西陣は織物の町です。西陣の歴史は古く平安の時代をも含めると千年以上になります。
一般的に応仁の乱(室町時代)以降を西陣と言います。それでも六百年近い歴史を持ちます。その長い歳月のなか、日本の織物の生産地としていつもリードしてきました。
色々な織物の製品を生み出す産地としては他の追随を許しません。
帯を主力にキモノ・金襴・ネクタイなど多品種に技術をいかんなく発揮しています。
現在の主力商品「帯」は三百年ほどの歴史です。帯(現在に近い帯)を使用しだしたのが元禄時代以降ということからです。その歳月のなか、長さ・幅・用途(締め方)も色々変化しております。
現在のキモノの形は江戸の末期と言われています。同時に技術の革新も積極的に行われました。
明治五年フランスよりジャガードを導入。西陣最大の技術革新(産業革命)でしょう。
以後今日まで使用されております。
次の大きな革新は力織機(自動織機)でしょう。昭和三十年以降です。それまでの時代は、ほとんどが手織りです。手織り全盛時代です。しかし、現在ではほとんどが機械織に変わりました。早く、大量安価を市場が求めた事が要因です。
人材・低工賃を求め、同時に生産拠点も西陣から地方へと移行します。
この現象は過去にも多く見られます。丹後ちりめん・長浜ちりめん・仙台平なども元々は西陣で生産されていたものです。逆に技術の導入は、博多織などから多くを学んでいます。
京都という特別な環境で育まれた美的感覚は世界でも指折りと言えるでしょう。ワビサビがわかる唯一の地域とも言えます。技術の流失、高齢化、消費低下、商品の不透明さ(低品質 高価格)、織屋の減少など色々な問題を抱えています。
しかし、未来がないわけではありません。先人が乗り越えてきた経験・危機感を率直に学ぶ時期でもあります。過去や慣習にこだわることなく行動すべき時でもあります。
自動織機の時代は終った
昭和三十年代を境に、自動織機の目覚しい発展・進歩が業界内に大きな転換期を迎える。
昭和四十年代に入ると「手織りの時代は終った」と言われ、衰退の一途をたどる事になります。自動織機の最大のメリットである「安い」と言うことが市場に受け入れられたと言えます。
結局現在では90%以上の生産を自動織機が占める結果となりました。
しかし、時代のニーズは変化し「安い」だけでは消費者が納得しなくなってきました。「安い」定義は「手織りとの比較・ 手織りより安い」ことです。手織りがほとんどない現在「安い」というメリットが明白ではないことも事実です。比較対照する製品・商品があってこそ産業は発展します。
西陣はこの定義・理論を無視しているのです。
明確な品質表示を避け、片寄った生産者保護をしています。消費者を無視した政策が、今日の衰退の大きな要因です。消費者が求めるものは「安い」そして「良いもの」です。良いものの基準は「手織り」です。
自動織機がどれだけ高度に発展しようと「手織り」に優るものはないと確信しております。
和装の不振は、市場・消費者が求めるものを供給していない、の一語に尽きると思います。
共生・共栄をしていくためには「手織り」と「自動織機」の明確な分離が必要です。品質の不透明さをなくす事が生き残る手段でもあります。「西陣」というブランドの定義は何もありません。何をもって「西陣」なのか業界内でも理解されていません。
生産基地なのか、技術なのか、デザインなのか、それとも出荷された場所なのか。
伝統工芸とするならば自動織機は該当しない。自動織機は工芸風産業です。
「手織りの時代は終った」と言われて四十年、現在では「自動織機の時代は終った」と言えるのではないでしょうか。
西陣は、自動織機によって大きな利益を上げ、富を得たと言えます。
今日の不況をもたらした原因の一つに自動織機導入があります。作り過ぎたのです。
皮肉なもので利益を上げたもので投資し過ぎて 今度は多大な損失を出しています。
この内容は平成10年8月18日 京都新聞 オピニオン解説 に提言しました。
西陣の国際化?
