本章は講演会などに使用した原案です
昭和三十年代を境に、西陣は大きく様変わりをしていきます。
自動織機の導入、生産基地の移動。この二点でしょう。
自動織機がもたらした影響は、計り知れないものがあります。自動織機移行の目的は「安く」「早く」「多く」作ることです。生産向上、コストダウン、技術の向上などが長所ならば、過剰在庫・商品・製品の付加価値の低下、および信用低下・品質低下などが短所と言えます。
自動織機と手織の品質表示の不透明さは重大な問題であると思います。
手織味・手織風などの新語も生まれます。自動織機のウエイトが90%以上である現在、業者間での改革は死活問題であり無理としか言えません。
生産地の移動は、昭和三十年後半、丹後地方から始まります。以後丹後を中心に、福井県・石川県・滋賀県と広まり、ありとあらゆる場所で生産されてきたのも事実です。四十年代には海外生産も行われています。
企業は「企業秘密」として生産拠点を隠しました。何ら批判される事もなく行われました。
その結果、西陣は生産地から集散地へと変貌したことになります。技術の空洞化現象です。
西陣という響き
一般的に「西陣」のイメージは、織物の町・織物の生産地と言う事になるでしょう。
西陣産・西陣ものといわれますが、実態はどうなのでしょうか。
「西陣」の商標は、どのような定義・見識・理由・規則によって使用され許可されているのでしょうか。現在、この答えを正確に答えることができません。西陣内の環境の変化、生産システムの変革によるものが主な理由かも知れません。過去の方法、考え方では、現在の実態が現実にそぐわなくなっているのです。
なぜ改革できないのか?
改革することは、一つの枠組みをしなければなりません。枠を決める事は、内と外に分離させる事につながります。枠とは、一般消費者が納得してもらえる範囲のことです。
「西陣」の商標を一般消費者が納得される答えを仮に出すと、大半の業者が「外」になります。
商標の取り扱いは、生産者と消費者との相互理解で成り立つ事が自然な方法です。
しかし、このような行動は一度も行われておりません。生産者側の一方的な解釈で表示されています。この理由は、目先にとらわれ利害関係を生み、死活問題になるからです。
改革には、長期的視野・展望が必要なようです。
西陣の基層文化
日本文化は農耕文化と言われ、共同作業的理論の強い国です。
欧米では遊牧文化と言われ、「個」を大切にする習慣があります。西陣は古い伝統と歴史を有し農耕文化を強く残した地域と言えます。農耕文化圏では収穫と言う目的の為に共同作業という形で生きていかなければなりません。その為、町内や村単位でのつき合いが大切になります。
一方、遊牧圏では家族単位で移動をくり返します。双方かなり対照的な理論のなか生活をしてきました。西陣は各織屋があり、「個」のように見えますが実質は共同作業のなかに生きています。他業種には少ない完全分業化が完成しているからです。
西陣という閉鎖的な共同体のなか、独自の集団意識をもち、集団主義的な価値観を大切に今日まで続いてきました。
現在の西陣はそれらの基層文化が忘れられ、????移行しようとしています。しかしその現象は、本来の体系を崩し破壊へと進めます。分業体系が日に日に崩れる事は、目的である製品が作れなくなる事を意味します。分業体系は裏方的な業種が多い為、不必要に思われがちです。
今後の西陣の継続・維持をしていく為には、先人が残した基層文化を守る事を心掛けなければならないと思います。
商標に込められた一般見識
西陣地域で生産されたもの
西陣の技術によって生産されたもの
西陣のデザインによって生産されたもの
西陣の独自の原材料で生産されたもの
西陣から出荷されたもの
このようなイメージを一般消費者の方々は、受け止め解釈するのではないでしょうか。
さて、実態はどうでしょうか。
実態は!
