【赤木智弘の眼光紙背】入学試験問題流出事件に感じた涼風
眼光紙背提供:眼光紙背
2011年03月02日08時00分
赤木智弘の眼光紙背:第171回
京都大学に始まった「入学試験問題流出事件」(*1)は、他の大学でも同様の事例が発見されるなど、各所に飛び火しており、犯人の目的はなんなのか。カンニングか? 愉快犯か? などと、様々な憶測を読んでいる。
まず、私の考え方の前提を言っておくと、カンニングが目的であったとするとして、私は「こうしたカンニングは、一生懸命頑張ってきた受験生たちの思いを踏みにじる行為であって、許せない」という立場には立たない。
なぜなら、大学受験は決して「一生懸命な頑張り」をアウトプットする場ではなく、「試験で正解できる能力」をアウトプットする場だからである。
試験では、貧しい家庭で家族の生活のための労働を余儀なくされながら、夜間高校などで一生懸命頑張ってきた生徒を選別しているのではなく、子供の頃から塾や模試などにお金をかけて、効率よく試験で正解が出せるようになった受験生を選別しているのである。
その効率がカンニングという不正によって得られたものであっても、そのアウトプットが完璧ならば何ら問題はないと、私は考えている。
有名な社会派ブロガーである「ちきりん」は、今回の問題に問題に対して、こうつぶやいている。
「京大等で入試問題の回答を知恵袋で問うた人がいた件、この「ネットワーク&ITの時代において問題を解く力」がある学生を入学させたいなら、こういう人まさに合格させるべきな気がする。」(*2)
この発言は、今回の事件を引き起こした当人を、単純に擁護するものではない。
その後にこうつぶやいている。
「もう「自分の頭の中に、答えを保存してるかどうか」みたいなスタンドアロンな知識の保存方法だけを評価する必要はないよね。「どうやったら世界から答えを見つけてこれるか」という力こそが問題解決力じゃん。」(*3)
「かりにも一流大学が「入学者をどうスクリーニングすべきか」という機関の存在価値に関わる課題に関して、何十年も思考停止であったことを反省すべき。」(*4)
つまり、今のネットワークやITという、効率的な知のツールが溢れている時代に、個人が記憶している知識のみで入学者を選別することの問題を論じているのである。
私も、基本的には彼女と同じ立場に経つのだが、しかしそれでも1つだけ許容できない部分がある。それは私にはとてもではないが、今回の問題を引き起こした当人に「ネットワーク&ITの時代において問題を解く力」があるとは、とてもではないが思えないのだ。
先に述べた「カンニングをした上での完璧なアウトプット」とは、カンニングをしたことがバレないように試験で正解することである。
しかし、問題を起こした当人のアウトプットは大失敗している。しっかりバレて、こうして全国的に報じられるニュースとなってしまっているのだから。
そもそも、私が一番気になったのは、なんでリスクを犯して流出させた試験問題を、わざわざ「ヤフー知恵袋」に投稿などしたのだろうかという点だ。
ヤフー知恵袋をはじめとする、ネット上の大手質問サイトは、昔から「ネタの宝庫」として、アフィリエイト目当ての個人ニュースサイトによって、隅から隅まで監視されている。
ここで少しでも変な質問や回答があれば、すぐにニュースサイト上に晒され、サイト同士の相互リンクなどによって、一気に拡散し、コメントでの罵倒が飛び交うことになる。
それほどまでに注目されるサイトに、受験での不正という大きなリスクを犯してまで取得した試験内容を流すとは、普通では考えられない。
もし、問題の当人がそうした現状を知らなかったのであれば、彼はとてもではないが「「ネットワーク&ITの時代において問題を解く力」がある受験生」などとは言えないのである。