西陣の今後の展望について、よく国際化と言うことが言われます。
一般的に作ったモノを海外に売る事と思います。一方では伝統を守ることを大切と考える方々もおられます。西陣の主力商品は帯です。現実に帯は海外で売れるものではありません。
製品の形を変え、素材を変えて海外でも販売出来るモノを作る事が国際化と思われます。
一例として 日本の国技『相撲』があります。
最近は国際化が進み、外国人力士が増えています。このことも意見が色々です。
定義もあやふやで、余り理解できるものでは有りません。外人力士が強くなり増えることに脅威を感じ、色々な規制をそのつど作っています。最近では日本語を話せないと力士になれないのもその一つです。
国際化に踏み切った以上 言葉の問題を規制する事が正しい国際化でしょうか?
現在の大相撲は国際化ではなく、外国人力士を日本化しているだけでは無いでしょうか?
国技と言うならば国際化はすべきではないし、逆に日本の国技『相撲』を世界に広めるのであれば、もう少し柔軟な思考が必要ではないでしょうか?柔道がフランスの国技と言われる時代です。
西陣においても 国際化と言うならば、素材・デザイン・織り方なども柔軟な思考の元で伝統としての和装を守りたいものです。特に海外生産については大相撲と同じではないでしょうか?
都合の良い国際化は業界を衰退させる大きな要因になっています。
将来へ展望
将来の西陣はどのようになるのだろう。過去の糸筋をたどりながら独自の展望をしてみます。
まず、「伝統」と「産業」に分類しなければなりません。
「伝統」の定義は、長年に渡り必要とされることにより継続されたもの。また、長年に渡り行い続けられることにより守られたもの。この条件が「伝統」と言えるのではないでしょうか。
西陣は、織物の技術は継承されていますが、そこで生み出されてきた商品・製品などは一定の決まったものではありません。時代のニーズに合わせて変化しています。例えば、金襴が 着尺が 帯が 歴史に残る工芸品が、という具合にです。
こうした積み重ねが伝統と言えるのではないでしょうか。
現在では代表的織物が「帯」になっているだけなのです。決して永久とは言えないはずです。
技術を継承する「伝統」ならば問題はないのです。問題視されているものは各製品・各商品などの品種維持なのです。「帯」がどうなるのか、「金襴」がどうなるのか、「ネクタイ」がどうなるか、なのです。
「産業」の定義は、ものを作り生産することです。また、常に新しいものを作り続けることも産業の使命です。西陣は色々な技術を学び同化させてきました。
大和朝廷以来の織物技術を基礎に、中国、朝鮮半島から多く技術を習得しました。
明治五年には、フランス・リヨンよりジャガードを導入しました。この技術導入が現在の「産業」としての基礎になったのです。西陣での「産業大革命」の始まりでした。生産が向上し大産地へと発展していきます。
注目すべき点は、「先人達はいつも新しい情報 新しい技術を導入しつづけた」事ではないでしょうか。産業を維持・継続していくヒントがここにあると思います。
伝統とは確信することである
横山大観
意見申す 2007年12月
自動機械でつくる目的は 安価・大量生産です。
自動織機で織る帯は けっして愛着をもって長く使われるものではありえない
すなわち 安価な大量生産された帯は感動を与えないからです。
最近古着ブームなどくだらない表現がされます。これはキモノに対しての愛着が薄れている現象です。
買うものには 必要だから仕方なく買うもの 必要ないけど欲しいから買うもの があります。
必要だから仕方なく買うものには愛着や思いがありません。だから安易に捨てられるのです。
必要ないけど欲しいから買ったものは愛着と思いがあるため大切に保管・使用されます。
企業文化が先行・高いためいい加減な商品も売れてきました。しかし、これからは厳しい目をもった優秀な消費者が品質・機能・面白さ・価値など評価できる方々が増えてきます。企業文化から本来の日本文化に戻るのです。
西陣や室町の職人は彼等が持つ技術・属性・おかれた環境などは全く理解されていません。
