きょうの社説 2011年3月3日

◎コマツNTC移転 高まる「親会社も」の期待
 コマツNTCが本社を東京都品川区から生産拠点の南砺市に移転する方針を固めたのは 、北陸にとっては一企業の動きを超えた大きな意味をもつ。親会社のコマツ経営陣からも、創業の地である石川への本社機能移転の可能性に言及する発言が相次いでいるからである。

 コマツグループで鮮明になってきた北陸回帰の流れに自治体や地元経済界から「次は親 会社も」との期待が出るのは当然だろう。石川県も本社機能移転を視野に、企業誘致関連の助成限度額を引き上げるなど動き出した。企業の決断を促すには何が必要なのか、有効な支援策をさらに詰めてほしい。

 コマツNTCは太陽電池向けワイヤーソーなどの受注が好調で、4月にコマツ工機(小 松市)を吸収合併して生産基盤がさらに大きくなる。企業の一大生産拠点となった土地に本社を移すのは極めて自然な考え方である。これで名実ともに「地元企業」となり、金沢港からの製品輸出も増えれば、地域と歩む企業グループとしての姿も一段と見えやすくなるだろう。

 コマツの本社移転に関しては、坂根正弘会長が2006年の社長時代に金沢港の機能強 化などを前提に「将来的に検討の時期がくる」と述べ、その後も講演などで前向きな発言を繰り返してきた。野路國夫社長も小松工場跡地で開設する研修センターの起工式で「本社機能移転の第1弾になる」との認識を示し、さらなる機能移転に含みをもたせた。

 北陸では09年3月に中越パルプ工業が東京から創業の地の高岡市に本社を移転した例 がある。経営と生産拠点が一体化し、意思決定機能が現場に置かれることは企業にとってもプラス面が多い。北陸には生産拠点がありながら本社は東京という企業が少なくないだけに、見え始めた地方重視の流れを途切れさせるわけにはいかない。

 2010年国勢調査の人口速報値では、日本の人口は05年調査と比べてほぼ横ばいだ ったが、地方は人口減に拍車がかかったことが判明した。企業の地方移転を促すことは雇用を増やし、人口流出を防ぐ大きな意義がある。政府は税制などを活用した企業誘導策を真剣に考えるときである。

◎対中国ODA 「施し」の時代は終わった
 前原誠司外相が、中国向けの政府開発援助(ODA)を大幅に削減する方向で見直すよ う指示した。中国はいまや国内総生産(GDP)で日本を上回る経済大国であり、核兵器に加えて国産空母の建造にも乗り出そうという軍事大国である。発展途上国に対する「支援」「施し」としてのODAを中国に供与する時代は既に終わっており、外交カードとしてのODAの使い方を考え直す必要があるのは確かである。

 対中ODAは1979年、改革・開放を支援する形で始まった。「より豊かな中国の出 現が、より良き世界に通じる」という理念の下、有償資金協力(円借款)を中心に実施されてきたODAの総額は、約30年で3兆6千億円以上に上る。その資金は主に道路や空港などのインフラ整備に使われ、中国の経済発展に貢献した。

 その後、中国の経済力は飛躍的に伸び、アジアやアフリカでは援助国にもなっているた め、新規の有償資金協力は2008年の北京五輪を機に打ち切られ、現在は環境保全や人材育成の無償資金協力と技術協力が継続されている。

 冷却化した現在の日中関係を改善するため、対中ODAをむしろ増やすべきという声も ある。しかし、ODA増額による関係改善効果には疑問符が付く。日本のODAが増える中で、中国は「反日」教育を強化し、軍事力を拡大してきた経緯がある。

 むろん、経済の相互依存関係は格段に深まっており、中国における日本企業の活動を助 け、日本にもメリットのある支援、協力はあってよい。公害対策の技術支援などはその例であろうが、知的財産権などで日本が結果的に損をするような技術協力では困る。技術協力はODAで実施しなければならないものでもなかろう。

 これまで何度も指摘されてきた問題点として、日本のODAが中国国民に広く伝えられ ず、余り感謝されずにきたこともある。日本のODAを戦後賠償放棄の代替措置ととらえる中国から、感謝の言葉は素直に出てこない。ODAに頼らずに「戦略的互恵関係」を築いていくときである。