京都市内、西陣地域に指定された場所での生産は、ほとんどないに等しい状態です。
総生産の数パーセントにも満たないでしょう。大半が京都府下、丹後地域に集中しています。
また、全国各地に生産拠点が分散し、生産がなされています。昭和40年以降、海外生産も始まりました。
現状では、日本国内どこで生産されても「商標」を使用することができます。
出荷が西陣地域であればよいことになります。海外生産のものは承認されていません。しかし、確認は不可能と言えます。
伝統工芸としての技術のイメージは「手織り」技術です。自動織機としての技術のイメージは消費者にはありません。自動織機は産業としての技術です。同じ技術とは言えないのです。現在90%以上が自動織機で製織されています。自動織機の目覚しい発展があり、区別ができなくなっています。消費者と生産者側には、大きな考え方 認識の違いがあるようです。正しい明確な表示はされていません。
現在の西陣の状況
戦後の最高生産量(昭和40年代後半から50年代前半)に比べ、現在は20%前後の生産量に激減しています。当然、和装離れが一番の理由でしょうが
平成の大不況も影響している事は事実です。しかし、それだけが理由ではない事も事実です。
倒産・廃業・縮小が相次ぎ生産販売の下げ止まりが効かない状況です。
現在では生産と消費量のバランスは取れつつある状況ですが、過去10年以上の流通不良在庫が思惑以上に多いようです。
その為、新しい商品の足を引っ張り、安定した生産が出来ない状況です。
当然価格も不安定なものになっております。
丹後を中心とする生産現場も激減を余儀なくされている状況です。工賃のカットなどによる労働意欲の減退は大きな社会問題にもなっております。高齢化が進むなか、今後の生産基地としての役割を果たせなくなる事は紛れも無い事実となっております。
現状と警告
現在、西陣の生産体系には色々な方法が用いられています。
生産方法としては手織と自動織機(力織機)があり、現在では自動織機が支流になっています。
昭和30年代より自動織機の開発が進み、高度な技術を有するようになりました。技術の進歩が急速に進んだ為、色々な弊害がおこり、今後の大きな課題を残しました。織る技法の明確な表示がされてなかったのです。しかし、業界はその事を重要とは認識せずに今日に至っております。
「手織風」「手織味」などのいかがわしい表現も問題ですが、自動織機で織ったものを堂々と「手織」として売る悪質な業者(織屋)が多数おります。業界では各業者のモラルに任せているだけで何の取締・規定・罰則もありません。完全に放置されているのです。
一方、消費者の立場で考えてみましょう。自動織機で織られた商品は手織に比べ、安価なものと認識します。しかし、偽手織の商品はメーカー価格から手織価格として取引されます。問屋や小売の段階で見抜く事も難しく、消費者の不審を招いています。
手織と勧められて買った商品が本当は手織ではなかった、という苦情をよく聞きます。このような悪質な業者や商法を放置しておいていいのでしょうか?儲ければ何をしてもよい、騙される方が悪い、そんな風潮が西陣にはある事を認識頂きたいと思います。
次に生産基地(地域)の問題です。
自動織機と平行して生産基地が西陣内から地方へと移行していきます。自動織機の主力が京都府内・丹後一帯にあった事により、丹後周辺に生産基地が変わりました。当初は西陣外の生産には色々な規制や制約などもあったようですが、丹後に出る業者が多くなり業界も「西陣もの」として黙認するようになります。以後、この解釈が広がり京都府下以外でも黙認され、現在では日本国内全域に広がっております。
昭和40年代には一部の業者による海外生産も始まりました。しかしこの事は秘密とされ、「西陣もの」として出荷されています。
昭和50年代には刺繍帯のブームが起こり、西陣も多くの業者が生産を行います。その多くは韓国・台湾・そして中国と生産基地が拡大していきます。刺繍に関しては、当初より海外生産の認識は高く当然のように取引されてきました。この事は業界は何も規定や承認をせず放置しました。消費者側から見ればこのような商品も「西陣もの」なのです。
このような流れの中、平成に入り織物も海外生産が始まります。しかし手織と自動織機と同じように海外生産品を西陣生産品として出荷する悪徳業者が現れます。業者が海外生産を承認しない事が野放しの原因と考えられます。
現在、多くの業者が海外生産を行っている現状を理解し、時代に応じた対応が必要ではないでしょうか?
どんな時代にでも『嘘のない』『嘘をつかない』姿勢が業界の継続につながる事だと確信しております。消費者の立場にたった改善・改革が必要と思います。
西陣のあるべき姿
西陣は本来零細企業の技術集団です。
2004年現在、帯メーカーとして300社以上が存在します。
しかし、景気低迷の中、廃業・縮小・休業と年々生産が減少しています。
本来 西陣は零細(家族企業 家業企業)の集団で成り立ってきました。
多くの社員、従業員(下請けも含め)を抱える大企業がリードしているように思われがちですが、そうではありません。小さなメーカーこそが西陣であり、低価格で個性豊かな、良い製品を作ってきました。
西陣は販売よりも作ることに力を入れてきました。販売は問屋に任せることが慣例でした。
しかし、商取引の変化に伴ない大問屋は大手メーカーとの取引に力を入れ、小さなメーカーを避けるようになりました。
この現象は、西陣を衰退させ崩壊・破滅へと導きます。
小さなメーカーが存在してこそ、大手メーカーが成りたつことをご理解頂きたく思います。
雑談〜 プロの少ない業界 〜
ベテランは多いのですが、プロが少ないのが和装業界です。
長期に渡る高度成長の置き土産かもしれません!努力、勉強などを必要以上にしなくとも
モノは動き、売れたのです。
西陣の発展は先人のプロの努力、勉強によって伝承されてきたものです。
知ったかぶりの人が多く お客様に見破られているようです。
全ての行程を理解することは大変難しい業務です。
プロの定義はなんでしょうか?