職人の技 と言う言葉は商品の差別化を図るための道具・広告でしかないのです。
本来 職人とは知識労働者であるべきなのです。職人を肉体労働者という観念が今日の風潮です。
職人の持つ技術・能力・経験などが正当な評価を得ていないのです。
学歴のある者が知識労働者であり 実践歴・実務歴がある職人は肉体労働者なのです。
学歴主義の日本の社会では職人の地位向上が難しいのです。
メートル法の時代 尺を使うのは和装業界です。尺には鯨尺クジラと曲尺カネがあります。
和装は鯨尺を使います。
鯨尺一尺は曲尺の一尺二寸五分で37.9mmになります。
和装は鯨尺ですが織る機屋の寸法は曲尺で作ります。道具・材料などの寸法も曲尺です。
手織機は曲尺ですが自動織機はメートル法です。日本の伝統工芸では全て尺を使います。一方伝統産業ではメートル法を使います。
鯨尺の最小寸法は3.79mm 曲尺は3.032mm メートル法では1mm です。
上記の数値の違いが余裕とゆとりであり日本文化の特徴です
参考資料 伝統の逆襲
著者 奥 山 清 行
河村康人
2008年 新春講義より
何故西陣は破壊に向かったか
格言に おできと織屋は大きくなったら潰れる と言います
昔の先人はうまく言ったものです。昨今つくづくすばらしい格言だと感じます。
昭和四十年代から始まった高度成長。西陣も大きく成長した時期でもあります。
オイルショックに代表するトイレットペーパー騒動。何故か和装も品物が無くなる 高くなると噂が広がりました。
全てのメーカーの在庫が無くなり売り切れ状態が起こりました。
このような状態が永久に続くように錯覚し過剰な設備投資に向かいます。
売れるはず 売れればよし が後世に大きな問題を残すことになるのです。
一番に品質・技術の低下が起こります。確かに自動織機の進歩は目を見張るものでした。
しかし、その技術は西陣本来のものではなかったのです。大企業による機械開発に乗せられ 次々に開発される高価な自動織機に振り回されることになります。過剰な生産と機械への投資が重荷になっていきました。
次にあげられるのは 販売方法です。高度成長期には和装は一兆円産業と言われ疑う人はいませんでした。
大きな市場には本来の販売形式ではない色々な形が生まれます。今までなかったナショナルチェーンなどが代表的なものです。売れればよし商法がキモノ離れ・キモノ不信の原因になったことに気が付くのにかなりの時間がかかりました。何の知識も経験もない販売員が売り上げを上げた時代でもありました。今だに不思議です。
次に大企業と同じ感覚の経理知識です。根本的には商店・商人なのに大企業の真似をし破局へと向かいます。
例えば昭和三十年以降出回る手形決済での支払いです。手形本来の意味・知識もなく広がっていきます。
手形が流通すると銀行との取引が必要になります。銀行取引が商店から企業への転換だと思い込み錯覚しました。
商売の基本は 現金商売・賭け値なし です。三越創業者の格言であり商売の基本理念だと思います。
本来 手形には縁のなかった業界が手形によって振り回される結果になりました。手形によりどれだけ多くの企業が倒産したでしょうか。
手形により複式経理が複雑になり 売り掛け金・在庫の処理などで幻の利益が出ていたのです。このような複式経理を理解していた経営者は少なかったようです。現在西陣地域で多くの都市銀行などが撤退しているのは何故でしょうか。手形で一番儲けたのは銀行だったからです。
本来大企業とは無縁のはずの業界が 大企業に利用・振り回されただけだったのです。以前ハーバード大学の教授と話したときに上記のような現象を話しておられてました。極端に 西陣は潰れる とまで言い切られました。
作り方・販売方法・金融 大企業は儲からなければ即座に撤退します。残された西陣はバブルの崩壊です。
今 商売の原点に戻る知識と知恵 努力・勇気が必要です。大企業との縁を切り関わりを持たないことが破壊への防御策ではないでしょうか。伝統という文字を利益のために利用されたに過ぎないのです。
伝統を食いものにする
大企業の魔の手
