国会合では,援助国が2003年に25億ドルの支援を行うことを約束した。UNDPの報告によれば,2002年のODAプロジェクトの実施状況は改善し,ODA支出額は前年比9%増の15億ドルになると見込まれている。

(坂田)

対外関係

ベトナムは,テロ問題などが引き起こした国際社会の動揺など,緊張感漂う国際環境の中で,全方位外交を展開した。支援国会合では25億ドルの支援約束をとりつけた。また,グエン・ジ・ニエン外相が2003年1月にTap chi Cong sanに寄せた論文によれば,WTO加盟交渉ではWTOワーキング・グループの第5回目の会合を終え,ベトナムとの2国間交渉を求める21カ国の内,16カ国と交渉を行った。経済・社会開発に貢献するための外交が,引き続き展開された。

江沢民・中国国家主席が来訪

2001年末,マイン書記長の中国訪問を受けて,江沢民・中国国家主席(役職当時)の訪問が2月27日~3月1日にかけて実現した。ベトナムからは,4月にはアン国会議長,9月にはジエン書記局常任がそれぞれ中国を訪問している。

江沢民・国家主席訪問時には,マイン書記長,レ・カ・ヒュー前書記長らと会談,友好関係の増進を確認した。発表されたコミュニケでは,2001年に28億ドルに達した2国間貿易額を2002年には35億ドル,2005年には50億ドルにするとの目標実現のため,両国が努力するとの文言が盛り込まれた。また,5000万元の無償援助に関する経済技術協力協定,5000万元の優先信用供与に関する枠組み協定に両国は調印した。

北部国境沿いでは,国境標識の設置が進んでいる模様であるが,2002年2月にロシアがベトナム中部カムラン湾から撤退したことにより,軍事的にも経済的にも強大な隣国の存在は,より一層の「圧力」になると思われる。アメリカとの基本的友好関係の維持,強化,ASEAN諸国との関係強化が,対中国関係でバランスをとる上でも今後一層重要となると思われる。ちなみに,デニス・ブレア・アメリカ太平洋軍司令官は,2002年2月にベトナムを訪問した際,ロシア撤退後のカムラン湾海軍基地の在り方に対し,強い関心を表明している。

対米関係は,経済・人権軸に推移

対米関係は,通商関係,人権問題などを中心に展開した。5月には越米通商経済関係発展に関する第1回合同委員会が開催され,アメリカはベトナムのWTO加盟支援を引き続き行うことを約束した。ジャクソン・ヴァニク修正条項適用免除の延長も決まった。カム副首相(役職当時)は6月に訪米した際,越米関係のさらなる強化のために,ジャクソン・ヴァニク修正条項適用の完全廃止を重要課題の一つとして挙げている。その他,通商関係では,ベトナム産ナマズの対米輸出問題が昨年に引き続き問題となった(「経済」の項参照)。

中部における少数民族問題への対応など,ベトナムの人権問題に対する懸念がアメリカを活動拠点とする人権団体,『ワシントン・ポスト』紙などにより表明された。また,アメリカ国務省が10月に公表した世界の宗教的自由に関する報告では,ベトナムでは信教の自由が制限されているとの内容が含まれていた。ベトナムは,それぞれに対し,事実に反すると反駁している。

アメリカの強い関心事になっている人権問題は今後も越米間の懸案事項となると思われる。ベトナムは大国との長い戦争経験を持つことから,内政不干渉を強く主張する傾向があり,今後も批判に対しては強く反駁し続けると思われる。また,越米通商協定発効による通商関係の広がり,深化に伴い,ナマズ問題のような経済摩擦が再び起きることが今後も予想される。

日越最高首脳の相互訪問が実現

4月27~28日には小泉首相が訪越,10月2~5日にはマイン書記長の訪日が実現した。小泉首相との会談で,マイン書記長は,日越投資奨励・保護協定の早期調印の必要性に言及した。小泉首相も日越経済関係発展のために,投資奨励・保護協定の締結に前向きな姿勢を示し,年内締結を目指して,努力が続けられたが,実現しなかった。中国の影響力拡大に直面するベトナムは,日本の対中国関係における経験に大きな関心を持っていると伝えられる。援助,経済面だけでなく,安全保障分野でも両国の交流は強化される方向にある。