ただ単に努力、勉強をすればプロでしょうか?私はそれ以上に大切なものがあると思います。
それは『好き』と言うことです。和装が好き、仕事が好きと言う事ではないでしょうか!
好きにも 初めから好きな方!続けていく過程で好きになる方!同じ好きだと思います。
好きがプロになる第一条件ではないでしょうか?
知らないことは知らないとハッキリ言える人になりたいものです。
プロは辞めることが許されません。この道一筋もプロの条件です。
悪徳業者・粗悪品
コピー商品
*他業者が製造した商品を許可なく同柄・同配色で製造する
*他業者が製造した商品を許可なく一部を変えて製造する
*他業者が研究製造した織組織を許可なく使用する
偽証紙
*正絹使用をせずに正絹証紙を貼る
*国内生糸でないのに国内生糸という
*一部正絹使用で正絹証紙を貼る
*高級素材(本金・プラチナなど)を使用していないのに証紙を貼る
*高級素材を一部しか使用していないのに証紙を貼る
*化学染料を使用していても天然染料の証紙を貼る
*手織商品でないのに手織証紙を貼る
手織商品‥‥‥一切の機械を使わず手足を使って製織する(爪つづれ・すくい)
ジャガードを使用し製織したもの(一般的手織商品)
偽手織商品‥‥自動機械で製織したもの、自動機械を使用し一部を手で製織したもの
*国内生産でないのに国内製造証紙を貼る
国内外の原産地証明を貼らない
*製造後の商品を加工しても加工証明書をつけない
不思議発見 2007年
飯の種にお金をかけない!
西陣の織元の大半が製造基地を丹後などの地域に持っています。しかし、大半の織元は織機を借りて委託加工をしています。自動織機と言われるものですが一部手織機もあります。織元が投資して持っているわけではありません。昭和30年以降 この傾向が多く見られるようになりました。目先だけを考えると正しい経営選択とも言えます。当然多くのメリットがあることも事実です。この章ではあえてデメリットを取り上げます。景気が低迷し 需要が悪くなると真っ先に投資していない織元が縮小や撤退をします。継続する努力をしないのです。投資をしていなければ安易に撤退も可能なのです。智恵を絞り工夫する努力をしないことは商売を放棄したことになります。
昭和後期には二千社近い織元がありましたが現在は数百社になった大きな要因ではないでしょうか。
問屋の業界も同じような現象があります。現在大方の問屋は委託販売方法です。商品を買ってまで商いをする問屋は少なくなりました。売れた分だけ支払いをする上水ウワミズ商法です。一見安全で正しい商法に見えます。しかし、大きな落とし穴があるのです。この章もデメリットだけ取り上げます。一番のデメリットは社員のレベル低下です。会社の存続は社員のレベルにかかっています。委託販売方法ではいつでも責任回避ができ 自己責任がなくなります。商品知識が低く適正価格の判断も出来ません。売る商品 売れる商品を集めるのではなく 並べる商品 数を揃える商品を集める結果になります。真剣に商品の選別をする必要がないことになります。買い取ってこそ真剣に選別できるものです。
業界で手形決済が多く見られます。最近徐々に現金支払いに変わりつつはあります。しかし、常引きや協賛引きなど悪い習慣はまだまだ残っています。商売から外れたマネーゲームに似ています。手形の支払いの本当の意味も理解せず乱発し倒産した企業も数知れずあります。大きなメリットは最初のサイト分だけです。以後は支払いが発生し何のメリットもありません。単に銀行の仕掛けた陰謀とも言えます。実態のない紙切れに割引と言う金利稼ぎのマネーゲームの一種です。商売の原点からはかなり外れたものです。日にちが来れば引き落としされる保障など何もありません。慣習とは恐ろしいものです。
我々業界は大企業と同じ経営理論では継続は無理です。我々は店タナです。複式簿記に振り回されてきたのです。我々の基本は単式簿記 すなわち家計簿なのです。売掛け 持ち手形 在庫など難しい言葉に騙されてきたのです。単に現金の動きを知ればいいのです。昭和40年以降の好景気に勘違いをしたのではないでしょうか。
銀行は仕掛けをし儲かる時期が過ぎれば一番に撤退しているではないですか。我々企業は名だけのもので経営者から保障や担保を取ります。大企業の経営者から担保設定を取りますか。
商売の原点を今一度見直し 先人(戦前以前)の経験や知恵から学びたいものです。
生き残る提言
飯の種にはお金を使え
2007年5月 外国人記者の質問に答えた一部です
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