我々和装業界は長い歴史の中 商店として経営を営んできました。しかし、昭和三十年代後半以降 一兆円産業ともてはやされます。高度成長の追い風にのり 商店から会社組織へと変貌し改革されていきます。大企業・中小企業の真似をしていきます。店主は社長と呼ばれ番頭は専務・常務・部長・課長と呼び方肩書きが変わります。商売としての本質は何も変わっていないのに勘違いが生じ 色々な面で変わっていきました。
本来我々商店経営と大企業との経営理念が異なります。勘違いが勘違いを生み破壊へと向かう結果になりました。経理面も単式経理が複式経理に変わり 理解されないまま経営がされていきます。
生産基地の拡大
生産基地の機械化・拡大は大手メーカーにとって喜ばしいことでした。一万台以上の需要は大きな魅力でした。
最新の織機が次々と開発され 車の乗り換えのごとく生産基地に導入されていきます。市場規模は百億円単位で大手メーカーにとっては大きな市場でした。技術の革新は本来の西陣の技術を超越するものです。それらの機械で作られたものを 伝統産業と呼んでいます。
過剰な生産基地の拡大は 現在悲劇を生んでいます。高額機械のローンに苦しみ 生産過剰による賃金の切り下げ 収入減による後継者不足 同時に高齢者社会。
自己責任として扱われ確たる救済の手はされていないのが現状です。
無理な販売
昭和四十年以降本来のデパート・小売店販売が大きく変わっていきます。ナショナルチェーンの出現です。
年間百億円以上の売り上げをし 和装業界に大きな影響を与え始めます。当然販売の貢献度は大きく誰もが喜び認めたと思います。しかし、肥大化した販売にはかなりの無理がありました。大きな経費を掛けることにより価格上昇が常識となります。
商売の形態も変わります。本来売買されていた商品が委託販売に変わります。その結果需要以上の在庫が必要となり膨大な流通在庫が増えました。景気後退と共に流通在庫が重荷となって行きます。一番に生産基地に影響が出始めメーカー 問屋へと流れ倒産件数が増える結果となりました。
無理な販売をしてきた大手量販店は潮が引くごとく和装業界から去っていきました。
販売価格設定には 生産者主導型と小売業者主導型があります。
ナショナルチェーンの台頭により和装業界は小売業者主導型なって行きました。
価格設定が決められると無理な商品つくりをしなければなりません。当然品質が低下します。
価格は高く 品質は低い。これは自滅を招きます。
今日の業界不振の大きな原因になっています。
実例 継ぎ足し 平成20年7月
漁業関係の価格設定は完全な消費者設定価格になっています。大量に消費するのが 大手スーパーだからです。スーパー小売価格が設定され 卸売業者・生産者の価格が決められます。
小売価格が100の場合 漁業生産者の価格は31です。
平成20年7月に起こった燃料費の高騰。魚を獲れば獲るほど赤字になる現象が起こりました。
販売価格が強い小売価格主導型だからです。
約束手形の怖さ
我々和装業界に約束手形が流通し始めたのは昭和三十年後半からです。冒頭でお話した商店から会社組織への移行で一番してはいけなかったことが手形発行でした。本来特に和装業界には不必要なものだったのです。
しかし、会社と言う勘違いから手形がどんどんと業界に浸透していきます。手形の意味・怖さなど理解されないままに発行されました。高度成長により誰もが手形発行の疑念を持たなかったことも事実です。また和装業界の成長にも大きく貢献したことも事実です。しかし、景気後退と共に取り返しの付かない悪影響が出始めます。手形は発行した者 手形を受け取った者 双方に悪影響を与えます。倒産の一番の理由が不当り手形です。
手形発行の仕掛け人は銀行です。手形の割引は担保設定内で行われるため安全です。業界に一兆円以上の手形が流通して一番儲けたのは銀行でしょう。現在業界内から撤退する銀行が増えているのも手形割引の利益が減ったからです。
生き残れる確信
和装業界は空前の売り上げをし 現在一割近くにまで減少しています。一兆円産業から一千億産業になりました
このことは喜ばしいことなのです。無理な生産 無理な販売 このようなことは永久に続くわけがありません。現在和装の好きな方 欲しい方は減ってはいません。規模は小さくなりましたが需要はあるのです。売り手・買い手のバランスが正常化しつつあります。大手企業が参入しない規模になることが我々和装業界が続き守られていくものと確信しております。