ただ,問題がなかったわけではない。9月に入って行ったバイク部品輸入規制は現地進出日本企業を一時生産停止に追い込み,日本企業の対ベトナム不信感をあおった。12月には,自動車部品の輸入関税引き上げ方針が打ち出され,外資系企業が強く反発,撤回を要請し,実施延期が決定されるという一幕もあった(「経済」の項参照)。2006年のAFTA完全参加を控え,部品産業の育成も含めた自国産業の強化を図っておきたいという意図がベトナム側にはある。こうした「経済摩擦」が今後も起きる可能性は十分ある。

ロシア,カムラン湾から撤退

ベトナム中部カムラン湾にあったロシア海軍基地使用協定が7月1日,失効した。今後,同地域の経済開発に力を注ぐ方針をベトナムは固めている。また,11月には,ロシアとの合弁で進めていた中部クアンガイ省におけるズンクアット石油精製所建設プロジェクトをベトナムの単独投資とする方針が明らかになった。合弁では意思決定に相当の時間がかかり,プロジェクトの進行が妨げられるということが,背景にある。10月初めにはマイン書記長のロシア訪問が実現した。また,越ソ合弁のVIETSOVPETRO社による原油開発は順調と伝えられている。しかし,カムラン湾からのロシア撤退,中部における石油精製所プロジェクトの動向は,越ロ関係が新たな局面を迎えていることを示唆している。

近隣ASEAN諸国との関係

2002年は,カンボジアとの国交樹立35周年,ラオスとの国交樹立40周年と近隣諸国との関係は節目の年であった。1月末にはベトナム,カンボジア,ラオスの3首相がホーチミン市に集まり,「発展の三角」(tam giac phat trien)地帯建設に関する第2回首脳会議を開催した。ベトナムでは中部コントゥム,ザーライ,ダクラクの3省が対象となる。12月末には,ラオスのビエンチャンで「発展の三角」地帯建設協力に関する会合が開催され,2003年にカンボジアのプノンペンで開催予定の「発展の三角」地帯建設に関する3国高級会議の準備が行われた。環境問題,麻薬取締りなどでの協力も含め,3国間の協力関係は深まる方向にあると思われる。

カンボジアとの2国間関係では,6月に両国間で話し合いがもたれ,国境検問所を増加することで合意,南部のアンザン省,ロンアン省,タイニン省などが,対象として検討されている。また,8月にはファン・ヴァン・チャ国防相がカンボジアを訪問し,両国国防省間の協力に関する覚書に調印,10月には干ばつ,洪水被害支援などのため,ベトナムは同国にコメ500トンの支援を行った。12月にはアン国会議長も訪問している。ベトナム中部における少数民族のカンボジア流入問題,カンボジア国内の反ベトナム活動に対する懸念を外務省が表明するなどの動きがあったものの,基本的に良好な関係が保たれたといえる。

ラオスとの2国間関係では,ズン副首相が1月にラオスを訪問,ベトナム・ラオス経済・文化・科学技術協力協定に調印し,5月にはカムタイ・ラオス国家主席が来訪した。9月にはチャン・ディン・ホアン党組織委員会委員長兼ホー・チ・ミン国家政治学院院長,10月にはアン国会議長,レ・ホン・アイン党中央検査委員会委員長が相次いで訪問するなど,要人の交流が活発に行われた。

(寺本)

2003年の課題

国際社会の変動に機敏に対応し,取り残されないためには,政府行政機構,その運営メカニズムの整備,再編を早急に進める必要がある。新しい時代の要求に沿った人材の育成も急務である。公務員が生活のために副職を持つ必要がなく,公務に専従できる環境を整える必要がある。2003年に入り,国家公務員の最低賃金が21万ドンから29万ドンに引き上げられたが,今後もそうした努力を続ける必要がある。

2003年は引き続き対外経済開放が大きな課題となる。AFTAの関税引き下げスケジュールに則り,2003年7月1日から750品目がAFTAの一時的除外品目リストから適用品目リストへと移行し,それまで40~50%であったそれらの産品の輸入関税率が,20%以下へ引き下げられる予定である。また,WTO加盟準備については,二国間個別交渉は2002年にすでに始まっており,目標としている2004年の加盟達成に向けて,国内の産業構造を貿易自由化に耐えうる競争力を持ったものに整える必要がある。2003年は,国有企業改革などの課題解決に向けて重要な一年となるであろう。

(寺本: 地域研究第1部)

(坂田: 地域研究第1部)