平成十九年十一月
立命館大学 商学部 講義主内容
薄利多売の原則
昔の商人は薄利多売が原則でした。薄利でも十分に儲けることが可能だったのです。
多売をする条件は 消費者に対しよい物を安く 同時に必要とされる物を提供することです。
薄利多売を原点とするならば 和装業界はまったく逆の道を歩んでいることになります。
高い利益を得る理由にはいろいろありますが 経理優先主義・経理主導型が大きな要因に思います。
売り上げ計画 必要経費見積もり そして利益予想が優先されます。
その経営・運営・考え方は商人としての商売でしょうか。大企業のものまねをしてるような気がします。
商売の原点は 売りさばく ことが第一です。高い利益を上げることが第一条件・目的ではありません。
近江商人の基本理念は 三方よし です。現在は 一方よし 傾向が強いようです。
問屋は江戸時代 問丸 と言われた時代から 売りさばく ことが商売の基本でした。
天秤商法などがよい例と言えます。薄利で売りさばき その商売地域の人たちに喜び・必要なものを届けました。
そして 自分たちの地域に必要なものを持ち帰り商売をしました。
利益主義のもう一つの要因に 委託仕入れがあります。
仕入先より借りた商品を販売します。しかし売上げよりも利益率優先販売になります。
そのため 売りさばく 発想販売はありません。売れ残りの商品は製造元に返品すればいいのです。
三方よし 損して得とる などの商売の基本的な発想はどこにもありません。
売れなければ返す安易な行為は 製造業界を縮小・廃業へと向かわせます。
商品が逆流することは業界の破綻へと進みます。
利は元にあり 商品が製造できない状況で生き残れるのでしょうか。
商品を買わないことは在庫投資をしないことです。商売の元手にお金をかけない。
単なる物流の事業をしているだけになります。これは問屋・仲買事業とは言いがたい行為です。
例えば 土地売買・株売買には 損得がありリスクが伴います。
商売は利益・損益があるのが当然です。それが商人です。
利益は自分だけに 損益は仕入先に これは商売ではありません。
物流だけでリスクをも持たないならば 利益率が高すぎとしか言えません。
大不況の業界にタクシー業界があります。しかし そんな業界にあっても業績を上げている会社があります。
大阪の五百円ワンコインタクシーです。業界の常識を破り商売の原点を見つめた会社です。
薄利多売・お客様の要望や目線・社員のやる気が成功の要因です。
三方よし の原則が基本にあるからです。
和装業界は昭和40年以降の商売が基本でその思想から脱却できません。
原点はその時代にあらず 40年以前にあると確信します。
色々な格言を先人は残してくれています。今後のヒントに大いに役に立つのではないでしょうか。
2010年新春講演会
全国小売店店主様との意見交換 50数社
講演内容
キモノ復活へ鍵
キモノ販売の低迷は今なお続いております。戦後の最盛期に比較すると9割を下回る落ち込みです。
その販売不振には多く理由があるのは当然です。キモノ離れの原因を探求する時少し違う角度から検証してみたいと思います。
二十歳までの女性にキモノが好きですか 着てみたいですか と問うと大半の女性はイエスと答えます。
若い女性にとってキモノは憧れであることは間違いのない事実です。
しかし、ある時点からキモノに対して憧れ 興味が薄れていくのです。
それは成人式などで着る振袖です。振袖を着た後の答えは 二度と着たくない しんどかった です。
なぜこのような答えが返ってくるのでしょうか。浴衣ぐらいしか着た事のない女性がキモノ中でも一番難しく着にくい振袖に挑戦するのです。無理な着付けをさせられ動くことも食事もろくにできません。苦痛でしかないのです。
昔のお嬢様はお茶やお花などのお稽古事をされていました。その結果キモノ慣れをされていたのです。
ですから振袖を着ても何も問題なかったのです。
昭和45年以降からお稽古事をされる若い方が激減していきます。
キモノ慣れをされている若い女性が年々減り 振袖を着て二度とキモノは着たくないと思う世代の方々が40年も続いていることになります。業界は振袖が大量に売れることはキモノ愛好家が増えていくと勘違いし錯覚したのです結果は全く逆になりキモノ離れの大きな要因になってしまったのです。
現在キモノ愛好家の多くは六十代以上の方々が多いのは キモノ慣れされている世代なのです。
車を例に上げ検証してみましょう。
車を運転するには一般的に免許証が必要です。免許証を習得するには教習所に通い 運転に必要な知識などを勉強します。そして運転する技術を習います。何度も運転の練習をし路上運転の検定を受けます。
そして車に慣れたことにより免許証が交付されるのです。
さて、振袖を着ることはどうでしょうか。キモノの中でも一番難しい振袖 車なら免許証を持たない人が大型車に乗ることと同じことなのです。免許証のない人が大型車に乗れますか 無理に運転したとしたら怖くて二度と車に乗る気持ちがなくなります。キモノ慣れしていない人が振袖を着ることは大型車に乗るに等しい体験なのです。
キモノ慣れしていない方に振袖を着せることが所詮無茶であり無謀なのです。
それならばキモノを着る免許証とは何なんでしょう。
一般的な答えとして 着付け といわれます。また 着やすいキモノ とも言う方がいます。
本当に必要な免許証はキモノを着こなすための動作なのです。歩き方 草履の履き方 食事の食べ方
お箸の使い方 トイレの仕方など このような動作を 所作 ショサといいます。
基本的なキモノの着こなしができるための所作の教育が必要ではないでしょうか
所作を知ればキモノが着たくなり 欲しくなるのです。
所作を習い教えることが キモノ復活の鍵 なのです。
所作を知ることが基本
観光シーズンにもなれば京都の街には多くの若い人たちのキモノ姿が目に付きます。
しかし、その姿なるものは見るに忍びないものがあります。歩く姿はへっぴり腰 外股開きの大股。
草履は履けばペタペタと。小物入れをフラフラと手回し。まるで 猿の惑星 です。
食事をしてる時は テーブルに肘をつき 手をまくって物を取る。お箸の使い方は無茶苦茶。
トイレに入ればキモノとの戦い。悲惨な姿が目に浮かびます。振袖の袂タモトを首に巻いての用足し。下手をすれば着こなしが乱れて元に戻らず 最悪濡らす結果に。
そんな苦労をしている若い女性が多いことを知っていますか。
誰も教えてくれない。もうキモノなんて二度と着たくない 嫌い という結果になるわけです。
汚れ濡れなどを防ぐ加工は 汚すこと濡れることを前提にキモノや帯に加工する技術です。加工しておけば安心大丈夫と思うことが勘違いなのです。汚したり濡らしたりすることは着る方の動作やしぐさに問題があることになります。所作を心得ておけば決して汚したり 濡らすことはないのです。
食事の仕方 お箸の使い方が正しければこぼしたり汚したりしません。雨が降っていれば雨コートの着方を正しく知っていれば濡れることもないはずです。
着付けの際多くの腰紐類を使うのは 乱れる前提で着付けがされています。荷物のごとくクルクル巻きにされては動くこともできず苦しみしかありません。キモノを脱いだときが一番気持ち良かったと話す女性もいます。
キモノを着たときの所作を知っていれば最小限の腰紐で楽に着れるのです。
所作は日本人の長い歴史の中の風習であり礼儀作法なのです。
所作を身につけることは日本人としての品格なのです。
キモノを着たときだけではありません。洋服を着た時も日本人としての立ち居振る舞いは所作が基本です。
だからこそ 日本人特有の品位と美しいしぐさがそこにあるのです。
正しい所作や礼儀作法を教えてくれる教室などが少ないのが悲しい現実です。
本来躾シツケは家庭で教えられ習うのが一般的でした。昨今家庭では無理なようです。
和装業界が キモノを着せる キモノ を買わせる 発想から脱皮し
キモノが着たい キモノが欲しい と思わせる実践が求められているのではないでしょうか
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